第5話 言うことを一つ
◇
次にレイが感じたのは、柔らかな温もりだった。
頭の下に、何かがある。
地面ではない。
誰かの膝の上に、頭を預けている。
「しっかりしなさい!」
声が聞こえた。
レイは答えようとした。
けれど、意識はまだ霧の中に沈んでいる。
セリアは息を乱しながら、レイの左腕を見ていた。
赤黒い線が、まだ指先まで残っている。
普通の魔法文字ではない。
学院で学んだどの紋様とも違う。
「何なの、これ……」
レイは答えない。
浅い呼吸を繰り返すだけだった。
セリアは水紋を描こうとして、すぐに手を止める。
下手に魔力を流せば、あの赤黒い紋様がどう反応するか分からない。
「勝手に助けて、勝手に倒れて……本当に何なのよ」
セリアが小さく呟いた、そのとき。
レイの右手が動いた。
痛みの中で、何かを探すように。
その手が、セリアの胸元に触れた。
「……っ」
セリアの身体が固まる。
レイの手は、すぐには離れない。
彼はまだ、状況を理解していない。
自分がどこにいて、誰の膝の上にいて、どこに触れているのかも分かっていない。
だが、セリアにとってはそれどころではなかった。
「ちょ、ちょっと……」
声が震える。
顔が一気に熱くなる。
「どこに触れてるのよ!」
その声で、レイの瞳が僅かに開いた。
ぼやけた視界。
赤くなって怒っているセリアの顔。
自分の右手。
そして、その位置。
全てを理解した瞬間、レイの顔から血の気が引いた。
「ち、違う!」
「何が違うのよ!」
「いや、違わないけど違う! 本当にごめん!」
「完全に触ってたでしょう!」
「意識が朦朧としていて、本当に状況が分かってなかった!」
「だからって許されると思ってるの!?」
「思ってない! 本当にごめん。二度と――」
そこで、レイの言葉が途切れた。
左胸の雷命紋が、再び赤黒く脈打つ。
「っ……!」
レイは顔を顰め、左腕を押さえた。
指先まで伸びた赤黒い線が、まだ消えていない。
「……ちょっと」
セリアの声から、怒りが少しだけ薄れる。
「どうしたの?」
「……大丈夫」
レイは短く答え、ゆっくりと身体を起こした。
まだ痛みは残っているのか、呼吸は少し浅い。
けれど、動けないほどではない。
「どこが大丈夫なのよ」
セリアは顔を赤くしたまま、きつく睨んだ。
レイは左腕に残る赤黒い線を一度だけ見てから、静かに息を吐く。
「もう大丈夫」
その声は弱かった。
それでも、先ほどよりははっきりしていた。
セリアはしばらくレイを見つめた。
怒っている。
許したわけではない。
それでも、目の前の少年が本当に限界だったことも分かってしまった。
「……助けられたことには感謝するわ」
「うん」
「でも、それと今の無礼は別。絶対に許してないから」
「……ごめん」
「謝って済むと思ってるの?」
セリアはまだ赤い顔のまま、レイを睨んだ。
「あなたには、わたしの言うことを一つ聞いてもらうわ」
「……言うこと?」
「ええ。まずは学院まで来なさい」
セリアは乱れた制服を整えながら、きっぱりと言った。
「あなたが何者なのか。どうしてあんな力を使うのか。全部聞かせてもらうから」
「最後のは本当に事故で――」
セリアはキッとレイを睨んだ。
レイは口を閉じた。
左腕の赤黒い線は、少しずつ薄れている。
けれど完全には消えていなかった。
セリアはそれを見て、もう一度だけ小さく息を吐く。
助けられた。
無礼もされた。
しかも、その相手は二年前に消えた神童で、今にも倒れそうな顔で平気なふりをしている。
理解できないことばかりだった。
「逃げたら許さないから」
レイは困ったように笑った。
「……分かった」
セリアは一歩先へ歩き出す。
そして、振り返らずに呟いた。
「……本当に、あなた何なのよ」




