第22話:『復縁ですって? その口約束、査定額ゼロですわ』
「婚約を、やり直さないか」
元婚約者どのの世紀の提案に、店の空気が三秒ほど固まった。
帳場の陰でテオが「は!?」と叫びかけ、自分の口を両手で塞ぐ。よくできました。
「……まあ。それはそれは」
私は帳場に着き、新しい紙を一枚、広げた。
「では、お見積もりをいたしましょうね」
「み、見積もり?」
「ええ。ご提案の品定めですわ。当店、口約束のままではお取り扱いできませんの。——まず、確認から。若様は現在、わたくしの異母妹ロザリーと婚約中でいらっしゃいますわね?」
「あ、ああ……いや、それは、その。解消する。すぐにだ。あんな娘、僕は最初から……き、君への当てつけで、仕方なく」
あらあら。
婚約者を「あんな娘」。口にした瞬間の、自分への言い訳まで透けて見える。五ヶ月前、夜会の壇上でロザリーの肩を抱いていた手つきまで、私は記録しているのですけれど。
「次。婚約破棄の事由とされた『家宝盗難の濡れ衣』について、ファルジェ家として撤回と謝罪のご用意は?」
「そ、それは……父上と相談を……いや、する! 僕が、責任を持って……」
「最後に。失礼ながら、ファルジェ家のご家計について。あの金剛石の指輪が硝子に替わった経緯を、若様はご存じでして?」
クレマンの顔から、作り込んだ微笑が剥がれ落ちた。
「……し、知っていたのか」
「王都中が存じておりますわ。当店の第一号の査定でしたもの」
彼は、しばらく俯いていた。それから絞り出された声は、もう取り繕いを諦めていて——その分だけ、ほんの少しだけ、正直だった。
「……家は、もう駄目だ。父上が事業に注ぎ込んで、領地は抵当だらけで。メルローズ家との縁組みだけが頼みの綱だったのに、そっちも……ユディト夫人が、結納の話になると、のらりくらりと……。なあ、ヴィオレッタ。君は今や、王家お墨付きの鑑定人だろう。君となら、僕は、やり直せる。君の稼ぎと名声があれば、ファルジェ家は——」
「はい、お見積もり、出ましたわ」
私は紙を、くるりと彼に向けた。
「ご提案の内訳。①ロザリーとの婚約解消——未履行の口約束。②濡れ衣の撤回——他人任せの口約束。③そして肝心の動機が——わたくしの稼ぎと看板。以上より、ご提案『復縁』の査定額——」
算盤を、ぱちん、と一つ。
「ゼロ。ですわ」
「な……っ」
「あら、お安い理由を申し上げましょうか。五ヶ月前、あなたは衆目の前でわたくしを『盗人』と呼び捨てました。あの日のあなたの言葉が無価値だったのなら、今日のあなたの言葉も同じ相場ですの。通貨は、発行元の信用で値が決まりますのよ、若様」
クレマンは、口を二、三度開け閉めした。
反論は、出てこなかった。出てくるはずがない。彼自身、自分の言葉の相場を、誰より知っているのだから。
「……君は、変わったな」
「いいえ。あなたが、見ていなかっただけですわ」
彼は、来た時より小さくなって、扉口へ向かった。
その背に、私はひとつだけ、声を掛けた。商売の信義として。
「若様。最後に、無料の助言をひとつ」
「……なんだ」
「ユディト夫人が結納話をはぐらかすのは、嫁入り支度の金子が惜しいからではございませんわ。あの方の金庫は、もう空ですの。沈む船同士で帆を結べば、早く沈むだけ。ロザリーとの婚約を解消なさるなら、当てつけでも打算でもなく——あの子が沈む前に、なさいませ」
クレマンは振り返らなかった。けれど、扉を閉める手つきだけが、来た時よりずっと、静かだった。
*
「——あー、もう! 姐さん、なんで蹴っ飛ばさねえんだよ、あんな奴!」
「蹴る価値の査定も、ゼロでしたもの」
とはいえ、収穫はあった。
ファルジェ家は破産寸前。ユディトは結納金すら出し渋る。そして公爵家の婚約という最後の見栄も、ほどけかけている。
川の水位は、もう堤の縁まで来ている。
果たして、三日後。マルゴさんが、下町の早耳を抱えて駆け込んできた。
「お嬢、来たよ。メルローズ公爵家——債権者が動いた。あの黄金天秤の資産凍結のあおりさ。商会に金を貸してた銀行筋が、貸し剥がしに回って、公爵家の借財も一斉に査定し直しになった。それで、それでね」
女将は、一度息を吸った。
「債権者団が、公爵家の蔵の検めを要求した。担保価値の再査定だとさ。それで宝物院に、正式な鑑定依頼が出た。——指名は、『指定鑑定所・三日月堂』」
……あら。
あらあら、まあ。
実家の蔵を、わたくしが、公式の書面を持って検める。五ヶ月前、盗人と呼ばれて追い出された門を、今度は鑑定人として潜るのだ。
「お受けいたしますわ」
私は片眼鏡を仕舞い、立ち上がった。
「支度なさい、テオ。里帰りですわよ」
本日も帳場までお越しくださいまして、ありがとう存じます。
復縁のお見積もり、無事ゼロで確定いたしました。
次回、第23話『お父様の蔵から、贋物が三十七点出てまいりましたわ』——
五ヶ月ぶりの、わが家でございます。




