第76話:『四十七点の在処は、祖母の帳面に、全部ございましてよ』
同じ帳面を、二度読む商売がある。
一度目は、書いてあることを読む。二度目は、書いていないことを読む。祖母の裏台帳を、私は三月前に一度、読んだ。あのときは、写しの地図として読んだ。三十年、千八百四十点。横倒しの月が一つずつ打たれた、王都の地図として。
……ええ。本日は、別の読み方をいたしますわ。
錠前は三つある。一つは古い南京錠で、一つは箱錠、最後の一つは最新型だ。祖母は、三つを別々の職人に作らせている。五冊を、帳場に並べた。
一冊目の背は、麻糸で綴じ直してある。五冊目は、字が震えている。
「姐さん」
「なあに」
「それ、三月前に全部読んだじゃん」
「ええ」
「まだ、なんかあんの」
「テオ」
私は、二冊目を開いた。
「帳面というものは、書いた人が三十年生きた紙ですのよ。……三十年ぶんを、六日で読み切れたら、それは読んでおりませんの」
最初に気づいたのは、鉛筆だった。
祖母の記載は、いつもインクである。品名、材、目方、見つけた場所、値。それを一行に収める。備考は三文字か四文字。その下に、うっすらと、鉛筆の行がある。
三月前、私はこれを「書き損じの下書き」だと思っていた。実際、そう見える。薄いし、字も雑だ。二冊目の、二十年前の秋の頁。
インクの行は、こうある。
『銀小箱 一 継ぎ目に月あり 西市 銀貨八枚』
その下に、鉛筆で。
『本歌——東市 競売 M 銀貨六枚 → ラトン街 仕立屋』
私は、その行を、三度読んだ。
……ええ。
ええ、そうだ。
祖母は、写しを見つけるたびに、こう考えたのだ。——では、本物は、どこへ行った。
写しがあるということは、本歌があるということだ。写しだけが世に出て、本歌がどこにも無い、ということはない。誰かが持っている。
三十年、祖母は写しを追った。そして、追いながら、その裏で、本歌も追っていた。インクは、写し。
鉛筆は、本歌。消せるように、鉛筆で書いたのだ。
……お祖母様。私は、その一行に指を置いた。
『→ ラトン街 仕立屋』
ラトン街の、仕立屋。昨日、私が金貨百二十枚を置いてきた、あの二階の部屋である。
*
「姐さん、どうしたの。顔、白いよ」
「テオ」
「なに」
「祖母は、二十年前から、ご存じでしたのよ」
「何を」
「ポレットさんのお宅に、王家の宝があることを」
テオが、口を開けた。開けたまま、しばらく何も言わなかった。
「……なんで」
「なんで、と申しますと」
「なんで、取り返さなかったの」
私は、帳面を閉じなかった。閉じずに、その鉛筆の行を、もう一度見た。
『→ ラトン街 仕立屋』
その先に、何も書いていない。買い戻したとも、取り上げたとも、届け出たとも、書いていない。二十年、一行も足していない。
「テオ」
「なに」
「ポレットさんは、お困りでしたかしら」
「……え?」
「二十年前、あのお宅は、お困りでしたかしら」
テオは、少し考えた。
「……旦那が、いたんだろ」
「ええ」
「じゃあ、困ってねえよ。仕立ての仕事もあったんだろ」
「ええ」
私は、算盤を引き寄せた。引き寄せて、弾かなかった。
「質屋は、困っている方のところへ参りますの。困っていない方のお宅から、品を持ち出す商売ではございませんわ」
「……でも、王様のもんだろ」
「ええ」
「じゃあ——」
「テオ」
私は、五冊を順に見た。三十年ぶんの、震えていない字と、震えている字。
「祖母は、二十年、待っておりましたのよ」
「待つ?」
「ええ。あのお宅がお困りになる日を、ではございませんわ」
私は、二冊目の表紙を撫でた。
「あのお品に、正しい値をつけられる日を、ですわ」
その日、私は帳場から動かなかった。テオが二度、湯を替えた。三度目は、私が気づかなかったらしい。冷めた茶が、右手の脇に二つ並んでいた。
鉛筆の行を、一冊目から順に拾う。
三十年ぶん、千八百四十点。鉛筆の追記があるのは、そのうちの四百二十六点。祖母が「本歌の行方」まで追い切れたのは、四分の一足らずだ。私が探しているのは、そのうちの四十七点である。
二十年前の秋。同じ月に、まとめて写された四十七点。一点ずつ、拾った。
銀水差し。あった。燭台、腕が三つ。あった。
香炉、獅子の摘み。あった。写経箱、錠前が二つ。あった。
*
夜。
柱時計が、十一を打った。私の手元には、二種類の紙がある。
一つは、鉛筆の追記があった品。行き先まで書いてある品だ。もう一つは、追記のない品。インクの一行だけで終わっている品である。
数えた。
追記のある品——十七点。追記のない品——三十点。
……ええ。
合う。
昨夜、ボードワン様が仰いましたの。今年、二十九点。あの方が、今も在り処を確かめられるのが二十九点。
残りの十八点は、あの方が数えられなくなった品。つまり、預け先から出て、市へ流れた品だ。祖母は、市を見ていた。だから、市に出た十八点だけを追えた。
十八点のうち、十七点。……一点、足りない。
私は、その一点を探した。インクの行だけで終わっている三十点のうち、二十九点は、鉛筆が何も書いていない。祖母は、そもそも追っていない。市に出ていないのだから、追いようがない。
一点だけ、違った。三冊目。十二年前の頁である。
インクの行は、こうある。
『銀香水瓶 一 継ぎ目に月あり 北の露店 銀貨三枚』
その下に、鉛筆の行があった。行き先が、書いていない。
書いてあったのは、六文字だけだった。
『訊けなかった。』
*
私は、灯りを近づけた。祖母の鉛筆は、いつも雑だ。急いで書くからだ。市の店先で、指の先で、走り書きする。
この六文字だけ、丁寧だった。一字ずつ、ゆっくり書いてある。書いてから、少し置いて、句点を打っている。
……お祖母様。三十年、王都じゅうの誰にでも「それ、底に鑞が回っていますよ」と言えた方が。
訊けない相手が、おいででしたのね。
「姐さん」
テオが、いつのまにか帳場の脇に座っていた。膝を抱えて、目が半分閉じている。
「なに、それ」
「祖母が、一度だけ、諦めたお品ですわ」
「ばあちゃん、諦めんの?」
「ええ」
私は、その頁に、指を置いた。
「一点だけ、ございましたのよ」
インクは、写し。鉛筆は、本歌。消せるように、鉛筆でお書きになっておりましたの。
三月前、当店はこれを書き損じの下書きだと思っておりましたわ。……三十年ぶんを六日で読むと、そうなりますのね。
祖母は、二十年前から、ポレットさんのお宅に王家の宝があることをご存じでしたのよ。
取り返しませんでしたわ。あのお宅が、お困りではございませんでしたもの。
——質屋は、困っている方のところへ参りますの。逆はいたしませんわ。
市へ流れたのが十八点。祖母が追えたのが、十七点。
一点だけ、行き先の欄が空いておりましたの。
その代わり、六文字だけ。祖母の鉛筆にしては、ずいぶん丁寧に。
『訊けなかった。』
次回、第77話『買い戻しは、元利込みで承りますわ。——二十年ぶんの、利息つきで』——
十七軒、回りますのよ。当店の質札を、十七枚持って。




