↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
婚約破棄された公爵令嬢は、下町で質屋を継ぎました 〜ところでその婚約指輪、贋物ですわよ?〜  作者: 朝比奈ミナ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
37/71

第37話:『ご当主様。その「武勲」、質草にはなりませんわ』

 ロシュフォール男爵は、翌日の昼過ぎに、当店の暖簾をくぐった。


 馬車は、通りの角に停めておいでだった。あの位置に馬車を停める方は、店に入るところを見られたくない方だ。


「……女主人どの」


 昨日の朗々とした声は、どこかへ置き忘れていらしたらしい。


「昨日は、取り乱した。詫びよう」


「お茶を、お淹れいたしますわ」


「いや。いや、結構だ。……その、単刀直入に申す」


 男爵は、卓に革袋を置いた。ずしり、と重い音がした。


「金貨三百枚ある」


「まあ」


「昨日の話は、忘れてもらいたい。兜のことも、貴族院のことも。……いや、忘れろとは言わん。言わんが、口に出さんでほしい。それだけだ」


 私は、革袋を見た。それから、男爵の顔を見た。この方は、震えていらした。


「閣下。ひとつ、お尋ねしてもよろしくて?」


「なんだね」


「その金貨三百枚は、どちらから?」


「……家の、金だ」


「では、その家の金は、どちらから?」


 男爵は、黙った。


「閣下。当店は、質屋ですのよ」


 私は、質札の綴りを引き寄せた。


「金貨三百枚をお預かりするなら、当店はその見返りに、何かをお渡ししなければなりませんわ。お渡しするものが、ございませんの。当店に、沈黙の在庫はございませんのよ」


「わ、私は——」


 男爵の顔が、また、赤くなった。今度は、怒りではなかった。


「家名が、かかっておるのだ! 二百年だぞ! ロシュフォールの名を、たかが兜一つで——」


「閣下」


「私には、武勲がある! 家には武勲があるのだ! それを担保にしてでも、私は——」


「ご当主様」


 私は、少しだけ声を落とした。


「その『武勲』、質草にはなりませんわ」


 男爵の口が、開いたまま、止まった。


「当店、ないお品は、お預かりできませんの」


 男爵は、しばらく革袋を見ていた。それから、ずるずると椅子に沈んだ。


「……ないのだ」


「はい」


「北の峠に、ロシュフォールはおらん。おらんのだ。私は、十年前に家の記録を全部読んだ。二百年前のうちの先祖は、王都で塩を売っておった。……騎士団の名簿に、うちの名はない。一行もない」


 男爵は、両手で顔を覆った。


「だが、みな信じておる。父も、祖父も、そう言うてきた。私が『違う』と言えば、それで終わりだ。娘の縁談も、息子の任官も、全部、あの六日間の上に載っておるのだ。今さら、床を抜けん」


 この方は、嘘つきだ。

 けれど、嘘をついている自覚のある嘘つきというのは、当店の商いでは、そう悪いお客様ではない。悪いのは、嘘を本気で信じている方のほうだ。


「閣下。あの兜、どちらから」


「……市に出ていたと」


「閣下」


「…………」


「あの兜、どちらから」


 男爵は、指のあいだから私を見た。


「……ソレルという男だ」


「ギヨーム・ソレル。仲立人だと名乗った。二年前、突然、屋敷に来た」


 男爵の声は、平たかった。


「男は言った。『閣下の御家の兜が、市場に流れております』と。私は驚いた。ないはずのものだからな。だが男は、『世に出ていない品には、世に出ていない値がつきます』と言った」


「そして?」


「金貨三百枚で、話をつけると。……兜を探し出し、王立の蔵に一度入れ、国の査定を取り、処分の市に出す。私はそこで札を入れる。それで、兜は正規の手続きで、家に帰る。国の査定票つきで」


 私は、算盤を引き寄せて——弾かなかった。弾くには、まだ、汚うございましたもの。


「閣下。お分かりになって? あなたは、三百枚で、兜を買ったのではございませんの」


「……」


「国の査定票を、買われましたのよ。兜は、その札を貼るための、鉄の板ですわ」


 男爵は、答えなかった。


「そして、ソレルという方は、あなたから三百枚を取り、質庫からも百二十枚を取りましたわね。ご自分で質入れなさったのですもの。——一領の写しで、二度、儲けておいでですわ」


 *


 男爵が帰ったあと、私はテオと、南の路地へ向かった。ソレルの帳場は、看板もない、狭い部屋だった。もぬけの殻である。


 卓が一つ、椅子が二つ。壁の釘に、外套の掛かっていた跡だけが、四角く白い。


「昨日の夜だな」


 テオが、床の埃を指でなぞって、言った。


「埃の積もりが、こっちだけ薄い。ここに箱があったんだ。夜のうちに、運び出してる。……姐さん、あのおっさんが昨日、俺らのこと喋ったんじゃね?」


「でしょうね」


 男爵は、震えながら、たぶん昨日のうちに、ソレルに知らせたのだ。「下町の質屋に見抜かれた」と。

 そして、ソレルは、一晩で消えた。


 早うございますこと。ずいぶん、慣れておいでだ。


「テオ。何か、残っておりませんこと?」


「んー……」


 テオは、卓の下に潜り込んだ。それから、机の裏板をこつこつと叩いた。


「姐さん。ここ、音が違う」


 この弟子の目は、よく利く。手も、よく動く。


 裏板の隙間から出てきたのは、一枚の紙だった。落としたのだろう。慌てて箱に詰めた者が、床でなく、裏板の隙間に落としたことに気づかなかった。


 送金票である。


『振込 金貨百二十枚

 振出 ギヨーム・ソレル

 宛先 王立中央銀行 第一四四七号口座』


 名前が、ない。


「姐さん、これ何?」


「送金の控えですわ。ソレルさんが、質庫から受け取った百二十枚を、そっくり、どこかへお送りになったの」


「そっくり? じゃあ、あいつの取り分は?」


 ええ。良いところに、お気づきだ。


 ソレルは、男爵から三百枚を取った。質庫から百二十枚を取った。合わせて四百二十枚。

 そのうち百二十枚を、そっくり、番号だけの口座へ。


 これは、儲けではない。

 これは——上納だ。


 私は、その紙を灯りに透かした。


 番号だけの口座。名義のない口座。

 ……先だっても、一つ、見た。


 ユディト・メルローズが、十年かけて公爵家の家宝を流し、換金した、金貨九千枚。凍結された口座の、その先。名も知れぬ送金先で、ぷつりと途切れていた、あの二枚目の付箋。


 あれも、王立中央銀行の、番号だけの口座だった。


 *


 店に戻ると、もう夜だった。私は帳場に、祖母の裏台帳を開いた。三十年ぶんの、贋作の記録。『例の職人の手』。横倒しの三日月。


 そして、その隣に処分市の目録の写しを広げた。マルゴさんが写してくださった、あの紙束である。


 突き合わせる。


 目録第九〇三番、兜。三日月あり。

 目録第七一二番、燭台一対。祖母の帳面の「例の職人の手」の記載と、寸法が一致。

 目録第五三八番、銀の水差し。同じ。

 目録第四〇一番——


 私は、片眼鏡を外した。少し、目が疲れていた。


 乙種担保の卓には、本物が並んでいた。銅貨八枚の、名もない絵。名もない指輪。名もない匙。

 甲種担保の卓には、写しが並んでいた。国の査定票を、一枚ずつ、丁寧に添えて。


 本物が出ていって、写しが入ってくる。三十数えるうちに。無料で。誰も、悪いことをしないままで。


「姐さん」


 テオが、帳場の向こうから私を見ていた。


「これ、あいつの……グランヴィルってのが、やってんの?」


「さあ」


 私は、送金票を台帳の頁に挟んだ。


「あの方が、三日月をご存じなかったのは、本当ですわ。嘘の匂いは、いたしませんでしたもの」


「じゃあ——」


「ええ。だから、伺わなければなりませんの」


 燭台の火を、一つ、吹き消した。


「誰が、あの蔵に、写しを納めておりますのか。——ソレルさんは、消えましたわ。ですけれど、番号だけの口座を知っていて、なおかつ、今、王都のどこにいるか分かっている方が、お一人だけ、いらっしゃいますのよ」


 テオが、眉を寄せた。


「誰?」


「牢の中の、お客様ですわ」

本物が出ていって、写しが入ってくる。悪意のある方は、どこにもおいでになりません。皆さん、書面のとおりに、正しく、速く働いていらっしゃいますのよ。……当店、こういうお品が一番、手強うございますわ。


次回、第38話『獄中のあなたに、査定を一つ差し上げますわ、男爵』——

お久しぶりでございます、ドラモン様。


「沈黙の在庫はございませんの」の一言が刺さった方は、評価の☆を帳場へ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。