第48話:『担保庫の「不良担保」——ずいぶん、良いお品が並んでおりますこと』
法案というものは、本当に、ありがたいものである。
審議にかけるには、資産を明らかにせねばならない。国の蔵が幾ら持っているか、貴族院に示さねば、誰も賛成しない。
『王立中央質庫 資産目録 (庫内保管分)』
五百二十九点。
品名。目方。年代。状態。評価額。——全部、書いてあった。閲覧室の札には、こうあった。『どなたでもご覧いただけます』私は、その札をしばらく眺めていた。
……この方は、本当に、何も隠しませんのね。
*
「テオ。祖母の帳面を、お出しになって」
「ぜんぶ?」
「ぜんぶですわ」
当店の帳場に、また、紙が積み上がった。
左に、五冊。三十年。二千三百十一点。うち、同じ手が、千八百四十点。
右に、一綴り。先月。五百二十九点。
「テオ。突き合わせますわ」
「……姐さん。それ、何日かかるの」
「さあ」
私は片眼鏡を着けた。
「祖母は、三十年かけて、これをお書きになりましたのよ。……わたくしが、十日でお読みできましたら、上出来ですわ」
突合というものは、こういうものだ。祖母の帳面の、一行を読む。
『銀水差し 一 高さ七寸二分 胴回り一尺一寸 目方六十四匁 継ぎ目底寄り 横倒しの月あり 北の橋にて 十九年前』
そして、目録の、この行を探す。
『目録一一二番 銀水差し 目方六十四匁 年代百八十年 状態良 甲種担保 評価額 金貨五十枚』
目方が、同じ。
……ええ。それだけだ。それだけでは、何の証しにもならない。世の中に、六十四匁の水差しは、いくらでもある。
けれど、テオ。
これが、四百点、続いたら?三日目に、ボナール氏が来た。この方は、当店の紙の山を見て、帽子を握り潰した。
「お嬢さん。……何をしとる」
「答え合わせですわ。答えが、ございませんの」
「答えが?」
「ええ。祖母の帳面と、目録が、目方で合いますのよ。四百点ばかり。……ですけれど、目方が合うだけでは、同じ品とは申せませんわ。品を、見ないと」
私は片眼鏡を外した。
「担保庫の中には、入れませんのよ。当店は、もう、指定鑑定所ではございませんもの」
ボナール氏は、しばらく、黙っていた。それから、こう仰った。
「……見た者なら、おる」
「五十六軒だ」
ボナール氏は、椅子に座って、帽子を膝に置いた。
「先月、店を畳んで、質庫の窓口に雇われに行った爺さんが、五十六人。うち、担保庫の番をしとるのが、十一人だ」
私は息を止めた。
「ボナールさん。それは——」
「言わんよ。あいつらに、何かを言わせやせん。守秘の証文を書かされとる。破らせたら、あいつら、日当を失う。四十年やってきて、店を畳んで、それしか残っとらん男たちだ」
「では」
「だがな、お嬢さん」
この方は、そこで、口の端を、ほんの少しだけ曲げた。
この方、こういうお顔も、なさるのね。
「わしが目録を読み上げる。あいつらは、何も言わん。何も言わんが」
ボナール氏は、頷いた。ゆっくりと、一度。
「首を、縦に振るか、横に振るかは——証文には、書いてない」
*
その夜、当店の裏の、マルゴさんの口入屋に、老人が四人、集まった。
四人とも、質屋の元主人だ。一番若い方で、五十八。一番年嵩の方は、七十四。四十年、五十年、質草を見てきた目だ。誰も、何も言わなかった。
挨拶も、しなかった。目を合わせない。恥ずかしいのだろう。……店を畳んだことが。ボナール氏が、目録を開いた。
「目録一一二番。銀水差し。目方六十四匁」
沈黙。
それから、七十四の爺さんが、湯呑みを見つめたまま——
頷いた。
「継ぎ目は」
沈黙。
爺さんは、右手の指を、卓の下で、そっと動かした。底を、なぞる形に。私は、片眼鏡の鎖を、ちり、と鳴らした。底寄り。祖母の帳面と、同じだ。
「……月は」
ボナール氏の声が、掠れた。爺さんは、目を上げなかった。
ただ、頷いた。
四人は、四晩、通ってきた。誰も、一言も、喋らなかった。
ボナール氏が、五百二十九点を、一点ずつ読み上げる。四人が、頷くか、首を振るか。時々、指で、卓の下に形を描く。継ぎ目の位置を。三日月の向きを。
五十八の方が、一度だけ、こう仰った。
「……あの兜な」
ボナール氏が、目を見開いた。
「番をしとるとな、暇なんだ。夜は、誰も来ん。灯りが一つだけ点いとる。それでな、癖で、見ちまうんだ。棚の品を。裏返してな。……四十年やっとると、手が、勝手に動く」
その方は、湯呑みを、両手で包んだ。
「見ちまったら、目が、覚えとる。覚えたって、表には書けんのだよ。表に、その欄がないんだ。……だからな、お嬢さん」
その方は、初めて、顔を上げた。
目が、赤かった。
「わし、毎晩、覚えとるんだ。覚えて、黙っとるんだ。四十年ぶんの目でな、贋物を、毎晩、数えとる。数えて、朝になったら、算盤を弾いて、『甲種担保、金貨五十枚』と言うんだ」
*
五晩目の朝。
テオが、最後の一点に印をつけた。私は、その紙を受け取った。
五百二十九点。
うち、四百二十三点。
「……姐さん」
テオの声が、震えていた。
「八割じゃん」
私は、その紙を帳場に置いた。それから、地図を見上げた。壁の、白い四角の上に貼った、王都の地図を。三十年ぶんの点が打ってある、あの地図を。
王立中央質庫、西六番出張所。担保庫の、五百二十九点。国が「甲種担保」と査定した、金貨で、何千枚ぶんの資産。
その八割が。
「担保庫の『不良担保』——」
私は片眼鏡を着けた。
「ずいぶん、良いお品が並んでおりますこと」
乙種の棚には、本物が並んでいる。パン屋の女房の絵。名もない絵師の、三十年前の絵。粉の光り方が、他の誰にも描けない絵。——銅貨八枚。
未亡人の指輪。五十年前の、南街の親方の手。彫りの潰れ方を買う方が、六人。——銅貨五枚。甲種の棚には、写しが並んでいる。
被られたことのない兜。——金貨百二十枚。
蝋を混ぜた竜涎香。——金貨百八十枚。
三十年、祖母が北の橋で見た水差し。——金貨五十枚。
全部、国の査定票つきで。
「テオ」
「うい」
「あの蔵は、太っておりますのよ。日に日に。帳面の上で」
私は、紙の山に手を置いた。
「そして、中身が、空になっていきますの。同じ速さで」
「じゃあ、姐さん」
テオが、飛び上がった。
「これ、持ってけばいいじゃん! 貴族院でも、警吏でも! 八割だよ! 八割、贋物なんだよ!」
「テオ」
「なんで!? もう、揃ってるじゃん! 三行どころか、四百二十三行あるじゃん!」
私は、その紙を、そっと裏返した。
「これは、目方が合った、というだけの紙ですわ」
「……え」
「爺さんたちは、何も仰っておりませんの。頷いただけですわ。頷きは、証言ではございませんのよ。証言なさったら、あの方たちは、日当を失いますわ。当店には、五十六人ぶんの日当を、お払いできませんの」
私は片眼鏡を外した。
「それに、テオ。仮に、これを貴族院にお持ちしたとして」
「……」
「あの方は、なんと仰るかしら」
テオが、黙った。
私は、あの方の声を、正確に思い出せる。
——見事です。本当に、見事だ。
——ただ、ヴィオレッタ殿。あなたは、四百二十三点を、見ましたか。
見ていない。
わたくしは、一点も、見ていない。目録を読んで、帳面を読んで、目方を合わせただけ。——それは、算式だ。私が、ずっと、あの方を責め続けてきた、あの、算式。
「……あら」
私は、思わず、声が出た。
わたくし、いつのまにか、あの方の側の椅子に、座っておりましたのね。
「テオ」
私は、地図の右端に指を置いた。紙の、縁だ。その先には、何も描かれていない。
「見に、参りますわ」
「え? 担保庫、入れないんじゃ——」
「ええ。担保庫は、入れませんわ」
片眼鏡を、外した。
「ですから、作った方に、伺いますのよ」
四十年ぶんの目が、五十六人ぶん、算盤を弾いておりました。毎晩、贋物を数えて、朝になったら、黙って「甲種担保」と読み上げて。
……あの爺さんたちの目は、まだ、流れておりませんのよ。利息だけ、払い続けておいでですわ。
次回、第49話『市が立つ町へ参りますわ。写しの匂いが、いたしますの』——
店を、留守にいたします。
爺さんたちの目を、まだ流させたくない方へ。ブックマークを一つ、あの卓に。




