第3話 再会
俺は激しい心臓の鼓動を感じながら、炊事場へ向かう。
綺麗に切り揃えられた短い黒髪。
若干幼さが残る、綺麗に整った顔立ち。
背が低い彼女は黒いセーラー服を着て、大皿に料理を盛り付けていた。
……彼女だ。随分成長していたが、すぐにわかった。
間違いない。ずっと会えなかったのに。
まさか、こんなところで再会するなんて。
菜箸を使い、無表情に淡々と盛り付けていく彼女からは、どこか哀愁の色が滲み出ていた。
よく見れば、制服は皺だらけで所々ほつれており、両手はあかぎれまみれだった。
まさか、あの精進落としの料理、彼女が一人で作ったのか? 一人で?
「お、おい――」
気がついたら、話しかけていた。
俺に気がついた彼女は手を止め、こちらを向く。
「はい……何でしょうか?」
冷たく合成音声のような、感情が抜け落ちた声。
俺は彼女と目が合い、一気に汗が噴き出てくる。
まさか今日、初恋の相手に再会できるとは思わなかった。
「いや、その……」
緊張のあまり、次の言葉が出てこない。
クソ、俺ってこんなうぶな奴だったか⁉︎
「申し訳ありません」
しばらく黙っていると、彼女は頭を下げてきた。
「え?」
「申し訳ありません。許してください」
「い、いや、何を言っているんだ?」
「もう間違えたりしませんから。許してください」
「別に、俺はあんたに文句があるわけじゃなくて……」
「どうすれば許してくれますか? ユユ、馬鹿ですから。教えてください」
「……」
自らをユユという珍しい名前で呼ぶ少女。
ひたすらに頭を下げ続けてくる彼女に、俺はそれ以上、何も言うことができなかった。
何がどうなっているのか、まるでわからなかった。
どうして彼女はこんなにも謝罪の言葉を繰り返す?
その時、廊下から騒がしい足音が聞こえ、母の妹である叔母がやって来た。
「ねぇ! ちょっと!」
喪服が風船のように膨らんでしまっているほど太った叔母は、頭を上げた彼女に向かって、ある物を突き出した。
それは、皿に盛られた筑前煮。
ここに来る前、精進落としの席で振る舞われたものだ。
人参やごぼう、こんにゃくが綺麗に切られており、鶏肉も柔らかく美味しかった。
彼女は傷だらけの手で皿を受け取り、「これが、どうしましたか?」と、叔母に向かって訊いた。
「これ、味が薄いんだけど! 向井さんが来るから、ちゃんとした料理を作ってって言ったわよね⁉ あんたこれ、どういうつもりなの⁉」
味が薄い?
別段、そんな事も無かったぞ? なんて言おうとした瞬間、皿を手に持った彼女が口を開いた。
「この味付け、おじいさんが好きだった味付けなんです。ですから、今日もその味付けにしようと思って……」
「そんなの! 私は知らない!」
叔母はヒステリーに叫び出した。
「こんな味付け、あの人が好きだったなんてあり得ない! ……あんたまさか、私たちのことを馬鹿にしているの? きっとそうだわ! 正直に言うけどね! 遺産はあんたに一円もいかないから! この家も、あんたの居場所じゃない! もう、わかっているでしょ⁉ あんたは兄さんに捨てられたのよ‼」
叔母が叫んで彼女の体をドンと押すと、皿が傾き、筑前煮が全て床に落ちてしまった。
彼女の黒い靴下に、茶色い汁が飛び跳ねる。
「きゃ! ああ、もう! 汚いわ!」
筑前煮の汁が広がらない場所まで後退する叔母。
「……申し訳、ありません」
彼女はその場でしゃがみ、叔母に向かって土下座をした。
何の抵抗もなく、さも、当たり前かのように。
「全部、ユユが悪いです。全部、作り直しますから。許してください」
頭を床に伏せ、人参やごぼうが髪の毛に付着しても、まるで気にしない様子だった。
「……ッ、おい! 頭を上げろって!」
俺はやっとの思いで、土下座をしている彼女に向けて言う。
「あんたが謝る必要、何にもないだろ!」
「ちょっと」
肩を掴まれる。
見ると、叔母が俺を睨んでいた。
「あんたには関係ないでしょ。こいつが謝りたいって言うんだから。むしろ、感謝してほしいわ。こいつ……、人の家で飯を食わしてもらっている身なんだから。そのくらいの誠意がちょうどいいわ」
叔母から反省の色も慈愛の心も、何も感じられなかった。
彼女が土下座をしていることが、まるで当たり前かのようで。
「筑前煮、作り直すのなら早く作って。もちろん、落ちたこれを片付けてからね。ああ、あとビール、そろそろなくなりそうだから追加で買ってきて。なるべく、急ぎでね。いいわね⁉」
「……はい」
「はぁ、全く。兄さんも気味の悪い子を残していったわ」
そうぼやきながら、叔母はその場を後にしようとする。
「おい、待てよ」
俺は我慢できず、叔母の背中に言葉をかけた。
「いくら何でも酷すぎるだろ。たかが筑前煮の味が違うくらいでここまでして。雑用を全部こいつに任せて、あんた、向こうで酒飲んでいただけだろ」
「……そういうあんたは、何かしたの?」
叔母はその場でくるりと振り返り、逆に訊いてくる。
冷たい、侮蔑に満ちた目つきだった。
「つまらなさそうにご飯を食べていただけでしょ? この子に何もしていないでしょう? たまたまここにいたからって、かっこつけんじゃないわよ」
叔母の一言が容赦なく胸に突き刺さる。
確かに、俺はただ呑気に飯を食っていただけだ。
「でも」
「はぁ、あんたまでイラつかせないで」
「……でもよ! こいつにここまでの仕打ち、やっぱりおかしい――」
「おい、なんだなんだ」
向くと、廊下から親戚連中がぞろぞろとやって来ていた。
「お前ら、葬儀の場だぞ。喧嘩はほどほどにしろ」
顔を真っ赤にした祖父の弟が俺たちの間に入ってくる。
口から強烈な酒の匂いがし、思わずむせかえりそうになった。
「そんなこと言っても!」
「虎太郎」
名前を呼ばれ、言葉を遮られた。
廊下に立つ母が俺に向かって首を横に振っている。
これ以上、何も言うなということか。
どうして、どうして誰も彼女の味方をしないんだ。
こんなの、絶対におかしい。
「本当に、申し訳ありません」
背後から、消え入りそうな声がした。
彼女が土下座したまま、話し続ける。
「全部、ユユが悪いですから。だからどうか、許してください。ユユのことはどうでもいいですから、だからどうか……おじいさんを弔ってあげてください」
最後の一言で、その場は静まり返った。
皆、落ちた筑前煮もお構いなしに、土下座をする彼女を眺め続けた。




