第10話:『その蒼玉——『暁の雫』は、わたくしの冤罪そのものですわ』
「お預かりの、ご依頼ですのね。どうぞ、お入りになって」
侍女は、何度も後ろを振り返ってから、店に入った。
帳場の絹布の上に、包みが置かれる。布がほどかれた瞬間、店の灯りが全部、その中に吸い込まれた。
蒼玉の首飾り。
雫の形に磨かれた大粒の蒼玉を、細かな金剛石が暁の光のように取り巻いている。
『暁の雫』。
メルローズ公爵家の家宝。そして——わたくしが盗んだことになっている、あの首飾り。
「……お名前を、頂戴できるかしら」
「ア……アンナ・モローと、申します」
知っている。
名乗られなくても、知っている。私が幼い頃から、あの屋敷で継母付きの侍女頭を務めている人だ。母の代から仕えていた、数少ない古株。あちらも当然、私が誰か気づいている。気づいていて、目を合わせない。
さて。
ここで「お久しぶりね、アンナ」と言うのは簡単だ。けれどそれをした瞬間、この取引は「私情」になる。私情は、記録の敵だ。
私は片眼鏡を着けた。
「査定を、始めますわ」
手袋を替え、首飾りを検分する。
石の腰、彩の海、金剛石の刻面の仕事、留め金の細工銘。——間違いない。写しではない。本物の『暁の雫』だ。
卒業夜会の夜、「盗まれて、下町のいかがわしい質屋に消えた」と言われたこの首飾りが、いま、本当に下町の質屋の帳場の上にある。よりにもよって、私の店の。
笑いたいような、泣きたいような。
……いいえ。今は、記録ですわ。
「お預かり質として承りますわ。貸付のご希望額は?」
「か、金貨……三千枚、と。主から、そう……」
あら。ご自分で「主」と仰いましたわね。
三千枚。下町の質屋には法外。けれど黄金天秤が傾いた今、王都の表の競売には出せず、裏の換金路も細った。だから急場の金策に、よりにもよって「一番関係のない顔をした店」を選んだ——そんなところかしら、お義母様。
「結構ですわ。では、お手続きを」
私は台帳を開き、声に出して読み上げながら、一字一字、記入した。
「品目、蒼玉の首飾り一連。お預かり評価額、金貨九千枚。貸付、金貨三千枚。利息、月一分。期限、三月後の同日。名義——アンナ・モロー様」
「は、はい……」
「アンナ様。質商法の定めにより、確認いたしますわ。このお品は、あなた様ご自身の持ち物、もしくは正当な処分権をお持ちのお品ですか?」
侍女の喉が、ひゅ、と鳴った。
長い、長い沈黙。私は急かさない。この問いと、この沈黙の長さこそが、本日いちばんの記録だからだ。
「……はい。わたくしの、一存で、お持ちしました」
「承りました。ただいまの問答も、台帳の備考欄に記載いたしますわね」
質札を切り、金貨の手形を渡す。
アンナの指が、それを受け取りながら、震えて止まらない。彼女は出口で一度だけ立ち止まり、消え入るような声で言った。
「……お嬢様の、お幸せを……ずっと、お祈り申し上げて、おりました……」
鈴の音。
逃げるような足音が、夜の路地に消えていく。
「……姐さん」帳場の陰から、テオがそっと顔を出した。「今の、何だったんだ? 姐さん、ずっと顔が——査定の顔のまんまだった」
「テオ。蔵の、一番頑丈な保管箱を」
私は『暁の雫』を絹布で包み直した。
「この子は質草ではなく、証拠ですわ。わたくしの冤罪が、向こうから歩いて店に来てくださったの。名義、日付、経緯、全て台帳に載った状態でね」
*
翌日の昼下がり。
からん、と乱暴に鈴を鳴らして、その男は店に入ってきた。
灰色の髪。本物の金剛石の指輪。供も連れず、絹の笑顔も持たず。
「これはこれは、ドラモン男爵。当店までわざわざ——」
「下町の目利きごっこは、ここで終いだ」
低い声だった。下見会の絹は、もうどこにもない。
「ガロの件は見逃した。組合の件も、可愛い悪戯だ。だがな、嬢ちゃん。昨日からうちの『仕入れ筋』が妙に騒がしい。北の工房の周りを、嗅ぎ回る鼠がいるそうだ。——お前のところの、すり上がりの小僧だな?」
テオの肩が、強張った。私は半歩、前に出る。
「当店の従業員の散歩道まで、ご指図いただく謂れはございませんわ」
「忠告だよ、最後の。店を畳んで、王都から出ろ。今なら路銀くらいは持たせてやる。目の良すぎる人間は、この街では長生きしない。お前の祖母さんは、その点だけは賢かった——死ぬまで、黙っていたからな」
……あら。
あらあら。男爵様。
「いまの仰りよう、まるで祖母が何かをご存じだったかのようですわね?」
男爵の眉が、ぴくりと動いた。言質は取らせない程度には、彼も商売人だ。だが目の奥の揺れは、片眼鏡がなくとも査定できた。
「……三日やる。賢い答えを出せ」
彼は踵を返し、扉口で止まり、振り向きざまに吐き捨てた。
「返事がなければ、次は忠告ではない」
鈴が、乱暴に鳴って、静かになった。
「……ね、姐さん。どうすんの」
「決まっておりますわ」
私は帳場の算盤を引き寄せ、珠を、ぱちん、と一つ弾いた。
「ご忠告の査定額——ゼロ。返事は『査定台の上でお待ちしております』と、そう書いてお返ししますの」
お読みいただき、ありがとうございます。
第1章「開店編」、これにて閉幕。お相手の顔ぶれが、出揃いましてございます。
次回、第11話『盗品の押し売りは、お断りしておりますの』——
第2章「黄金天秤編」、開戦ですわ。
ブックマークと評価(☆☆☆☆☆)は、当店の暖簾への何よりの『出資』ですわ。
利息は次話で、必ずお返しいたします。




