第70話:『閲覧できない帳面は、無いのと同じですわ。——ですから、外を数えますの』
閉まっている扉は、開けなくてよい。
開けようとすれば、鍵の話になる。鍵の話になれば、鍵を持っている人の話になり、その人と話をすれば、こちらの手の内が向こうへ渡る。この帳場で商いをして、私が覚えたのは、そういうことだ。
……ええ。閲覧できない帳面は、無いのと同じですのよ。
「ずるいよ、こんなの」
テオは、閉室の通知を帳場に叩きつけた。紙は軽いので、いい音がしなかった。それがまた腹立たしかったらしく、もう一度叩いた。
「補修って何だよ。二日前に来たじゃん、あいつ。二日前に決まったのかよ」
「決まっておりましたのでしょう。当店が組合に頼む前から」
「じゃあ余計ずるいだろ!」
「ええ」
私は、湯を沸かした。怒っている子供には、まず、温かいものを持たせる。祖母がそうしていたのを、私は覚えている。
「テオ」
「なに」
「怒っていて結構ですわ。ただ、怒りながら、算盤を出してくださいまし」
私は、四十八枚の綴りを帳場に広げた。昨夜、ジョスラン・ミレーの手が思い出した、四十七点の目録。最後の一枚は、まだ品名の欄が空いている。
この四十七枚を、そのまま外へ出すわけにはいかない。
「品名を書けば、王家の宝を探していると、王都じゅうに知れますわ」
「知られちゃダメなの?」
「ええ。知れたら、持っている方が、隠しますもの」
私は、白紙を一枚、引き寄せた。書くのは、寸法と、目方と、作りの癖だけだ。
『銀水差し——ではなく、こう書きますの』
『一 高さ七寸二分 目方百八十匁 銀 口の巻きが二重』
品名を書かない。来歴を書かない。何に使う品かも、書かない。
……ええ。ちょうど、宝物院の公開目録と、同じ書き方だ。
「姐さん、これで分かんの?」
「質屋には、分かりますわ」
私はペンを走らせた。
「質屋は、名前で品を覚えませんの。目方と、寸法と、手触りで覚えますのよ。……名前は、持ち主が嘘をつけますもの」
*
組合の回状にした。
王国質商法は、質商組合に照会の権を認めている。盗品の流通を防ぐためだ。組合が「この特徴の品を預かった覚えはないか」と全店へ問うのは、正規の手続きである。
組合長は、ジラール警吏長の紹介で会ったことがある。老いた質屋の主人で、耳が遠い。
「四十七点?」
「はい」
「全部、二十年前の品か」
「はい」
「盗品か」
私は、少し考えた。
「……盗まれたとは、どこにも書いてございませんの」
組合長は、耳に手を当てたまま、私を見た。それから、判を出した。
「昔、エルマにも同じことを言われた」
「祖母に?」
「『盗まれたと書いていない品を探すのが、うちらの仕事だ』とな」
*
回状は、二日で刷り上がった。三百五十二枚。配ったのは、爺さんたちだった。
ボナール氏が采配を振った。区割りを七つに切り、一人あたり五十軒。日当は銅貨十枚。当店の帳場から出る金だ。
「お嬢さん。日当は、いらん」
「頂いてくださいまし」
「儂ら、質庫のときに日当をもらって、あんたの敵に回った」
ボナール氏は、帽子を握り潰した。
「二度目は、いらん」
「ボナール様」
「なんだ」
「日当というのは、働きの値段ですのよ。値段をつけないのは、当店の一番の禁じ手ですわ」
私は、銅貨を数えて包んだ。
「……お受け取りくださいまし。当店、値をつけない癖がつくと、商売が傾きますの」
その方は、しばらく包みを見ていた。それから、受け取って、帽子を被った。
「五日で回る」
「四日でもよろしゅうございますわ」
「五日だ。……儂らは、歩くのが遅い」
三日目の夕方から、返事が来はじめた。最初の一枚は、東市の外れの店だった。
『覚えなし』
二枚目。
『覚えなし』
三枚目。四枚目。五枚目。テオが、帳場の端に「覚えなし」の束を積み始めた。積むたびに、口をへの字にする。
「姐さん」
「なあに」
「これ、意味あんの」
「ええ」
「だって、全部『なし』じゃん」
「テオ」
私は、算盤を引き寄せた。
「『なし』が三百枚集まりますと、残りの五十軒が、光りますのよ」
*
五日目の朝。
当店の土間は、爺さんで埋まった。
二十七人。全員が、自分の店の質札の綴りを抱えて来ていた。二十年ぶんだ。紐が切れかけているもの、鼠にかじられているもの、水に濡れて波打っているもの。ボナール氏が、帳場の前に立った。
「お嬢さん。回状は、三百五十二軒、全部に配った」
「ありがとう存じます」
「返事は、まだ来とらん店もある。……だが、儂らは、待たんことにした」
「と、仰いますと」
「自分の店を、自分で繰ってきた」
その方は、綴りを帳場に置いた。どん、と重い音がした。
「儂の店は、二十二年ぶんだ。……寸法だけで分かるかい、と言った奴がおった」
土間の後ろのほうで、誰かが咳をした。
「儂は言った。分かる、と」
ボナール氏は、皺だらけの手のひらを開いた。
「儂は、目方で覚えとる。四十年ぶん、この手が覚えとる」
その日、私の帳場は、王都で一番賑やかな場所になった。
二十七人の爺さんが、床に座って、自分の質札を繰る。読める者が読み上げ、読めない者は目方の数字だけを指で追う。テオが走り回って、当てはまりそうな一枚を集める。
「銀、百八十匁、高さ七寸——おい、これ違うか」
「口の巻きは」
「書いとらん」
「じゃあ違う。二重って書いてある」
「わしのとこは、九匁三分の青玉が一つあったが、二十年前じゃねえ。去年だ」
「去年のは要らん」
昼を回った頃、マルゴさんが握り飯を運んできた。二十七人ぶん。
「エルマが見たら、笑うよ」
マルゴさんは、煙管を咥えたまま、土間を眺めた。
「あの婆さん、三十年、これを一人でやってたんだ」
……ええ。
私は、帳場から土間を見ていた。二十七人の目が、床の上で、二十年ぶんの紙を数えている。
王宮の蔵には、番人が四人いる。中を数えるのは、二十年に一度。当店の帳場には、二十七人いる。
本日、数えておりますわ。日が傾く頃、一覧ができた。
当てはまるものが、七点。私は、その七枚を並べた。
一つ目。北の質屋。銀の香炉。獅子の摘み。十九年前に質入れ、翌年流質。
二つ目。東市。写経箱。錠前が二つ。十七年前。
三つ目。南の橋のたもと。銀の匙。柄に百合——ただし、この店の主人は「柄の百合は削ってあった」と書いている。四つ目。五つ目。六つ目。
……ええ。
二十年、この街を歩いていたのだ。人の家の棚の上を、婚礼の祝いを、質草棚を、また誰かの棚の上を。
七つ目。
私は、その一枚を読んだ。読んで、そこで止まった。
『銀小箱 一 長さ四寸五分 目方九十匁 蓋の内に格子の仕切り 継ぎ目に印なし
質入れ 三度 いずれも受け出し済み名義 ポレット』
私は、その紙を、もう一度読んだ。
……ええ。
この店が、一番はじめに助けた方である。ガロ商会の土間で、書式の不備を三つ数えて、旦那様の形見の指輪を取り返した。あの夜が、当店の一日目だった。
この箱は、その指輪とは別の品だ。北の通りの質屋に三度入って、三度とも受け出されている。暮らしが詰まるたびに入れて、仕立ての手間賃が入るたびに出した箱。仕立て物の未亡人が、二十年、針を入れてきた箱である。
あれが。
「テオ」
「なに」
「明日、ポレットさんのお宅へ参りますわ」
閲覧室は閉まりましたけれど、当店、困りませんの。中が閉まったら、外を数えるまでですわ。
——外なら、三百五十二軒ぶん、ございますのよ。
回状には、品名も来歴も書きませんでしたわ。寸法と、目方と、作りの癖だけ。
ええ、宝物院の公開目録と、同じ書き方ですの。……あちらのやり方を、そのままお借りいたしましたわ。
爺さんが二十七人、当店の土間で、二十年ぶんの質札を繰ってくださいましたのよ。
王宮の蔵は、二十年に一度しか数えませんの。当店は、本日、数えましたわ。
次回、第71話『ポレットさん。その針箱、あなたのものですわ。——ただ、来歴が長うございますの』——
当店の一日目にお助けした方のお宅から、七枚目が出てまいりましたの。
爺さんたちの働きに、☆を一つ。日当は当店が払いましたけれど、拍手は、皆様から。




