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第2話 雷殻獣《ベヒモス》

第2話 雷殻獣(ベヒモス)


 レイは刀を地面へ突き立てた。


 切っ先から溢れた黄金色の魔力が、土の上を走る。


 古代の魔法文字が次々と刻まれ、幾重にも連なって土紋を形作った。


「《大地よ、連なりて災いを阻め》」


 土紋が強く輝く。


 地面が轟音とともに隆起し、厚い土壁が立ち上がった。


 雷が土壁へ激突する。


 凄まじい音とともに壁が砕け、土の塊が周囲へ飛び散った。


「防御を重ねます!」


 レイは地面から刀を引き抜き、その刃を空中へ滑らせる。


 刀身の軌跡に沿って、水色の魔法文字が浮かび上がった。


「《水よ、荒ぶる光を拒み、地へ還せ》」


 完成した水紋が輝き、空気中の水分が集まる。


 薄い水膜が土壁の前へ広がり、雷の一部を地面へ逃がした。


 それでも衝撃は消えない。


 レイの身体は後方へ押し飛ばされ、背中から地面へ転がった。


「レイ!」


「大丈夫です!」


 すぐに起き上がり、現れたモンスターを見据える。


 獣に似た四足の巨体。


 全身を覆う黒い甲殻。


 背中から伸びる何本もの角の間を、絶えず紫色の雷が走っている。


 胸部の半透明な殻の奥には、大きな核が脈打っていた。


 古い神話に語られる、山を踏み砕く巨獣。


 その名を与えられた上位モンスター。


雷殻獣(ベヒモス)……」


 監督騎士の顔から血の気が引く。


 小型モンスターの討伐区域に現れるはずのない存在だった。


「どうして、こんな場所に……」


 見習いの一人が震えた声を漏らす。


 雷殻獣(ベヒモス)が首を動かす。


 紫色の瞳が、レイたちを捉えた。


「理由は後です」


 レイは刀を構えた。


「全員、通信石を確認してください。使用できる人は、すぐに救援を呼んでください」


「駄目だ。反応しない!」


「こちらもです!」


 雷殻獣(ベヒモス)の雷が、周囲の通信石を狂わせている。


 救援を呼べない。


 逃げ切れる保証もない。


「俺が時間を稼ぐ」


 監督騎士が前へ出た。


「お前たちは街道まで走れ」


「無理です」


 レイは静かに答えた。


「騎士様一人では、数秒も持ちません」


「だが、お前たちを連れて戦える相手ではない!」


「分かっています」


 レイは雷殻獣(ベヒモス)の胸部を見つめた。


 核は見えている。


 だが、その周囲を覆う甲殻には、魔力を外へ逃がす複雑な魔法文字が刻まれている。


 人間が書くものとは違う。


 生まれつき身体へ刻まれた、モンスターの魔法文字。


 正面から魔法を撃っても、威力の大半を散らされる。


 だからといって、何もしなければ全員が死ぬ。


「皆さんは逃げてください」


「レイ?」


「俺が引きつけます」


 見習いたちが目を見開いた。


「何を言ってるんだ。お前だって学院に入る前だろ!」


「この中で、あれの攻撃を防げる可能性が一番高いのは俺です」


「だからって一人で――」


「大丈夫です」


 レイは笑った。


 不安を感じさせないように。


 自分自身にも、恐怖を悟られないように。


「すぐに追いつきます」


 それが嘘であることを、監督騎士だけは理解していた。


 騎士は奥歯を噛み締め、レイの肩を強く掴む。


「必ず戻れ」


「はい」


「命令だ」


「分かりました」


 レイは頷いた。


 騎士は見習いたちを連れ、街道へ向かって走り出す。


 雷殻獣(ベヒモス)が逃げる者たちへ顔を向けた。


「行かせない」


 レイは刀を逆手に持ち替え、左手の指先で空中へ魔法文字を書いた。


 青白い文字が一つ、二つ、三つと連なり、火紋を形作る。


 その隣へ、刀の切っ先が別の文字を書き加えていく。


 火紋と風紋が重なり合い、二つの光が一つへ溶けた。


「《炎よ、風を喰らい、輪となれ》」


 火炎が渦を巻き、雷殻獣(ベヒモス)の顔面を覆う。


 雷殻獣(ベヒモス)が咆哮した。


 注意がレイへ向く。


「そうだ。俺を見ろ」


 紫色の雷が放たれる。


 レイは刀の切っ先で空中へ水紋を書き、足元へは土紋を刻んだ。


「《水よ、荒ぶる光を拒め》」


「《大地よ、災いを阻め》」


 短い詠唱が連なる。


 水の膜と土壁が重なり、さらに風紋が雷の道筋を僅かに逸らした。


 防御は間に合った。


 だが、完全には止められない。


 雷の一部が右肩を掠める。


 焼けるような痛みが走り、刀を握る手が痺れた。


「まだ……!」


 レイは地面を蹴る。


 空中へ短い風紋を描き、刀の柄頭で打ち抜いた。


風踏(ふうとう)


 圧縮された風が弾け、レイの身体を前へ押し出す。


 一瞬で雷殻獣(ベヒモス)の側面へ回り込み、甲殻の隙間へ刀を振るった。


 刀身には、水色の魔法文字が走っている。


 薄い水流が刃を包み、切断力を高めた。


 刀は甲殻の表面へ傷を刻む。


 浅い。


 だが、確かに届いた。


 雷殻獣(ベヒモス)の尾が振るわれる。


 レイは咄嗟に刀を立て、刃の前へ氷の魔法文字を書いた。


「《氷よ、連なりて災いを拒め》」


 魔法文字が連なり、氷紋が完成する。


 氷壁が生まれた。


 壁は一撃で粉砕され、その破片とともにレイの身体が吹き飛ばされる。


 木の幹へ背中を打ちつけ、肺から空気が抜けた。


「っ……」


 立ち上がろうとした足が、僅かに震える。


 雷殻獣(ベヒモス)は強い。


 知識として分かっていた。


 実際に対峙すると、その言葉の意味が違って見える。


 一つ一つの攻撃が、死に直結する。


 防御を一度間違えれば終わる。


 それでも、レイは逃げなかった。


 背後には、仲間たちが逃げた道筋がある。


 雷殻獣(ベヒモス)を追わせるわけにはいかない。


 レイは呼吸を整え、再び刀を構える。


 水紋で脚を絡める。


 風紋を刀身へ重ね、甲殻の傷を広げる。


 火紋で視界を奪う。


 土紋で足場を崩す。


 刀と詠紋術(えいもんじゅつ)を切れ目なくつなぎ、雷殻獣(ベヒモス)の動きを制限していく。


 だが、決定打にはならない。


 胸部の核は、未だ強く脈打っている。


 外側からでは届かない。


 魔法を撃つたび、甲殻に刻まれた魔法文字が威力を散らしてしまう。


 レイは口元から流れた血を拭った。


 残っている魔力は多くない。


 身体も限界に近い。


 雷殻獣(ベヒモス)が咆哮し、背中の角へ雷を集める。


 先ほどよりも大きい。


 次の一撃を受ければ、防ぎ切れない。


 レイは胸部の核を見つめた。


 外からでは届かない。


 なら、魔力を散らされる前に撃てばいい。


 甲殻と核の間。


 雷殻獣(ベヒモス)の懐へ入り、至近距離から最大の雷を放つ。


 問題は一つ。


 その距離では、自分も雷に巻き込まれる。


「……それしかないか」


 レイは小さく息を吐いた。


 怖くないわけではない。


 死にたくない。


 学院へ行きたい。


 もっと多くの魔法を学びたい。


 家族や友人に、無事に帰ったと伝えたい。


 それでも、ここで逃げれば、雷殻獣(ベヒモス)は仲間たちを追う。


 レイは刀を握り直した。


「できるなら、やるべきだ」


 それは幼い頃から、何度も自分へ言い聞かせてきた言葉だった。


 レイは刀を地面へ滑らせ、足元へ風紋を刻む。


「《風よ、我が歩みを導き、彼方へ疾れ》」


 風紋が弾け、レイの身体を前へ押し出した。


 雷殻獣(ベヒモス)の雷が放たれる。


 レイは正面から避けず、僅かに身体をずらした。


 紫色の雷が左脇を焼く。


 激痛で視界が白く染まった。


 それでも足を止めない。


 雷殻獣(ベヒモス)が爪を振るう。


 レイは薄い土壁を一枚だけ立ち上げ、爪の軌道を僅かに逸らした。


 鋭い爪が肩を裂く。


 血が飛び散る。


 レイは雷殻獣(ベヒモス)の胸元へ辿り着いた。


 半透明の甲殻の奥。


 巨大な核が、目の前で脈打っている。


「捕まえた」


 レイは左手で甲殻へ触れた。


 右手の刀を逆手に持ち、切っ先を核へ向ける。


 刀身へ、一文字ずつ雷の魔法文字が刻まれていく。


 青白い光は刃だけでは収まり切らず、レイと雷殻獣(ベヒモス)を囲むように空中へ広がった。


 雷殻獣(ベヒモス)の角が、レイの腹部を貫く。


 息が止まる。


 身体から力が抜ける。


 それでも、レイは刀を離さなかった。


「《雷精よ》」


 空が低く鳴る。


「《我が身を糧に、我が身に大いなる雷を》」


 雷紋が脈打った。


 青白い光が、レイと雷殻獣(ベヒモス)を包み込む。


 レイは笑った。


 今度は、誰かを安心させるためではない。


 自分が選んだことを、最後までやり遂げるために。


「――落ちろ、天雷(てんらい)


 世界が、白く染まった。

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