第1話:『その婚約指輪、査定額・銅貨三枚ですわ』
三日月堂へ、ようこそお越しくださいました。
世の中には、嘘に高い値札がつき、
本物が二束三文で買い叩かれることが、ままあるようでございます。
この物語は、「家宝泥棒」の濡れ衣で捨てられた公爵令嬢が、
下町の質屋の帳場から、皆様の嘘を一点ずつ査定し直すお話ですわ。
それでは——開店いたします。お品物を、拝見いたしましょう。
婚約破棄の口上を聞き流しながら、私は会場の宝飾品を査定していた。
シャンデリアの下、着飾った紳士淑女のお召し物と装身具——総額、ざっと金貨二万枚。
ただし、その四割は贋物ですわ。
「ヴィオレッタ・メルローズ! 聞いているのか!」
あら、いけない。つい癖で。
声を張り上げているのは、私の婚約者——ファルジェ侯爵家の嫡男、クレマン様である。その腕には、私の異母妹ロザリーが、春の小鳥のように身を寄せていた。
「貴様との婚約は破棄する! 理由は言うまでもない。メルローズ家の家宝『暁の雫』を盗み出し、あろうことか質に入れた、その卑しい性根だ!」
卒業夜会の会場が、さざ波のようにどよめいた。
壁際では継母のユディト様が、レースのハンカチを目元に当てている。涙は、見えない。
そして父——メルローズ公爵は、私を見ようともしなかった。
「お姉様……わたくし、信じたくありませんでしたの。でも、お姉様のお部屋から質札の写しが出てきたと聞いて、わたくし、わたくし……っ」
ロザリーが声を震わせる。健気な妹を演じる声の、その奥にある勝ち誇った響きまでは、化粧で隠せていない。
私は扇をゆっくりと閉じた。パチン、と乾いた音が鳴る。
「一点、確認させてくださいまし。——その質札、どちらのお店の、何番のお札ですの?」
「な、なに……?」
「質入れには、必ず質札と台帳が残りますのよ。店名、番号、品目、貸付額、期限。王国質商法で定められた記載事項ですわ。『写し』をご覧になったのでしたら、当然お答えになれますわね?」
クレマン様の目が泳いだ。ロザリーの睫毛が、ぱちぱちと二度瞬く。
「し、下町の……いかがわしい店だと聞いた! 店の名など、貴族が覚えるものか!」
「まあ。店名のない質札。番号のない台帳。——ずいぶんと珍しいお品ですこと。それこそ質草になりますわよ、『存在しない証拠』という骨董品として」
会場の隅で、誰かが小さく咳き込んだ。笑いを噛み殺した音だった。
そこで初めて、父が口を開いた。低く、冷たい声で。
「……見苦しいぞ、ヴィオレッタ。言い逃れる気か。お前という娘は、昔から金勘定ばかりで、可愛げというものがない。今この場をもって、お前を勘当する。二度とメルローズの名を名乗るな」
証拠の確認もなさらずに、結論だけはお早いこと。
けれど不思議と、胸は痛まなかった。この家での私の値打ちなど、とうの昔に確定していたのだ。本日はただ、その査定書が読み上げられたにすぎない。
「承知いたしましたわ。では、お返しするものをお返しいたします」
私は左手の手袋を外し、婚約指輪を抜き取った。
ファルジェ家三代に伝わるという、金剛石の指輪。窓からの月明かりに、ふとかざす。
——あら。
私は胸元から、銀鎖のついた片眼鏡を取り出した。亡き祖母の形見。物の値打ちを量るときの、私の癖だ。
レンズ越しに、指輪をひと回し。
「クレマン様。この金剛石、硝子ですわ」
「…………は?」
「正しくは、鉛硝子。重さが足りませんし、縁にこすり傷がございます。金剛石は、硝子では傷つきませんのよ。それから台座——金鍍金の縁に、緑青が浮いておりますわ。芯は銅ですわね」
私は片眼鏡を外し、にっこりと微笑んだ。
「査定、確定いたしましたわ。——銅貨三枚。お情けを乗せて、五枚でもよろしくてよ」
会場が、今度こそ凍りついた。
三代に伝わる家宝の金剛石が、銅と硝子。それが意味するところを、この場の全員が理解するまで、三つ数えるほどもかからなかった。
「で、では本物は……本物は、どこに……」
クレマン様ご本人が、一番ご存じないらしい。お気の毒に。
「さあ。ですけれど、ひとつだけ確かなことがございますわ。質札も台帳も残さずに消える宝石など、この世にございませんの。お探しになるなら、まず流質台帳——ああ、これは公開記録ですのよ。盗んだ盗まないと騒ぐより、よほど確かな読み物ですわ」
誰かを名指しはしなかった。する必要もない。
ユディト様のハンカチが、目元からすっと下がった。その奥の瞳が、一瞬だけ——ほんの一瞬だけ、冷たく私を測った。
ええ、継母上。私も今、あなたを査定しておりますの。
「く、口の減らない女だ! 出ていけ! 貴様のような女、どこの家も拾わん!」
「ご心配なく」
私はドレスの隠しから、一通の封書を取り出した。半年前に亡くなった母方の祖母——下町の質屋の女主人だったエルマお祖母様の、遺言状。
『物の値打ちのわかる者に、店を遺す。ラトン街三番地、質屋・三日月堂。——ヴィオレッタへ』
「家は結構ですわ。私には、暖簾の相続がございますもの」
「……質屋だと? 公爵家の娘が、下町で質屋……!」父が吐き捨てる。「恥を知れ!」
「あら、お父様」
私は、生まれて初めて、父の目をまっすぐに見て笑った。
「嘘に値札をつけて着飾るより、よほど正直な商いですわ。——皆様の『お値打ち』は、本日しかと査定させていただきました。異議がございますなら、いつでも当店へ。利息をつけて、承りますわ」
完璧な角度のカーテシーをひとつ。
私は顔を上げ、誰の顔も二度と見ずに、会場を出た。
*
その夜のうちに、辻馬車を乗り継いで王都の東——ラトン街へ。
石畳は欠け、軒灯は半分が消えている。雨上がりの路地の角、三日月の看板を掲げた小さな店が、私の相続財産だった。
三日月堂。
幼い頃、母に手を引かれて通った、世界でいちばん面白い宝物庫。
ただいま帰りました、お祖母様。
——そう呟きかけて、私は扉の前で足を止めた。
扉に、真新しい紙が貼られている。
『差押。本物件ハ債務ノ抵当トシテ、ガロ商会ガ占有スル』
まあ。
私は片眼鏡を着け、その紙を隅から隅まで、たっぷり三十秒かけて検分した。
日付、署名、印章、根拠条文。——ふふ。ふふふ。
「……早速、贋物の匂いがいたしますわね」
お祖母様の店に、嘘の値札を貼った方がいらっしゃる。
でしたら、開店最初のお仕事は決まりですわ。
「査定を、始めましょうか」
お読みいただき、誠にありがとうございます。
三日月堂、本日開店いたしました。
次回、第2話『差し押さえ札に、不備が三つございますわ』——
下町の店先で、最初のお客様と、最初の「贋物」をお迎えいたします。
ブックマークと評価(☆☆☆☆☆)は、当店の暖簾への何よりの『出資』ですわ。
利息は次話で、必ずお返しいたします。




