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婚約破棄された公爵令嬢は、下町で質屋を継ぎました 〜ところでその婚約指輪、贋物ですわよ?〜  作者: 朝比奈ミナ


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第25話:『横流しの記録は、十年前から始まっておりましたのね』

 アンナ・モローの身柄は、間一髪だった。


 ジラール警吏長の手の者が公爵邸を張った、その晩のうちに動きがあったのだ。アンナに「実家の母危篤」の偽の報せが届き、迎えと称する見知らぬ馬車が裏門に横付けされた。御者は、消えたはずの鴉の組の若い衆。

 馬車が王都の外へ向かう前に、警吏が止めた。アンナは保護され——馬車の御者は「人違いだった」とだけ繰り返しているという。


「危ないところでしたわ」


 保護先の修道院の面会室で、私はアンナと向き合った。彼女は、五ヶ月前に店へ来た夜よりも、さらに痩せていた。


「……お嬢様。わたくしは、どこから話せば」


「どこからでも。ただ、急がなくて結構ですのよ。今日は聴き取りではございませんの。あなたの身の安全と、それから——お礼を申し上げに参りましたわ」


「お礼……?」


「ええ。四月前、あなたは当店の問いに『わたくしの一存で持ちました』とお答えになった。あの答えがどれほど不自然で、どれほど勇敢だったか、台帳を読み返すたびに思いますの。あなたは嘘の名義を引き受けることで、『暁の雫』の在処を、奥様の手の届かない公の記録の中に置いてくださった。違いまして?」


 アンナの目から、堰を切ったように涙がこぼれた。


「……奥様に、命じられたのです。『首飾りを、足のつかない店で金に換えておいで』と。それで、わたくし……わたくし、考えました。足のつかない店ではなく、一番きちんと記録を残す店に持って行こうと。お嬢様のお店なら、いつか必ず、この子が証拠になってくれると……っ、あの夜会の日から、ずっと、ずっと心苦しくて……お嬢様が盗ってなどいないこと、屋敷の者は皆、分かっておりましたのに……!」


「アンナ。それなら、なお伺いますわ。——お持ちかしら」


 彼女は涙を拭い、震える手で、胸元から油紙の包みを取り出した。


「……奥様は、ご指示を必ず文で下さいました。後で『そんな指示はしていない』と仰る方ですから、わたくし、お護りのつもりで……十年分、ございます」


 包みの中身は、几帳面に日付順に揃えられた、書き付けの束だった。


『東翼の聖母画、来月の虫干しの折に運び出す。釘の打ち直しはジェスパーの者に』

『甲冑、月のない夜に。蔵番には休みを与えておく』

『天秤のドラモンに、急ぎと伝えよ。値は問わない』


 筆跡は、流麗な女文字。署名はない。けれど——蝋封の印は、ユディトの薬指の印章。とん、とん、と扇の柄を叩く、あの指の。


 *


 その夜、三日月堂の帳場で、私は最後の突き合わせを行った。


 左から。アンナの指示書、十年分。

 黄金天秤の顧客名簿、「U・メルローズ」の委託記録。

 祖母の裏台帳、メルローズ家の写しの記録。

 そしてわたくしの鑑定書、贋作三十七点。


 日付を、品目を、一行ずつ、一本の表に編んでいく。


 指示書『聖母画を運び出す』が、霜月の三日。

 名簿の委託受付が、霜月の九日。

 裏台帳の『写し、納まる』が、翌月。

 わたくしの鑑定書が、その聖母画を『写し』と判定。


 一致。一致。一致。一致。

 三十七点のうち、四つの記録が綺麗に鎖で繋がるもの——三十一点。


「……できましたわ」


 十年の横流しが、一枚の表になった。

 誰が命じ、誰が運び、どこで売られ、何とすり替わったか。日付と筆跡と印影と継ぎ目で編んだ、ほどきようのない鎖。


「すげえ……」覗き込んだテオが、息を呑む。「これ、もう、言い逃れできねえじゃん。『家政としての売却』だなんて口が裂けても——指示書に『月のない夜に』とか書いてあるんだぜ」


「ええ。家政は、月のない夜を選びませんものね」


 ただ。

 表を眺めながら、私は一つの違和感を、ずっと噛んでいた。


 十年で、金貨九千枚あまり。

 それだけの金が、ユディトの手元に残っていない。耳元の真珠と装い程度では、九千枚は溶けない。賭場の噂もない。なのに二年前から売り急ぎ、今や結納金も渋り、暁の雫を質に入れてまで三千枚を欲しがった。


 九千枚は、どこへ流れたのかしら。


 この問いの答えだけが、まだ、どの帳面にも載っていない。


「姐さん、考えごと?」


「ええ。……帳尻が、まだ二枚ほど合いませんの。けれど、まずは合っている分から、お支払いいただきましょうね」


 私は表を清書し、写しを三部、作った。

 一部は宝物院へ。一部はジラール警吏長へ。一部は——当店の、蔵の奥へ。


 翌朝、宝物院から急使が来た。

 貴族院の横槍で止まっていたドラモンの供述の件、動いたという。

 ただし、思わぬ方向に。


『ドラモン、面会に来た代理人と接見の後、供述の申し出を撤回。「注文主の名など知らない」と前言を翻す』


 ……口を、塞がれましたのね。

 ならば結構。お口に頼らない立証が、もう、こちらの手元にはございますもの。

十年の嘘、一枚の表に納まりました。残る謎は「九千枚の行方」——これは第2部のお楽しみですわ。


次回、第26話『アンナさん。あなたを罪には、問わせませんわ』——

証人のための、最後の段取りですの。


表が一枚で十年の嘘を畳むのがお好きな方は、評価の☆を。

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