第82話:『質札は、誰が書いても質札ですわ。——書式が、正しければ』
書式には、書いた者の名が要らない。
質札に「誰が書いたか」の欄はない。あるのは名義と、品と、日付と、額と、期限だ。書いた者の字が上手いか下手かは、どこにも書かない。書かないから、効く。
……ええ。当店、一年、それに助けられてまいりましたのよ。
朝、警吏が六人来て、十八点が箱に入って、王都警吏局の保管庫へ運ばれた。ジラール警吏長は来なかった。来られなかったのだと思う。質札の綴りは帳場に残った。ただし、書けない。鑑札の効力が止まった質屋の質札は、ただの紙である。
「ずるいよ」
テオが、令状を帳場に叩きつけた。この子は、閲覧室が閉まったときも同じことをした。紙は軽いので、いい音がしない。
「なんで持ってかれんだよ。姐さんが金出して買ったんだろ」
「ええ」
「なんで!」
「テオ」
私は、棚から一冊を下ろした。『王国宝物令 全』。去年、誰かが質に入れて、流れた。当店の質草棚には、たまにこういう物がある。
「条文を、読みますわ」
『第一条 王家の蔵に在る品は、真正なるものと推定す。別の証を要せず。』
『第三条 前条の推定を覆すには、貴族院宝物委員会の決議を要す。』
『第二十二条 王家の財産を、正当な権原なく蔵置したる者は、これを罰す。』
私は、三つ目の条文の真ん中に指を置いた。『正当な権原なく』。
「テオ。この七文字が、条文の腰ですのよ」
「……こしって」
「権原があれば、当たりませんの。無ければ、当たりますわ」
「けんげんって、何」
「持っていてよい、という理由ですわ。借りている。預かっている。任されている。どれでもよろしいの」
私は、令状の隣に法典を開いたまま置いた。
「あちらは、当店に権原が無いと仰っておいでですのよ。ええ、確かに、当店は王家の財産を王家に断りなく集めましたわ。……集めるしか、ございませんでしたもの」
「じゃあ、負けじゃん」
「いいえ」
私は、算盤を引き寄せなかった。
「権原は、あとから生じますのよ。所有者が『持っていてよい』と仰れば、その日から」
「所有者って」
「王家ですわ」
テオが、口を開けた。
「王家の財産を、誰に預けるかをお決めになる方は、お一人ですの」
去年の秋から、私は殿下を止めてきた。総裁が動けば、蔵が知る。知った蔵は紙を焼く。ですから、お調べにならないでくださいまし。閲覧をお申し込みにならないでくださいまし。役所の判を、お使いにならないでくださいまし。
昨日。当店に令状が来て、警吏が六人来て、十八点が箱に入った。貴族院も、警吏局も、宝物委員会も、全員が存じている。四十七点のうち十八点を、下町の質屋が集めていたと。
……ええ。隠すものが、無くなりましたわ。
あちらが当店を刺したことで、当店の手が空いた。
書類は、四十七枚。書式は、寄託の受取証である。質札ではない。質札は鑑札が要るが、寄託の受取証は誰でも書ける。物を預かった者が、預けた者に渡す紙だ。欄は六つ。寄託者、受寄者、品名、受入日、返還の条件、備考。
寄託者の欄に書く名は、一つ。
『王立宝物院』
受寄者の欄に。
『三日月堂』
「テオ」
「なに」
「四十七枚、書いてくださいまし」
テオが、こちらを見た。
「……オレが?」
「ええ」
「姐さんが書けばいいじゃん」
「当店、本日、鑑札がございませんの」
私は、質札の綴りを帳場の端に寄せた。
「鑑札の止まった者が書きますと、あとで『質屋が書いた』と言われますわ。……当店、そこで一日、取られたくございませんの」
「じゃあ、オレが書いたら」
「子供が書いたことになりますわ」
私は、白紙の束をテオの前に置いた。
「テオ。書式は、書いた者の名を訊きませんのよ」
一晩、かかった。
私が口述して、テオが書いた。品名は目録の四十八枚から読む。私が読み上げて、テオが写す。三枚目で、テオの手が止まった。
「姐さん。この字、なに」
「香炉ですわ」
「……こう、ろ」
「難しゅうございましたら、仮名でよろしいの」
「やだ」
その子は、そう言った。
「ちゃんと書く」
十二枚目で、灯りを足した。二十六枚目で、テオが一度、机に額をつけた。三十を数えるあいだ、そのままだった。それから起きて、また書いた。三十九枚目。四十三枚目。四十七枚目——銀香水瓶、一。
夜が明けかけていた。テオは最後の一枚を書き終えて、ペンを置いた。置いてから、両手を見た。指が震えている。
「……姐さん」
「なあに」
「オレの字、下手だよ」
「ええ」
「これで、いいの」
私は、四十七枚を揃えた。揃えて、一枚ずつ欄を確かめた。空欄は、一つもない。
「テオ」
「なに」
「質札は、誰が書いても、質札ですわ」
私は、その束を両手で持った。
「——書式が、正しければ」
*
殿下は、その日の昼に来られた。鈴が鳴らなかったので、扉を叩く音がした。二度。
「聞いた」
「お早いこと」
「マルゴが、私の家の門番に置き手紙をした。……あの女将は、王弟の家の門番と知り合いらしい」
私は、四十七枚を帳場に置いた。その方は上の一枚を取って、読まれた。読んで、次の一枚を取った。それも読んだ。十枚目のあたりで、手が止まった。
「……この字は」
「テオですわ」
その方は、二階のほうを見た。テオは寝ている。書き終えて帳場の脇で寝てしまったのを、私が二階へ運んだ。
「一晩か」
「ええ」
「四十七枚を、十二の子供が」
「ええ」
その方は、その一枚をそっと戻された。
「ヴィオレッタ殿。私が、これに署名すればいい」
「ええ」
「宝物院総裁として、王家の財産を三日月堂に寄託する。……それで権原が生じる。第二十二条の嫌疑は、消える」
「ええ」
「十二年」
その方は、懐から判を出された。銀の判である。柄に、剣と星。
「私は、この判を、二種類の紙にしか押していない」
「伺ってもよろしくて?」
「一つは、賃料の決裁だ」
「もう一つは」
「公開目録の、刷り出しの承認だ」
その方は、判を帳場の上に置かれた。
「年に一度、二枚。十二年で二十四枚。……それが、私が総裁として使った権限の、全部だ」
その方は、四十七枚に順に署名された。一枚ずつである。名前を書いて、判を押す。四十七回。私は、朱肉を持っていた。十枚目を過ぎたあたりから、その方の署名が少しずつ大きくなった。二十枚目からは書くのが速くなった。四十枚目には、判を押す音が、乾いた良い音になっていた。
最後の一枚を押し終えて、その方は判を戻そうとして——戻されなかった。
「ヴィオレッタ殿。紙を、もう一枚」
私は、白紙を差し出した。その方は、ご自分の手で書かれた。
『王国宝物令第十七条により、王立宝物院総裁は、本年四の月朔日の王冠開帳において、三日月堂店主ヴィオレッタ・メルローズに、王冠の鑑定を命ず。』
判が、押された。
「……殿下」
「第十七条だ。総裁は、蔵の品の鑑定を、任意の者に命ずることができる」
その方は、判を懐に戻された。
「十二年、使ったことがない。首席鑑定人が四十年、全部やってくれていたのでな」
私は、その一枚を四十七枚の上に載せた。
「四十八枚目、ですわね」
「七十二枚目だ」
その方は、少しだけ笑われた。
「私の判は、本日で七十二枚になった」
嫌疑の取り下げは、二日後に来た。十八点は、箱のまま当店の蔵へ戻った。鑑札は、組合長が自分で持ってきてくださった。書記に持たせてもよかったのに、また、ご自分でいらした。
「エルマにも、一度、届けたことがある」
その方は、耳に手を当てたまま仰った。
「三十年前だ。……同じ役所に、止められてな」
冬が、終わりかけていた。
*
開帳の前夜、鈴が鳴った。
背の高い老人。月に一度の日ではなかった。その方は帳場の前に座らず、立ったまま仰った。
「型は、焼いた」
「ええ」
「図面も、無え」
「ええ」
その方は、自分の手を見た。爪が平らで、関節が固まっていて、指の背に古い火傷の跡が三つ。
「……手は、覚えてる」
それだけ仰って、その方は出ていかれた。東の外れの仕事場のほうへ。夜更けに、風に乗って革の輪が回る音がかすかに聞こえた気がした。気のせいかもしれない。
*
開帳の朝、帳場に布の包みが一つ、置いてあった。
誰が置いたかは、書いてなかった。書いてなくても、分かる。
開いた。
玻璃の石が一つ。深い青。灯りの下で、ほとんど黒い。幅六分五厘、奥五分、高さ四分二厘——ではない。一分、小さい。
その腰に、横倒しの三日月が、はっきりと刻んであった。
条文の腰は、七文字ですの。『正当な権原なく』。——権原は、あとから生じますのよ。所有者が「持っていてよい」と仰った、その日から。
十二の子が、一晩で四十七枚。字は下手ですわ。欄は、全部埋まっておりましたの。
質札は、誰が書いても質札ですのよ。……ええ、書式が正しければ。
十二年で二十四枚しか押されなかった判が、一日で七十二枚になりましたわ。
七十二枚目は、当店宛ての命令書ですの。——王冠を、拝見してよいそうですわ。
型は焼いた。図面もない。……けれど、手は覚えている。
開帳の朝、帳場に、横倒しの三日月が一つ、置いてございましたの。
次回、第83話『王冠は、質草ですわ。——二十年、利息を払わずにおいでですのよ』——
二十年ぶりの開帳ですわ。当店、算盤は持って参りませんの。
十二の子の四十七枚に、ブックマークを一つ。……日当は、当店から出しますわ。




