第64話:『担保庫の八割が写し。中央質庫の担保査定は——査定額ゼロですわ』
ぱちん。
「三十七点、参りますわ」
私は算盤に指を置いた。
「写し、三十一点。……写しにも、値はつきますわ。地金ですもの。銀の含みで、目方で。閣下の算式が、一番、お得意なところですわね」
ぱちん。
「三十一点、合わせて——金貨、九十四枚と、銀貨二枚」
「本物、四点。これは、そのままですわ。……金貨、六十四枚」
ぱちん。
「船、二点。エメ号の権利書ですわ。……十二分の二で、金貨四枚。船体が上がりましたので、値がつきますのよ。上がっていなければ、ゼロでしたわ」
ぱちん。
私は、玉を揃えた。
「合わせて——金貨、百六十二枚と、銀貨二枚」
私は顔を上げた。
「閣下の帳面では、この三十七点、金貨千二百四十枚でございましたわね」
しん、とした。
「……一割三分だ」
誰かが、呟いた。
質屋の爺さんだ。四十年、質草を見てきた方。
「一割三分だぞ。……八割七分、消えた」
「閣下」
私は、算盤を押した。
「担保庫の、全部を、お出しくださいまし。五百二十九点。帳面の値を」
窓口役人が、震える指で綴りを繰った。
「……金貨、八千五百枚です」
ぱちん。
私は、玉を弾いた。
「では、正しくは。……一割三分ですわ。三十七点は、無作為に選ばれましたもの。五百二十九点も、そう外れませんわね」
ぱちん。
「金貨、千百枚ほど」
「……七千四百枚」
ボナール氏の声が、掠れた。
「七千四百枚が、消えるのか」
「いいえ、ボナールさん」
私は、静かに申し上げた。
「消えませんわ。最初から、ございませんもの」
「閣下。掛目を、伺いますわ」
グランヴィル氏を見た。
「甲種担保の、掛目」
「……八割です」
「では、この蔵は、八千五百枚の担保に対して、六千八百枚、お貸しになりましたのね」
ぱちん。
「貸したお金は、六千八百枚。返ってくる担保は、千百枚。……焦げ付きが、五千七百枚ですわ」
「閣下。その六千八百枚は、どちらから、お出しになりまして?」
グランヴィル氏は、答えなかった。私は、六百人に向き直った。
「王立中央質庫設立準備基金。……金貨、九千枚ですわ」
「八ヶ月前、メルローズ公爵家から、家宝の本物が、三十七点、消えましたの。写しと、すり替えられて。売られましたわ。金貨、九千枚に」
私は片眼鏡を着けた。
「その罪を着せられて、勘当された娘が、王都に、一人おりますのよ」
六百人が、静かだった。
「その九千枚が、この蔵の、礎ですわ。……そして、その九千枚で、この蔵は、写しを、四百二十三点、お買いになりましたの」
私は、算盤をそっと置いた。
「盗まれた本物のお金で、贋物を、お買いになりましたのよ」
「……ヴィオレッタ殿」
グランヴィル氏が、口を開いた。
声が、平たかった。
「一つ、教えてください」
「はい」
「なぜ、あなた方は」
その方は、私と、ジョスランを見た。
「三十七点、一度も、食い違わなかったのです」
……あら。
この方は。
最後まで、この方は、知りたい方ですのね。
「同じものを、見ておりますもの」
「……何を」
「三日月ですわ」
私は、壇の上から、一点目の水差しを取った。掲げた。六百人に、見えるように。
「継ぎ目に、彫ってございますのよ。横倒しの、細い月が。……三十年、王都に流れた写しには、全部、これがございますわ」
祖母の帳面を五冊、卓に積んだ。
「祖母の帳面ですわ。三十年ぶん。二千三百十一点。……そのうち、千八百四十点に、こう書いてございますのよ」
私は、頁を開いた。
「『横倒しの月あり』」
そのまま、繰った。
「『横倒しの月あり』」
繰った。
「『横倒しの月あり』——千八百四十回。一点の、例外も、ございませんの」
「では」
グランヴィル氏の声が、震えた。この方が震えるのを、私は初めて聞いた。
「では、それは——誰の、署名です」
私は、答えなかった。
答える前に。
左の卓で。
椅子が、鳴った。
ジョスラン・ミレーが、立ち上がった。背の高い老人だ。大きな手を、卓に置いて。その方は、六百人を見渡した。それから、短く仰った。
「わしだ」
石の蔵が、静まり返った。
「ジョスラン・ミレー。……この蔵の、首席担保査定官だ」
その方は、そう仰った。
「三十年、王都の写しを、作った。この蔵の八割は、わしの手だ」
グランヴィル氏が。
一歩、下がった。
その方の顔から、色が引いた。二十年、帳尻を間違えたことのない方の、顔から。
「……あ」
その方の唇が、動いた。
「贋作を作れる人間以外に、贋作を見抜ける人間が、いますか」
ご自分の言葉だ。
この方は、正しかったんですのよ。
最後まで。
「捕まえろ!」
「そいつだ! そいつが元締めだ!」
「三十年、王都中を騙して——!」
六百人が、動いた。
警吏隊が、動いた。
「お待ちになって」
私は、算盤を一つ弾いた。
ぱちん。
石の蔵は、音がよく響く。
六百人が、止まった。
「ジラール警吏長殿」
私は、壇の下の四角い顔に、申し上げた。
「伺いますわ。写しを作ることは、罪ですの?」
ジラール警吏長は、しばらく動かなかった。それから、太い声で仰った。
「……罪ではない」
六百人が、ざわめいた。
「写しを作ること自体を罰する条文は、王国の法典に、一つもない。宮廷工房でも作る。骨董屋の見本もそうだ。……罪は、偽ることだ。写しを、本物と偽って売る。あるいは、本物と偽って、担保に入れる」
その方は、六百人を見渡した。
「偽った者が、罪だ。作った者では、ない」
「ありがとう存じます」
私は、五冊に手を置いた。
「ミレー様は、三十年、一度も、偽っておりませんわ」
「三日月は、署名ですのよ」
水差しを掲げた。
「この方は、三十年、ご自分の作ったものに、全部、ご自分の署名を、彫っておいでですの。千八百四十点。一点の、例外も、なく。……祖母が、三十年かけて、それを、確かめておりますわ。一点ずつ。市へ行って、継ぎ目を覗いて、帳面に書いて」
私は、六百人を見た。
「署名のある品は、偽っておりませんわ」
「……偽ったのは」
片眼鏡を、そっと外した。
「ドラモン男爵ですわ。由緒書きを、お着せになった。ソレルさん。査定票を、三百枚でお売りになった。ピケさん。ヴァレンヌの名を、書き足させましたわ。ジェルヴェさん。系図を、お書きになった。カルヴェさん。蝋を、竜涎香としてお売りになりましたの。ロワゾーさん。沈んだ船を、担保にお入れになりましたわ」
そこで少し間を置いた。
「そして」
私は、振り返った。
「王立中央質庫は」
「三日月の彫ってある品に、五百二十九枚、『甲種担保』の値札を、お貼りになりましたのよ」
グランヴィル氏は、動かなかった。
「閣下」
私は片眼鏡を着けた。
「査定、確定いたしましたわ」
「担保庫の八割が写し。中央質庫の担保査定は——査定額ゼロですわ」
「一点も、見抜けませんでしたの。三十年ぶん、署名の彫ってある品を、五百二十九点。三十を数えるうちに、『甲種担保』と」
私は、その方をまっすぐ見た。
「あなたの数式は、真贋の欄を、持ちませんの」
グランヴィル氏は。
しばらく、動かなかった。
それから——
その方は、笑ったのだ。
声を出して。
この方が声を出して笑うのを、私は初めて聞いた。
「……見事です」
「本当に、見事だ」
その方は、灰色の目で、担保庫の棚を見渡した。四段の棚を。奥まで、ずっと。白い札が、五百二十九枚。
「私は、二十年」
その方は、そう仰った。
「金の出自を、数えませんでした。数えないから、間違えない。私の帳面は、二十年、合っている。……そう、申し上げましたね」
「ええ」
「合っていました」
その方は、頷いた。
「今日まで」
「閣下」
私は、静かに申し上げた。
「あなたは、二十年、一度も、帳尻を間違えませんでしたわ」
「……ただ、一度」
「査定を、なさらなかっただけ」
グランヴィル氏は、目を閉じた。それから、六百人に向き直った。
「王立中央質庫設置法案を、撤回します」
六百人が、どよめいた。
「本日をもって。……担保の実在しない蔵に、賛成する理由は、どこにもない。私が、一番、そう思う」
その方は、そう仰って——
「それと」
まだ、続きがあった。
「ヴィオレッタ殿。もう一つ、申し上げねばならないことが、あります」
私は、息を止めた。
「三ヶ月前、私は、王都監獄に行きました」
……あら。
灰色でしたなあ。髪も、上着も、声も。
「オーギュスト・ドラモンに、減刑を、約束しました。……口約束です。書面は、ありません。担保も、期限も、違約も、なし」
その方は、平然と仰った。ご自分の罪を、査定表に記入するように。
「彼が、この蔵の基金の出自を、語らないように」
「……閣下。なぜ」
「法案を、通したかった」
石の蔵が、静かだった。
「閣下」
私は、片眼鏡の鎖を、ちり、と鳴らした。
「それが、あなたの、たった一つの罪ですわ」
「あなたは、金貨を、一枚も、お取りになっておりませんの。私腹を、一枚も。……二十年、一度も。ですから、あなたの罪は、収賄では、ございませんわ」
その方の灰色の目を見た。
「見なかった罪ですわ」
「……見なかった、罪」
「ええ」
少しだけ目を伏せた。
「三月前、同じ査定を、いたしましたのよ」
「わたくしの、父に」
お読みいただき、ありがとうございます。
第2部、決着でございます。
法案は、撤回されました。担保庫の八割は、写しでございました。三十年ぶん、署名の彫ってある品を、五百二十九点。三十を数えるうちに、「甲種担保」と。
あの方は、金貨を一枚も、お取りになりませんでしたの。……ですから、収賄ではございませんわ。見なかった罪ですのよ。当店、三月前に、同じ査定をいたしましたわ。
次回、第65話『本物を、お作りなさいまし。——値札は、当店がつけますわ』——
第2部、最終話。




