↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
婚約破棄された公爵令嬢は、下町で質屋を継ぎました 〜ところでその婚約指輪、贋物ですわよ?〜  作者: 朝比奈ミナ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
38/72

第38話:『獄中のあなたに、査定を一つ差し上げますわ、男爵』

 王都監獄の面会室は、石でできていた。床も、壁も、天井も。卓だけが木で、その木も、たぶん百年ぶん、爪で削られている。


「四半刻だ」


 ジラール警吏長は、扉の脇に立ったまま、言った。


「規則では、面会には立会人が要る。私が立会人だ。……他意はないが、お嬢さん。この男は、何も吐かん。一度は自分から持ちかけてきた。注文主の名を吐く、とな。それが、代理人の面会があった後で、前言を撤回しおった。あれ以来、一言もだ。検事局が三度、取引を持ちかけ直して、三度とも断られた」


「断られた?」


「断られた。減刑を蹴る男を、私は初めて見た」


 商人が、儲け話を蹴りますのね。


 *


 私は、手袋を外して、鞄の奥へしまった。上等なお品を、こういう場所へ持ってはまいりませんの。


 オーギュスト・ドラモンは、痩せていた。


 仕立ての良い上着も、指輪も、鎖もない。あるのは、囚人の粗い服と、それでも背筋を伸ばして座る、五十七年ぶんの習慣だけだった。


 顔を上げて、私を見て、そして——笑った。顔が笑って、目が笑わない、あの笑い方である。この方の在庫のうち、これだけは、まだ流れていないらしい。


「これはこれは。女主人どの。……お元気そうですなあ」


「おかげさまで。男爵閣下は、お痩せになりまして?」


「ここの飯は、査定額ゼロでしてね」


 私は、卓の向かいに腰を下ろした。片眼鏡は、着けなかった。この方に対して、それは礼を欠く。


「男爵。伺いたいことが、二つございますの」


「ほう」


「ギヨーム・ソレルという仲立人を、ご存じ?」


 ドラモンの眉が、動かなかった。動かなかったことが、答えだった。人は、知らない名前を聞くと、眉が動く。「はて」の形に。


「もうひとつ。王立中央銀行の、第一四四七号口座を、ご存じ?」


 ドラモンは、動かなかった。その代わり、爪で削られた卓の木目をじっと見ていた。ずいぶん長いこと、見ていた。


「……女主人どの。ひとつ、忠告しましょうか」


「まあ。無料で?」


「無料です。私にはもう、値をつけるものがない」


 ドラモンは、顔を上げた。


「お帰りなさい。今すぐ。そして、下町で質屋をおやりなさい。あなたは、それがよく似合う」


「男爵。ひと月前、あなたは検事局に取引を持ちかけましたわね」


 ドラモンの喉が、わずかに動いた。


「『贋作の注文主の名を吐く。代わりに罪一等の減刑を』。——横槍が入って、話は流れました。入れた筋は、もう牢の中ですわ。ユディト・メルローズは、先月、判決を受けましたの」


「……ほう」


「ですから、あなたを止めるものは、もう何もございませんわ。それなのに、あなたは、あれ以来、一言も仰らない。検事局の取引を、三度、お蹴りになった」


 私は、静かに申し上げた。


「男爵。あなたは、商人ですわ。儲け話を蹴る商人は、二種類しかおりませんの。——もっと良い話を持っている方か、怖い方か」


 ドラモンは、笑わなかった。


「怖い、と思われますかな」


「いいえ」


 私は、首を振った。


「あなたは、怖がる方ではございませんわ。あなたは、五年かけて由緒書きをこしらえる方ですもの。怖い方は、そんなに気の長いことはなさいませんの」


「では?」


「もっと良い話を、お持ちなのでしょう」


 ドラモンの、目が。

 初めて、笑いを解いた。


 *


「……面会が、ありましてね」


 ずいぶん経ってから、その方は言った。


「ひと月ほど前です。名乗らなかった。代理人だ、と。それだけ」


「まあ。どんなお姿の方でしたの?」


「灰色でしたなあ。髪も、上着も、声も。……いや、顔は覚えていない。ここは暗い。それに、その男は、私の顔をまっすぐ見なかった。手元の紙を見ていた」


「紙」


「私の名前の書かれた、紙です」


 ドラモンは、削れた卓に指を這わせた。


「その男は言いました。『男爵。あなたの罪は、六年です。六年は長い。あなたは五十七だ。出たとき、六十三。市場は、あなたを覚えていない』——正確でしたなあ。実に、正確だ」


「そして?」


「『二年に、できます』と」


「……根拠は?」


「言いませんでした」


 ドラモンは、顔を上げて、私を見た。


「言わなかった。ただ、こう言った。『貴族院の予審が、動いたでしょう?』と。——動いていました。あの横槍です。あれは、公爵夫人の手だと、私は思っていた。……その男は、それを、自分の手柄のように言った」


 私は、息をゆっくり吸った。


「ですから、私は待っているのですよ、女主人どの。口を閉じて、待っている。二年で出れば、五十九だ。五十九なら、まだ、店が出せる」


 ドラモンは、そこで少しだけ笑った。今度は、目も笑っていた。それが、いけなかった。


「もう一度、由緒を売れる」


 私は、卓の上で指を組んだ。


「男爵」


「なんです」


「その二年、書面はございまして?」


「……は?」


「証文ですわ。減刑の約定書。ご署名は。ご印章は。期限は。不履行のときの違約は」


 ドラモンの目が、止まった。


「口約束ですのね」


 石の部屋が、静かだった。


「先だって、当店の帳場に、口約束を持ってきた方がおりましたわ。復縁してやろう、と仰いましたの。わたくし、こう申し上げましたのよ。——その口約束、査定額ゼロですわ、と」


「…………」


「男爵。獄中のあなたに、査定を一つ差し上げますわ。無料で」


 私は、片眼鏡を着けた。この方に対して、それは礼だ、と思い直したのだ。


「品目、減刑の約束。差出人、不明。書面、なし。担保、なし。期限、なし。不履行の違約、なし。——査定、確定いたしましたわ」


「よ、よさんか」


「査定額、ゼロですわ」


 ドラモンの手が、卓の縁を掴んだ。


「あなたは、三十年、王都の美術市場を支配なさいましたわね。没落貴族の本物を二束三文で買い叩いて、贋物に由緒を着せてお売りになった。あなたは、書面の恐ろしさを、王都の誰よりもご存じですわ。だからこそ、五年かけて羊皮紙を古びさせたのでしょう」


 私は、卓に身を乗り出した。


「その、あなたが」


「……」


「名も名乗らない男の、口約束を——無担保で、質草にお取りになりましたのね」


 ドラモンは、動かなかった。それから、ゆっくりと両手で顔を覆った。石の部屋に、掠れた音が響いた。笑い声だった。しばらくして、それは笑い声ではなくなった。


「……ああ。ああ、そうですなあ」


 その方は、顔を覆ったまま、言った。


「あれから、私は……信じておったのですなあ。灰色の男の、一言を。……何も、持たずに来た男の。何も、置いていかなかった男の」


「男爵」


「私は、それを、他人にさせてきたのですよ。三十年。『必ず値上がりします』『必ず本物です』——書面なしで、そう言って。信じた者を、私は、心の底から馬鹿だと思っておった」


 ドラモンは、手を下ろした。その顔は、私が見た中で、一番、この方らしい顔だった。信用が破産した男の顔だ。


「……女主人どの。私が知っていることを、申し上げましょう」


 ジラール警吏長が、扉の脇で身を固くした。


「第一四四七号は、私の口座でした。十二年前まで」


 ……あら。


「ある年、通知が来た。『当該口座は、当行の管理へ移す』と。理由は書いていなかった。私は、抗議しなかった。抗議できる筋の口座では、なかったのでね」


「では、その口座は、今——」


「知らん。知らんが、名義を移した男の名は、覚えていますよ。当時は、まだ、頭取ではなかった」


 息が、詰まった。


「あの男の名は——」


 鉄の扉が、鳴った。


「時間だ」


 看守が、立っていた。


「……待て」


 ジラール警吏長が、扉に手をかけた。


「まだ四半刻には、早い。私が数えている。あと四半刻の、半分は残っているはずだ」


「上からの指示です、警吏長殿。本日の面会は、ここまでと」


「上とは、どこの上だ」


 看守は、答えなかった。答えずに、ドラモンの腕を取った。引き立てられながら、その方は、一度だけ、振り返った。


 そして、口を動かした。声は、出さなかった。石の部屋に、看守の靴音だけが響いていた。けれど、私には、読めた。


 ——お気をつけなさい。


 と、その唇は、動いた。


 ——あの男は、嘘をつきません。

ドラモン男爵、久方ぶりのご来店……いえ、こちらから伺いましたのでした。信用が破産しても、あの方の目だけは、まだ、流れておりませんでしたわ。


次回、第39話『「代理人」——ずいぶん、お行儀のよろしい脅し方ですこと』——

灰色の男を、追いますわ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。