第37話:『ご当主様。その「武勲」、質草にはなりませんわ』
ロシュフォール男爵は、翌日の昼過ぎに、当店の暖簾をくぐった。
馬車は、通りの角に停めておいでだった。あの位置に馬車を停める方は、店に入るところを見られたくない方だ。
「……女主人どの」
昨日の朗々とした声は、どこかへ置き忘れていらしたらしい。
「昨日は、取り乱した。詫びよう」
「お茶を、お淹れいたしますわ」
「いや。いや、結構だ。……その、単刀直入に申す」
男爵は、卓に革袋を置いた。ずしり、と重い音がした。
「金貨三百枚ある」
「まあ」
「昨日の話は、忘れてもらいたい。兜のことも、貴族院のことも。……いや、忘れろとは言わん。言わんが、口に出さんでほしい。それだけだ」
私は、革袋を見た。それから、男爵の顔を見た。この方は、震えていらした。
「閣下。ひとつ、お尋ねしてもよろしくて?」
「なんだね」
「その金貨三百枚は、どちらから?」
「……家の、金だ」
「では、その家の金は、どちらから?」
男爵は、黙った。
「閣下。当店は、質屋ですのよ」
私は、質札の綴りを引き寄せた。
「金貨三百枚をお預かりするなら、当店はその見返りに、何かをお渡ししなければなりませんわ。お渡しするものが、ございませんの。当店に、沈黙の在庫はございませんのよ」
「わ、私は——」
男爵の顔が、また、赤くなった。今度は、怒りではなかった。
「家名が、かかっておるのだ! 二百年だぞ! ロシュフォールの名を、たかが兜一つで——」
「閣下」
「私には、武勲がある! 家には武勲があるのだ! それを担保にしてでも、私は——」
「ご当主様」
私は、少しだけ声を落とした。
「その『武勲』、質草にはなりませんわ」
男爵の口が、開いたまま、止まった。
「当店、ないお品は、お預かりできませんの」
男爵は、しばらく革袋を見ていた。それから、ずるずると椅子に沈んだ。
「……ないのだ」
「はい」
「北の峠に、ロシュフォールはおらん。おらんのだ。私は、十年前に家の記録を全部読んだ。二百年前のうちの先祖は、王都で塩を売っておった。……騎士団の名簿に、うちの名はない。一行もない」
男爵は、両手で顔を覆った。
「だが、みな信じておる。父も、祖父も、そう言うてきた。私が『違う』と言えば、それで終わりだ。娘の縁談も、息子の任官も、全部、あの六日間の上に載っておるのだ。今さら、床を抜けん」
この方は、嘘つきだ。
けれど、嘘をついている自覚のある嘘つきというのは、当店の商いでは、そう悪いお客様ではない。悪いのは、嘘を本気で信じている方のほうだ。
「閣下。あの兜、どちらから」
「……市に出ていたと」
「閣下」
「…………」
「あの兜、どちらから」
男爵は、指のあいだから私を見た。
「……ソレルという男だ」
「ギヨーム・ソレル。仲立人だと名乗った。二年前、突然、屋敷に来た」
男爵の声は、平たかった。
「男は言った。『閣下の御家の兜が、市場に流れております』と。私は驚いた。ないはずのものだからな。だが男は、『世に出ていない品には、世に出ていない値がつきます』と言った」
「そして?」
「金貨三百枚で、話をつけると。……兜を探し出し、王立の蔵に一度入れ、国の査定を取り、処分の市に出す。私はそこで札を入れる。それで、兜は正規の手続きで、家に帰る。国の査定票つきで」
私は、算盤を引き寄せて——弾かなかった。弾くには、まだ、汚うございましたもの。
「閣下。お分かりになって? あなたは、三百枚で、兜を買ったのではございませんの」
「……」
「国の査定票を、買われましたのよ。兜は、その札を貼るための、鉄の板ですわ」
男爵は、答えなかった。
「そして、ソレルという方は、あなたから三百枚を取り、質庫からも百二十枚を取りましたわね。ご自分で質入れなさったのですもの。——一領の写しで、二度、儲けておいでですわ」
*
男爵が帰ったあと、私はテオと、南の路地へ向かった。ソレルの帳場は、看板もない、狭い部屋だった。もぬけの殻である。
卓が一つ、椅子が二つ。壁の釘に、外套の掛かっていた跡だけが、四角く白い。
「昨日の夜だな」
テオが、床の埃を指でなぞって、言った。
「埃の積もりが、こっちだけ薄い。ここに箱があったんだ。夜のうちに、運び出してる。……姐さん、あのおっさんが昨日、俺らのこと喋ったんじゃね?」
「でしょうね」
男爵は、震えながら、たぶん昨日のうちに、ソレルに知らせたのだ。「下町の質屋に見抜かれた」と。
そして、ソレルは、一晩で消えた。
早うございますこと。ずいぶん、慣れておいでだ。
「テオ。何か、残っておりませんこと?」
「んー……」
テオは、卓の下に潜り込んだ。それから、机の裏板をこつこつと叩いた。
「姐さん。ここ、音が違う」
この弟子の目は、よく利く。手も、よく動く。
裏板の隙間から出てきたのは、一枚の紙だった。落としたのだろう。慌てて箱に詰めた者が、床でなく、裏板の隙間に落としたことに気づかなかった。
送金票である。
『振込 金貨百二十枚
振出 ギヨーム・ソレル
宛先 王立中央銀行 第一四四七号口座』
名前が、ない。
「姐さん、これ何?」
「送金の控えですわ。ソレルさんが、質庫から受け取った百二十枚を、そっくり、どこかへお送りになったの」
「そっくり? じゃあ、あいつの取り分は?」
ええ。良いところに、お気づきだ。
ソレルは、男爵から三百枚を取った。質庫から百二十枚を取った。合わせて四百二十枚。
そのうち百二十枚を、そっくり、番号だけの口座へ。
これは、儲けではない。
これは——上納だ。
私は、その紙を灯りに透かした。
番号だけの口座。名義のない口座。
……先だっても、一つ、見た。
ユディト・メルローズが、十年かけて公爵家の家宝を流し、換金した、金貨九千枚。凍結された口座の、その先。名も知れぬ送金先で、ぷつりと途切れていた、あの二枚目の付箋。
あれも、王立中央銀行の、番号だけの口座だった。
*
店に戻ると、もう夜だった。私は帳場に、祖母の裏台帳を開いた。三十年ぶんの、贋作の記録。『例の職人の手』。横倒しの三日月。
そして、その隣に処分市の目録の写しを広げた。マルゴさんが写してくださった、あの紙束である。
突き合わせる。
目録第九〇三番、兜。三日月あり。
目録第七一二番、燭台一対。祖母の帳面の「例の職人の手」の記載と、寸法が一致。
目録第五三八番、銀の水差し。同じ。
目録第四〇一番——
私は、片眼鏡を外した。少し、目が疲れていた。
乙種担保の卓には、本物が並んでいた。銅貨八枚の、名もない絵。名もない指輪。名もない匙。
甲種担保の卓には、写しが並んでいた。国の査定票を、一枚ずつ、丁寧に添えて。
本物が出ていって、写しが入ってくる。三十数えるうちに。無料で。誰も、悪いことをしないままで。
「姐さん」
テオが、帳場の向こうから私を見ていた。
「これ、あいつの……グランヴィルってのが、やってんの?」
「さあ」
私は、送金票を台帳の頁に挟んだ。
「あの方が、三日月をご存じなかったのは、本当ですわ。嘘の匂いは、いたしませんでしたもの」
「じゃあ——」
「ええ。だから、伺わなければなりませんの」
燭台の火を、一つ、吹き消した。
「誰が、あの蔵に、写しを納めておりますのか。——ソレルさんは、消えましたわ。ですけれど、番号だけの口座を知っていて、なおかつ、今、王都のどこにいるか分かっている方が、お一人だけ、いらっしゃいますのよ」
テオが、眉を寄せた。
「誰?」
「牢の中の、お客様ですわ」
本物が出ていって、写しが入ってくる。悪意のある方は、どこにもおいでになりません。皆さん、書面のとおりに、正しく、速く働いていらっしゃいますのよ。……当店、こういうお品が一番、手強うございますわ。
次回、第38話『獄中のあなたに、査定を一つ差し上げますわ、男爵』——
お久しぶりでございます、ドラモン様。
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