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婚約破棄された公爵令嬢は、下町で質屋を継ぎました 〜ところでその婚約指輪、贋物ですわよ?〜  作者: 朝比奈ミナ


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第28話:『裏蓋の鍵と、蔵の最奥。——ただいま帰りました、お祖母様』

 片眼鏡の裏蓋は、テオの一番細い道具で、音もなく開いた。


 中に納まっていたのは、紙でも宝石でもなかった。

 鍵だった。長さ一寸足らずの、銀の、精緻な鍵。持ち手の部分が、三日月の形に透かし彫りされている。


「……こんなちっせえ鍵で開く錠前なんて、聞いたことねえぞ」


「いいえ、テオ。これはきっと、錠前を開ける鍵ではありませんの」


 蔵の奥。例の樫の板壁の前に、私たちは灯りを掲げて立った。

 継ぎ目のない、見事な板組み。けれど——昨夜から、ずっと考えていた。継ぎ目を隠す細工の名手が、この壁を作ったのなら。鍵穴もまた、継ぎ目の中に隠されているはずだ。


「テオ。板の木目で、不自然なところは?」


「……待って。……ん、ここ。この節、本物の節じゃねえ。埋め木だ。木目の流れが、ほんの少しだけ逆らってる」


 埋め木の節に、銀の鍵の先を当てる。三日月の透かしを、月の昇る向きに、ゆっくり回すと——


 かちり。


 板壁の一枚が、軋みもせず、内側へ滑った。


 *


 灯りを入れた瞬間、私は息をするのを忘れた。


 三尺の奥行きの隠し部屋に、品物が、静かに並んでいた。絹布を掛けられ、樟脳を効かせ、一点ずつ丁寧に棚へ納められて。


 聖母画。

 葡萄酒杯の一揃い。

 先々代の剣。

 真珠の頸飾り。

 大広間の甲冑は籠手だけが布から覗き——その継ぎ目に、刻印は、ない。


「これ……これ、全部……」


「ええ。——メルローズ家の、本物ですわ」


 売り払われたはずの。王都中に散ったはずの。国外にまで流れたかと案じていた、三十七点の本歌が。

 下町の質屋の、蔵の壁一枚向こうに、最初から全部、揃っていた。


 棚の中央に、帳面が一冊と、封書が一通、置かれていた。帳面は、裏台帳の最終巻——いいえ、買い戻しの台帳だった。


『聖母画。黄金天秤の落札者より、金貨四百八十枚にて買い戻し』

『甲冑。仲買三人を経て追跡。五百二十枚』

『真珠の頸飾り。落札者死去につき遺族より。百九十枚』


 十年分。三十七行。

 売られた品を、祖母は一点ずつ追いかけ、競り落とし、買い戻し続けていた。質屋の儲けなど、たかが知れている。下町の小さな店の女主人が、装いも楽しみも削って、金貨数千枚を、この壁の向こうに積み替え続けた。


 なんのために。

 決まっている。帳面の隣の封書が、その答えだった。


『ヴィオレッタへ』


 *


『この手紙を読んでいるなら、お前は三つの関門を抜けたことになる。

 わたしの店を継ぎ、わたしの帳面を読み、わたしの片眼鏡の秘密に気づいた。つまり、お前の目は仕上がった。もう、わたしがいなくても大丈夫だ。


 驚いたろう。種を明かせば、こういうことだ。

 十年前、お前の家の蔵から、品物がすり替わり始めた。手口を見て、すぐに分かった。あれは、わたしが昔——たった一度の判定で表の世界から消してしまった、あの子の手だ。あの子の写しは、昔から、本歌への恋文みたいな出来だったからね。


 わたしは品物を追った。追って、買い戻した。役人に売らなかった理由は、二つある。

 一つ。売れば、横流しの罪は侍女や使用人に着せられて終わる。あの夫人は、そういう手の持ち主だ。詰めの証拠が揃う日まで、騒がせるわけにはいかなかった。

 二つ。……お前がいつか、自分の足であの家を出る日が来ると、わたしは思っていた。出た日に、お前が「捨てた家の本物」を全部持っているなんて、痛快じゃないか。


 ヴィオレッタ。よくお聞き。

 この棚の品は、お前の武器であって、お前の鎖じゃない。あの家に戻る道具に使うんじゃないよ。あの家と、まっすぐ清算する道具におし。


 それから、絹の小箱。「まだ早い」と書いたが、この壁が開いたなら、もう早くない。お開け。


 幼いお前が、初めて贋物を見抜いた日のことを、マルゴから聞いた。五つのお前に、わたしが最初に教えた口上を、覚えているかい。


 ——物の値打ちは、人が決めるんじゃない。物が、人の値打ちを語るんだ。


 おかえり、ヴィオレッタ。

 お前は、わたしの一番の、本物だよ。


                    ——エルマ』


 *


 どれくらい、そこに座り込んでいたのか分からない。テオは何も言わず、ただ灯りを持って、隣に立っていてくれた。


 私は手紙を畳み、立ち上がり——「売らない棚」から、絹張りの小箱を取ってきた。

 蓋を、開ける。


 中身は、指輪だった。

 見事な金剛石。台座の意匠は、五ヶ月前に銅貨三枚と査定した、あの婚約指輪と瓜二つ。けれどこちらは——本物。


 小箱の蓋の裏に、祖母の字で、一行。


『ファルジェ家の金剛石。五年前、ガロ商会の流質より買い戻し。いつか、笑っておやり』


 ……ふ。


 ふふ。あはは。

 わたくし、蔵の中で、声を上げて笑ってしまいましたわ。涙と一緒くたで、査定額のつけようもない顔で。


 お祖母様。

 あなたという方は、本当に——回収に、取りこぼしがありませんのね。

ここまでお付き合いくださいまして、ありがとう存じます。

相続財産の検め、ひとまず区切りでございます。当店、本日より「本物」を三十八点、お預かりしております。


次回、第29話『本物はすべて当店に。——買い戻しは元利込みで承りますわ』——

公開鑑定、開演ですわ。

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