第21話:『顧客名簿の「U夫人」……ずいぶん羽振りがよろしいこと』
黄金天秤の崩壊は、王都の市場を三日三晩、揺らし続けた。
男爵は収監。商会の資産は凍結。競売で贋作を掴まされた客たちの訴えが商務省に山を成し、北の工房からは連日、新しい押収品の報せが届く。傘下で甘い汁を吸っていた仲買や鑑定人たちは、蜘蛛の子のように散った。
——ついでに申し上げると、組合の除名議決は商務省の再審査で「無効」と裁定され、ボナール氏が菓子折を抱えて謝罪に見えた。菓子は美味しゅうございました。
そして、わたくしの手元には、写しが一冊。
宝物院が押収した、黄金天秤の顧客名簿。証拠としての原本は宝物院の金庫に。けれど「指定鑑定所の調査資料」として、写しの閲覧が許されている。
「『U・メルローズ』……委託、十年間で四十三件」
帳場の灯りの下、私は一行ずつ、突き合わせていった。
左手に名簿の写し。右手に、祖母の裏台帳。
名簿『聖母画。委託、金貨四百枚にて落札』——裏台帳『東翼の間の聖母画。写し』。
名簿『甲冑一領。金貨二百六十枚』——裏台帳『大広間の甲冑。写し』。
名簿『真珠の頸飾り』——裏台帳『先代夫人の真珠の頸飾り。写し』。
一致。一致。一致。
四十三件のうち、裏台帳に対応する「写し」の記録があるもの、三十八件。
つまり、こういうことだ。
お義母様は十年間、メルローズ家の本物を黄金天秤で売り、蔵には写しを納め続けた。売上は、しめて金貨九千枚あまり。公爵家の年間の家政費に匹敵する額が、夫人の私的な委託として、闇に流れた。
「……ずいぶん、羽振りがよろしいこと」
ただし、名簿は教えてくれる。その羽振りが、二年前から急に細っていることも。委託の間隔が狭まり、一件あたりの品の格が上がり——最後は『蒼玉の首飾り。委託予定。未着』。
売り急ぎ、である。質屋の帳場で毎日見ている、あの「川が詰まった」人間の筆跡だ。あの羽振りの金は、どこかに消え続けている。装いか、賭けか、それとも——誰かへの、支払いか。
「姐さん、それで、どうすんの」テオが帳場越しに名簿を覗き込む。「これだけ揃ってりゃ、もう訴えられるんじゃねえの? 悪いのは継母! はい決まり! って」
「半分だけ、正解ですわ」
私は名簿を閉じた。
「名簿が証すのは『U・メルローズが品を委託した』ことまで。あちらの言い逃れは、目に見えますもの——『家政を任された夫人として、当家の品を売却したまで。蔵の写しなど存じません』。家の品の処分権は、当主夫妻にございますの。横流しを罪にするには、すり替えと隠蔽の意思を証さねばなりませんわ」
「うへえ……ややこしい」
「ええ。ですから順番が大事ですの。外堀、内堀、本丸。焦った川は、必ず溢れますわ。溢れるまで、こちらは台帳を揃えて待つ——」
からん、と。
店の鈴が鳴った。
扉口に立っていたのは、仕立てだけは良い外套を着た青年だった。
金の髪。整った顔。その顔に、覚えがありすぎる。
「……久しいな、ヴィオレッタ」
クレマン・ファルジェ。元・婚約者どのが、五ヶ月ぶりに、私の前に立っていた。
「これは、ファルジェ侯爵家の若様。ようこそ三日月堂へ。本日は質入れ? お買い取り? それとも——銅貨三枚の指輪の修理かしら」
クレマンの頬が、ひくりと動いた。けれど彼は、怒鳴らなかった。怒鳴る代わりに、痛々しいほど作り込んだ微笑を浮かべたのだ。
その瞬間、私は理解した。
ああ。この方、お金がないのね。
「……今日は、その、詫びに来たんだ。あの夜会でのことは、僕も、騙されていたというか……君の本当の価値を、見誤っていたというか……」
価値。
はい、出ました。出ましたわね、その言葉。
「立ち話もなんだろう。近々、食事でも——その、二人で、ゆっくり……」
「若様。当店は質屋ですの。ご用件は、品物でお願いいたしますわ」
クレマンは咳払いをひとつして、居住まいを正した。
そして、世にも図々しい台詞を、世にも真剣な顔で言った。
「——ヴィオレッタ。婚約を、やり直さないか」
帳尻の合わない川は、いちばん低いところに流れ込むもの。当店の敷居は、低うございますから。
次回、第22話『復縁ですって? その口約束、査定額ゼロですわ』——
元婚約者様の、お見積もりですわ。
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