↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
婚約破棄された公爵令嬢は、下町で質屋を継ぎました 〜ところでその婚約指輪、贋物ですわよ?〜  作者: 朝比奈ミナ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
64/71

第64話:『担保庫の八割が写し。中央質庫の担保査定は——査定額ゼロですわ』

 ぱちん。


「三十七点、参りますわ」


 私は算盤に指を置いた。


「写し、三十一点。……写しにも、値はつきますわ。地金ですもの。銀の含みで、目方で。閣下の算式が、一番、お得意なところですわね」


 ぱちん。


「三十一点、合わせて——金貨、九十四枚と、銀貨二枚」


「本物、四点。これは、そのままですわ。……金貨、六十四枚」


 ぱちん。


「船、二点。エメ号の権利書ですわ。……十二分の二で、金貨四枚。船体が上がりましたので、値がつきますのよ。上がっていなければ、ゼロでしたわ」


 ぱちん。


 私は、玉を揃えた。


「合わせて——金貨、百六十二枚と、銀貨二枚」


 私は顔を上げた。


「閣下の帳面では、この三十七点、金貨千二百四十枚でございましたわね」


 しん、とした。


「……一割三分だ」


 誰かが、呟いた。


 質屋の爺さんだ。四十年、質草を見てきた方。


「一割三分だぞ。……八割七分、消えた」


「閣下」


 私は、算盤を押した。


「担保庫の、全部を、お出しくださいまし。五百二十九点。帳面の値を」


 窓口役人が、震える指で綴りを繰った。


「……金貨、八千五百枚です」


 ぱちん。


 私は、玉を弾いた。


「では、正しくは。……一割三分ですわ。三十七点は、無作為に選ばれましたもの。五百二十九点も、そう外れませんわね」


 ぱちん。


「金貨、千百枚ほど」


「……七千四百枚」


 ボナール氏の声が、掠れた。


「七千四百枚が、消えるのか」


「いいえ、ボナールさん」


 私は、静かに申し上げた。


「消えませんわ。最初から、ございませんもの」


「閣下。掛目を、伺いますわ」


 グランヴィル氏を見た。


「甲種担保の、掛目」


「……八割です」


「では、この蔵は、八千五百枚の担保に対して、六千八百枚、お貸しになりましたのね」


 ぱちん。


「貸したお金は、六千八百枚。返ってくる担保は、千百枚。……焦げ付きが、五千七百枚ですわ」


「閣下。その六千八百枚は、どちらから、お出しになりまして?」


 グランヴィル氏は、答えなかった。私は、六百人に向き直った。


「王立中央質庫設立準備基金。……金貨、九千枚ですわ」


「八ヶ月前、メルローズ公爵家から、家宝の本物が、三十七点、消えましたの。写しと、すり替えられて。売られましたわ。金貨、九千枚に」


 私は片眼鏡を着けた。


「その罪を着せられて、勘当された娘が、王都に、一人おりますのよ」


 六百人が、静かだった。


「その九千枚が、この蔵の、礎ですわ。……そして、その九千枚で、この蔵は、写しを、四百二十三点、お買いになりましたの」


 私は、算盤をそっと置いた。


「盗まれた本物のお金で、贋物を、お買いになりましたのよ」


「……ヴィオレッタ殿」


 グランヴィル氏が、口を開いた。


 声が、平たかった。


「一つ、教えてください」


「はい」


「なぜ、あなた方は」


 その方は、私と、ジョスランを見た。


「三十七点、一度も、食い違わなかったのです」


 ……あら。


 この方は。


 最後まで、この方は、知りたい方ですのね。


「同じものを、見ておりますもの」


「……何を」


「三日月ですわ」


 私は、壇の上から、一点目の水差しを取った。掲げた。六百人に、見えるように。


「継ぎ目に、彫ってございますのよ。横倒しの、細い月が。……三十年、王都に流れた写しには、全部、これがございますわ」


 祖母の帳面を五冊、卓に積んだ。


「祖母の帳面ですわ。三十年ぶん。二千三百十一点。……そのうち、千八百四十点に、こう書いてございますのよ」


 私は、頁を開いた。


「『横倒しの月あり』」


 そのまま、繰った。


「『横倒しの月あり』」


 繰った。


「『横倒しの月あり』——千八百四十回。一点の、例外も、ございませんの」


「では」


 グランヴィル氏の声が、震えた。この方が震えるのを、私は初めて聞いた。


「では、それは——誰の、署名です」


 私は、答えなかった。


 答える前に。


 左の卓で。


 椅子が、鳴った。


 ジョスラン・ミレーが、立ち上がった。背の高い老人だ。大きな手を、卓に置いて。その方は、六百人を見渡した。それから、短く仰った。


「わしだ」


 石の蔵が、静まり返った。


「ジョスラン・ミレー。……この蔵の、首席担保査定官だ」


 その方は、そう仰った。


「三十年、王都の写しを、作った。この蔵の八割は、わしの手だ」


 グランヴィル氏が。


 一歩、下がった。


 その方の顔から、色が引いた。二十年、帳尻を間違えたことのない方の、顔から。


「……あ」


 その方の唇が、動いた。


「贋作を作れる人間以外に、贋作を見抜ける人間が、いますか」


 ご自分の言葉だ。


 この方は、正しかったんですのよ。


 最後まで。


「捕まえろ!」


「そいつだ! そいつが元締めだ!」


「三十年、王都中を騙して——!」


 六百人が、動いた。


 警吏隊が、動いた。


「お待ちになって」


 私は、算盤を一つ弾いた。


 ぱちん。


 石の蔵は、音がよく響く。


 六百人が、止まった。


「ジラール警吏長殿」


 私は、壇の下の四角い顔に、申し上げた。


「伺いますわ。写しを作ることは、罪ですの?」


 ジラール警吏長は、しばらく動かなかった。それから、太い声で仰った。


「……罪ではない」


 六百人が、ざわめいた。


「写しを作ること自体を罰する条文は、王国の法典に、一つもない。宮廷工房でも作る。骨董屋の見本もそうだ。……罪は、偽ることだ。写しを、本物と偽って売る。あるいは、本物と偽って、担保に入れる」


 その方は、六百人を見渡した。


「偽った者が、罪だ。作った者では、ない」


「ありがとう存じます」


 私は、五冊に手を置いた。


「ミレー様は、三十年、一度も、偽っておりませんわ」


「三日月は、署名ですのよ」


 水差しを掲げた。


「この方は、三十年、ご自分の作ったものに、全部、ご自分の署名を、彫っておいでですの。千八百四十点。一点の、例外も、なく。……祖母が、三十年かけて、それを、確かめておりますわ。一点ずつ。市へ行って、継ぎ目を覗いて、帳面に書いて」


 私は、六百人を見た。


「署名のある品は、偽っておりませんわ」


「……偽ったのは」


 片眼鏡を、そっと外した。


「ドラモン男爵ですわ。由緒書きを、お着せになった。ソレルさん。査定票を、三百枚でお売りになった。ピケさん。ヴァレンヌの名を、書き足させましたわ。ジェルヴェさん。系図を、お書きになった。カルヴェさん。蝋を、竜涎香としてお売りになりましたの。ロワゾーさん。沈んだ船を、担保にお入れになりましたわ」


 そこで少し間を置いた。


「そして」


 私は、振り返った。


「王立中央質庫は」


「三日月の彫ってある品に、五百二十九枚、『甲種担保』の値札を、お貼りになりましたのよ」


 グランヴィル氏は、動かなかった。


「閣下」


 私は片眼鏡を着けた。


「査定、確定いたしましたわ」


「担保庫の八割が写し。中央質庫の担保査定は——査定額ゼロですわ」


「一点も、見抜けませんでしたの。三十年ぶん、署名の彫ってある品を、五百二十九点。三十を数えるうちに、『甲種担保』と」


 私は、その方をまっすぐ見た。


「あなたの数式は、真贋の欄を、持ちませんの」


 グランヴィル氏は。


 しばらく、動かなかった。


 それから——


 その方は、笑ったのだ。


 声を出して。


 この方が声を出して笑うのを、私は初めて聞いた。


「……見事です」


「本当に、見事だ」


 その方は、灰色の目で、担保庫の棚を見渡した。四段の棚を。奥まで、ずっと。白い札が、五百二十九枚。


「私は、二十年」


 その方は、そう仰った。


「金の出自を、数えませんでした。数えないから、間違えない。私の帳面は、二十年、合っている。……そう、申し上げましたね」


「ええ」


「合っていました」


 その方は、頷いた。


「今日まで」


「閣下」


 私は、静かに申し上げた。


「あなたは、二十年、一度も、帳尻を間違えませんでしたわ」


「……ただ、一度」


「査定を、なさらなかっただけ」


 グランヴィル氏は、目を閉じた。それから、六百人に向き直った。


「王立中央質庫設置法案を、撤回します」


 六百人が、どよめいた。


「本日をもって。……担保の実在しない蔵に、賛成する理由は、どこにもない。私が、一番、そう思う」


 その方は、そう仰って——


「それと」


 まだ、続きがあった。


「ヴィオレッタ殿。もう一つ、申し上げねばならないことが、あります」


 私は、息を止めた。


「三ヶ月前、私は、王都監獄に行きました」


 ……あら。


 灰色でしたなあ。髪も、上着も、声も。


「オーギュスト・ドラモンに、減刑を、約束しました。……口約束です。書面は、ありません。担保も、期限も、違約も、なし」


 その方は、平然と仰った。ご自分の罪を、査定表に記入するように。


「彼が、この蔵の基金の出自を、語らないように」


「……閣下。なぜ」


「法案を、通したかった」


 石の蔵が、静かだった。


「閣下」


 私は、片眼鏡の鎖を、ちり、と鳴らした。


「それが、あなたの、たった一つの罪ですわ」


「あなたは、金貨を、一枚も、お取りになっておりませんの。私腹を、一枚も。……二十年、一度も。ですから、あなたの罪は、収賄では、ございませんわ」


 その方の灰色の目を見た。


「見なかった罪ですわ」


「……見なかった、罪」


「ええ」


 少しだけ目を伏せた。


「三月前、同じ査定を、いたしましたのよ」


「わたくしの、父に」

お読みいただき、ありがとうございます。

第2部、決着でございます。


法案は、撤回されました。担保庫の八割は、写しでございました。三十年ぶん、署名の彫ってある品を、五百二十九点。三十を数えるうちに、「甲種担保」と。


あの方は、金貨を一枚も、お取りになりませんでしたの。……ですから、収賄ではございませんわ。見なかった罪ですのよ。当店、三月前に、同じ査定をいたしましたわ。


次回、第65話『本物を、お作りなさいまし。——値札は、当店がつけますわ』——

第2部、最終話。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。