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婚約破棄された公爵令嬢は、下町で質屋を継ぎました 〜ところでその婚約指輪、贋物ですわよ?〜  作者: 朝比奈ミナ


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第81話:『最後の一点——当店、去年の秋に拝見しておりましたわ』

 探し物は、たいてい、いちばん近いところにある。


 蔵を三日ひっくり返して、質草棚の一番手前にあった。王都じゅうを歩いて、帳場の引き出しに入っていた。この一年で、私は何度もそれを見た。近すぎるものは、目に入らない。目に入らないものは、探せない。


 ……ええ。当店、また、やってしまいましたわ。


 十八点の行脚は、二週間かかった。爺さんが二十七人、夜番に立ってくださったおかげで、火は二度と出なかった。売った方が十人、質に入れた方が五人、そのままの方が三人。金貨は、千四百枚ほど減った。


 十八枚の目録に、行き先を書き込む。当店の蔵に十点。当店の質草棚に五点。持ち主の棚に三点——うち一点は、三重の布の中だ。


 残りは、二十九点。市に出なかった品である。預け先から一度も動いていない。祖母の帳面が追えなかった品であり、ボードワン様が年に一度、数えておられた品だ。


 ……その方が、いらした。


 *


 昼だった。雨ではなかった。馬車でもなかった。


 ジェラール・ド・ボードワンは、外套の下に紙の束を抱えておられた。役所の紙ではない。書肆で売っている、ただの白紙だ。


「三日月堂さん」


「いらっしゃいませ」


「利息を、払いに参りました」


 私は、質札の綴りを引き寄せた。この方の質札は、備考の欄が二行ある。査定額、なし。受け出しの期限、なし。


「ボードワン様。当店、元金のないお品に、利息は頂けませんの」


「元金は、ございます」


 その方は、帳場に白紙を置いた。


「二十年です。……利息は、一行ずつ、お支払いします」


 ペンは、ご自分のものをお持ちだった。折り目のついた紙を懐から出す指ではなく、白紙に向かう指だった。


 一行目。


『修道院 ジュヌヴィエーヴ——写経箱 一 燭台 二』


 二行目。


『南 別邸(侯爵家)——酒器 六 香炉 一 燭台 三』


 三行目。宝物院の借家。町家の棚に、『修復中』の木札で七点。四行目。侯爵家の蔵に、九点。


 その方の手は、数を書くときだけ遅くなった。役所の帳面に四十七回『破損』と書いた手が、今日は、品の名を書いていた。私は黙って見ていた。テオも黙っていた。柱時計が、一度鳴った。


 二十九点。書き終えて、その方はペンを置いた。


「……以上です」


「ボードワン様」


「はい」


「一つ、足りませんわ」


 その方は、紙を見た。私も見た。四行の合計は、二十九。合っている。合っているのに、足りない。


 私は、四十八枚の目録の綴りから、一枚を抜いた。


『銀香水瓶 一』


 この一点は、市に出ていない。祖母の帳面に、鉛筆の行き先がない。ならば、預け先にあるはずだ。二十九点のどこかに。


 無かった。


「ボードワン様。この一点は、どちらに預けられましたの」


 その方は、長く黙った。


「……預けておりません」


「では」


「運び出しておりません」


 私は、ペンを置いた。


「二十年前の秋、四十七点を蔵から出しました。……四十六点でした」


「一点、蔵になかったのですわね」


「はい。目録の一枚目から順に、棚を空けてまいりました。途中で、気づきました」


 その方は、目を伏せた。


「先王妃様が、私室に置いておられました。宝物院の品を、年に一度『貸出』と目録に書いて、お手元に。……蔵には、箱と木札しかございませんでした」


 ……ええ。


 私は、祖母の三冊目を帳場に置いた。十二年前の頁。


『銀香水瓶 一 継ぎ目に月あり 北の露店 銀貨三枚』


 その下の、鉛筆の六文字。


『訊けなかった。』


 祖母は、写しを見つけたら、必ず本歌を追った。この一点も、追ったのだ。そして、追い着いたのだ。本歌は蔵になかった。王妃の私室にあった。十二年前——先王妃様が身罷られた、その年である。


 下町の質屋が、王妃様に伺えますこと? 「その瓶を、いつ、どちらでお手にお入れになりまして?」とは。


 ……ええ。伺えませんわ。


 だから、祖母は、書いた。三十年、この王都の誰にでも「底に鑞が回っていますよ」と言えた方に、一度だけ、訊けない相手がおいでだった。


 私は、頁を閉じなかった。


「ボードワン様。写しは、どうなさいましたの」


「……置く先が、ございませんでした。本歌のない棚には、写しも置けません。余りました」


「余った写しは」


「二十年前に、次官が。……どこかへ」


 北の露店へ。銀貨三枚で。祖母の帳面が、それを拾った。


 *


 夜、鈴が鳴った。黒い外套。今夜は、手が空ではなかった。


 木の箱を、帳場に置かれた。私は、開ける前から中身を存じていた。去年の秋に、この帳場で拝見した品である。


 銀の香水瓶。高さ三寸。肩の摩耗が、指の当たるところにだけ正しく出ている。蓋の噛み合わせが、半分ずれて止まる。七つの子供が落として、慌てて直した跡。


 あの日、私は申し上げた。「本物ですわ。先王妃様の御手元にあったお品」と。そして宝物院の出納帳には、『破損につき処分』と。


「殿下」


「聞いた。……次官が、ここで書いたそうだな」


「ええ」


「では、これが」


「四十七点目ですわ」


 その方は、蓋の合わせ目に指の腹で触れられた。あの日と、同じところに。


「二十年前の秋。四十七点が蔵から出ましたわ。四十六点は、外へ運ばれましたの。一点だけ、蔵の外へ出さずに済みましたのよ」


「……母の、私室にあったから」


「ええ」


「母が、守ったのか」


「ええ。ご存じないままに」


 湯呑みが、卓に触れる音がした。置いたのではない。手が、下がったのだ。


「私は、これを、王家の目が節穴だった証だと思って持っていた」


「それも、本当ですわ」


 私は、静かに申し上げた。


「ただ、もう一つ、本当がございますの。四十七点のうち、二十年、一度も他人の手に渡らなかったお品は、この一点だけですわ」


 その方は、しばらく動かれなかった。それから、木箱を、帳場の私のほうへ押された。


「預ける」


「殿下。それは、お母上様の」


「知っている。……だから、預ける。あなたの目録に、載せてくれ」


 私は、質札を一枚、抜いた。名義の欄に書いた。


『ルシアン・ド・アルディス』


 四十七枚目。品名、銀香水瓶、一。備考——『二十年、蔵の外。ただし、蔵より無事』


 私は、算盤を引き寄せた。十八と、二十九。


 ぱちん。


「テオ」


「……なに」


「目録の空欄が、ゼロですわ」


 テオが、床から立ち上がった。四十七点、どこにあるか、当店は全部存じている。四十八枚目——王冠の石だけは、どこにあるか存じていて、手が届かない。


 *


 鈴が、もう一度鳴った。店じまいの刻限を過ぎていた。


 ジラール警吏長だった。帽子を、手に持っておられた。四十年、王都の警吏をやってきた方が、当店の帳場で初めて、座らなかった。


「……三日月堂」


「はい」


「すまん」


 その方は、帳場に一枚の紙を置いた。朱の印。折り目が正確だ。


『令状。三日月堂店主 ヴィオレッタ・メルローズ。


 嫌疑——王家財産の不法蔵置。王国宝物令第二十二条。


 あわせて、王国質商法第三十一条により、訴追の嫌疑ある間、鑑札の効力を停止す。』


 私は、それを二度読んだ。書式に、不備がない。去年の春、ガロ商会の差し押さえ札には、不備が三つあった。この一枚には、一つもない。


 殿下が、その紙を横から読まれた。読んで、何も仰らなかった。


「ジラール様。当店の十八点は」


「明朝、預かる。王都警吏局の保管庫だ。……鑑札は、今夜から止まる」


 質札が、書けない。当店は、質屋ではなくなる。


 私は、令状の一番下を見た。請求者の欄である。


『貴族院宝物委員会 委員長』


 ……ええ。


 蔵に入った物は、本物になる。外に残った物が、贋物になる。あの方は、当店の十八点を、蔵に入れて贋物になさるおつもりだ。

書かなかった方が、書きにいらっしゃいましたの。白紙を、ご自分でお持ちになって。

二十九点、四行。数を書くときだけ、手が遅くなりましたわ。


一点、足りませんでしたの。二十年前、蔵になかった一点。

祖母が『訊けなかった。』と書いた相手は——王妃様でしたのよ。


四十七点目は、当店、去年の秋に拝見しておりましたわ。

七つの子供が落として、慌てて直した蓋のお品。……お母上様が、ご存じないままに守っておいででしたの。


目録の空欄がゼロになった夜に、令状が一枚。書式に、不備はございませんでしたわ。

——蔵に入った物は、本物になりますのよ。外に残った物が、贋物ですの。


次回、第82話『質札は、誰が書いても質札ですわ。——書式が、正しければ』——

鑑札が止まりましても、書ける紙が、一つだけございますの。

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