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婚約破棄された公爵令嬢は、下町で質屋を継ぎました 〜ところでその婚約指輪、贋物ですわよ?〜  作者: 朝比奈ミナ


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第42話:『無利子・即金——その親切、利息はどなたがお払いに?』

 法案というものは、ありがたいものである。


 審議にかけるには、書類を出さねばならない。予算書。事業計画。収支の見込み。それが貴族院に提出されて、写しが、公開の閲覧室に置かれる。


 誰でも読める。読める人が、いないだけで。


「……お嬢。あたしゃ、字は読めるよ。数字も読める。だけどね」


 マルゴさんが、煙管を咥えたまま、綴じ紙の山を睨んだ。


「これは、読ませる気がないだろ」


「ええ。ございませんわね」


 当店の帳場は、その日、紙で埋まっていた。王立中央質庫設置法案・付属書類。全七十四綴り。字が小さく、欄が細かく、費目の番号だけが立派に振ってある。


 私と、テオと、マルゴさんと、ボナール氏。四人で、二日かけて読んだ。


 *


「まず、ここですわ」


 私は、一枚を卓の真ん中に置いた。


『貸付条件 無利子 貸付期限 三十日 延長 なし』


「無利子」


 私は片眼鏡を着けた。


「マルゴさん。当店が、金貨十枚をお貸ししますでしょう。月に一分の利息を頂きますわ。三十日で、銅貨——まあ、雀の涙ですわね。それで、当店は何を売っておりますのかしら」


「そりゃ、金だろ」


「いいえ」


 私は首を振った。


「時間ですわ」


 マルゴさんの煙管が、止まった。


「利息というものはね、マルゴさん。お客様が、品物を取り戻すための、時間を買うお金ですのよ。三十日で足りなければ、利息をもう一月ぶん払って、六十日にできますの。半年でも、一年でも。祖母の帳面に、五年、利息だけを払い続けて、六年目に形見を引き取っていかれた方が、おりますわ」


 私は、その一行を指で叩いた。


『延長 なし』


「無利子には、それが、ございませんの」


 しん、とした。


「……あ」


 ボナール氏が、掠れた声を出した。四十年、質屋をやってきた方だ。この方が一番、早く分かる。


「利息を取らんということは……取れる利息が、ない」


「ええ」


「利息がないから、延ばせん。延ばす理屈が、どこにもない。……三十日で、終わりだ」


「ええ」


「三十日で返せなかったら、品は」


流質おながれ、ですわ」


 私は、算盤を引き寄せた。


「無利子・即金。——その親切、利息はどなたがお払いに?」


「では、逆算いたしますわ」


 収支の綴りを開いた。


「第一に、質庫の収入の欄ですわ。三つしかございませんの。国庫の繰入。基金の運用益。——そして」


 三つ目を指した。


『担保処分収入』


「これが、七割八分ですわ」


 ボナール氏の顔が、白くなった。


「第二に、流質の見込みですわ。事業計画の、この欄。ご覧になって」


『流質率見込 七割八分』


「マルゴさん。当店の流質は、二割ですのよ」


「……二割?」


「ええ。祖母の代からですわ。八割のお客様は、品物を取り戻していかれますの。質屋の商いは、利息で立っておりますのよ。品物を取り上げて売る商いではございませんの。……取り上げてしまったら、そのお客様は、二度と来てくださいませんもの」


 私は、算盤を引き寄せた。


「質庫は、七割八分ですわ。十人のお客様のうち、七人と八分が、品物を置いていかれるのを、あらかじめ、見込んでおりますの。書いてございますわ。予算書に。堂々と」


「第三に、掛目ですわ」


 あの分類表を隣に並べた。


『乙種担保——形見、遺品、記念品の類。掛目、評価額の一割』


「一割ですのよ。金貨一枚のお品に、銅貨十枚しかお貸ししないの。……銅貨十枚を返せなかったら、金貨一枚のお品が、流れますわ」


 算盤を一度だけ弾いた。


「査定、確定いたしましたわ」


「質庫は、無利子ではございませんの」


 四人の顔を順に見た。


「利息は、きちんと頂いておりますわ。ただ、金貨ではお取りにならないだけ。——お品物で、お取りになりますのよ」


「……」


「銅貨五枚をお借りになった未亡人が、三十日後に銅貨五枚を返せませんでしょう。返せる方なら、最初から借りにいらっしゃいませんもの。ですから、指輪が流れますわ。指輪は処分市に出て、金貨二枚と銀貨四枚で売れますの」


 算盤に指を置いた。


「元金、銅貨五枚。利息、金貨二枚と銀貨三枚と、銅貨五枚。——三十日で。年に直しますと」


 そこで手を止めた。弾く気に、なりませんでしたの。


「……お嬢さん」


 ボナール氏の声が、震えていた。


「バルナベ・ガロは、月五分だった。それで、質商許可を止められた」


「ええ」


「これは、何分だ」


「ボナールさん」


 私は、その方をまっすぐ見た。


「そういう数字は、この予算書には、書いてございませんのよ。無利子ですもの。——利率の欄が、ないんですわ」


 *


 その夜、マルゴさんが、煙管を灰吹きに叩きつけた。


「お嬢。持ってきな、これを。貴族院に。役所に。新聞屋でもいい。あたしが騒いでやるよ」


「マルゴさん」


「三百四十一軒だよ。爺さんたちが——」


「マルゴさん。この数字を、誰が隠しましたの?」


 マルゴさんが、口を開けたまま、止まった。


「……誰も、隠しちゃ、いないね」


「ええ」


 私は、予算書を、ぱたりと閉じた。


「七十四綴り、全部、公開されておりますわ。流質七割八分と、堂々と書いてございますの。閲覧室の札には、『どなたでもご覧いただけます』と。……マルゴさん。あの方は、隠しておいでではございませんのよ」


「じゃあ、なんで誰も——」


「読めないからですわ」


 灯りを少し落とした。


「あの方は、こう仰るでしょうね。『書いてあります。読まないほうが悪い』と。……そして、それは、正しいんですのよ」


 卓の隅に、革の手袋が、畳んで置いてあった。看板は下ろしましたけれど、これは、まだ使っておりますのよ。


 当店の棚に、値札をつけないお品が、二つ。祖母の片眼鏡と——それと。


 私は、灯りを、もう一つ落とした。


 *


 テオが、紙の山の向こうから、顔を出した。この子は、二日間、一言も口を利かずに、紙を数えていた。この弟子は、字より、数のほうが得意だ。


「姐さん。俺、数が合わねえんだけど」


「あら。どちらが」


「流質の点数と、処分市に出た点数」


 私は片眼鏡を着けた。


「西六番の、先月ぶん。流質になった品が、二千九百四十点。処分市に出たのが、二千四百十一点」


 テオは、数字の並んだ紙を、二枚、卓に滑らせた。


「五百二十九点、足りねえ」


 私は、その二枚を並べて置いた。


 五百二十九点。


 流質になった品は、質庫のものだ。売ろうと、置いておこうと、質庫の自由。だから、これは、罪ではない。


 ただ、質庫の収入は、七割八分が担保処分収入だ。売らなければ、蔵が回らない。売れる品は、売るはずだ。売らなかった品が、五百二十九点。


「テオ。その五百二十九点、行き先の欄は?」


「あるよ」


 テオは、綴りの、ずっと後ろの頁を開いた。細かい字の、費目の一覧である。


 その、一行。


『庫内保管  五二九点  (甲種担保)』


 甲種。


 金貨百二十枚の兜の、あの甲種だ。私は、片眼鏡の鎖を、ちり、と鳴らした。


「テオ。おかしいと、思われませんこと?」


「え?」


「乙種は、銅貨のお品ですわ。売れないから乙種ですのよ。……その乙種を、二千四百点、せっせと市にお出しになって」


 私は、その一行を指で撫でた。


「金貨のお品を、五百二十九点、蔵にお仕舞いになっておりますの」


 テオが、眉を寄せた。


「……売れるほうを、売らねえの?」


「ええ」


 売れる品を、売らない。質屋の商いで、それが起きるのは、たった一つの場合だ。


 ——売ったら、困る場合。

利息は、消えませんのよ。零に見えるときは、どなたかが、別の場所で、耳を揃えてお払いになっておりますの。

本日の利息のお支払いは、銅貨五枚をお借りになった、未亡人でございました。


次回、第43話『目方は、同じですわ。——薄めておいでですもの』——

五百二十九点は、少し寝かせますわ。当店、久しぶりに、お客様が来ますのよ。

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