第7話:『祖母の台帳に、皆様のお名前が揃っておりましてよ』
蔵の最も奥、北側の壁に、その棚はあった。
樫の扉に、型の違う錠前が三つ。鍵束のどの鍵も合わないことは、相続の晩に確かめてある。
「テオ。開けられて?」
「……いいの? 俺、もう手癖は店じまいしたんだけど」
「鍵開けは、持ち主の許しがあれば錠前職人のお仕事ですわ。わたくしが許します。この蔵の品は、全てわたくしの相続財産ですもの」
「へへ。なら、仕事だ」
テオは耳かきほどの細い道具を二本くわえ、針金を一本指に巻き、錠前に向き合った。
一つ目、三十秒。二つ目、二分。
三つ目で、彼の手が止まった。
「……姐さん、こいつ、変だ」
「壊れていて?」
「逆。新しすぎる。上の二つは年代物なのに、こいつだけ、ここ一、二年の最新型だ。ばあちゃん、死ぬ前にわざわざ錠前を増やしてる」
半年前に病で亡くなった祖母が、死の床より前に、わざわざ。
それはつまり、晩年の祖母には、錠前を増やすだけの理由があったということだ。
三つ目の錠が、ことり、と落ちた。
棚の中には、帳面が並んでいた。
背表紙に年号。一番古いものは三十年前。一番新しいものは——昨年。
私は一番古い一冊を取り出し、頁を開いた。
それは、質屋の台帳ではなかった。
『○年霜月。競売商アルデンヌ会、出品番号十二「聖句写本」。写し。本歌は南方僧院蔵。継ぎ目、右下。買い手、ロンサール伯』
『○年雨月。古物商ペリゴール、店頭の「イレールの水差し」。写し。銀の打ち直しあり。本歌の所在、不明』
頁をめくる手が、止まらなくなった。
日付。品名。真贋の判定。根拠。継ぎ目の位置。そして、売り手と買い手の名前。
三十年分。何百件。王都中の「贋物」の記録。
「……すげえ」テオが、帳面を覗き込んで息を呑む。「これ全部、贋物のリストかよ。ばあちゃん、なんでこんなもん……」
「『あたしゃ王都中の贋物に、貸しがあるんだ』」
マルゴさんの伝えてくれた、祖母の口癖。
ようやく意味が分かった。これは記録であり、武器であり——おそらくは、保険だ。下町の一介の質屋が、王都の闇市場を知り尽くしていながら三十年潰されなかった理由が、この棚の中にある。
近年の帳面を取り出す。
頻出する名前があった。
『黄金天秤。出品番号八「先々代王朝期の杯」。写し。例の職人の手。継ぎ目に三日月』
『黄金天秤。出品番号二十一。写し。例の職人。三日月』
『黄金天秤——』
ドラモン。ドラモン。ドラモン。
この十年の頁は、ほとんど黄金天秤の独擅場だった。そして、繰り返し現れる『例の職人』の文字。名前は、どこにも書かれていない。祖母ほどの記録魔が、名前だけを書かなかった。書けなかったのか、書きたくなかったのか。
「姐さん、これ……昼間の燭台の刻印と、同じだ」テオが頁の端の図を指す。横に倒した三日月の、精密な写し描き。「『継ぎ目に三日月』って、こいつのことだろ」
「ええ。贋物に、署名を遺す職人がいるのですわ。律儀なことに、三十年も」
三日月の署名。三日月堂。
うちの看板と同じ意匠を、なぜ。
その答えを探すように、私は最新の帳面を開いた。
最後の数頁。祖母の筆跡は、病のためだろう、ひどく細く、乱れていた。
そして、ある頁で——私の呼吸は、止まった。
『○年花月。メルローズ公爵家』
私の、家の名前。
その下に、品目が並んでいる。『東翼の間の聖母画。写し』『大広間の甲冑。写し』『先代夫人の真珠の頸飾り。写し』——一行、また一行。
頁の端に、祖母の細い字の走り書き。
『ヴィオレッタは、知らない』
蔵の冷えた空気の中で、私はしばらく、動けなかった。
「……姐さん?」
「————なんでも、ありませんわ」
私は帳面を閉じた。指先が、少しだけ震えていたことは、テオには内緒だ。
実家の蔵の品が、写しにすり替えられている。祖母はそれを知っていて、私には伏せたまま逝った。いつから。誰の手で。本物は、どこへ。
知りたい。知るのが、怖い。
捨てた家のことなど、査定額ゼロと切って捨てたはずなのに——帳面一冊で、こんなにも手が冷えるのだから、人の心というものは、まったく勘定が合わない。
「テオ。この棚のこと、当分は二人だけの秘密ですわよ」
「言われなくても。……で、どうすんの、これ」
「決まっておりますわ」
私は帳面を棚に戻し、新しい三つ目の錠を、もとどおり、かちりと掛けた。
「祖母の帳簿は、孫が引き継ぐもの。——記帳の続きを、始めますの」
お読みいただき、ありがとうございます。
お祖母様。あなたはいったい、何者でしたの。
次回、第8話『公爵家のページは、まだ開かないでおきますわ』——
帳面の続きと、テオの古巣のお話。
ブックマークと評価(☆☆☆☆☆)は、当店の暖簾への何よりの『出資』ですわ。
利息は次話で、必ずお返しいたします。




