第4話 雷鳴《らいめい》
第4話 雷鳴
レイ・アルヴェインが姿を消してから、二年が経った。
王都では、今でも時折、その名が噂になる。
かつて、あらゆる属性を扱った神童。
雷殻獣を討伐し、生還した少年。
けれど同時に、魔法を失い、王立魔法医療院から消えた者。
ある者は、死んだのだと言った。
ある者は、呪いに呑まれたのだと言った。
ある者は、王国が危険人物として隠したのだと囁いた。
だが、そのどれも正しくない。
レイは、生きていた。
誰にも行き先を告げず、王都から消えただけだった。
人の気配も、街道の灯りも届かない深い森の奥。
そこで、彼は名も知れぬ師に拾われた。
折れた魔力回路の代わりに、心臓へ刻まれた雷命紋をどう使いこなすのか。
暴れ狂う雷を、どう刀へ流すのか。
その力を、どう一点へ収束させるのか。
二年。
レイは、ただそれだけを学び続けた。
◇
王立セレスティア詠紋学院。
その主席入学生、セリア・フロストベルは、学院近くの森で一人、息を整えていた。
入学から数か月。
セリアの実力は、すでに同学年の中で抜きん出ている。
水と氷の詠紋術。
緻密な魔法文字。
崩れない詠唱。
主席入学の名に恥じない才。
だからこそ、今回の実地訓練でも、セリアは最後まで冷静でいられた。
少なくとも、最初は。
「《氷よ、連なりて災いを拒め》」
セリアの指先が空中を走る。
淡い青の魔法文字が幾重にも連なり、鋭い氷壁となって展開された。
だが、森の奥から現れた異形の獣は、その氷壁へ正面から突っ込んだ。
黒い体表に埋め込まれた歪な核が、鈍く光る。
氷壁に触れた瞬間、魔法文字が崩れた。
氷は砕けるのではなく、吸い込まれるように消えていく。
「また……!」
セリアは後方へ跳んだ。
この敵はおかしい。
水紋を刻めば吸われる。
氷紋を重ねれば分解される。
普通のモンスターではない。
誰かが核に手を加え、水と氷の魔力を喰うように作り変えた個体。
同行していた生徒たちは、すでに逃がした。
救援を呼ぶ時間も稼いだ。
あとは自分が退けばいい。
頭では分かっている。
それでも、セリアは退ききれなかった。
「この程度で、わたしが膝をつくと思わないで」
彼女はもう一度、魔法文字を描く。
今度は水紋ではなく、氷紋を細かく分けた。
一つの大きな壁では吸われる。
ならば、無数の小さな刃にして、吸収が追いつく前に斬る。
「《氷よ、散りて刃となれ》」
氷の刃が雨のように降り注ぐ。
獣の体表に、いくつもの傷が刻まれた。
だが、浅い。
核までは届かない。
異形の獣が吼えた。
黒い爪が振り上げられる。
セリアは防御紋を重ねようとした。
けれど、魔法文字が完成するよりも早く、獣が踏み込んだ。
「間に合わな――」
爪が届く。
そう思った瞬間だった。
「――雷鳴」
声が聞こえた。
低く、短い声。
次の瞬間、青白い雷が森を裂いた。
爆発ではない。
閃光が広がったわけでもない。
ただ一筋の雷が、まっすぐに走った。
セリアの目の前で、異形の獣の動きが止まる。
その胸部に埋め込まれた核へ、細い斬撃が通っていた。
核が割れる。
獣の身体が、音を立てて崩れ落ちる。
セリアは息を呑んだ。
倒れた獣の向こうに、黒い外套をまとった少年が立っていた。
手には、一振りの刀。
刃の上には、消えかけの雷が残っている。
少年は刀を下ろし、セリアへ視線を向けた。
「怪我は?」
短い問い。
それだけだった。
セリアは一瞬、答えを忘れた。
助けられた。
それは分かる。
だが、今の一撃は何だったのか。
水も、氷も、火も、風も使っていない。
ただ雷だけで、敵の核を正確に貫いた。
「……あなたは」
セリアは少年の顔を見る。
黒髪。
落ち着いた瞳。
そして、噂で聞いた神童の名。
「まさか……レイ・アルヴェイン?」
少年は少しだけ驚いたように目を細めた。
「……俺のこと、知ってるのか」
それが答えだった。
二年前、雷殻獣を討伐し、その後に姿を消した神童。
魔法を失ったと噂された少年。
その本人が、セリアの目の前に立っている。
「本当に、あのレイ・アルヴェインなの?」
問いかけは、最後まで続かなかった。
レイが胸を押さえた。
「っ……」
黒い外套の下。
左胸の奥で、何かが赤黒く光った。
光はすぐに線となり、肩へ伸びる。
左腕へ。
手首へ。
指先へ。
まるで雷に似た赤黒い紋様が、身体を内側から侵食していくようだった。
「ちょっと、あなた……!」
レイは歯を食いしばる。
だが、耐えきれなかった。
「ぐっ……あああああああッ!」
森に、叫び声が響いた。
先ほどまで敵を一撃で倒した少年とは思えないほど、苦しげな声だった。
レイの膝が崩れる。
セリアが反射的に駆け寄るのが見えた。
そこで、レイの意識は途切れた。
◇




