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婚約破棄された公爵令嬢は、下町で質屋を継ぎました 〜ところでその婚約指輪、贋物ですわよ?〜  作者: 朝比奈ミナ


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第36話:『戦功のない兜には、戦傷もございませんのよ』

 王立中央質庫の処分市は、下町の朝市より、よほど行儀が良かった。


 天幕が張られ、品が卓に並べられ、卓の一つずつに、白い札が立っている。値切る声もなければ、袖を引く手もない。札を入れて、高い札が取る。それだけ。


 私は、テオを連れて、その天幕の下を歩いた。


 乙種担保の卓が、延々と続く。指輪。匙。時計。鍋。子供の靴。誰かの髪を編み込んだ小さな飾り。

 どれも、値打ちがないから、ここに並んでいる。値打ちがないというのは、売れないという意味だ。売れないものが、こんなに丁寧に並べられて、こんなによく売れている。


 ……妙ですこと。


「姐さん、あった。九〇三番」


 *


 その卓だけ、天幕の奥まった場所にあった。黒い布が敷かれ、その上に、鉄の兜が一領。


 古い。それは、遠目にも分かった。錆の浮き方が、二百年ぶんの浮き方をしている。意匠は王国騎士団の制式。額の庇の反りが、深い。この反りは、確か——祖母の帳面によれば、二百年前の三十年間しか使われていない。


 傍らの札は、他の卓のものとは違って、二枚あった。一枚は、目録札。『第九〇三番 兜 一領 甲種担保 金貨百二十枚』もう一枚が、いけなかった。


『王立中央質庫 査定済

 品目 兜/素材 鉄・革/年代 二百年/状態 良

 分類 甲種担保

 評価額 金貨百二十枚

 右、当庫の査定表に基づき算定せるものなり

         王立中央質庫 西六番出張所』


 私は、その紙を二度読んだ。


 これは。


 これは、由緒書きだ。


 ドラモン男爵が、あれほど手間をかけて、羊皮紙を古びさせ、三代ぶんの署名を偽造して、ようやくこしらえていたもの。

 それを、国が。無料で。三十数えるうちに。


「お目が高い」


 背後から、声がした。


 今度は、油を引いた声ではなかった。よく響く、朗々とした声である。振り向くと、赤ら顔の紳士が立っていた。歳は五十ほど。仕立ての良い上着に、勲章を三つ。


「ユベール・ド・ロシュフォール男爵と申す。——お嬢さん、その兜に札を入れるおつもりかね」


「拝見しておりますだけですわ」


「そうか。それは良かった」


 男爵は、遠慮なく笑った。


「その兜は、私が取る。決めておるのだ。……ご存じかな。二百年前、北の峠で、王国騎士団は敵の三倍の軍勢を六日間支えた。あの六日がなければ、王都は焼けていた。その最前列に、ロシュフォールの名があった」


「まあ。ご立派なご先祖様ですこと」


「うむ。うむ。だが、代を重ねるうちに、家は品を散らしてしまってな。この兜は、その、散った一領なのだ。ようやく、市に出た。……家に帰してやらねばならん。金貨百二十枚など、安いものだ」


 男爵の目は、潤んでいた。本気で、潤んでおいでだった。


 私は、片眼鏡を着けた。


「男爵閣下。ご覧になって?」


「何をだね」


「この兜、正面ばかり殴られておりますのよ」


「査定を、始めますわ」


「第一に、打痕の位置ですわ。額に三つ、面頬に二つ、頬当てに一つ。——ぜんぶ、前ですわね」


「当たり前だ! 正面の敵と戦ったのだからな!」


「六日間、ですわね?」


 兜の後ろへ回った。


「六日、三倍の軍勢を支えましたのなら、囲まれますわ。乱戦になりますの。実戦の兜というものは、後頭部と、耳の上と、首の付け根に傷が集まりますのよ。祖母の帳面に、北の峠の兜が四領、記録がございますわ。四領とも、後ろが、ひどうございます。……人は、後ろから殴られますもの」


「……」


「この兜の後ろは、つるりとしておりますわ。ご先祖様は、六日間、一度も後ろを取られなかった。ご立派を通り越して、化け物ですこと」


「第二に、打痕の縁ですわ」


 額の傷に片眼鏡を寄せた。


「鉄は、殴られると縁が返りますの。めくれるんですのよ。二百年前にめくれた縁は、めくれたところから錆びて、丸くなりますわ。この返り——」


 指先を、そっと乗せた。


「痛いくらい、鋭うございますわ。錆の膜が、返りの上にだけ、乗っておりませんの。錆びる時間がなかった、ということですわね」


「第三に、内側ですわ。——テオ」


「うい」


 テオが、兜を裏返した。手つきが良い。この子は、こういうときだけ、元締めのところで育った手をする。


「内貼りの革が、新しゅうございますわ。それは構いませんの。革は替えるものですもの。ただ、鉄の内側をご覧になって。汗の跡が、ございませんわ」


「か、革を替えたなら——」


「革を替えても、鉄は残りますのよ。人が二百年ぶん被った兜は、内側の鉄に、汗の塩が食い込んで、白い川みたいな跡が残りますの。この兜の内側は、鋳出したままですわ」


 私は、兜をそっと黒い布に戻した。


「査定、確定いたしましたわ」


「傷は、後からつけられましたのよ。この兜は、被られたことがございませんわ。……戦功のない兜には、戦傷もございませんのよ、閣下」


 男爵の赤ら顔が、白くなった。


 白くなって、それから、赤黒くなった。


「ぶ、無礼な!」


「無礼ではございませんわ。査定ですの」


「では、これはどう説明する!」


 男爵は、震える指で、二枚目の札を叩いた。


『王立中央質庫 査定済 ——甲種担保 金貨百二十枚』


「国だぞ! 国が、この兜を二百年前の本物と査定しておるのだ! 貴様は、王立中央銀行頭取の算式より、下町の小娘の勘のほうが正しいと言うのか!」


 私は、その札をじっと見た。


 ええ。仰るとおりだ。

 その札に、嘘は一つも書いていない。品目、兜。素材、鉄・革。年代、二百年。状態、良。


 全部、本当だ。

 鉄は鉄。革は革。年代は二百年——鉄の年代は、確かに二百年だ。


 この札は、嘘をついていない。ただ、この札には、「誰も被らなかった」と書く欄が、ないだけ。


「男爵閣下。その札には、真贋の欄がございませんのよ」


「ええい、屁理屈を——」


「屁理屈で結構ですわ。では、屁理屈でお尋ねいたしますわね。閣下は、この兜を家に帰したら、どうなさいますの?」


 男爵は、答えかけて、口を噤んだ。噤んだのが、答えだった。


「……貴族院に、お出しになるおつもりでしょう」


 私は、間を置いた。


「北の峠の六日間。ロシュフォール家の戦功。物証は、この兜。査定は、国。——陞爵の願い出には、十分すぎる書面ですわね」


「……黙れ」


「閣下。一つだけ、伺わせてくださいまし。この兜、どちらから市に?」


「知らん! 市に出ていたから札を入れるのだ! 私は、何も——」


 男爵は、そこで、はっとした顔をした。この方は、悪人ではない。悪人になりきれない方だ。だから、顔に出る。


「閣下。まさかとは存じますけれど。……ご自分でお質入れになって、ご自分でお買い戻しになるおつもりでは、ございませんわね?」


 男爵は、答えなかった。答えずに、天幕から、逃げるように出ていった。


 *


「姐さん」


 テオが、兜の縁を指でなぞりながら、言った。


「あのおっさん、自分で入れて自分で買うって、なんの得があんの? 損じゃん」


「損ではございませんのよ、テオ」


 私は、二枚目の札をもう一度読んだ。


「金貨百二十枚で、『国のお墨付き』が買えますの。……ドラモン男爵は、あの由緒書き一枚に、幾らかけておいででしたかしら」


「うわ」


「ええ。安い買い物ですわ」


 兜を持ち上げた。灯りに透かして、鉢の側面を、ゆっくりと回した。鉄の色が、一箇所だけ、わずかに違った。


 継ぎ目。


 鉢を打ち出したのではなく、二枚を合わせて、蝋を流して、継いだ跡。二百年前の兜は、こんな継ぎ方をしない。その継ぎ目の、一番奥。錆の下に。


 横倒しの、細い月が、彫られていた。私は、片眼鏡を外した。


 ……お久しぶりですわね。

国の査定票が、由緒書きになっておりました。ドラモン男爵が五年かけてこしらえた化粧を、国が三十数えるうちに、無料で。……あの方も、草葉の陰で歯噛みしておいででしょう。まだ生きておいでですけれど。


次回、第37話『ご当主様。その「武勲」、質草にはなりませんわ』——

三日月の、行方を追いますわ。

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