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婚約破棄された公爵令嬢は、下町で質屋を継ぎました 〜ところでその婚約指輪、贋物ですわよ?〜  作者: 朝比奈ミナ


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第2話:『差し押さえ札に、不備が三つございますわ』

 差し押さえ札というものは、本来、裁判所か債権者組合の認可を受けて貼られる、れっきとした法的書面である。

 ところが目の前のこれは、どうだろう。


「不備、一つ目」


 私は雨上がりの軒下で、片眼鏡を光らせた。


「債務者の名が『エルマ・クロッシュ』。けれどお祖母様は生前、借金というものを一度もなさらなかった方。むしろ下町中に貸しがある側ですわ。存在しない債務の差し押さえは、紙くずですらありませんの」


 不備、二つ目。押された印章が、債権者組合の登録印ではなく、五年前に廃番になった旧式の意匠。

 不備、三つ目。引用された根拠条文が、二度の改正より前の古いもの。


「つまりこれは、法律書を読んだことのない方が、雰囲気でお作りになった『差し押さえ札という名の脅し文』ですわね。査定、確定いたしましたわ。——価値、ゼロ」


 私は札の端をつまみ、丁寧に剥がした。破りはしない。これは後々、立派な「証拠品」になる紙だ。


 鍵穴に祖母の遺してくれた鍵を差し込む。古い錠が、かちりと素直に開いた。

 半年ぶりに開く三日月堂の店内は、埃の匂いと、それでも消えない祖母の気配がした。飴色の帳場。使い込まれた算盤。壁一面の、空の質草棚。


「……ただいま戻りました、お祖母様」


 そのときだった。

 背後の気配。私の外套の隠しに、するりと細い手が伸びる。


「お財布でしたら、右の隠しではなく左ですわよ」


「っ……!?」


 振り向くと、煤けた上着の少年が、飛び退いて私を睨んでいた。歳の頃は十二、三。痩せているのに、目だけが猫のように光っている。


「……なんで分かった」


「あなた、手は一流ですけれど、足音を消すときに床板の鳴る場所を二箇所、踏み外しましたわ。この店の床、張り替えてあるのは帳場の前だけですもの」


「…………あんた、何者だよ。ばあちゃんの店に勝手に入って」


 ばあちゃん、と言った。

 私は片眼鏡を外し、少年に向き直った。


「エルマ・クロッシュの孫、ヴィオレッタですわ。遺言により、本日からこの店の女主人。——あなたこそ、どなた?」


 少年は警戒した猫の顔のまま、それでもぽつりと答えた。


「テオ。……ばあちゃんに、世話になってた。死んじまってからは、店の見張り。変な奴らが、何度も札を貼りに来やがるから」


 剥がしては、貼られ。剥がしては、貼られ。この半年、誰に頼まれたわけでもなく、この子は一人で店を守っていたらしい。

 雇い入れの査定は、一瞬で済んだ。


「テオ。今夜から屋根の下でお休みなさいな。賄いつき。給金は出来高ですわ」


「は!? お、俺は別に——」


「店の見張りという労働には、対価が支払われるべきですの。半年分は追って精算いたしますわ。——それと」


 私は彼の目を、まっすぐに見た。


「その手癖は、今日で店じまい。あなたの目と手は、もっと値打ちのある使い方がございましてよ」


 *


 夜半。店の掃除がようやく一区切りついた頃、表の戸が遠慮がちに叩かれた。

 立っていたのは、つぎの当たった外套の婦人だった。年の頃は五十。手が、震えている。


「夜分にごめんなさいよ……明かりが見えたものだから。ここ、エルマさんの店、また開くのかい」


「本日より。——どうぞ、お入りになって」


 婦人はポレットと名乗った。仕立て物で暮らす未亡人。話は、白湯が冷めるより先に終わってしまうほど、単純で、ひどいものだった。


「亭主の形見の指輪をね、ガロ商会に質入れしたんだ。期限は来月のはずだった。利息だって、欠かさず払ってた。なのに昨日行ったら——『もう流れた』って」


「質札は、お持ち?」


 差し出された札を、私は片眼鏡で検分した。

 ……まあ。まあ、まあ、まあ。


「ポレットさん。利息はどなたに、どうやって?」


「店の若いのに、毎月手渡しで。受け取りなんてくれたことはないよ。下町じゃ、どこもそんなもんさ」


「結構。十分ですわ」


 私は質札を婦人に返し、帳場の算盤を、指先で一つ弾いた。

 パチン、と。

 半年眠っていた店に、商いの音が戻る。


「三日月堂、最初のご依頼として承りますわ。お代は——そうですわね。今後、お針仕事をひとつお願いするかもしれません。それで相殺」


「で、でも、相手はあのガロ商会だよ。エルマさんが死んでから、この界隈の質屋はみんなあそこの言いなりで……」


「あら。奇遇ですこと」


 私は、剥がしておいた例の差し押さえ札を、帳場の上にひらりと置いた。


「わたくしも丁度、ガロ商会さんに伺いたいことが一山ございましたの。——明朝、参りますわ。お形見は、わたくしが取り戻します」


お読みいただき、ありがとうございます。

三日月堂、従業員一名(見習い)を採用いたしました。


次回、第3話『元利合計・金貨二百枚、一括でお支払いになって?』——

開店最初の取り立て……いえ、査定にまいります。


ブックマークと評価(☆☆☆☆☆)は、当店の暖簾への何よりの『出資』ですわ。

利息は次話で、必ずお返しいたします。


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