第44話:『「効く」と「効いたことにする」は、別のお品ですわ』
仲買のカルヴェは、太った男だった。太った男には、二種類ある。よく食べる方と、よく汗をかく方だ。この方は、後者でしたわね。
「し、知らねえよ。俺は落としただけだ。正規の市で、札を入れて、正規に落とした。査定票つきの品だぞ」
南街の、狭い帳場である。ジラール警吏長が扉の前に立っているので、この方は逃げようがない。
「カルヴェさん。あなた、金貨百八十枚で落として、ジュリアンさんに幾らでお売りになりまして?」
「……二百枚だ」
「差額、二十枚。三十匁の竜涎香を、右から左で二十枚。……お商売としては、地味ですわね」
「悪いか! 地道にやってんだよ!」
私は片眼鏡を外した。この方は、嘘をついていない。嘘をつく方は儲けを少なく言う。二十枚と正直に仰る方は、二十枚しか取っていない方だ。
「カルヴェさん。あなた、あの品を、開けてご覧になりまして?」
「開ける?」
「針を刺す。水に浮かべる。断面を見る。……お仕入れのとき、なさいまして?」
カルヴェは、汗を拭いた。
「……しねえよ。査定票が、ついてんだぞ」
「ええ」
「国が見てんだ。目方も、状態も。俺が、その上から何を見るってんだ。……俺は、南洋の香なんか分からねえ。分からねえから、査定票を買ってんだよ。あれが、俺の目の代わりなんだ」
私は、しばらく黙っていた。この方は、悪人ではない。
この方は、二十年、王都で仲買をなさってきた方だ。品を見る目がない。ないから、他人の目を借りる。昔は、それが「南風堂の先代」だったり、「祖母の帳面」だったりしたのだろう。
今は、査定票だ。
速くて、無料で、国の印が捺してある。誰が、それを疑うだろう。
「カルヴェさん。ジュリアンさんの店が、潰れかけておりますわ」
「……知らねえよ」
「先月、お客様が十二軒、離れましたの。八十年、王都で一番良い香を焚いてきたお店ですわ」
「知らねえって言ってんだろ! 俺だって、俺だって——」
カルヴェは、そこで声を詰まらせた。
「……俺だって、あんな品だと知ってりゃ、扱わねえよ。二十枚のために、南風堂を潰す馬鹿がどこにいる。あそこは、俺の得意先だったんだぞ」
私は、その言葉を帳面に書き留めた。
——これまで、当店の敵は、悪い方だった。
バルナベは、書式を偽った。ドラモンは、由緒を偽った。ユディトは、家宝を盗んだ。全員、自分が何をしているか、知っていた。
この五百二十九点の蔵には、それがいない。
カルヴェは知らない。ジュリアンは知らない。窓口の若い役人は知らない。ピケは知っていたけれど、あの方は「質庫から仕入れただけ」だ。
誰も、知らない。知らないまま、みんなで、一人の若旦那の八十年を潰している。
「警吏長殿。お願いがございますわ」
「言え」
「ジュリアンさんに、告訴していただきますわ。被害届ではなく、告訴ですの。詐欺で」
「相手は?」
「不明ですわ。それでよろしいの。……被害者の告訴が出れば、あなたは令状が取れますわね。質庫の、質入れ記録の」
ジラール警吏長の四角い顔が、動いた。
「……質庫の帳面を、覗くのか」
「ええ。当店は、もう宝物院の指定所ではございませんわ。わたくしには、何の権限もございませんの」
私は、静かに申し上げた。
「ですけれど、お品物に、罪が付いておりますわ。罪の付いたお品の来歴を追うのは——警吏隊のお仕事ですのよ」
ジラール警吏長は、しばらく私を見ていた。それから、ふん、と鼻を鳴らした。
「他意はないが。……あんたは、看板を外されて、かえって、やりにくくなったな。こっちがな」
*
令状は、四日で下りた。質庫の質入れ記録。西六番出張所、竜涎香の項。私は、その一行を帳場で読んだ。
『質入れ 香料(竜涎香)三十匁 甲種担保 評価額 金貨百八十枚 貸付 金貨百四十四枚
名義人 ギヨーム・ソレル』
……あら。
お久しぶりですこと。
「姐さん、これ——」
「ええ。兜の方ですわ」
私は、頁を繰った。ソレルの名は、そこだけではなかった。西六番出張所だけで。先月だけで。
『ギヨーム・ソレル』——百四十一件。
テオが、その頁を数えた。三度、数え直した。
「姐さん。百四十一件、ぜんぶ、流れてる」
「ええ」
「一件も、請け出してねえ。……借りて、返さねえ。品を置いてく。それの、繰り返し」
「ええ」
「じゃあ、こいつ、質庫から金だけ取ってんじゃん。丸儲けじゃん」
「そう見えますでしょう」
私は、送金票を頁の隣に置いた。ソレルの帳場の裏板の隙間から出てきた、あの一枚である。
『振込 金貨百二十枚 振出 ギヨーム・ソレル 宛先 第一四四七号口座』
「テオ。この百二十枚は、兜の貸付金ですわ。質庫から借りた、そのお金」
「うん」
「その、そっくり同じ額が、質庫の基金へ、戻っておりますのよ」
テオが、口を開けたまま、固まった。
「……借りて、返さないで、金だけ、返してんの?」
「ええ」
「なにそれ。じゃあ、こいつの儲け、どこ?」
「男爵から、金貨三百枚ですわ」
私は、質札を、指で押さえた。
「ですから、こう申し上げましたのよ。あの方は、兜をお売りになったのではございませんの。査定票を、お売りになりましたのよ。……質庫からのお金は、要らないんですのね。要らないから、そっくり、お返しになる」
「なんで返すんだよ。もらっときゃいいじゃん」
「テオ」
私は片眼鏡を着けた。
「基金が、太りますでしょう」
その意味が、自分の口から出た瞬間に、私にも分かった。百四十一件。ぜんぶ、流質。
質庫の担保庫に、百四十一点の「甲種担保」が積み上がる。目録の上では、金貨で何千枚ぶんだ。そして、基金には、貸付金がそっくり戻っている。
帳面の上では、質庫は一枚も損をしていない。それどころか、資産が増えている。
増えた資産の中身が——
「テオ。あの五百二十九点、なぜ売らないのかしら、と申し上げましたわね」
「売ったら困るから、って」
「ええ」
私は、燭台の火を引き寄せた。
「売ったら、値が付かないからですわ」
*
その夜、私は、白い紙をもう一度出した。
『王立中央質庫 査定表 ——ない欄の一覧』
一、真贋
一、濃さ
一、使用の痕
一、来歴
一、効能
私は、五行目を書き足した。ジュリアンさんが、帰り際に仰った。
——お嬢さん。うちの香は、効くんです。四十年、侯爵夫人の頭痛を止めてきた。効能書きに、そう書いてあるからじゃない。効くから、書いてあるんです。
あの若旦那は、泣いておいでだった。
「『効く』と『効いたことにする』は、別のお品ですわ」
私は、そう申し上げた。
「ジュリアンさん。あなたのお店の八十年は、効いてきたんですのよ。査定表には、その欄がございませんの。……ですから、当店が、書いておきますわ」
その一覧を清書した。五つの欄。それぞれに、物証を三行ずつ。兜。絵。竜涎香。全部、このひと月で当店の帳場を通ったお品だ。
書き終えて、私は封筒を一つ出した。
「姐さん。それ、どうすんの」
「お送りいたしますわ」
「え? どこに——」
私は、宛名を書いた。
『王立中央銀行 頭取 モーリス・グランヴィル閣下』
テオが、飛び上がった。
「姐さん!? 敵じゃん! なんで教えんの!?」
「テオ」
私は、封に蝋を落とした。三日月の判を、そっと押した。祖母の判だ。
「あの方は、わたくしに、こう仰いましたのよ。『あなたは、私の査定表の最良の校正者だ』と」
「だから!?」
「ええ。ですから、校正いたしましたの」
封書を帳場に置いた。
「テオ。当店は、質屋ですわ。ご依頼は、お断りしない主義ですのよ。……たとえ、お客様が」
私は、微笑んだ。
「当店の暖簾を下ろしにいらした方でも」
*
返事は、六日後に来た。封蝋は、王立中央銀行。中身は、たった一枚。罫線の入った、事務用の紙だった。
『拝復
貴殿の指摘、五点。すべて受領した。
感謝する。本気で書いている。
M・グランヴィル
追伸
査定表は、来月、第五版を出す。
真贋の欄を、設ける。』
私は、その紙を長いこと見ていた。
テオが、覗き込んだ。
「姐さん。……これ、勝ったの? 負けたの?」
私には、答えようがなかった。あの方は、穴を塞いでいらっしゃる。
私が教えた穴を。
お運びいただき、ありがとう存じます。
校正いたしましたら、第五版が出ることになりました。当店、敵に塩を送るどころか、砥石まで貸してしまいましたわ。
けれど、ご覧になって。真贋の欄が、できますのよ。
……真贋の欄を作ったところで、その欄を埋められる目が、あの蔵にございますかしら。
次回、第45話『祖母の裏台帳は、名簿ではございません。——地図ですわ』——
三十年を、読みますわ。




