第61話:『怪文書の紙も、今年の漉きたてですのね』
怪文書は、王都中に撒かれていた。橋の欄干に。市の柱に。組合の扉に。当店の暖簾にも、二枚、貼ってあった。
『下町の質屋「三日月堂」こそ、王都贋作網の元締めである。
その証拠に、王都に流れる贋物には、すべて「三日月」の刻印あり。』
以前にも、伺った。
あのときは、ユディト・メルローズが、最後の悪あがきに撒いた。世論が、少し、揺れた。公開鑑定で、片付けたけれど。
同じ嘘ですわ。
「お嬢! こんなもん!」
マルゴさんが、煙管を握り潰さんばかりにしていた。
「あたしゃ、剥がして回るよ。下町の連中も——」
「マルゴさん」
私は、その一枚を帳場に置いた。
「剥がさないでくださいまし」
「はあ!?」
「もっと、集めてくださいますこと? できるだけ、たくさん」
*
三刻で、二百枚、集まった。下町の子供たちが、走り回ってくださった。テオが、銅貨を一枚ずつ渡していた。この弟子、いつのまにか、人を使うのね。
私は、その二百枚を、帳場に積んだ。そして、片眼鏡を着けた。
「査定を、始めますわ」
「第一に、紙ですわ」
一枚を、日に透かした。
「今年の、漉きたてですわね」
わたくし、この台詞を、以前にも申し上げた。ドラモン男爵の由緒書きに。
五年かけて羊皮紙を古びさせた方のほうが、まだ、丁寧だった。
「第二に、枚数ですわ」
私は、二百枚を指した。
「マルゴさん。王都中に、何枚、撒かれておりまして?」
「そりゃ、あんた……千は下らないよ。橋にも、市にも、西の質庫の前にも」
「ええ。千五百枚、というところですわね」
思わず、微笑んだ。
「マルゴさん。王都で、紙を千五百枚、一度にお売りできるお店は、何軒ございますの?」
マルゴさんが、煙管を口から離した。
「……四軒だ」
「第三に、帳面ですわ」
私は、立ち上がった。
「王都の紙屋は、三代続いた商いですのよ。三代続いた商いは、必ず、帳面をつけますわ。……誰が、何を、いつ、何枚」
クロエ・ダルジャンさんは、半日で、四軒ぶんの写しを持ってきてくださった。喪服は、もう、着ていなかった。前掛けをして、袖をまくって、指が墨で真っ黒だった。
いい顔をしておいでだった。
「四軒、全部、見せてもらいました。うちを入れて四軒です。三日前——」
娘さんは、一枚を指した。
「北の『ヴァレ紙店』で、千五百枚、出てます」
私は、その行を読んだ。
『三日前 仕上げ紙 千五百枚 金貨六枚 現金
(買主名 記載なし)』
名前が、ない。
「クロエさん。ヴァレさんは、なんと?」
「『現金で買われたら、名前は訊かない』と。……ただ」
娘さんは、そこで少し、身を乗り出した。
「馬車を、覚えてました」
「黒塗りだったそうです。すごく、いい馬車だって。……ヴァレさん、こう言ってました。『あんな馬車が、うちみたいな紙屋の前に停まるのは、二十年ぶりだ』って」
私は、テオの顔を見た。
「紋章は?」
「それが、変なんです」
クロエさんは、首を傾げた。
「ないんだそうです。あれだけの馬車で、紋がないって」
……ええ。
ジェスパーさんも、そう仰った。
——紋のねえ馬車ってのは、二種類しかねえんでさあ。持ってねえ奴か、隠してる奴か。
「査定、確定いたしましたわ」
私は、片眼鏡を外した。
「怪文書の紙も、今年の漉きたてですのね。……三日前に、金貨六枚。紋のない黒塗りの馬車で、現金で」
「マルゴさん。これを、刷って、配ってくださいまし」
一枚、書いた。
当店の質札の綴りと、同じ紙で。
『三日月堂より、ご報告
一、王都に撒かれた紙は、三日前、北のヴァレ紙店にて千五百枚、金貨六枚で購入されたものです。買主は現金で払い、名を告げませんでした。
一、当店の先代エルマ・クロッシュの帳面は、三十年ぶん、どなたでもご覧いただけます。ラトン街三番地。開いております。
一、十日後、王立中央質庫の担保庫を、公開査定いたします。お立ち会いは、どなたでも。
三日月堂 ヴィオレッタ』
「……お嬢。帳面、見せんのかい」
マルゴさんが、目を剥いた。
「三十年ぶんだよ。あんた、あれが——」
「ええ。見せますわ」
私は、五冊を帳場に積んだ。
「マルゴさん。この怪文書は、こう申しておりますのよ。『先代は、自らの工房の出荷台帳を、三十年つけていた』と」
一冊目を開いた。
一頁目の、備考欄を。
『本物を作ったら、うちの帳場へ持っておいで。
値は、わたしがつける。』
マルゴさんが、その一行を読んだ。
煙管が、床に落ちた。
「……お嬢」
「ええ」
「これ、エルマの字だ」
「ええ」
「……あの人、誰に、書いてたんだい」
私は、答えなかった。答える代わりに、帳面を、そっと閉じた。
「マルゴさん。出荷台帳に、こんな備考欄が、ございますこと?」
*
その日の夕方、私は、王立中央銀行へ参った。グランヴィル氏は、頭取室で、書き物をしておいでだった。卓の上に、怪文書が一枚、置いてあった。
「閣下」
「……ヴィオレッタ殿。これは、私ではありません」
その方は、顔を上げずに仰った。
「存じておりますわ」
グランヴィル氏のペンが、止まった。
「……信じるのですか」
「ええ」
私は、卓の前に立った。
「閣下は、十日後、蔵の正しさを証明なさりたいんですのよ。わたくしを、その舞台に上げたのは、あなたですわ。……その舞台を、ご自分で汚す理由が、ございませんもの」
言葉を、継いだ。
「閣下。あなたは、嘘をおつきになりませんの。ドラモン男爵が、そう仰っておりましたわ」
グランヴィル氏の、指が。卓の上で、動きを止めた。
……あら。
「閣下?」
「……いえ」
その方は、手を止めた。
「続けてください」
「閣下。この紙は、三日前、北のヴァレ紙店で、千五百枚、金貨六枚で買われましたわ。買主は、現金で。名を、告げずに」
「……調べたのですか。三刻で?」
「半日ですわ。紙屋の帳面が、四軒ぶん」
この方は、しばらく、私を見ておいでだった。
「……見事です」
「閣下。誰かが」
私は、そこで少しだけ、声を落とした。
「あなたの公開査定を、止めようとしておりますのよ」
グランヴィル氏は、答えなかった。この方が、こんなに長く黙るのを、私は、二度目に見た。
「……ヴィオレッタ殿」
「はい」
「私の蔵を、開けさせたくない者が、いる」
「ええ」
「私が、開けたがっているのに」
「ええ」
その方は、灰色の目で、卓の上の怪文書を見ていた。
「……それは、誰の蔵です」
答えは、持っていなかった。
*
十日目の、前夜。
当店の扉の下に、また、紙が差し込まれていた。
「姐さん! また——」
「テオ。お待ちになって」
その紙は、刷りものではなかった。
手書きだ。
字が、真っ直ぐだった。定規で引いたように。……いいえ。写字生の字ではない。鏨の頭を、指で押さえてきた手の字だ。
短かった。
三行。
『お嬢さん
あんたの婆さんは、三十年、わしの茶を飲んで帰った。
わしは、三十年、一杯も、あの人に淹れてやらなかった。
明日、淹れる。
J・M』
私は、その三行を長いこと、見ていた。
「姐さん。……なんて書いてあんの」
その紙を、そっと畳んだ。
畳んで、懐に納めた。
「テオ」
「うい」
「明日は、良い外套を、お出しになって」
私は、片眼鏡の鎖を、ちり、と鳴らした。
「お客様が、お茶を、淹れてくださるそうですのよ」
同じ嘘は、二度、通りませんのよ。二月前は、公開鑑定まで引っ張りました。本日は、半日で片付きましたわ。……紙屋の帳面が、四軒ぶん。それだけでございます。
紋のない、黒塗りの馬車。……当店、この馬車のお客様を、まだ、存じ上げませんの。
次回、第62話『証人は、下町ぜんぶですわ』——
明日でございます。
同じ嘘が二度通らないのが痛快だった方へ。評価の☆を、明日の壇上に。




