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婚約破棄された公爵令嬢は、下町で質屋を継ぎました 〜ところでその婚約指輪、贋物ですわよ?〜  作者: 朝比奈ミナ


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第80話:『二十年前の火事は、事故ではございませんわ。——註文帳を、焼きに来たのですわ』

 焼け跡で数えるのは、燃えたものではない。


 燃えたものは、もう数えられない。灰は、自分が何であったかを申し上げない。だから焼け跡では、燃えなかったものを数える。残ったものの数で、失くしたものの形が分かる。祖母の裏台帳に、一度だけ火事の頁があって、書いてあるのは『残り』の欄だけだった。


 ……ええ。本日も、そのやり方で参りますわ。


「クレール市」


 ジラール警吏長は、もう一度、その名を仰った。柱時計が、九つ目を打ち終えた。


「二十年前の秋だ。市の外れの金工師の家が焼けた。油、二斗ばかり。火元、入口側。焼死者なし。……儂は書式を覚えていただけで、家の主の名は覚えとらん」


「当店は、存じておりますわ」


 去年の秋、この帳場で、銀の水差しに金貨八十枚の値をつけた。その持ち主の名を、私は帳面に書いてある。


『ジョスラン・ミレー』


「……写し師か」


「ええ。二十年前、あの方の家は、クレール市で焼けましたの。三十年ぶんの型と、道具と、註文帳と、家ごと」


 その方は、それを自分の炉の火だと思って生きてこられた。去年、私が焼け跡の炉の灰から燃え残りの三枚を拾ったときも、まだそう思っておられた。


「ジラール様。その報告書、火元は入口側と」


「ああ」


「金工師の炉は、奥にございますわ。石で組みますもの。……炉から出た火なら、奥がいちばん深く焼けますのよ」


 昨日の作業場と、同じだ。土間の入口が、いちばん深く炭になっていた。油の輪の染み。二十年前の報告書と、同じ書式。


「同じ手ですわね」


「同じ手だ」


 ジラール警吏長は、湯呑みを置いた。


「二十年前は、何を焼きに来た」


 私は、答えなかった。答えは、燃え残りの三枚として、去年から当店の帳場にある。


『註文主 控』


『王立宝物院    二十年前  四十七点』


 *


 翌朝、東の外れへ参った。


 ジョスラン・ミレー様の仕事場は、東市の裏の、油屋と鍛冶屋のあいだにある。鍵はない。戸を叩くと、中から「開いとる」と声がした。


 その方は、革の輪の前に座っておられた。回してはいない。ただ、座っておられた。


「ミレー様。伺いたいことがございますの」


「……火事の話か」


「ええ」


「聞いた。指物師んとこだと」


 その方は、革の輪を指で一度だけ弾いた。


「木屑の家だ。燃えるだろうな」


「火元は、土間の入口でしたわ。油が、二斗」


 その方の指が、止まった。


「ミレー様。二十年前、お宅の火元は、どちらでしたの」


 長い沈黙があった。仕事場の窓は北向きで、朝の光が平らに入ってくる。その方は、その光の中で、自分の手を見ておられた。


「……土間だ」


「炉は」


「奥だ。石で組んである。……朝、帰ったら、土間がいちばん燃えとった。炉は、石だ。炉から出た火なら、炉の周りが」


「ええ」


「わしは、炉の火だと思っとった。あの晩、消し忘れて出たと」


「お出かけでしたのね」


「使いが来た。市の外れの宿に、荷が届いとると。……行ったら、荷なんぞ、無かった。朝まで待たされた」


 私は、片眼鏡を着けなかった。見るものが、ここにはない。


「ミレー様」


「なんだ」


「二十年、ご自分の火だと思っておいででしたのね」


 その方は、革の輪の縁に手をついた。


「……違うのか」


「違いますわ」


 私は、静かに申し上げた。


「あの火は、註文帳を、焼きに来たのですわ」


 ジョスラン・ミレーは、動かなかった。三十年、王都の写しのほとんどを作った手が、革の輪の上で、動かなかった。


「四十七点と、四十八点目。あなたの註文帳には、その控えがございましたわね。註文主の名と、日付と。……あれを消したい方が、いらしたのですわ。あなたを、宿で朝まで待たせておいて」


「……」


「炉の灰から、三枚だけ燃え残りましたのよ。ミレー様。あなたの家は、あなたが燃やしたのではございませんわ」


 その方は、手を離した。離して、その手を、しばらく見ておられた。


「……二十年」


「ええ」


「二十年、わしは」


 それ以上、仰らなかった。私は、湯を沸かした。この仕事場に、湯呑みは一つしかなかった。その方に持たせて、私は立ったまま待った。


 *


 帳場に戻って、燃えなかったものを数えた。


 水差し、一。三重の布——外の一枚は焦げたけれど、中の二枚は無事だ。持ち主。持ち主の目——白いほうも、白くないほうも。二十年前の炉の灰の、三枚。祖母の裏台帳。三十年、当店の蔵で一度も燃えたことのない、五冊。


 燃えたもの。作業場。道具。鉋屑。壁の売り札。そして、二十年前の、註文帳。


 ……ええ。


 燃やしたかったのは、品ではないのだ。品と、この街を結んでいる紙。品と、註文主を結んでいる紙。二十年前も、一昨日も、同じ人が、同じ理由で、同じ手を使った。


 集められる物は、集めさせる。集められない物は、紙を焼いて、品を「無かったこと」にする。二十年前の帳面の一行を、本当にするために。


 私は、腹を立てていない。ただ、そのやり方を、帳面に書いた。


「三日月堂」


 ボナール氏が来ていた。帽子は、また被っていなかった。夜番の初日を終えた顔だった。


「昨夜、修道院の裏で、馬車を見た」


「馬車を」


「黒塗りだ。いい馬車だった。門番が断ったら、そのまま行った。……紋が、なかった」


 私は、算盤を持っていなかった。持っていない指が、勝手に珠を弾いた。


 また、あの馬車だ。


 夕方、鈴が鳴った。黒い外套。手が、煤で黒かった。


「殿下。その手は」


「爺さんどもと、油問屋の裏を見てきた。……油を二斗買った者がいないか、と」


「役所の総裁のなさることではございませんわ」


「客だ」


 その方は、そう仰った。それから、帳場の前に座られた。


「ヴィオレッタ殿。一つ、分かったという顔をしている」


「ええ」


「聞こう」


「集められる物は、集めさせて。集められない物は」


「……燃やす」


「ええ。二十年前も、同じ手ですわ」


 私は、暖簾のほうを見た。細い月の抜き型が、夕方の風に揺れている。


「あちらは、当店が何を集めているか、ご存じですのよ。回状の日から、ずっと」


 *


 翌日、王都の辻に紙が貼られた。役所の告示である。


『本年 四の月 朔日


 王冠開帳 王立宝物院 大鑑定室にて


 二十年に一度の定めにより、解体・爪起こし・洗い・補修を行う


 立会——貴族院 宝物院 王家御名代


 鑑定人 七名』


 春だ。三月後である。


 私は、その紙を辻で立って読んだ。テオが、下から覗き込んだ。


「姐さん。かいちょうって」


「開けて、数えますの。二十年に、一度」


「……二十年」


「ええ。前は、二十年前の春ですわ。四十七点が『破損』になったのは、その半年あとですのよ」


 告示の末尾に、鑑定人の名が七つ、並んでいた。


 私は、一番上を読んだ。


『首席鑑定人 貴族院宝物委員会 委員長 ユーグ・ド・モンフォール侯』

二十年前の報告書と、一昨日の焼け跡。油、二斗。火元、入口側。……同じ手でございましたわ。

炉は、奥にございますの。石で組みますもの。炉の火なら、奥から焼けますのよ。


あの方は、二十年、ご自分の火だと思っておいででしたわ。

——註文帳を、焼きに来たのですわ。あなたを、宿で朝まで待たせておいて。


集められる物は、集めさせて。集められない物は、紙を焼いて「無かったこと」に。

二十年前の『破損につき処分』を、本当になさるおつもりでしたのね。


そして辻に、告示が一枚。王冠開帳——二十年に一度、春でございます。

首席鑑定人のお名前を、当店、存じ上げておりますの。


次回、第81話『最後の一点——当店、去年の秋に拝見しておりましたわ』——

探し物は、いちばん近いところにございますのよ。

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