第26話:『アンナさん。あなたを罪には、問わせませんわ』
「——以上が、当方の懸念ですわ」
宝物院の一室。私は殿下と書記官殿、そして検事局から来た若い検事補を前に、一枚の覚書を読み上げていた。
「アンナ・モローは、十年に亘り横流しの運び出しに関与しております。命じられた側とはいえ、形の上では共犯。このまま証言台に立てば、ユディト夫人の代理人は必ずこう申しますわ——『主犯はこの侍女。夫人の印章を盗み、指示書を捏造した』と。罪を着せられた経験者として申し上げますけれど、あの家の十八番ですの、それ」
検事補が、渋い顔で頷いた。
「実際、その筋書きは成立し得ます。指示書に署名はなく、印章は侍女頭なら持ち出せた、と主張されれば……」
「ですから、順番のご相談ですわ。アンナの証言を求める前に、彼女の立場を確定していただきたいの。第一に、彼女は強要された側であること。逆らえば職と寝起きの場を失う身分で、十年、断れる立場にございませんでしたわ。第二に、彼女は自発的に証拠を保全し、自発的に開示したこと。暁の雫を記録の残る店に持ち込んだ判断も含めて、ですの。摘発への協力者として、訴追免除の保証を」
「……女主人どの。それは検事局の権限で、商人が口を出す筋では」
「あら。では商人らしく、お取引の材料を申し上げますわね」
私は、例の一枚表を卓に滑らせた。
「指示書・名簿・裏台帳・鑑定書、四点が日付で鎖になった横流し三十一件。アンナの証言が一言もなくても、書証だけで絵の輪郭は立ちますの。彼女の証言は、この鎖に血を通わせる仕上げ。——つまり検事局は、『証言がなければ立たない事件』ではなく、『証言があれば完璧になる事件』をお持ちですのよ。完璧の代価が訴追免除一枚なら、ずいぶんお安いお取引と存じますけれど?」
検事補は、表を長いこと睨んでいた。やがて、溜息と一緒に白旗を上げた。
「……持ち帰ります。前向きに、です。まったく、質屋というのは皆さんこうなのですか」
「いいえ。うちの店だけですわ」
*
数日後、修道院の面会室。訴追免除の通知書を見せると、アンナは書面を胸に抱いて、長いこと声を殺して泣いた。
「……お嬢様。わたくし、ずっと、罰を待っておりました。お屋敷で、お嬢様が濡れ衣を着せられたあの夜、わたくしは廊下の隅で、何も言えずに俯いておりました。あの夜から、ずっと……」
「アンナ。それなら、罰の代わりに、お願いをひとつ」
私は、彼女の手を取った。母の代から、あの家の冬の手荒れを知っている手だ。
「証言台では、わたくしのためでも、罰を償うためでもなく——事実のためにお話しなさいな。見たことを見たとおり、命じられたことを命じられたとおり。一切の飾りなしに。それがあなたの十年への、一番まっすぐな決着ですわ」
「……はい。……はい……っ」
*
帰り道の馬車で、マルゴさん経由の早耳が追いついてきた。席に着くなり、テオが紙片を広げる。
「姐さん、来た。むこう、ついに表で仕掛けてきた」
王都の社交界に、一夜で撒かれた怪文書——もとい、「さる夫人の談話」だった。
『メルローズ家の鑑定騒動には、裏がある。贋作と判じられた品々の継ぎ目には、三日月の刻印があるという。三日月——おや、どこかで聞いた屋号ではないか。さよう、鑑定人当人の店の看板である。贋作を作った者が、贋作を見抜く名人を装うことほど容易い芸はない。亡き先代の質屋女主人は、三十年前、贋作事件の咎で職人が裁かれた折にも、深く関わっていたとか。祖母から孫へ、贋作の家業もまた、相続されたのではあるまいか——』
……まあ。
まあ、まあ、まあ。
「ひっでえ! 完全に逆さまじゃねえか! ばあちゃんと姐さんが贋作一味だって!?」
「ええ。けれどテオ、良い筋の嘘ですわよ、これは。三日月の刻印、三十年前の裁き、祖母の関与。本物の情報を三つも使っておりますの。怪文書の書き手が、それだけ内情に通じている——つまり、書かせた方は、写し師の事情をご存じの方、ということ」
しかも、狙いどころが上手い。
裁判は書証で詰める算段だった。けれど世論という法廷に、書証は届きにくい。「贋作師の孫」の看板を貼られたまま証言台に立てば、どれほど完璧な表も、色眼鏡で読まれる。
「どうすんだよ……新聞だの夜会だの、相手は口の数で勝負してくるんだぜ」
「口の数に、口の数で応じる必要はございませんの」
私は、馬車の窓から王都の空を見た。
「あちらが『目こそ贋物』と仰るなら——目の真贋を、衆目の前で査定して差し上げればよろしいのよ。法廷ではなく、査定台で。本物と写しを並べて、どちらの言い分が立つか、王都中にご覧いただきますの」
公開鑑定。
受けて立つどころか、こちらから舞台を建てて差し上げますわ。
——ただ、そのためには。
どうしても、本物が要る。三十七点の写しに対する、三十七点の本歌。売り払われたはずの、メルローズ家の本物たちが。
その晩、私は蔵の「売らない棚」の前に立った。
絹張りの小箱。『ヴィオレッタへ。まだ早い』。
「……お祖母様。そろそろ、『早い』の期限を確認させていただきたいのですけれど」
箱の隣で、テオが奇妙な声を上げたのは、その時だった。
「姐さん——この棚の板、奥行きが合わねえ。外から見た蔵の壁まで、あと三尺はあるはずなのに」
証人はお守りしました。次は、看板の防衛戦ですわ。
訴追免除という紙は、罰を免れるための紙ではございませんの。本当のことを言える場所を作る紙ですわ。
次回、第27話『でしたら法廷ではなく、査定台で決着いたしましょう』——
そして蔵の壁の向こうに、何かがございますの。




