表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

10/14

失態

一条家の茶会から数日。秘書室の空気は、以前の「無視」から、より陰湿な「監視」へと変わっていた。氷室たちは私と目を合わせるたびに、含みのある笑みを浮かべていた。

その不穏な空気の正体は、昼休みに突然、スマートフォンの通知音と共に現れた。


「……何、これ」


社内のグループチャットが、怒涛の勢いで流れていく。


『【悲報】九条グループ、顧客リスト3万件流出か』


『犯人は最近入った「元派遣」の女秘書との噂』


『匿名掲示板に、彼女のIDでログインされたアクセスログが晒されているぞ』


「元派遣」という肩書きは、不祥事が起きた時の最高の生贄になる。実績がない分、色眼鏡で見られやすく、真っ先に疑いの矢面に立たされるんだ。


私が自分のデスクに戻ると、そこには既に氷室と二階堂、そして情報システム部の人間が待ち構えていた。


「佐藤さん、説明してもらえるかしら? あなたのIDを使って、昨夜の深夜2時、社外から顧客データベースにアクセスがあった形跡があるわ。……一条様へのあてつけに、情報を売ろうとしたの?」


「……私が、裏切るメリットがどこにあるって言うんですか? 40万の月給と、12カ月のボーナス。これ以上の好条件をドブに捨てる馬鹿に見えますか、私は」


私は淡々と答えたが、氷室は冷笑を崩さない。


「メリットなんてどうでもいいのよ。『元派遣が不祥事を起こした』。その事実だけで、社長の任命責任は問われるんだから。……さあ、すぐに身の回りのものをまとめて。社内調査が終わるまで、自宅待機……いえ、事実上のクビよ」


周囲の社員たちが、遠巻きに私を「犯罪者」を見るような目で見つめている。

その時、社長室の扉が静かに開いた。


「……騒がしいな。仕事はどうした」


九条社長の登場に、氷室がここぞとばかりに詰め寄る。


「社長! 佐藤さんが顧客情報を流出させました。証拠のログも出ています。すぐに解雇の決断を!」


社長は私を一瞥した。その瞳には、信頼も、疑念も、何も映っていない。ただ、冷徹なまでの「真実」を見極めようとする光だけがあった。


「……佐藤。昨夜の2時、お前はどこで何をしていた」


「自宅で、いただいた茶道の教本の、難解な箇所を書き写していました。……それと、スーパーの特売チラシのチェックです」


「証拠はあるか?」


「教本に、私の書き込みが残っています。……ですが社長、それよりも確認したいことがあります」


私は、情報システム部の担当者が持っていたタブレットを指差した。


「そのアクセスログ、もう一度よく見せてください。……派遣時代、私はシステム入力のダブルチェックを毎日500件こなしてきました。……違和感があるんです」


氷室が「往生際が悪い!」と叫ぶのを無視し、私はログの数値を指でなぞった。


「……ここのアクセスポイント。経由しているサーバーが、社内の標準設定と1秒だけズレています。……これは、外部から侵入して私のIDに偽装したのではなく、**『社内の人間が、私のPCを直接操作した』**時に出る、独自のタイムラグです。……つまり、昨夜、このオフィスにいた誰かが、私のデスクから情報を抜いたんです」


秘書室が、一気に静まり返った。二階堂の顔から血の気が引いていく。


「……さらに、社長。私は派遣時代からの癖で、退勤する時に必ずキーボードの隙間に『自分の髪の毛』を一本、挟んでいくんです。……今見たら、その髪の毛が落ちていました。……誰かが、私のキーボードを叩いた証拠です」


信じられるのは自分だけ。だからこそ、自分の身を守るための『小さな罠』を仕掛けるのが習慣になる。


九条社長が、氷室と二階堂に鋭い視線を向けた。


「……氷室。昨夜、残業申請をしていたのは誰だ」


「そ、それは……二階堂さんが、資料の整理で……」


「……二階堂。ログに残っている情報の『抽出順』。お前がいつも使っているマクロの癖と、全く同じだが? ……言い逃れはさせんぞ」


二階堂がその場に膝をつき、氷室は真っ青になって震え出した。


「……蓮、何の騒ぎかしら?」


そこへ、まるでタイミングを見計らったように一条美玲が現れた。彼女は状況を把握すると、わざとらしくため息をついた。


「……あら、犯人が見つかったのね。秘書同士の嫉妬なんて、見苦しいわ。蓮、こんな面倒な女たちは全員入れ替えて、私が選んだ優秀な人材を送り込んであげるわよ?」


社長は美玲を見据え、一通のプリントアウトされた紙を差し出した。


「……必要ない。……二階堂の口座に、昨夜、一条家の関連企業から多額の振込があったことも、既に調査済みだ。……美玲、私の秘書を『買い取ろう』としたのか?」


「……っ!」


美玲が言葉を失う。九条社長は私の肩に手を置き、全社員に聞こえるような声で告げた。


「……佐藤。お前の『髪の毛一本』に、わが社の情報セキュリティが救われたようだな。……今夜の残業代は、特別ボーナスとして加算しておこう」


私は、2900円の靴を鳴らして、美玲と氷室の前へ歩み寄った。


「……一条さん。私はアリですから。……一度巣に侵入した敵の匂いは、一生忘れません。……次は、もう少し『アリ』を舐めない作戦を考えてくださいね」 




私は、自らの手で「社会的な死」を回避し、むしろ秘書室での絶対的な地位を確立した。



次回予告:

秘書室の毒蜘蛛たちが一掃され、花は「一人秘書」として多忙を極める。

そんな折、九条社長に「政略結婚」の最終通告が。


社長が花に命じたのは、まさかの「偽装結婚」のパートナー役だった!?

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ