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第29話 選択

「……ユユ」


 美沙希は絞り出すように、そう呟いた。


 音源はどんどん流れていき、そろそろサビに入ってしまう。

 それでも、ユユは歌えずにいた。


 そうだ。当たり前じゃないか。

 素人が、いきなりこんな大人数の前で歌えるわけがない。


 ユユは顔を真っ青にしながら、うつむく。

 視線から逃れようとしている。

 でも、逃げられない。

 足が動かないんだ。


 残酷に流れていく音源、観客のざわめき、噴水の音が耳鳴りのように聞こえる。


 ……もっと早くに気が付けばよかった。

 この歌には、責任がのしかかっていた。

 今後の人生を左右するような、そんな責任が。

 それを俺は、ユユに押し付けてしまったんだ。


「――そうだ」


 自分に突きつけるように、力強く呟いた。

 俺はずっと、ユユから逃げていたんだ。

 きれいごとを並べて、結局はユユという少女と真正面に向き合おうとしなかった。

 才能の有無とか、そんな事で逃げていた。

 責任を持たなかったんだ。


 ユユはずっと逃げていなかった。

 泣いてしまいたくなるほど酷い境遇も、ユユは耐えてきた。

 その小さな体ひとつで、ずっとユユは耐えていたんだ。


 ――それなら、俺はどうするべきだ。

 俺に、何ができる?


 音源はサビに入り、『これはダメだな』という空気が広がりつつあった。


 ユユは何度も歌おうと口を開ける。

 しかし、やはり声が出ない。


 ――俺なら。


 何も持っていない。

 歌も上手くない、絵も描けない、勉強もできない、告白に答えることも、何もできない俺は――


「ユユ‼」


 俺は、叫んだ。


「ユユ‼」


 もう一度、叫ぶ。


 観客の視線が俺に集まる。

 額から汗が流れ、手が震える。

 そんなの、どうだっていい。


「ユユ! 俺のために!」


 俺は願いを込めて、叫んだ。


「俺のためだけに、歌ってくれ!」


 ユユを救う。

 幸せにするために、『ご褒美』を贈る。それらすべての正体は、俺のエゴだ。

 不健全で、人々から否定されるべきものだ。

 それでも――


「バンドとか、才能とか、どうでもいい! 俺だけ! 俺だけに! 歌を聴かせてくれ!」


 喉が潰れてもいい。

 この言葉を馬鹿にされたっていい。


 俺には、才能がない。

 秀でている何かが無い。

 それでも、あきらめる理由にはならない。


 俺にできることはただ一つ。

 ずっとそうだったじゃないか。


 ユユを救うことだ。


 彼女が苦しくなったとき、辛くなったとき、くじけそうになったとき。

 下手でも格好悪くても、俺は必死に手を伸ばして助けるんだ。

 たとえそれが、翼を捥ぐことだとしても。

 ――俺は、ユユと一緒にいたい。


「ユユ! ユユ……!」


 息が続かず、声が途切れる。

 胸が苦しく、心臓がバクバクと脈打つ。

 ダメだ。

 言わないと。

 俺が、ユユを支えないと……。


「――ユユ!」


 隣から、同じように叫ぶ声がした。


「ユユ! 頑張って!」


 美沙希が大声でユユを応援する。


「――ユユちゃん! ファイト!」


「頑張れ!」、「二番から! 頑張って!」、「ユユちゃん! 大丈夫!」


 美沙希に倣い、観客の人達がそれぞれ声を上げていく。

 会場全体で応援し始めた。


「ユユならできる! 頑張れ!」、「ユユちゃん!」、「ユユ!」、「ファイト!」、「頑張れ!」、「頑張って!」、「頑張れ!」、「――ユユ‼」


 叫んだ、その時――


 俺はユユと目が合った。


 宝石のように美しいその瞳。

 そこに不安はもう、なかった。


 間奏が終わり、そろそろ二番が始まる。

 俺たちの応援の声が止んだ一瞬。

 ユユは大きく息を吸い、歌い出した。


 思わず、泣き出しそうになってしまった。


 会場全体を包み込む、優しい歌声。

 皆がただ茫然とユユの歌声に圧倒された。


 傷を癒すような、その歌声。


 それは今まで聴いてきた中で、間違いなく一番だった。

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