第63話:『査定を、始めますわ。——本日の質草は、法案ですわ』
鉄の扉が、開いた。
六百人が、息を呑んだ。
*
担保庫は、広かった。
棚が、四段。奥まで、ずっと。灯りが、天井から、惜しみなく。
並んでいた。
銀器。宝飾。武具。時計。古文書の筒。絵の額。壺。香箱。……そして、紙の束。権利書だ。一点ずつ、白い札が、添えてあった。
『甲種担保 金貨〇〇枚 王立中央質庫 査定済』
私は、その光景を、しばらく、見ていた。
美しかった。
本当に、美しかった。整然として、明るくて、埃ひとつなくて。国の蔵は、こうあるべきだ。この蔵の中の、八割が。
「進行を、説明します」
グランヴィル氏が、壇の下から仰った。声を張らない方なのに、六百人の隅まで、よく通った。
「一、五百二十九点から、立会人が、無作為に選ぶ。役人は、選定に関与しない」
「二、選ばれた品は、三つの卓を、同時に回る。右——当庫の窓口査定。真ん中——三日月堂ヴィオレッタ殿。左——当庫首席担保査定官、ジョスラン・ミレー」
「三、三つの所見を、記録する。読み上げは、立会人の中から選ぶ」
その方は、六百人を見渡した。
「四、当庫は、いかなる所見も、拒まない。……以上」
私は片眼鏡を着けた。
「閣下。一つだけ、伺ってもよろしくて?」
「どうぞ」
「本日、当店がお預かりしますお品は、五百二十九点ではございませんわ」
「……はい?」
壇の上から、六百人を見た。パン屋。仕立て屋。船乗り。質屋の爺さん。子供。子供。そして、その真ん中に、黒い外套が、一つ。
「査定を、始めますわ」
私は、片眼鏡の鎖を、ちり、と鳴らした。
「——本日の質草は、法案ですわ」
*
一点目は、ボナール氏が選んだ。目を瞑って、棚のあいだを歩いて、手を伸ばして。銀の水差し。目録一一二番。
右の卓。
窓口役人が、それを秤に載せた。表を繰る。算盤。
ぱちり。
「銀、六十四匁、年代百八十年、状態良——甲種担保、金貨五十枚」
三十を、数えるうちにだった。六百人が、どよめいた。
……ええ。
速うございますこと。
私は、その速さを憎めない。ずっと、憎めなかった。あれは、力だ。三日待てない方には、あの三十が、全部だ。
真ん中の卓。
私は、水差しを受け取った。重さ。胴の張り。注ぎ口の返り。取っ手の付け根の、蝋の流し。底。
……二刻、かかった。
六百人が、待った。誰も、咳をなさらなかった。
「所見を、申し上げますわ」
私は、片眼鏡を外した。
「銀の含み、九割二分。……本歌は、二百年前の北の工房の手ですわ。祖母の帳面に、十九年前、北の橋で見た、と。寸法、一致」
「継ぎ目、底寄り。二百年前の水差しは、この継ぎ方をいたしませんの。打ち出しますもの」
「継ぎ目の奥に——横倒しの、三日月」
そこで、顔を上げた。
「写しですわ」
左の卓。
ジョスラン・ミレーは、それを受け取った。大きな手で。関節の固まった、爪の平らな手で。その方は、片眼鏡を、お持ちではなかった。
要らないのだ。この方は、目で見ない。指で、見る。
……四半刻だった。
私の、八分の一だ。
「所見」
その方は、短く仰った。
「写しだ」
記録役が、書いた。
六百人は、まだ、意味が分かっていなかった。グランヴィル氏だけが。
……あら。
この方は、頷いておいでだった。
満足そうに。
「ご覧なさい」
その方は、六百人に、そう仰った。
「これが、制度です」
「当庫の窓口査定は、真贋の欄を持たなかった。それは、旧版の欠陥です。認めます。……ですが、今、私の首席査定官が、その欄を埋めた。四半刻で。ヴィオレッタ殿より、速く」
グランヴィル氏は、灰色の目を輝かせていた。初めて、この方が、熱くなるのを、見た。
「二人の所見が、一致した。……ヴィオレッタ殿。これが、私の申し上げてきたことです。目利きは、写せる。あなたが仰った。私は、写した。一つを、蔵に据えた」
グランヴィル氏は、顔を上げた。
「十年後、三百人が、この目を持ちます」
私は。
……私は、答えられなかった。
この方は、正しい。
二点目。
ポレットさんが、選んだ。震える指で。銀の燭台、一対。目録七一二番。算盤。「甲種担保、金貨三十枚」——三十を、数えるうちに。私。二刻。「写しですわ」
ジョスラン。四半刻。「写しだ」三点目。ドニさんが選んだ。水盤。「甲種、金貨二十枚」
私。「写しですわ」
ジョスラン。「写しだ」
四点目。
五点目。
六点目。
七点目で、六百人が、静かになった。
八点目。
九点目。
十点目で。
グランヴィル氏が、壇の下から、動かなくなった。十一点目。ロランさんが選んだ。
紙の束だった。
権利書だ。
『川船持分権利書 船名 エメ号』
算盤。「甲種担保、金貨百二十枚」私は、その紙を受け取った。
二刻、要らなかった。
「所見を、申し上げますわ」
私は、それを掲げた。
「紙、本物。刷り、本物。印、本物。……閣下。この紙には、嘘が一文字もございませんわ」
六百人を、見た。
「ただ」
「この船は、二年前から、川底にございましたわ」
「……先月、上がりましたけれど」
ロランさんが、笑った。
真っ黒に焼けた顔で。
六百人が、笑った。
初めて、この蔵の中で、笑い声がした。
左の卓。
ジョスラン・ミレーは、その紙を受け取って——
少し、困った顔を、なさった。
「……わしは、金物屋だ。紙は、分からん」
その方は、正直に仰った。
「本物か贋物か、と言われりゃ、本物だ。……船があるかどうかは、わしの卓の仕事じゃねえ」
あら。
この方は、正直なのね。三十年、一度も、偽らなかった方だ。
「閣下」
私は、壇の上から申し上げた。
「真贋の欄では、この紙は、本物ですわ。……閣下の第五版に、『船があるか』の欄は、ございますこと?」
グランヴィル氏は、答えなかった。
十二点目。
十三点目。
……三十七点目まで、参った。
*
三十七点。
真贋の欄。
「写し」——三十一点。
「本物」——四点。
「所見なし(金物にあらず)」——二点。
二人の所見は、三十七点、全部、一致した。
「……もう、結構です」
グランヴィル氏が、そう仰った。声が、少し、掠れていた。
「もう、結構。……分かりました」
その方は、壇に上がってこられた。初めて、この方が、壇に上がった。
「認めます」
その方は、六百人に仰った。
「当庫の担保庫には、写しが、多数、混入している。……旧版の査定表には、真贋の欄がなかった。私の、責任です」
六百人が、ざわめいた。
「ですが」
この方は、顔を上げた。灰色の目が、まだ、死んでいなかった。
「解決策は、明白です」
「査定し直せば、いい」
「五百二十九点、全部です。第五版で。ミレー殿が、真贋の欄を埋める。四半刻で、一点。五百二十九点なら——三月です」
グランヴィル氏は、六百人を見渡した。
「三月後、この蔵の帳面は、正しくなります。正しい担保の、正しい値が並ぶ。……法案の第二読会は、半年後だ。間に合います」
その方は、私を見た。
「ヴィオレッタ殿。あなたは、私の穴を、また一つ、見つけてくださった。六つ目です。……感謝します。本気です」
……ええ。
この方は、正しい。
最後まで。
「閣下」
私は片眼鏡を着けた。
「では、査定し直しましょう」
グランヴィル氏の眉が、動いた。
「……お認めになるのですか」
「ええ。当店、正しいことは、お認めいたしますわ」
私は、壇の上の卓に手を伸ばした。
持ってきた。
当店の帳場から。
算盤だ。
「ミレー様。三十七点の所見、ありがとう存じます。……閣下。査定し直しました三十七点、正しい値を、お出しくださいまし」
「……は?」
「写し三十一点。本物四点。船が二点。……閣下の帳面では、この三十七点、いくらでございましたかしら」
窓口役人が、算盤を弾いた。
「……金貨、千二百四十枚です」
「では」
私は、算盤を引き寄せた。
「正しくは?」
しん、とした。
私は、玉を、一つ、弾いた。
ぱちん。
良い音が、石の蔵に響いた。
「閣下」
「査定し直しました蔵は——おいくらに、なりまして?」
三十七点。二人の所見は、一点も食い違いませんでした。……当たり前ですのよ。同じものを、見ておりますもの。
閣下は、正しゅうございましたわ。「査定し直せばいい」。ええ、そのとおりですの。
——査定し直したら、どうなるかを、あの方は、まだ、算盤に入れておいででしたわ。
次回、第64話『担保庫の八割が写し。中央質庫の担保査定は——査定額ゼロですわ』——
決着でございます。




