第32話:『庶民の形見を「不良担保」と、そうお呼びになりますのね』
王立中央銀行の講堂は、天井が高くて、椅子が硬かった。
集められたのは、王都の質商およそ四十軒。前のほうに座らされた老爺たちは、一張羅の襟をしきりに直している。組合長のボナール氏は、手にした帽子を、もう十度は畳み直していた。
「……お嬢さん。あんた、来ちまったのかい」
「呼ばれましたもの。当店、書状はきちんと読む主義ですのよ」
私の隣で、テオが硬い椅子の上で足を組み替えた。付き添いである。本人は「役所の飯が出るかも」と言っていたけれど、たぶん、ひとりで行かせるのが嫌だっただけだろう。
刻限ちょうどに、扉が開いた。
入ってきたのは、灰色の髪をきっちり撫でつけた、痩せた男性だった。歳は六十ほど。仕立ての良い、けれど地味な上着。装身具はひとつもない。
その方は、壇に上がると、質商たちの顔をゆっくり見渡した。値踏みではなかった。数えていたのだと思う。
「王立中央銀行頭取、モーリス・グランヴィルです。本日は、お集まりいただきました」
声を張らない方だった。それでいて、講堂の隅まで、よく通った。
「単刀直入に申し上げます。王国は、中央質庫を設けます」
ざわ、と空気が動いた。
「趣旨は三つ。第一に、無利子。第二に、即金。第三に、公平な査定。——庶民が形見を手放すとき、なぜ足元を見られねばならないのか。なぜ、店主の機嫌と勘で値が決まるのか。私には、二十年前から、それが不思議でならなかったのです」
誰も、何も言えなかった。
言えるわけがない。だって、正しいのだもの。
「配布物をご覧ください」
役人たちが、綴じた紙を配って回った。表題は『質庫査定表』。中を開いて、私は、片眼鏡の鎖を、ちり、と鳴らした。
——よく、できていた。
品目、素材、目方、年代、状態。欄に数を入れると、算式が値を吐く。銀の含みまで係数が振ってある。作った方は、質屋を軽んじてはいない。むしろ、質屋の仕事を十年ぶんは眺めた方の手つきだった。
だから、次の頁が、いけなかった。
『担保分類表』
甲種担保——貨幣性の高いもの。金銀地金、宝玉。
乙種担保——市場性の乏しいもの。形見、遺品、記念品の類。掛目、評価額の一割。
私は、その行を、二度読んだ。
「——恐れ入りますわ。ひとつ、伺ってもよろしくて?」
立ち上がったのは、私だけだった。四十軒の視線が、いっせいに背中に刺さる。
「ラトン街三番地、三日月堂の女主人、ヴィオレッタと申します。頭取閣下。分類表の乙種担保、掛目一割の項に、『形見、遺品』とございますわ」
「ええ」
「庶民の形見を『不良担保』と、そうお呼びになりますのね」
グランヴィル氏は、瞬きをした。怒りもせず、慌てもせず。
「呼びます。市場性がないからです。形見は、持ち主にとっては無限の価値がある。だが、売ろうとすれば買い手がつかない。これは悪意ではなく、事実です。担保とは、売れる値のことですから」
「では、伺いますわ。——テオ」
テオが、包みを二つ、壇の下まで運んだ。私は、その両方を開いた。
銀の燭台が、二つ。
「品目、燭台。素材、銀。目方、いずれも四十八匁。年代、いずれも百二十年前。状態、良。……閣下の査定表に、そのまま入れてくださいまし。おいくらになりまして?」
役人が、算盤と表を突き合わせて、答えた。
「……両方とも、金貨十二枚です」
「ええ。そうなりますわね」
私は、左の燭台を持ち上げた。
「こちらは、本物ですわ。金貨十二枚。妥当な査定ですこと」
そして、右を持ち上げた。
「こちらは、写し。銅に銀を着せて、古色を焼き付けたお品ですの。継ぎ目に、ほら。——査定額、金貨一枚と銀貨六枚。地金の値だけですわ」
講堂が、静まった。
「閣下の算式は、二つの燭台に、同じ値をつけましたわ。品目も素材も目方も年代も、同じですもの。算式は、正直に働きましたのよ。ただ——」
私は、二つを並べて、壇上に置いた。
「真贋の欄が、ございませんの」
沈黙が、たっぷり三つ数えるあいだ続いた。ボナール氏が、小さく「よし」と漏らすのが聞こえた。前のほうの老爺の一人が、膝を打った。
グランヴィル氏は、壇の上から、二つの燭台をじっと見下ろしていた。それから、ゆっくりと顔を上げた。
「見事です」
えっ、と、誰かが言った。
「本当に、見事だ。私は今、目利きというものを初めて間近で見ました。……ヴィオレッタ殿、と仰いましたか。ひとつだけ、お尋ねしてよろしいか」
「どうぞ」
「王都に、質屋は何軒あります?」
「四百軒ほど、と伺っておりますわ」
「三百九十七軒です。では、そのうち、今あなたがなさったことができる店は、何軒です?」
私は、答えなかった。
「一軒です」
グランヴィル氏は、講堂を見渡した。老爺たちが、目を伏せた。
「残る三百九十六軒の客は、どうなります。継ぎ目の三日月など見えない店主に、勘で値を切られる。切られたことにも気づかない。あなたの目は本物だ。だが、本物が一軒しかないなら、それは制度ではない。——奇跡です。私は、奇跡を当てにする蔵を、庶民に勧められません」
息が、詰まった。
この方は、嘘をついていない。
それどころか、私が初めからずっと申し上げてきたことを、そっくりそのまま、私に返しておいでだった。物は嘘をつかない。数字も嘘をつかない。嘘をつくのは、人。だから人の手から、査定を取り上げる。
「奇跡は、写しですわ」
私は、やっと、それだけ申し上げた。
「三十年、祖母がひとりで書き溜めた帳面があって、その頁を私が捲れるから、私は見えますの。目利きは天からは降りませんわ。写せますのよ。——閣下の算式より、少し、時間がかかるだけで」
グランヴィル氏は、初めて、ほんの少し笑った。
嗤ったのではない。気の毒そうに、だった。
「三十年」
と、彼は言った。
「三日で即金が要る未亡人に、あなたはその三十年を、どう貸すのです」
*
散会のあと、廊下で、その方は私を待っていた。従者も連れず、ひとりで。
「燭台を、返しに来ました。……あの写し、よくできている。継ぎ目の三日月とは、あれは何です」
「職人の癖ですわ。——閣下は、ご存じない?」
「知りません」
嘘の匂いは、しなかった。この方は、写しを買っている顔ではない。
「知りませんが、覚えました。次に会うときには、私にも見えるようになっていますよ。……ヴィオレッタ殿。あなたを敵と思っていません。あなたは、私の査定表の最良の校正者だ。だから、これだけは申し上げておく」
グランヴィル氏は、燭台の包みを、私の腕に返した。
「目利きなど、属人の迷信ですよ。——迷信は、優しい。だが、迷信の下では、誰も救われた数を数えられない」
その背が、廊下の角に消えるまで、私は動けなかった。テオが、私の袖を引いた。
「姐さん。あいつ、悪いやつ?」
……さて。
悪意で嘘をつく方なら、この五ヶ月で、幾人も査定してまいりましたわ。
けれど、善意で正しいことを言う方の値打ちは。
「テオ。まだ、査定できませんの」
三行、揃っておりませんから。
新しいお客様が、ようやくお見えになりました。がなり立てもせず、慇懃な毒も吐かず、正しいことだけを仰る方でございます。当店、こういうお品が一番、手強うございますのよ。
次回、第33話『査定表四十一番——その数式、未亡人の十年を銅貨五枚と申しますわ』——
見本店の、開店でございます。




