第7話 消えた神童
第7話 消えた神童
学院の正門に近づくと、門番の騎士が二人を見つけて駆け寄ってきた。
「セリア様!」
「ご無事ですか!」
「訓練区域から大きな反応がありました。今、教師陣が確認に向かっています」
「私は無事よ」
セリアはそう言ってから、隣のレイを指した。
「この人を学院へ入れるわ」
門番の騎士はレイを見た。
泥だらけの服。
腰の刀。
左腕にうっすら残る赤黒い紋様。
そして、どこか見覚えのある顔。
片方の騎士が、はっと息をのんだ。
「まさか……」
レイは苦笑した。
「できれば、まさかで止めてくれるとありがたい」
「レイ・アストラル……?」
その名が出た瞬間、もう一人の騎士の顔色も変わった。
正門の空気が、一気に重くなる。
セリアは二人の反応を見て、やはり、と確信した。
彼は本当に、二年前に消えた神童だ。
「学院長に取り次いで」
セリアは静かに言った。
「この人から、事情を聞く必要があるわ」
「しかし、セリア様。外部の者を学院内へ入れるには」
「私が連れてきた。責任は私が持つわ」
「ですが」
「それに」
セリアは少しだけ声を低くした。
「訓練区域に上位個体が出たのよ。しかも、通常の魔物ではなかった。門前で手続きをしている場合ではないわ」
騎士たちは互いに顔を見合わせた。
その間に、レイは小声でセリアに言う。
「王族って便利だな」
「便利扱いしないで」
「助かってる」
「なら余計なことを言わない」
「はい」
「返事は一回」
「今、一回だっただろ」
「口答えも一回まで」
「厳しすぎる」
レイが小さくぼやくと、セリアはほんの少しだけ口元を緩めた。
それを見た門番の騎士たちは、さらに驚いたような顔をする。
泥だらけの少年とセリアが自然に言葉を交わす。
それだけで、門前には奇妙なざわめきが生まれた。
やがて正門が開く。
重い鉄の扉に刻まれた魔法文字が、青白く光った。
学院の結界が、来訪者を識別する。
レイが門をくぐろうとした瞬間。
左胸の雷命紋が、どくん、と脈打った。
「っ……」
視界が一瞬だけ赤く染まる。
耳の奥で、雷鳴が鳴った。
遠い記憶。
焼ける魔力回路。
誰かの叫び声。
黒い核。
そして、自分の心臓に刻み込まれた雷。
「レイ?」
セリアの声で、意識が戻った。
彼女がすぐ隣でこちらを見ている。
怒っている顔ではない。
心配している顔だった。
レイはそれを見て、少しだけ困った。
「大丈夫」
「またそれ?」
「今回は本当に大丈夫」
「信用できないわね」
「信用を積み立てるところから始めるよ」
「まず借金を返しなさい」
「何の?」
セリアはじっとレイを見た。
そして、顔を赤くしながら言った。
「さっきの無礼」
「……すみませんでした」
「よろしい」
門番の騎士が咳払いをした。
レイは気まずそうに視線を逸らす。
学院内に入ると、すぐに生徒たちの視線が集まった。
訓練服の一年生。
校舎へ向かう上級生。
魔法文字の板を抱えた教師見習い。
全員が、セリアと、その隣にいる少年を見ている。
「セリア様が誰か連れてる」
「誰だ、あいつ」
「見たことない制服だな」
「でも、門の結界が反応してたぞ」
「待って。あの顔、どこかで……」
ざわめきが広がっていく。
学院中へ燃え広がる火種のように。
レイは小さく息を吐いた。
「目立つな」
「今さら?」
「俺は静かに生きたいんだけど」
「あんな雷を落としておいて?」
「静かな雷もあるかもしれない」
「ないわ」
「断言された」
その時、校舎の方から一人の男性が歩いてきた。
黒い教官服。
鍛えられた体格。
短く刈った髪に、鋭い目。
生徒たちが慌てて道を開ける。
「セリア様」
男はまずセリアに頭を下げた。
「ご無事で何よりです。訓練区域の異常反応について報告を」
「報告はするわ。けれど、その前に」
セリアはレイを見た。
男の視線も、そこでレイへ移る。
数秒の沈黙。
男の目が細くなる。
「……レイ」
「お久しぶりです、ガルド教官」
レイは少しだけ気まずそうに頭を下げた。
ガルド教官。
二年前、レイが学院にいた頃に実戦訓練を担当していた教師だ。
ガルドはしばらくレイを見ていた。
驚き。
怒り。
安堵。
そのどれもが混じった複雑な表情だった。
「生きていたのか」
「一応」
「一応で済ませるな。二年間、何の連絡もなく消えておいて」
「すみません」
「謝るなら、もっと早く戻ってこい」
「戻る予定はなかったんですけど」
「なら、なぜ今ここにいる」
レイは横目でセリアを見た。
セリアは腕を組んで、きっぱりと言った。
「私が連れてきました」
ガルドの眉がぴくりと動く。
「セリア様が?」
「ええ。私に無礼を働いた罰として」
「……無礼?」
ガルドの視線がレイへ向いた。
レイはすぐに首を振った。
「事故です」
「何をした」
「事故です」
「何をした」
「本当に事故です」
セリアの顔が赤くなる。
「そこは今どうでもいいでしょう!」
ガルドは一瞬だけ沈黙し、それ以上聞かないことにした。
「分かりました。では、訓練区域の件を優先します」
ガルドは表情を引き締める。
「上位個体が出たという報告は本当ですか」
「本当よ。通常の魔物ではなかったわ」
「倒したのは?」
セリアは一瞬だけ黙った。
悔しさが胸の奥を刺す。
自分は負けた。
殺されかけた。
そして、この少年に助けられた。
それを認めるのは、悔しい。
けれど、嘘をつく気はなかった。
「レイよ」
周囲の生徒たちがざわついた。
レイ。
その名前を聞いて、何人かの上級生が顔を見合わせる。
二年前に消えた神童。
ガルドは深く息を吐いた。
「……そうか」
「教官」
レイが静かに言った。
「魔物の核が変でした。普通の暴走じゃない」
「見たのか」
「少しだけ」
「詳しく聞く必要があるな」
ガルドは正門の方へ視線を向けた。
すでに別の教師たちが訓練区域へ向かっている。
学院内の結界も、異常を感知して淡く光を帯びていた。
「セリア様、治療室へ」
「私は事情聴取に」
「治療室へ」
「怪我は大したことないわ」
「治療室へ」
ガルドの声は穏やかだったが、拒否を許さない響きがあった。
セリアは悔しそうに唇を結ぶ。
レイは思わず小さく笑った。
「何がおかしいの?」
「いや、君にも勝てない相手がいるんだなって」
「覚えておきなさい」
「はい」
「返事は一回」
「だから一回だって」
ガルドがまた咳払いをした。
「仲がよろしいようで」
「違います!」
セリアの声が学院の中庭に響いた。
生徒たちのざわめきが、さらに大きくなる。
レイは空を見上げた。
これはもう、静かに済ませるのは無理だ。
分かってはいた。
だが、ここまで早く騒ぎになるとは思っていなかった。
ガルドはレイの左腕を見る。
袖の下から、わずかに赤黒い線が覗いていた。
その表情が、さらに険しくなる。
「レイ。お前も来い」
「治療室ですか?」
「違う。学院長室だ」
レイは苦笑した。
「復帰初日に学院長室ですか」
「お前はまだ復帰していない」
「なら不法侵入ですかね」
「セリア様が連れてきた以上、そうはならん。だが事情聴取は避けられない」
「ですよね」
ガルドは背を向け、歩き出した。
セリアは救護担当の教師に連れていかれながらも、レイを睨む。
「逃げないでよ」
「逃げないって」
「本当に?」
「君、俺を何だと思ってるんだ」
「勝手に助けて、勝手に倒れて、勝手に変なところに触れて、勝手に平気なふりをする人」
「だいぶ印象が悪いな」
「事実よ」
「反論できない」
セリアは少しだけ満足そうに頷いた。
「後で全部聞くから」
「はいはい」
「返事は」
「はい」
今度は素直に一回だけ返した。
セリアはそれを確認してから、治療室へ向かって歩いていく。
その背中を見送りながら、レイは小さく息を吐いた。
厄介な相手に見つかった。
でも、不思議と嫌ではなかった。
「行くぞ、レイ」
ガルドの声が飛ぶ。
レイは学院の塔を見上げた。
二年前、ここから消えた。
二度と戻らないと思っていた。
だが今、門は開いている。
雷命紋は胸の奥で静かに脈打っている。
まるで、この場所を覚えているかのように。
「……ただいま、でいいのかな」
小さく呟いた言葉は、誰にも届かなかった。
だが次の瞬間。
中庭の向こうから、誰かが声を上げた。
「レイ・アストラル……?」
その名が、波紋のように広がっていく。
「消えた神童だ」
「二年前の?」
「本物なのか?」
「雷の……」
ざわめきが膨らむ。
噂は人の口を渡り、廊下を走り、教室へ飛び込み、塔の上まで駆け上がっていく。
レイ・アストラルが戻ってきた。
二年前に消えた神童が。
雷だけを残して消えた少年が。
王立セレスティア詠紋学院に、帰ってきた。
レイはその騒ぎの中心で、困ったように笑った。
「……静かにするの、やっぱり無理だったな」
空の奥で、遠い雷が鳴った。
その音に呼応するように、胸の奥で雷命紋が微かに疼いた。




