第30話:『わたくしの査定は、変わりませんわ。——お流れ、ですわ』
公開鑑定から、半月が過ぎた。
ユディト・メルローズは、詐欺、窃盗、文書偽造、ならびに冤罪工作の咎で訴追された。貴族院の横槍は、今度は入らなかった。入れようとした筋が、軒並み、自分の蔵の品の真贋を問われる側に回ったからである。王都とは、つくづく現金な街ですこと。
取り調べで彼女は、最後まで毅然としていたという。ただ一点、「売った金の行方」だけは、頑として語らないまま——金貨九千枚の流れ先は、凍結された口座の先の、名も知れぬ送金先で、ぷつりと途切れていた。
帳尻の合わない、最後の二枚。この宿題は、当店の台帳に「未回収」として、赤い付箋で残しておく。
ロザリーは、謹慎となった。母の罪への関与は、立証されなかった——実際、あの子は知らされていなかったのだろう。ファルジェ家との婚約は、双方の家から、どちらからともなく解消された。沈む船同士の縄は、ほどけるのも早い。
風の噂では、生まれて初めて、侍女なしの暮らしをしているらしい。あの子の値打ちが出るのは、もしかすると、これからなのかもしれませんわね。
そして、父は。
*
その日の夕暮れ、メルローズ公爵は、従者も連れず、ひとりで三日月堂の敷居をまたいだ。
「……良い、店だ」
第一声が、それだった。彼は店内をゆっくり見回し、質草棚の鍋と外套を眺め、最後に帳場の私を見た。
「義母上が、ここに立っていた姿が、目に浮かぶ」
「お父様。当店は質屋ですの。ご用件は、品物で承りますわ」
「……ああ。そうだったな」
父は、一通の書状を帳場に置いた。
貴族院の認可印つき。——復籍の沙汰書だった。勘当の取り消し。メルローズ家長女としての身分の回復。
「先日の沙汰で、お前の勘当の根拠は、すべて虚偽と確定した。これは、その当然の手続きだ。それと——」
父は、言葉を探した。探して、探して、ようやく見つけた言葉は、不器用なほど短かった。
「……戻って、こないか。あの家には、もう、お前しかいない」
私は、沙汰書を手に取った。
片眼鏡を着け、隅々まで、丁寧に検分する。印章、日付、文言。本物だ。五ヶ月前にこの一枚があれば、と思う夜が、なかったとは言わない。
検分を終えて、私は片眼鏡を外した。
「書面は、確かに本物ですわ。ありがたく、頂戴いたします。冤罪の記録が公文書で消えることは、わたくしにとっても、祖母の帳面にとっても、大事な決算ですもの」
「で、では——」
「けれど、お父様」
私は、帳場から、まっすぐに父を見た。
「五ヶ月前、あなたはわたくしの値打ちを、確かめもせずに『盗人』と査定なさいました。その査定が間違いだったから、付け替える——それは、書面の上では正しい手続きですわ。けれど人の帳簿では、一度流れた質草は、沙汰書一枚では戻りませんの」
「…………」
「わたくしの査定は、あの夜に確定して、変わりませんわ。あの家での、わたくしの居場所は——お流れ、ですわ」
店の中が、静かだった。テオが奥で、息を詰めているのが分かる。
父は、長いこと黙っていた。それから、深い、深い息をついた。
「……エルマ殿に、昔、一度だけ言われたことがある。婚礼の挨拶の席だ。『公爵様。うちの娘と孫を、帳簿の合わない家にやるのが、あたしは怖いんですよ』と。……あの人の目は、正しかったわけだ。何もかも」
「ええ。あの方の査定は、外れたことがございませんの」
父は、沙汰書をそっと押し戻し——いいえ、帳場の上に、置き直した。
「これは、置いていく。受け取った上で、店を続ければいい。……ヴィオレッタ。家には戻らずとも、その……いつか、客として、来てもいいか。この店に」
あら。
まあ。
「お客様は、どなたでも歓迎ですわ。当店、一見様お断りはございませんの。——ただし」
私は、にっこりと微笑んだ。
「お持ち込みのお品は、きちんと査定いたしましてよ。お情け価格は、ございませんから」
父は——五ヶ月ぶりに、ほんの少しだけ、笑った。
*
夜。店じまいの刻限に、からん、と鈴が鳴った。
黒い外套。包みを一つ。
「閉店間際にすまない。……どうしても、今日のうちに査定を頼みたい品があってね」
帳場の絹布に置かれたのは、小さな銀の香水瓶だった。
古い。良い手の仕事。そして底に、剣と星の——彫り消されていない、王家の略紋。
「……殿下。これは」
「母の遺品だ」
ルシアン殿下は、静かに言った。
「先王妃の。形見分けで私の手元に残った、数少ない品だ。……ヴィオレッタ殿。以前、王宮の蔵の話をしたな。あれの調べを、本格的に始めようと思う。ついては、その最初の一点として——これが本物かどうかから、確かめたい。母の形見と信じてきた品が写しだったなら、王宮の蔵は、私が思うより深く食われている」
私は、香水瓶と、殿下の顔を、見比べた。
この方は、知っているのだ。この依頼が当店をどこへ連れて行くか。黄金天秤より、公爵家より、ずっと高くて深い場所へ。
それを承知で、この店の帳場に、持っていらした。
「……承りましたわ」
私は片眼鏡を着け、帳場の算盤を、ぱちん、と一つ弾いた。
「三日月堂、本日最後のご依頼——いいえ」
窓の外、下町の屋根の上に、細い月が昇っている。祖母の看板と、同じ形の月が。
「次の物語の、最初のご依頼ですわね。査定を、始めますわ」
——第1部「下町開店編」・完——
第1部、これにてお開きでございます。最後までお読みいただき、心より御礼申し上げますわ。
冤罪は晴れ、家宝は戻り、嘘の値札は剥がれました。
ですが、未回収の付箋が二枚——「写し師ジョスランの行方」と「金貨九千枚の流れ先」。
そして殿下の仰る「王宮の蔵」。
第2部「王都贋作網編」にて、すべて回収の予定ですの。当店の台帳に、貸し倒れはございませんのよ。
利息は第2部で、たっぷりお返しいたします。——それでは、また開店の鈴で。




