第九話:五勇士の夜会
ヴォルムス王国は魔法技術において他国を突き放した発展を誇っている。
例えば、王都セレスニルを明るく照らし出す街灯にはエネルギー供給は必要ない。
昼間に日の光を吸収して魔力に変換し、辺りが暗くなるに従って放出する術式を組み込んだ光属性の魔石が使用されているのだ。
それに加えてこの魔石が太陽光を魔力に精製した後、精製した魔力を他の用途に使用することも可能だ。
この世界にとっては破格ともいえる技術だった。
何故、王国だけがこれほどの発展を遂げたのか。
それは1人の神官の実績だった。
シベリウスの魔力資質『解析』はそれまで謎だった魔石の生成過程を解き明かした。
これにより、完全ではないが、魔石の安定生産及び供給に成功した王国は不安定な『魔物資源』に頼り切らない新たな社会構造を獲得していた。
それは魔物を求めて他国に攻め入り、領土拡張主義を掲げたファブニール帝国とは、ちょうど真逆の在り方だった。
現在、エリノアの故郷は闇夜でも光の絶えない都市として世界中に知られている。
そしてその明るい街を歩くケディングは、概ね上機嫌だった。
五人中五位とはいえ予選を突破した、ケディングは二十年以上待ち望んだ出世のチャンスを己の手に掴み取ったのだ。
今夜は手持ちの銀貨をつぎ込んで祝杯の一つでも挙げようと考えていた。この不躾な呼び出しがなければだ。
「明日も試合があるってのに突破者全員に召集なんざ、何を考えてんだクラウゼって奴は?」
ぶつぶつ文句を言いつつも、ケディングがラファの酒場に現れたのは手紙に記された時間ピッタリだった。
突然の呼びかけにも関わらず、きっちりと時間通りに行動するあたりが変に義理堅い男だ。
「おおっ、ケディング殿こっちだこっち!」
のっそりと、ラファの酒場に現れた大男のことを親しげな様子で呼んだ人物は、例のクラウゼ=ファランドだった。
「いやー急な思い付きだったんだよ、スマンスマン。今は三人集まってる、ケディング殿を入れて四人だ。思ったより集まってくれて俺は有頂天になりそうだぜ?」
背中に流した薄茶色の長髪と深緑の鎧が特徴的などこか軽薄そうな優男。それがケディングがクラウゼに抱いた第一印象だ。
クラウゼはケディングと肩を組もうと腕を伸ばしたが、バランスが悪いので肩に手を置いて「席はこっちだぜ」と案内する。
ケディングがテーブルに辿り着くと、クラウゼと似た深緑の鎧姿の男が席から立ち上がり、深々と頭を下げた。
「何の前置きもなしでの急な呼び出しを謝罪いたします、ケディング殿。私はウェイン=ファランド、貴殿に絡んでいる愚兄クラウゼ=ファランドの弟です。」
クラウゼの弟、ウェインは半月型の眼鏡を掛けた神経質そうな男だった。短く整えられた髪と鋭い眼差しは騎士というよりは城の文官という印象を与えてくる。兄とは真逆に誠実そうな男だ。
『閃光騎士団』、エルフの国を頂点として結束する『諸島連合』の主要戦力。
嘘か真か、船を使わずに海を渡り山脈を飛び越えるとされ、「この世界にその歩みを阻むものなし」と謳われる世界最速の戦士達。
百年前、魔王領での決戦においてエリノア達を魔王城にたどり着かせるために絶望的な先陣を切ったのは彼らだった。
人の地獄、魔物の楽園と称された魔王領を駆け巡り、魔王の軍勢を力の限り攪乱した。
三大勢力中、最も勇敢に戦い、最も多くの戦死者を出した歴史を持つ。
そこら辺の傭兵などとは比較にならない戦闘力を備えているが、滅多なことでは諸島連合の外に出てくることはない。
冒険者として世界中を廻ったケディングも閃光騎士と出会ったのは初めてだ。
情報は少ない。確かなのは戦うことになれば、容易い相手ではないであろうことだけだ。
そしてケディングは最後の一人に目を向ける。
「…………………」
この場にいる最後の一人、ケディングが現れて唯一無反応だった人物。黒いフードを目深く被った怪しさ立ち込める小柄な人影が同じ円卓に座っていた。
「ああ、そちらはユースティ殿。先程お越しになりました。ご存知でしょうが二位通過のお方です」
ウェインの紹介には反応したユースティがケディングにぺこりと会釈をする。最低限のコミュニケーションはできるようだ、単にトロいだけかもしれないが。
ユースティは黒いフードに重ねて『幻覚魔法』でも使っているようで顔が全く見えない。
気になるところではあるが、魔法をまともに使えないケディングではどうしようもない。
そもそも大会運営者はこの人物の素性も把握した上で参加を許可したはずなので危険性は低いだろう。
とりあえず後回しにして構わないはずだとケディングは判断した。
「おい、ファランド」
「クラウゼで構わないさ、ケディング殿。ついでに弟もウェインでいい、兄弟で同じ呼び名なのはややこしいからな」
「ならクラウゼ、試合を終えた俺が意気揚々と帰ってみりゃ、部屋のドアノブにドクロ柄の手紙が貼り付いてやがった。てっきり、あのお嬢様のファンからの果たし状かと思って肝を冷やしたぜ。もう少し手紙の出し方‥‥‥いや置き方を考えやがれ」
「名案だと思ったんだけどな、インパクト的には効果抜群だったろ。それとカナタちゃんのファンからの手紙ってのは間違ってないぜ?」
「どういうことだ?」
「見よ!カナタ=シベリウス=ロウエンちゃんのファンクラブ証だぁ!」
ジャーン!、と効果音が付きそうなくらい快活にクラウゼが取り出したのはピンクシルバーの会員カードだった。
カナタ自身が今日まで知らなかった、例の『ファンクラブ』の証である。
当然、ケディングは死ぬほどどうでも良さそうな顔をしている。しかしクラウゼの次なる行動には反応せざるを得なかった。
クラウゼがもう一つ、見覚えのある人物の顔が印刷されたカードを取り出したからだ。
具体的にいうなら毎朝、ケディングが鏡で目撃している厳つい顔の男だ。
「ケディング殿の分もあるぜ?」
「どういう経緯で俺の分が用意されたのかを説明しろ」
「三人一緒に入会するとプロマイドが付くんだ、勝手に名前を使ったことは悪いと思っている。というわけでお詫びの品を受け取ってくれ、カナタちゃんのプロマイドのコピーだ」
「要らねえよっ!?そして会員カードまで押し付けてくるんじゃねぇ!」
難しい顔をして、ぬいぐるみを持ち上げ覗き込むカナタの写真。年相応の少女に見える姿だ。
肌触りを確かめるように、ぬいぐるみをフカフカと抱きしめている。
確かに可愛らしい写真ではある、だが生憎ケディングにそういう趣味はない。
何よりも、あの気位の高そうなお嬢様が、こんな撮影を許可するとは思えない。
これは受け取ったらヤバい代物だ、ケディングの直感がそう警告する。
しかし断っても押し付けてくるクラウゼへの妥協案として、ファンクラブ証と写真はテーブルの上に置きっぱなしにすることにした。
もちろん、ケディングは帰り際に置いて帰る気満々である。
自分の顔が入ったカードは処分する予定だが。
「それにしても思っていたよりヴォルムス出身者が少ないな。五人中、ケディング殿とカナタちゃんの二人だけだろ?フツーは主催国の候補者が軒を連ねるモンだろ、この類の大会はさぁ」
前触れもなく、クラウゼが尋ねたのはこの選定大会の異常さだった。
ヴォルムス王国の護りの要『守護の楯』を選び出す大会に、肝心の王国から参加している実力派が少ないのだ。
「あのお嬢様がいる時点で参加できなかったんだよ。大神官の孫娘への溺愛っぷりは王国では周知の事実だ、下手に関わって目の敵にされたら首が飛んじまう。俺の『錬鉄都市守護騎士団』からも参加したのは片手で数えられる人数だ」
王国最高の権力者の『現在唯一』の血縁者にして、将来は確実に国の重役に就くであろう天才魔法使い。
そんな少女と下手に関わって身を滅ぼしたくないが故に王国からの参加者は少ない。
「一挙一動で国レベルの反応があるのかよ、カナタちゃんも気の毒なもんだな。それにしてもケディング殿、そのカナタちゃんに喧嘩売ってたよな? 大丈夫なのか、宿屋ごと消し炭にされるんじゃないのかシベリウス様直々に?」
「挨拶しただけだ、それにこの大会に出場したのならお嬢様と俺は対等だ。この程度で大神官が出て来るなんてねえよ。それよりお前こそ、そんだけベタ惚れでまともに戦えるのか?この先、あのお嬢様との直接戦闘だってあるかもしれねえぞ?」
「それはないさ、手加減はカナタちゃんへの侮辱になるからな、全力で相手をする。とはいえ、もし戦うことになったら勝率は低いよなぁ。あの魔法をかいくぐりながら接近するのは骨が折れそうだし、リアルな意味で」
クラウゼが思い出したのはゴーレムを片っ端から粉砕したカナタの光魔法だ。
余すことなく地上に降り注ぐ光弾、あんなに美しい魔法は精霊術に長けたエルフ達ですら、なかなか扱えるものではない。
観客が魅了されるのは当然だが、クラウゼ達はアレを向けられる可能性があるのだから観ていて冷や汗が止まらなかった。
岩の硬度を持つゴーレムを粉砕する広範囲攻撃魔法など冗談ではない。
直撃すれば最低でも骨折は免れない。一発もらって動きを止められてしまえば、それだけで勝負が決まってしまう。
「本来、『降雨の光弾』はあそこまで強力な魔法じゃねえ、せいぜいが目眩ましか松明代わり程度の中位魔法のはずだ。それがどういう理由か、ゴーレムを爆殺する威力でフィールド全域に降り注ぎやがった。悪い冗談みたいな広範囲攻撃だ。おまけに接近できたとしても近接魔法の迎撃が間違いなく来る」
そもそも光系統は『解呪』や『回復』などに代表される補助的な魔法なのだ。
それを戦闘用に改造している技術は恐れ入る。
そして近接用の魔法も当然用意してあるだろう、そちらの威力の方が上かもしれない。
「前途多難過ぎてワロタ。つーかカナタちゃん、帯刀してたよな?結構使い込んでそうな魔剣をさ、あれは近接戦闘も不得手じゃないな」
隙がない、弱点がない。苦手な距離などあるはずがない。
それがジークパーティー最強の魔法使い、シベリウスの正統後継者の力だ。
常人なら諦めるだろう、凡人なら嫉妬にまみれ見当違いな捨て台詞を吐いて立ち去るかもしれない。
それが天才とそれ以外の人間との差なのだから。
「ーーーなら、諦めて辞退するか?」
「それこそ冗談、近づくこと自体は可能だ。カナタちゃんには悪いが、勝たせてもらう。ケディング殿こそ、あの程度の『速さ』しか出せないなら棄権をオススメするぜ?」
「抜かせ、回避できないなら耐えればいいんだよ。それと俺は誰にも負けてやるつもりはないから安心しろ」
ここにいる誰一人として勝利を諦めていない。
これしきのことで勝負を投げ出すような輩は一人もいない。
確かに強敵、されど同じ人間相手なら勝てる可能性はゼロではない。
無敵な人間など、この世界の何処にもいないのだから。
この2人の勝算はそれだけだ、歴戦の戦士にとってはそれで充分だった。
クラウゼとケディングが浮かべる表情は、気高き獣の笑みだ。
「おっと、前置きはこのくらいにして始めちゃいますか。本当はカナタちゃんにも送ったんだけど、やっぱり駄目か」
普通に渡しても断れそうだったので、こっそりとカナタの身に付けていたマントに接着させておいた。
ラブレターもどきな見た目のアレである。
固い内容だと気後れするかもと気を使い、砕けた感じにしてみたのだが、逆効果だったのかもしれないと、クラウゼは少し落ち込んだ。
あの内容で気を使ったつもりなのだから、この男も大概ズレている。
「にしてもお前ら、酒場を丸ごと貸し切るとは随分と思い切ったもんだな」
『ラファの酒場』、茶葉やブドウの一大生産地であるラファ地方の貴族が元締めを務めている。
産地から直送される上質なワインを楽しむことができる、ヴォルムス王国では有名で高級な酒場だ。
それを貸し切るともなると大金が必要なはずなのだ。
「つい先ほど我々の路銀は尽きました。よりにもよって蓄えを酒宴代につぎ込むことになろうとは思いませんでしたよ……。」
「お前も苦労しているみてえだな、ウェイン」
「分かってくださいますか、ケディング殿。兄者はもう少し考えてから行動して頂きたい」
「まあ気にするな、弟よ。ここまで来たら守護騎士団からのお誘いくらいはあるさ、そうすれば給金も手に入るから大丈夫だ」
萎んだ野菜のようなウェインに対して、クラウゼには気負いがまるでない。
宿を引き払い、余分な所持品(旅道具)は売っぱらった。明日はこの酒場を出て闘技場に直行、というのがクラウゼの今後の予定だ。
金は天下の廻りモノとはいうが、ここまで後先を考えない豪快なバカは珍しい。
ケディングは面白い馬鹿野郎のことは嫌いではない。冒険者時代の仲間でも、こういった底抜けに気楽な人間はパーティーの精神的な支えになっていたからだ。
なあなあ、とクラウゼが馴れ馴れしく接してきても気に障ることはない。
「そういえば、必勝祈願に勇者ジーク様の墓前に参ろうかと思ったんだが見つからなくってな、ケディング殿はセレスニルの何処にあるのか知らないか?」
「俺も同じ目的で探したんだが見つからなかった、世界を救った英雄の墓だってのに妙な話だ。後でここの守護騎士に聞いてみるか」
王都の何処かにあるというジークの墓。
世界を救った英雄の眠る神聖な場所、それが見つからないのだ。
まるで何者かが霧の中に隠したように。
「ーー無理だよ、お祖父様が結界を張っているからね。許可された人間にしか見つけ出せないんだ」
突然響いた第三者の涼しげな声。答えを知る者が現れた。
「どわぁっ!?何処から現れやがったお前!」
「か、カナタちゃん!? 俺の会員証にサインをしてくれ!そして食事に行かないかっ!?」
「み、見事な転移魔法です、カナタ殿。そして兄者、落ち着いて下さい」
いつの間にか空いていた席にちょこんとカナタが腰掛けていた。
唐突な登場への驚き方は三者三様だった。純粋に驚嘆する者、テンパる者、その魔法に感心する者。
だが、ユースティだけは微動だにしない。
見慣れた光景とでもいうように、反応を示さない。
その一方で満面の笑みを浮かべたクラウゼがカナタに話しかけた。
「なあカナタちゃん、俺のファンクラブ証にサインをしてく「『凍結の霧』!」ーーーぐわぁぁぁっ!?冷たいっ、むしろ痛いっ!?」
「兄者ーーー!?」
「キミがあの手紙を寄越したクラウゼ=ファランドだね。ボク、そのふざけた団体について教えて欲しいことがあるんだ♪」
にっこりと、こちらも満面の笑みで応えるカナタ、その笑顔はとんでもなく黒い。内心は最高に不機嫌なのだ。
クラウゼからの返事は、ない。
「……おい、嬢ちゃん、まずはクラウゼに回復魔法をかけてやれ。凍りついてたら話せんだろ?」
見かねたケディングがカナタに話しかけた。
ケディングが見たところ、凍傷にはならないように手加減したようだが大した威力だ。
床に転がされたクラウゼは長髪がガチガチに固まり、全身にシャーベットのような薄い氷がこびりついてピクリとも動かない。
命を奪うつもりはないので回復魔法をカナタはクラウゼにかける。
暖炉の炎に似た温かな光がクラウゼを包み込んでいく。
回復魔法を行使しながらカナタはケディングに話しかける。
「手紙の段階で身の危険を感じたから、とりあえず先制攻撃、かな? それにお祖父様も言ってたよ、交渉事は先手を制する者が勝利するんだってさ」
「物理的ダメージの話じゃねえと思うぞ、これは問答無用の制裁だ。まあ、その様子だと手紙がろくでもない内容だったようだな」
「そうなんだよ、聞いてくれる? いきなりファンクラブとか、ピンク色がどうとか書いてあるから心配だったんだ、自分の身がね」
「なるほど、そいつは大変だ。正当防衛以外の何物でもない、俺が保証しよう」
「ちょっと待てケディング殿、俺は紳士だっ!しかしロリィ趣味は否定しないっ、というかカナタちゃん、付き合って下さ……何をするウェイン!?」
「勘弁してください兄者!また追放されたいんですか貴方はっ!」
早くも復活したクラウゼはウェインに羽交い締めにされた。
床に組み伏せられるクラウゼを横目に、こてんと首を傾けたカナタがケディングに尋ねる。
「ねえねえ、おじさん。ロリィって何?」
「俺に聞くな、そして大神官様にも質問はなしだ、クラウゼの首が飛んじまう」
「それじゃ結局分からないじゃないか。おじさんがボクに教えてよ」
「駄目だ」
「む〜、ケチ」
『ロリィ』の意味をどうしても教えようとしないケディングの素っ気ない態度にカナタがむくれた。
ケディングが教えなかったのは、カナタが言葉の意味を知れば間違いなくクラウゼに再び制裁を下すからである。
ケディングは別に構わないが、正直なところ面倒なのだ。
だが、ケディングは忘れていた。
ケディング自身もカナタを怒らせる爆弾をクラウゼから押し付けられていたことを。
「冷たいなぁ、女の子には優しくしないとモテないよ?‥‥‥ち、ちょっと!その写真は何なのさっ!?」
カナタが見つけてしまったのは、ケディングが卓上に放置していた写真と会員証だ。
カナタにとって恥ずかしい写真と、厳ついヒゲ男の顔がくっきりと印刷された会員証がセットで置かれている。
「うおおおおっ!?違うっ、ちょっと待てコレは俺の所有物じゃねぇ!」
「信じらんないっ、盗撮とか最低だよ!し、しかもこ、こんな写真を!!」
顔をみるみる真っ赤に染めたカナタがケディングを潤んだ瞳で睨みつける。これは演技ではなく本心だ。
これはヤバい、ケディングの冒険者として培った本能がけたたましく警鐘を鳴らす。
このままではあれだ、『変態』扱いされてしまう、この年齢でそれはキツい。
「だから待ってくれ嬢ちゃん! 説明しろクラウゼェェェェェェェッ!!」
「ほいほい、これのことだな?」
「わあぁぁぁっ!?なっ、なんで」
クラウゼがバサッと円卓に広げた十数枚の写真には全てカナタが写っていた。もちろんこれらは三人同時入会の特典だ。
「こんなにあったのか……」とケディングが呆れた表情をする。
散々悩んだ挙げ句に結局買うことにしたぬいぐるみを恥ずかしがりながら店員に渡す姿や、城の中庭にあるお気に入りの大樹の上で昼寝をしている姿、多忙なシベリウスを探して神殿を寂しそうにさまよっているものまである。
カナタは蒸気が出そうなくらいに真っ赤になってしまった。
こんなに恥ずかしい思いをしたのは物心がついてから初めての経験だ。
「こ、この変態!! お祖父様に言いつけてやるっ!!」
「変態とは失敬な。ていうか、ファンクラブ会長がシベリウス様だぜ?」
「え、あれ? ………………お、お祖父様何やってんのさぁぁあ!?」
信じていたモノに色々と裏切られたカナタが、ぺたんと床に崩れ落ちる。
「会員規則一条『可愛いものはみんなで愛でよ』。流石シベリウス様、偉大過ぎる言葉だ。そうは思わないか皆の衆」
「思うわけないよ! このバカァーーー!!」
「これっぽっちも同意できねえな」
「貴方は不届き者です、兄者」
「‥‥‥バカばっかり、だね」
「無口キャラだと思ってたユースティ殿にまで否定された!?」
両手で頭を抱えてのけぞるオーバーリアクションを取る馬鹿野郎。
しっかりと写真は回収している辺り、ただの馬鹿ではない。
そして大抵の馬鹿は立ち直るのも早いのだ。
クラウゼは先ほどの疑問をカナタに尋ねる。
「カナタちゃん、さっきの話だけどさ。ジーク様の墓地に結界があるのか? 何でまた面倒くさいことを」
結界は外部からの侵入を防ぐために使用される拠点防御魔法だ。
例えば、城や宮殿などといった重要性の高い場所に張られることが多い。
いくら勇者の墓とはいえ、死んだ人間のために行使されるのはおかしい。定期的に魔力を供給する必要もあるのだから。
クラウゼの疑問はもっともだった。
しかし、カナタから示された答えにクラウゼは愕然とする。
「墓荒らしだよ、ジーク様とエリノア様の墓に手を出した輩がいたんだ」
「そんな、マジかよ……」
墓荒らし、遺体とともに埋葬された金品などを狙う盗賊の一種。
よりにもよって、この世界を救った2人の墓に盗みを働いた愚か者が現れたのだ。
あの時、シベリウスの怒りは凄まじかった。あまりの怒気にカナタが祖父に近づくのを戸惑ったくらいだ。
神殿では神官たちが何人も胃痛を訴えて卒倒するという地獄絵図が出来上がり、今ではシベリウスの伝説の一つとして数えられている。
ケディングは不機嫌そうに空になったジョッキをテーブルに叩き付ける。
その顔は怒気に歪み、ただですら迫力ある顔面が更に恐ろしい威圧感を放っしている。
「埋葬品を狙ったか、下種な連中だ。プライドってもんがねえのか」
クラウゼとウェインも同意見だ。
諸島連合でも"同じような事件"があったため、なおさら怒りも大きい。
「どこにでもバカはいるもんだな。俺たちがその場にいれば雷槍で華麗に打ち倒してやったのによ、なあウェイン?」
「当然です、"華麗に"かは分かりませんが"確実"に愚劣な賊を仕留めてみせましょう」
盗賊に対する怒りを共有するケディングたち、彼らにとっても世界に平和をもたらしたとされるジークパーティーは憧れの存在なのだ。
しかし、カナタはこの三人に重要な部分を語っていなかった。
それはこの犯人が埋葬品を狙ったなどという、単純な目的を有していなかったことだ。
カナタには分かる、シベリウスの知識には『ソレ』に関するものもあるからだ。
下手人の狙いはジークとエリノアの遺体だ。
そうでなければ、シベリウスを敵に回してまで盗みを働くメリットがない。金が欲しいなら行商団でも襲えばいい、わざわざ藪をつついて竜を出すバカはいない。
そして盗んだ遺体を利用する外法、ならば該当するものは一つ。
難易度がとてつもなく高い魔法なので大丈夫だとは思うが、万が一にも成功していたら世界が揺らぐ。
生者と死者の壁を取り払う太古の魔法、それは生命の倫理を破壊する禁断の調べ。
それこそが死者を蘇生させ、術者の意のままに操る『反魂魔法』。
それは死者への冒涜に他ならない。
だからシベリウスはあんなにも激怒したのだ。
風の噂によると、ファブニール帝国と諸島連合でも同じ事件があったらしい。
皇帝直属の親衛隊『太陽の狼達』とエルフの国の霊都を防衛する『閃光騎士団』が血眼になって実行者を捜索している。
戦争でも起こすのではないかと思わされるほどの過剰戦力だ。
それにも関わらず、以前として犯人は捕まっていない。
カナタは胸騒ぎがしていた。何か、大変なことが起こる前触れのような漠然とした焦燥感がしてくるのだ。
暗い影が世界を徐々に覆っていく、そんな予感がする。
そしてシベリウスがこのことを公にしていないため、これ以上はここにいるメンバーに話すべきではない。
「そういうこと、はいっ!もうこの話はおしまい。そういえば、流氷の国で最近反乱が多発しているらしいよ」
よって、この話はここまでだ。カナタは話題を適当にぶった切ることにした。
「嬢ちゃん、その話を詳しく聞かせてくれないか」
カナタが適当に選んだはずの話題に反応してケディングが身を乗り出した。
その意外な反応にカナタが不思議そうな顔をする。
「いいけど、そんなに楽しい話じゃないよ? それに流氷の国の近況なんかをどうして聞きたいのさ?」
「俺の故郷だからな、そりゃ気になるさ」
ケディングは流氷の国の生まれの冒険者だった。
それを聞いたカナタ、クラウゼ、ウェインの表情が硬くなる。
流氷の国の惨状は王国や諸島連合にまで届いているからだ。
「でもあそこは出国制限があるはずでしょ、でもキミはヴォルムス王国で冒険者をやっていた。辻褄が合わないよ」
「俺が冒険者上がりなことまで調べてたのか、勤勉な嬢ちゃんだ」
ケディングは故郷を思い出し、懐かしそうな表情をしている。
だが眉間に現れたシワは苦々しい記憶を物語っていた。
カナタが口を開く。
「逃げて、来たんだね? 流氷の国から、自分の故郷から」
「その通りだ、村ごと逃げ出した。深い雪原を越え、凍りついた湖を渡り、俺たちは必死に荷馬車を走らせた。追っ手に捕まれば終わりだったから皆死に物狂いだった」
「よく、逃げ切れたね。普通なら、それだけの大人数はすぐに、捕まると思う」
ケディングが隣の壁に立てかけていた愛用の大斧を見つめる。
「助けてくれたんだよ、末端の帝国兵士がな。この大斧はその騎士から貰ったモンだ」
傭兵をしていたケディングの父とその兵士は友人同士だった。
その帝国兵は父との友情と、民を護るという自らの信念を取ったのだ。
彼の決断は帝国兵としての立場を考えるなら間違っていたのだろう、だが多くの村人が救われた。
裏切り者のレッテルを貼られてまで信念を貫いた彼をケディングは今も尊敬している。
じっと話を聞いていたクラウゼがケディングに問いかける。
「で、その男前な帝国兵士様はどうしたんだ? 流氷の国に残ったのか?」
「いや、そのまま俺たちと一緒に亡命した。今は『錬鉄都市守護の楯』として活躍している。頑固なオヤジだけどな」
「なるほど、そうするとケディング殿はその方に憧れて『守護の楯』を目指しているわけですか」
「よせ、そんなんじゃねえよ」
どうやら当たりらしい、ケディングが照れたように顔を背けた。
「あー、嬢ちゃんの親御さんはどうなんだ、やっぱり神官様なのか?」
ケディングは照れを誤魔化すためにカナタへと話の流れを変える。
しかし、それは地雷だった。
「……悪いけど楽しい話はできないよ、ボクの家族はお祖父様だけ。意味は分かるでしょ?」
口から零れた刺々しい言葉、普段のカナタなら適当にごまかしたはずだ。
酒場の匂いに酔ったのかもしれない。もう一口、"妙な味のする"ジュースを飲んでから続ける。
「2人とも殺されたんだ、帝国の『狼』に。魔王領へ調査隊が派遣された時にね」
ポツポツと紡がれる言葉に宿るのはやるせない悲しみ、鎖でグルグル巻きにして仕舞い込んでいたカナタの本心。
本当にどうかしている、とカナタは思う。今までこのことは誰にも話したことはなかったのに。
本当に酒場の雰囲気に当てられたのかもしれない。或いは大男の昔話に心が弛んだのか。
「……おい、嬢ちゃん」
ケディングが狼狽える。一番星のように輝く少女だと思っていた、そのお嬢様がまるで年相応の少女のように語るのだ。
その姿はひどく弱々しい、小柄な身体が更にカナタを幼く見えていた。
ケディングの中でカナタに対する印象が大きく変わっていく。
「ですが、あの誇り高き『太陽の狼達』がたかが調査隊を攻撃するでしょうか、何かの間違いなのでは?」
「多分、何かあるんだよ。魔王領には、狼達がプライドを投げ捨てなきゃならなかった理由が、ボクの両親が殺されなきゃならなかった理由が」
カナタは確信している。
魔王領には帝国の何らかの弱みが存在するのだ、他国に知られてはならない何かが。
それを絶対に暴き出してやるとカナタは誓っている。
当時、魔王領は帝国が支配権を宣言していた。
帝国にしてみれば、元々自らの土地なのだから当然だった。
だが世界的には何処の国にも属さない中立地帯として扱われていたのだ。
未だに魔毒が立ち込める禁忌地域『魔王領』、調査一つ行うにも神官や僧侶達による浄化魔法が必要だ。
その調査のためにカナタの両親は駆り出されたのだ。
カナタは帝国への対抗心などという下らない理由であの調査を断行した当代国王が大嫌いだ。でも一番許せないのはカナタの両親を殺した帝国だ。
その黒い瞳に初めて熱が宿る、外見に似つかわしくない暗い憎悪を秘めた炎が揺らめいた。
「帝国は許せない。ボクはアイツらを必ず追い詰めてお父様とお母様の死の真相を突き止めてやる」
「ーーそれは構わねえが、もう少し肩の力を抜くこったな」
「っ、何が……!」
カナタはケディングを睨んだ。
しかしケディングの真摯な眼差しに二の句を告げられなかった。
「乗り越えたからこそ言える身勝手な意見だろうが聞いてくれ。憎しみがあるうちは先には進めねえんだ、国も人もな」
そもそも、善悪の二元論で語れるほど世界は単純ではないのだ。
大抵の場合、絶対的な悪などはこの世界のどこにも存在しない。多彩な人々の集合体である『国』などはその代表格だ。
そして何よりも、憎悪することは疲れる。相手も自分もだ。
これほど無駄な労力は他にはない。
だからケディングは帝国を恨まないことを決めたのだ。
故郷を奪った帝国への恨みではなく、自分達を救った1人の男の尊き覚悟をこの胸に刻み込んでおこう、と。
それこそが救われた者であるケディングの使命なのだ。
そう信じている。
カナタはケディングの表情に見覚えがあった。
両親の死後、シベリウスにかねてよりの疑問をぶつけた時のことだ。
『お祖父様は帝国を恨んでいるんだよね?』
そう詰め寄ったカナタにシベリウスは答えに困ったように曖昧な、笑みとも悲しみとも取れる表情を浮かべていた。
ケディングの言葉は祖父があの時、伝えたかった言葉なのかもしれない。
憎悪や復讐なんて、ろくなものではない。そんなこと、カナタにも分かっている。
「でも、納得できないよ。ボクはお父様とお母様のことが大好きだったんだから………。」
カナタは両親が大好きだった、だからこそ2人を奪った帝国が許せない。もし帝国を許したらカナタの両親への想いが嘘になってしまいそうで怖いのだ。
もう頭の中がグチャグチャだ、これ以上は何も考えたくない。
おまけにカナタはとても眠かった。
そんな時、そっとカナタの頭を誰かが撫でた。
「……まだ分からなくても、いいんじゃないかな?リウスだって、カナタにはまだ早いと思ったから伝えなかったんだよ」
それはユースティだった。
相変わらず顔が見えないフードを被りながらカナタを撫でている。
何気に呼び捨てにされているが、その優しい気配のする声にカナタは安心感を感じてしまった。
目蓋が重くなっていく。
「リウスって誰のこ、となの? …アレ? そういえば『ユースティ』ってあの人達のファミリーネームじゃぁ……。」
テーブルに倒れ込むように眠りに落ちたカナタをユースティがふわりと受け止めた。
静かな寝息がカナタから聴こえてくる。
「おいクラウゼ、これは酒じゃねえか。どういうことだ、お前が仕組んだのか?」
ケディングがカナタの飲んでいた器を確かめてそれが酒だと気づき、クラウゼを問い詰める。
「カナタちゃん、どうにも無理してる気がしたからさ。だから酒の力を借りて胸の内にあるものを吐き出して貰おうと思ってね、この程度で寝ちゃったのは予想外だけど」
何よりも『守護の楯』は戦闘職だ、その職務につきまとう危険性は一般騎士の比ではない。
「自分から危険に飛び込もうとしている女の子、あんまり見ていて良いものじゃあないだろ?」
「俺がいなくてもお前が嬢ちゃんに復讐は止めるように説得したってか、お節介な奴だ」
「どういたしまして」
ちらりとクラウゼ達はユースティに振り返る。
ユースティはカナタを膝枕しながら髪を撫でつけている。
「‥‥懐かしい感触がする、リウスも髪がサラサラだったから。今はちょっとパサパサだけど」
顔は見えないがカナタを慈しむ声色がその内心を滲ませているユースティ、その微笑ましい光景にケディングの表情が緩んだ。
「魔法使い様も眠っていれば、ただの子供だな」
ケディングが酒を片手にユースティに話しかける。
「『魔法使い』じゃない」
「……? 何がだ、この嬢ちゃんは魔法使いだろう?」
王国最強の魔法使いシベリウスの孫娘が魔法使いでなくて、何だというのだ。
だが、ユースティはそれを否定する。
「違う、この子のクラスは『賢者』、だから『魔法使い』じゃない」
「何で分かる? クラスなんてのは精密な魔力検査でもしない限りは分からねえもんだろ、それに『賢者』なんてクラスは聴いたことがねえ」
クラスとは、この世界で定められた謂わば職業の分類のことだ。
オーソドックスなものでは『魔法使い』や『剣士』がある。
そしてケディングが知らない『賢者』というクラス。
おそらくは特定の条件を満たした極少数のみが発現する固有クラスだろう。
例えば、『勇者』や『銃騎士』などがその筆頭だ。
一応、この世界にはクラス測定器といったものは存在するが、固有クラスの判別は不可能だ。
過去に前例がないため基準データがないのだ。
測定しようとすると『該当なし』とされる。
固有クラスを見破ることができたのは『状態表示』魔法の使える勇者ジークだけだった。
だが、ユースティは首を横に振る。
「私たちは別、ジークから教えてもらったから」
ピシッと鏡が割れる音と共に『認識阻害』の魔法が解ける。
黒いフードの中から現れたのは、若草色の髪とエルフの証である尖った耳。
クラウゼとウェインが驚愕して弾かれるように立ち上がる。
「「ア、アナスタシア様っ!!?」」
そこにいたのは、勇者ジーク率いる『勇者一行』の回復の要、エルフの姫君アナスタシア=ユースティだった。
「……久しぶりだね、クラウゼとウェイン。元気だった?」
「メチャメチャ元気ッスよ! 今ならトロールに背負い投げを決められそうです!」
「落ち着けクラウゼ、それは物理的に不可能だろうが」
冷静なツッコミを入れる大男、ケディングは一度驚きはしたものの、既に外面的にはある程度は落ち着いていた。
しかし内心はとてもソワソワしている。アナスタシアに握手を求めても良いだろうか、とタイミングを図っていたりするレベルで。
アナスタシア、伝説のジークパーティー2人の生き残りの内の1人。
例え腕を失うなどの人体欠損であろうとも治療の可能な世界屈指の回復魔法の使い手。
言動のトロさはこの百年で多少改善されたと、とある老神官は語る。
そんなエルフ娘は、現在は素性を隠しながら『新緑の国』の自衛団のリーダーとして活躍していた。
「つーか何故アナスタシア様が大会に出場されたんですか、もしやアイツに頼まれて俺を抹殺しに!?」
「違う、私はリウスに頼まれて王都に来た、大会は冷やかし」
「「「………………」」」
「嘘、本当はリウスに出場するように頼まれた。大会で死人が出ないように手伝って欲しいって」
そういえば今日の大会で死人が出たという噂を聞いていない、とケディング達は納得する。
「あのー、俺が勝手に逃亡したせいでアイツは怒ったりしてましたか?」
クラウゼの言う『アイツ』とは、この男が閃光騎士団を追放される原因となったエルフの女性のことである。
「……貴方を八つ裂きにするって言ってた。ドンマイ、クラウゼ」
「あ、俺死んだわ」
クラウゼの顔から血の気が引いた。あのエルフ娘は、やると言ったことはやる女だ。
だが、そもそもの原因はクラウゼにあるのだから甘んじて受け入れるしかない。
「あー、ごほん。俺と嬢ちゃんばかり話しちまって悪かったな」
「……いや、勉強になった。むしろ礼を言いたいくらいだ。憎しみがあるうちは始まらないか、まったくその通りだよ」
「っ、兄者よ、あの事件は元老たちの傲慢が招いたことです、 貴方には何一つとして落ち度はない!」
悲痛な表情を浮かべたクラウゼの言葉、それをウェインが声を荒らげ否定する。
それは、クラウゼとウェインが閃光騎士団を追放される原因となった事件のことだった。
あの時のクラウゼとエルフの元老の会話がウェインの脳裏に甦る。
『魔物が村を襲ってやがるんだっ、出撃許可を出してくれ! 俺たちの速さなら間に合う!』
『ならん、閃光騎士は我らエルフの都を防衛するために存在する。劣等種共を守るためではない』
『ふざけるなっ、クラウゼ=ファランドの槍が守るものに上等も劣等も関係なんてねえんだよ! ウェイン、結界門をこじ開けろっ、俺達だけで行くぞ!!』
『ま、待たんかクラウゼ!?』
命令に背いた兄の決断により、自分たちは騎士団を追放された。魔物から多くの人々を救うのと引き換えに。
そこにウェインの後悔は何一つない。
自分達が護り抜いた人々がくれた感謝の言葉、それ以上の報酬は必要ない。それでこそ、この兄弟は『騎士』でいられるのだから。
だがクラウゼの後悔はそこではないのだ。
クラウゼが己を許せないのはその後だ。
自分が『彼女』に吐いた暴言が許せない。
『やっぱりお前と分かり合うなんて不可能だったんだ、テレザマリア。エルフの元老様と野良犬とじゃ何もかもが釣り合わない』
『そのようなことを申すでないクラウゼッ、妾はそなたを!』
『止めろ、これ以上は聞きたくないんだよ』
『クラ…ウ…ゼ……っ』
『っ、じゃあな』
クラウゼはあの時の自分と向かい合えるなら思いっきりぶん殴っているだろう。
女を泣かせるなんてクラウゼの矜持が許さない。
まして相手が惚れた女なら尚更だ。
元老への侮辱罪と反命罪、諸島連合では打ち首でも文句は言えないほどの重罪。今、クラウゼの首が繋がっているのはテレザマリアが陰ながら助けてくれたのだろう。
永遠の生と若さを持ち、闇以外の全精霊に愛される麗しき上位種族。
諸島連合の生まれながらの支配者。
あらゆる面で特権階級であるエルフ達、クラウゼはそんな彼らに嫉妬していた、憎んですらいた。
そんなエルフ達の中でもテレザマリアはエルフの元老一族の出身だった。
一体、何を持って野良犬のクラウゼと釣り合うというのか、天秤に掛けるまでもないだろう。
クラウゼは彼女を愛していた。自惚れでないなら、きっと彼女もクラウゼを愛して、くれていた。
野良犬と姫君、まるでよくある恋物語のようなシチュエーション。
違いがあるとすれば、主人公が救いのない臆病者だったこと。
彼女の隣にいることで感じる劣等感に耐えきれなかったのだ。
クラウゼは逃げ出した。
周りの重圧から、自らの心から、彼女の想いから。
その挙げ句に、鬱屈した感情をテレザマリアにぶつけてしまった。
我ながら最低な所業だ、情けなくて涙が出る。
彼女から魔法をぶつけられても文句はいえないだろう、八つ裂きは勘弁だが。
「ケディング殿とはもう少し早く出会いたかったもんだ、そうすりゃ俺はマシな選択肢を選ぶこともできたかもしれない‥‥‥‥神様もこの世界を上手く創ってくれれば良かったのにな」
「俺はそんな大層な人間じゃねえよ、今の話みたいなモンは誰でもいずれ気がつくことだ。しかし意外だな、お前は『神様』なんて存在を信じてんのか?」
ケディングには『あの事件』というものが気になるが、ここで追求するのは野暮だろうと判断し、クラウゼの話題変更に乗ることにする。
そしてそれは正解だったようで、クラウゼが先程までの暗い空気を吹き飛ばすように陽気な声を張り上げた。
「あったり前だろ!全知全能、森羅万象は思いの通り、素晴らしい存在だ。そして、優雅にこの世界を鑑賞していらっしゃる高貴なお方だ。いつか出会ったらぶん殴ってやると決めてんだぜ?」
神が聞けば「知るか」と言うだろう酔っ払いの気楽な与太話。
悪くない、とばかりにケディングが話に乗りかかる。
「はっ、そりゃあいい。だが殴るよりも『手刀』がオススメだ」
「伝説の技『勇者の手刀』か、最高だな。せいぜい額をかち割ってやるとしますかね」
エリノアがいれば吹き出すに違いない。
対人用としては威力が高過ぎたため、使用禁止にされた、ジークが持つ幾多の使えない必殺技の一つ。
あのふざけた技が伝説化しているなど、飛びっきりの悪夢だ。
ジークは気にしないだろうが、エリノアは気にする。
そして話している本人達は大真面目だ。事実としてジークはガーゴイルを叩き割っているため、勇者の必殺技と認知されてしまっている。
世の中、馬鹿ばかりである。
魔王アレクレイオスが『勇者ジーク物語』を読んで爆笑した要因にはコレも入っている。
面倒くさいので、アナスタシアは否定しない。聴こえないふりをしながらカナタの頭を撫でている。
「では、その時は私も兄者に続きましょう。尊き神にわずかばかりの意趣返しを」
「いいぜウェイン、地獄に堕ちる時は一緒だ、我が弟よ」
「なんだかんだで仲が良いんだな、てめえらは」
「ケディング殿もどうですか?地獄巡りの旅を我らとご一緒に」
俺は天国に行くんだよ、とケディングが笑い、クラウゼとウェインがやはり笑い声を上げた。とても楽しそうに子供みたいなバカ話を繰り広げて行く。特に盛り上がりを見せたのはやはり勇者ジークパーティーの伝説話だった。
中でも勇者ジークと、彼の片翼と称されるエリノアとの恋物語は大陸中で人気だったりする。エリノアにとっては知らぬが仏である。
もちろんアナスタシアは面倒くさいので否定しない。自分に関係ないことには基本的にノータッチなのだ。
もしエリノアが読めば即座に破り捨てるだろう、そしてどこぞの魔王様も恋物語の部分については「マジありえねえ」と不機嫌そうに燃やし尽くしていた。
歪んだ嫉妬心は人間にも魔物にも共通の代物なのだ。例え、その感情が『殺意』であろうとも。
エリノアに良くも悪くも想いを寄せる異性は、厄介者ばかりだったりする。やはりエリノアは苦労性だった。
エリノアの本心など知る由もないケディングたちは話を面白おかしく誇張し合いながら話し合い、愉快そうに酒を飲み交わしていく。
そんな騒がしい、5人だけの酒場でカナタは久しぶりに頭痛に悩まされない夢を見て、アナスタシアはカナタを膝枕しながらその髪を壊れ物を扱うように優しく撫でている。
こうして愉快な夜は更けていった。名残惜しさをほどほどに残して夜会は終わる。
「嬢ちゃんはどうする、置いていくわけにはいかねえだろ?」
ケディングはちらりとカナタを見る、テーブルに突っ伏して完全に潰れている。しばらくは起きそうもない。
それならば、彼女の保護者のいる神殿に送り届けるのが妥当だろう。
だが、クラウゼが渋い顔をしていた。
一つ、懸念があったからだ。
「しかしだな、酔いつぶれたカナタちゃんを担いで神殿に行くと、消される気がするんだわ。シベリウス様に」
「………おい、もしかしなくても俺たちは今、死の瀬戸際にいるんじゃねえのか?」
ほろ酔い状態だったケディングから酔いが地平線の向こうへと吹き飛んだ。自他共に認める、あまり出来の良くないケディングの脳細胞がフル回転を始めた。
主に、生き残る方法を探すために。
一方、クラウゼは『会員心得』を思い出す。
ファンクラブ第二条『カナタに手を出したら粛正』。第一条との落差が激しすぎる、誰が作ったか明白な条文だ。
あの俺様主義な大神官様に間違いない。
シベリウスは孫娘にとてつもなく甘い、反吐が出るくらい甘い。
孫娘の誕生日を付きっきりで祝うために国王との会食を放り出したどころか国王本人を蹴り倒したり、実験魔法の暴発で神殿の一部を更地に変えた孫娘の失態を全身全霊で隠滅したり、恐ろしいモンスターの噂に孫娘が怯えたならそのモンスターを種族ごと根絶やしに出撃したりと、やりたい放題かつどん引きするくらいの暴走っぷりを見せる。
カナタ命、それが現在のシベリウスの基本行動方針だ。
そんな彼の元に、酒を飲まされてダウンしたカナタを、おんぶ抱っこして行けば果たしてどうなるだろうか。
良くて半殺し、最悪の場合は全身まるごと消滅だろう。骨もとろけるに違いない。
そのままスープにされて魔物の餌にされるかも知れない、それはとても恐ろしいことだ。
「デッドオアアライブだな、冗談抜きで。誤魔化して五体満足か、バレて灰になるかのデンジャラス極まる二択だ」
「ふざけている場合ではありません、どうするんですか兄者!!」
真っ青なウェインとは対照的に、クラウゼは余裕たっぷりな態度を崩さない。
クラウゼには秘策があるからだ。
「落ち着け、俺たちにはアナスタシア殿がいらっしゃ‥‥‥あれっ?いない!?」
クラウゼの秘策、それはアナスタシアにカナタを送ってもらうことだった。
カナタと同じ性別かつ、共に冒険を繰り広げた仲間相手にならシベリウスも魔法をぶっ放したりはしないだろう。
完璧な作戦だった。
作戦の要であるアナスタシアが「眠くなってきたから帰ろう」などと、いつの間にか帰っていなければだ。
当然だが、アナスタシアは神殿に宿泊している。
そして、そこにはシベリウスがいる。
クラウゼの作戦は始まる前から派手に瓦解した。
「ヤバい、これは詰んだっ! そこでケディング殿、貴殿の肉体の頑強さを見込んで頼みがある!!」
「酒を混ぜたのはてめえだろうがっ!?」
「騎士として正直に名乗り出て謝罪すべきですっ。た、例えその先にあるのが魔窟であろうとも!」
「「早まるな(早まるんじゃねえ)ウェイン!!」」
それだけは駄目だ。
ケディング達が正直に名乗り出て、シベリウスが許してくれるなど有り得ない、噂からして想像ができない。
しかし、もはや策は思いつかない。まさか、この場所にカナタだけを残していける訳もない。
翌朝には、確実にカナタから直接バレてお陀仏だ。泊まっている宿屋ごと吹き飛ばされるかもしれない。
逃げ場なし、ケディング達が覚悟を決める。
その表情は何かを悟ったようで、諦めたようだった。
クラウゼに至っては、遺言書を書き始めている。
陽気だった先程までとは打って変わって葬式に似た重々しい空気が立ち込ている。
そんな時、第三者から救いの手は差し伸べられた。
「あの、よろしければ私がお連れしましょうか?」
「「「へ?」」」
髪を撫でる夜風のくすぐったさでカナタは目を覚ました。
ぽー、とした意識のままで見えたのは誰かの背中だった。
どうやら自分はおんぶされているらしい。
「あれ、キミ誰?」
「教会の騎士です、神殿までお連れしますよカナタ様」
金髪の娘が穏やかな口調でカナタに告げる。
教会騎士、ということはカナタが酒場にいたことは祖父にバレていたことになる。
それで騎士を派遣するなんて過保護な祖父だとは思うが、それだけカナタを大事にしてくれている証でもある。
だからカナタは今、機嫌が良い。酔っているだけかもしれないが。
「えへへ、いい匂いだね」
「あわわっ!?」
ギュッと、自分を背負った金髪娘を背中から抱きしめる。
金髪娘は慌てたような声を上げた、こういうスキンシップには慣れていないようだ。
ふわり、と優しい花の香水の匂いが金髪の少女から漂ってくる。
小さくて細いけれど、とても落ち着く背中だ。
少し気になることがあるがカナタは安心したように身体を預けた。
「ねえ、キミはこの世界のことは好き?」
「‥‥‥大好きですよ」
突然のカナタの問いに、金髪娘は少しだけ間をおいて答えた。
「大好き」という返答、しかしそれをカナタは否定する。
「嘘はダメだよ、キミはこの世界が好きじゃないんじゃないかな?」
「うっ、どうして分かったんですか? 私そんなにわかり易かったですか?」
「えへへっ、ヒミツー♪」
おちゃらけて返事を誤魔化すカナタ、彼女を背負っている金髪娘からは見えないが、カナタの眼差しは鋭い。
ーーだって香水に紛れて、キミから濃い血の匂いがするからね
教会騎士でありながら、血の匂いを滴らせ、シベリウスの厚い信頼を得ているであろう人物。
おそらくは『異端審問』に、この金髪娘は所属しているのだろう。
シベリウスの命令で、闇から闇へ移動し標的を狩り取る暗殺者集団。
アンデッドや堕落した人間を抹殺することに関しては凄まじい戦闘力を持つ。
その代わり魔物との戦いは不得手な、異端討伐とは名ばかりの、王国の敵を処分する戦闘集団。
ある意味、この王国で最も深い暗闇を覗き込む人間達でもある。
そのため人格破綻者が極めて多い。この金髪娘はそこまで精神を病んではいないようだが、抱える闇はそれなりだろう。
この短時間でカナタは金髪娘の素性を見破っていた。
だてに『守護騎士団の至宝』などとは呼ばれていない、未熟とはいえ状況観察力もカナタには備わっている。
「ねえ、キミは………ぐぅ」
だが今のカナタに分かったのはそこまで、カナタは眠かったからだ。
それっきり会話は途切れ、規則正しい寝息が金髪娘の耳に聴こえてくる。
金髪娘、ルフナはよいしょとカナタを背負い直して、再び神殿への道を歩きだした。
「それでも、私はこの世界が嫌いではないんです。だって私はこの世界で生きているから。こんな私は壊れているのでしょうか?」
ルフナの独り言は水に浸した砂糖のように暗い夜の闇へと溶けていった。
その哀れな問い掛けに答える者はいない。
「カナタは寝たか?」
「はい、ぐっすりと。あの部屋にはビックリしましたけどね、私が」
神殿に辿り着き、カナタを部屋まで送り届けたルフナの前に現れたのはシベリウスだった。
やはりカナタを心配していたようだ。
「それで、私をわざわざ呼び戻した理由は本当にそれで良いのですか? 言いたくはないですけど、間違いなく嫌われますよ、カナタ様に」
「ぐぅっ!? か、構わねえよ。お前は言われた通りに任務を遂行しやがれ」
胸を押さえたシベリウスが呻く。たかが今の一言が相当堪えたようだ。
明かりに照らされた『小さな影』が揺らめいた。
「ところで今夜はどうして、その姿なんですか?」
「シアがこっちの姿の方が懐かしくていいって頼まれたんだよ! アイツ、しつこく『オレ』の頭を撫でようとしやがって……待てその手は何だ、ルフナ!」
変声期を迎えていない少年の高い声が石造りの部屋に響く。
可愛らしいピンク色の髪が照らし出されて鮮やかだ。
そこにいたのは『少年神官』シベリウス。ジークの無二の親友にしてエリノアに淡い想いを寄せていた、大神官の幼き日の姿だった。
年齢変化魔法、暇を持て余したシベリウスが創造した高等魔法の一つ。
術者の年齢を逆行または加速させ、身体年齢を変化させるトンデモ魔法。
実質上、不老スキルと同じ効果を持つ革命的な魔法だった。
ある致命的な欠陥がなければ、だ。
「この見た目だと威厳もへったくれもないですね、私はこっちの大神官様の方が好きですけど」
「だあぁぁっ、頭を撫でるな、この馬鹿娘! そ、そ、それに軽々しく異性に『好き』なんて言うんじゃねえよ!」
「本当に面白いですね」
この魔法は肉体年齢の変化に伴って、精神年齢も変化してしまうのだ。
おまけにシベリウスが操ることができるのは、このジーク達と冒険をしていた頃の年齢だけだ。
どうにも、まだ不完全な魔法のようだ。
ようやくルフナを振り払ったシベリウスがコホンと咳払いをした。本題に入るためだ。
「明日の大会に乱入し、カナタを守護の楯候補から脱落させろ、ルフナ。その際、決して無用な傷を負わせるな、後遺症を残すことも一切許さない」
「無茶させますね、明日の参加者はいずれも強者揃いなんですよ?」
「カナタ以外の連中は殺さない限り、手段は問わねえよ。手加減なしでやったまえ、シアを呼んだから腕の一本や二本は斬り落として構わないぞ」
それでも何か言いたそうなルフナを無視して、シベリウスは会話を打ち切った。
ルフナが何を考えているのかは分かっている、もっと穏便な方法があるのではないかと悩んでいるのだろう。
相変わらずこの金髪娘は甘い。いや、だからこそルフナは自らを見失わないのだろう。
常に矛盾と葛藤を忘れず、現状に懐疑を向ける。それがルフナの在り方だ。
故にルフナは罪の意識に苦しむのだ、人殺しを当たり前とは決して思わないから。
人として好ましい性格ではある、だがこうした人間は場合によっては酷く脆い、揺らぎ続けているが故に"より深い闇"に触れれば容易く堕ちてしまう危険性がある。
シベリウスが思い出したのは、エリノアにやたらつきまとっていた変態魔王のことだ。
最終的にはエリノアの魔銃にぶち抜かれて消滅したが、もしアイツが生きていたらルフナに興味を持ちそうな気がする。
「……あまりカナタ様を特別扱いすると、ますますカナタ様が孤立してしまいますよ」
「それは、分かっている……つもりだ」
行き過ぎた過保護のせいで孫娘が孤独に苦しんでいることはシベリウスも知っている。
しかし、たった一人の家族を特別扱いして何が悪いという強い思いもシベリウスにはあるのだ。
「だが知識移転はやり過ぎた。あれだけはオレも言い訳できない」
カナタに懇願されて魔法知識を移植し、その目的が『王都守護の楯』を引き継ぐことだと知った時にシベリウスが感じたのは身を裂くような強烈な後悔だった。
この百年に渡り、シベリウスが帝国からどれほどの恨みを買っているのかは、もはや如何なる言葉を積み重ねようと表現することは不可能だ。
帝国との戦争のたびに、数え切れない帝国兵の命を奪い、帝国の野望を挫いてきたのだから。
カナタが『王都守護の楯』を継ぐことは、シベリウスが今まで積み重ねてきた業を、罪を背負い込むことだ。
シベリウスにそんなつもりはなくとも、帝国は孫娘がその地位を継げば、今までシベリウスへ向けてきた憎悪をカナタに向け直すことは想像に難くない。
永きに渡って降り積もり、帝国の為政者によって増幅されてきた悪意の塊が、カナタの身体と精神を押し潰すのだ。
心身共に、決して打たれ強くないカナタは耐えられない可能性が高い。
それでも聡明なカナタは覚悟の上なのだろう。その上で唯一の家族であるシベリウスの負担を減らすために戦うつもりなのだ。
だが断じてシベリウスはそんなことを望んでいない。ファブニールから聴こえて来る怨唆の声が愛しい孫娘に襲いかかる、そんなことを許せるわけがない。
カナタに守護の楯は継がせない。
いずれは移植した知識も剥奪する。
それがシベリウスの決断だった。
きっとシベリウスは恨まれる、カナタの心を深く傷つけるかもしれない。
だが、もうシベリウスは限界なのだ。これ以上、大切なものを失うことは耐えきれない。
エリノア
ガロガイン
ジーク
マリベル
妻と息子夫婦
出会っては死に別れた友人達
この百年で様々なものを得てはことごとくシベリウスは失い続けた。
そんな自分に最後に残った宝物。
それが孫娘カナタだ。
シベリウスの独りよがりで構わない。
シベリウスとは最も遠い世界でカナタは幸せになるのだ。戦いに明け暮れた自分とは違う"彼方"の世界で。
それが今のシベリウスの抱く最後の望みなのだから。
そして、そんな心の叫びを隠しながら、シベリウスはルフナに向き合った。
「流氷の国の一件で占領軍の汚点が公にされた現在、お前が本当の故郷に帰れる日も近いはずだ。ご苦労だったな」
「いいえ、帝国出身の私をこのヴォルムスで匿って貰えただけでも身に余る恩恵です。馬車馬のごとく働かされたことは忘れませんけど」
「一言多いっての、そこは感謝の言葉だけで纏めるところだ、馬鹿娘」
「何言ってんですか、カナタ様が神殿を吹き飛ばした時だって私に事後処理を丸投げしたくせに」
「その分の給金は弾んだだろうが」
「お金で何でも解決できると思うのは大間違いです、このチビ神官」
「なんだと!?」
「なんですか!?」
「「………………ぷっ、あははははっ!」」
険悪なムードだった2人が笑い出す。
いつものことだからだ、いがみ合って言い争って、適当に仲直りする。
そんなバカバカしさ溢れる行動の繰り返し。
まるで随分と年の離れた友人のような関係をこの2人は続けている。
ひとしきり笑い終わったルフナがそういえば、とある物を取り出した。
「忘れてました、アナスタシア様からお手紙を預かりましたよ?」
ひょいとルフナが取り出したのは純白の便箋、ルフナの口からアナスタシアの名前が出たことにシベリウスが特に驚くことはない。
シベリウスの指示でルフナは何度となく、『新緑の国』に侵攻してくる帝国軍と戦ったからだ、アナスタシアと共に。
恐らく、王都にいる人間でアナスタシアと二番目に親しいのはルフナだろう。
「手紙? 誰宛てだよ」
「『エリー』という名前の方です、女の人ですよね? なんで私経由でシベリウス様に渡す必要があったのでしょう?」
シベリウスの動きがカチリと止まる。その名前を知っているのは最早、世界中でシベリウスとアナスタシアだけだ。
シベリウスが引っかかったのは、どうしてわざわざ他人には分からない『その名前』を使ったのかだ。
「……アイツにも何か考えがあるんだろう、一応預かる」
「伝言もあります、『もうすぐ会えるよ』と」
「………?」
全く分からない。
アナスタシアとの付き合いは、シベリウスが一番長い。
そんなシベリウスにも皆目見当もつかない。
誰に会えるというのか、そして何故その人物の名前を伝えてこないのかが理解できない。
亡きエリノアへの手紙と関係があるのだろうか。
「まあ、マイペースな奴だしな。とりあえず預かってやればいいだろ」
シベリウスはこの奇妙な手紙と言葉をひとまず保留にすることにした。
アナスタシアからの手紙の宛て主が現れるのは、もう少しの時間を要することになる。
そしてーーー。
「久しぶりね、チビ助」
長い時間の中で色褪せた記憶にあって、尚も鮮やかな姿をシベリウスに焼き付けていた少女。
皮肉気な言葉使いは変わらず、穢れなき白銀の髪と肌は変わらずに。
『彼女』はこの世界に舞い戻った。
「ーー何呆けてんのよ、もしかして私の声も忘れたの? シベリウス」
どんなものにも救いはあるよ
誰でも知ってるはずだよ、闇と光はいつも隣り合わせなんだ
暗闇の中にいたキミと、光に捕らわれたボクが出会ったみたいに
こんな世界にもきっと救いはある
もちろんキミにもね
キミが独りで見つけられないならボクが一緒に探してあげる
もしこの世界の何処にもないのなら
その時はボクがキミの光になってあげる
悲しい未来が来ないようにキミを照らし出す
だから笑顔を忘れたらダメだからね、ルフナ♪
……ち、ちょっと、どうして泣いてるのさ!?
もー、頭を撫でるなぁ!!
笑ってないで止めてよっ、ボクの副官でしょケディング!
ーーセレスニル守護騎士団所属
『王都守護の楯、カナタ=シベリウス=ロウエンが友人に語った言葉より』




