第28話 路上ライブ
そして、約束の当日。
俺たちは公園内を歩き、噴水近くにたどり着いた。
噴水の周りには既に観客が数十人集まっており、今か今かと路上ライブの始まりを待っている。
俺は隣を向き、白いパーカーにロングスカートという恰好のユユに目をやる。
よほど気に入っているのか、ユユは俺が初めて買ってやった服を着ていた。
しかし、様子はどこかおかしかった。
「ユユ、大丈夫か?」
「……はい」
ユユは心あらずという感じで返事をし、何度も深呼吸をする。
昨日からずっとこの調子だ。
浮ついているような感じがし、そうかと思えばひどく辛そうな表情を見せる。
無理もない。
急に人前に立ち、歌わされるんだ。
緊張して当たり前だ。
「――ユユ!」
横から声がし、向こうとした瞬間。
美沙希が勢いよくユユに抱き着いてきた。
「み、美沙希ちゃん」
「応援しに来たの!」
ユユを抱きしめながら、美沙希は無理やり頬ずりをする。
「美沙希ちゃん……苦しいです……」
「ユユ! 今日は頑張ってね! 私、めちゃくちゃ応援するから! コールとか、一番大きな声でやるから!」
「コールは無いですけど……ありがとうございます」
美沙希は満面の笑みを見せる。
「なんたってユユは私の大親友だもん! だからきっと、大丈夫!」
「……はい。じゃあ、そろそろ行きます」
ユユは美沙希から離れ、俺たちに手を振りながら人だかりの方へと向かっていった。
「うん! 頑張って!」
美沙希はぶんぶんと大きく手を振り、そう叫んだ。
それにしても、今日の美沙希はなんだか――
「やけに元気だな……そう思っているでしょ、お兄さん」
手を下げ、そう俺に話しかけてくる。
「何にも言ってないだろ」
「顔に書いてあったよ。……今はユユが一番緊張しているんだから、こっちが不安な顔をしてたら、ダメだよ」
「俺、そんな不安な顔してたか?」
「うん。ちょーしてた。……お兄さん、やっと決めたんだね」
「……ああ」
「大丈夫だよ。ユユなら、大丈夫」
その言葉に俺は何も返さなかった。
このライブで、きっとユユの才能は世界に見つかる。
このライブが終われば、きっとユユとの関係が終わる。
美沙希は明るく振る舞い、最後までユユの味方でいようとした。
だったら、俺は……。
「――どけ」
背後から声がしたのと同時、体に何かが当たった。
見ると、ギターケースと大きなワイヤレススピーカーを手に持ったしのが、俺にぶつかってきた。
俺の横を通り過ぎるとき、しのと目が合った。睨まれた。
『下手な真似はするなよ』と釘刺されたような気がした。
「しのさん!」
しのに気が付いたファンたちが、嬉しそうに声を上げる。
しの本人はなんでもないように「おう」と雑に返事をし、人だかりの中を突っ切って中心にいるユユの元へたどり着いた。
「ユユ、歌いたい曲はこれで流せ」
そう言い、ユユの隣にワイヤレススピーカーをドンと置く。
「……あ、はい」
ユユは若干反応に遅れ、小さな声で返事をした。
「――んじゃあ、まずうちからでいいか?」
「はい……」
しのは噴水の縁に座り、ギターケースからギターを取り出す。
足を組み、何度かギターの弦を弾いて音を確かめる。
その様子に気が付いたファンたちが話すのを止め、しのとユユの周りを囲むように大きな弧ができる。
しのの演奏を心待ちにするかのように、じっと見つめて待つファンたち。
俺と美沙希もファンの中に混ざり、演奏が始まるのを待った。
数十人がいるはずなのに、聞こえるのは噴水の音とちょっとした衣擦れだけ。
皆、固唾を飲んで待っている。
噴水周りには緊張の糸が張り巡らされ、その空気に飲まれないように、しのがニヤッと不敵な笑みを漏らした。
弦が強く弾かれ、前触れ無しに演奏が始まる。
挨拶も何も無い。
最初は、しのからだ。
大きく息を吸い、しのは叫ぶように歌い出した。
聴いたことのない曲。
既存曲ではなく、おそらくしののオリジナル曲なのだろう。
世界を否定し、自らまで否定する歌詞。
しのの低音の歌声が空気を震わせ、鼓膜まで届いてくる。
必死に、そして全力で歌う。
しのは歌うことで俺たちに何かを与えようとしているのか。
それとも、逆に俺たちから何かをもぎ取ろうとしているのか。
もしくは、お互いに搾取し合っているのか。
何かを掴み取りたい。
もぎ取りたい。
自分のものにしたい。
そんな感情が、しのから溢れ出てくる。
不思議だ。
しのは性格破綻者だ。
常軌を逸しているし、尋常じゃないし、クズだ。
それでも……どうしてここまで胸を打たれるのだろう。
どうして、ここまで胸が苦しくなるのだろう。
噴水の音が徐々に消えていき、しのの歌声とギターの音色しか聞こえない。
周りのファンは、しのに魅せられていた。
神からのお言葉を待つような厳かな雰囲気もあり、中には涙を流している人もいた。
『死のう、死のう、死のう』という歌詞が連呼されていく。
彼女がそれを望んでいるのか、大衆がその歌詞を望んでいたのかはわからない。
しのがこの場にいる人達全員を、共犯者にしているような感覚だった。
歌はラストに近づき、より声量が大きくなっていく。
人間一人からここまで大きな音を出せるとは知らなかった。
かすれ始め、歌詞もよく聞き取れない。
それでも、どうしても目を離すことができない。
ギターが静かになっていく。
しのは最後に囁くように歌い、曲は終わった。
遅れて、拍手が沸き起こる。
「しのー!」
「大好きー!」
と、ファンが口々に叫んだ。
しのはそんなもの気にしないといった様子で立ち上がり、脇に立つユユの元へ近寄っていった。
「次、お前の番だ」
「……はい」
拍手はいまだ続いており、その中に二人は立っている。
「手、抜くんじゃねぇぞ」
ユユが行こうとしたとき、しのはそう付け加えた。
ユユは返事をしなかった。
ユユはワイヤレススピーカーを両手で持ちながら、しのが歌っていたところまで移動し、スピーカーを置く。
ボリュームを下げるように拍手が止んでいき、皆がユユに注目し始める。
顔を上げ、ユユは皆の前に立つ。
「……」
離れていても、ユユが一瞬息を呑んだのがわかった。
遮るものはなく、ほとんど暴力的なまでに無遠慮な視線を向けてくる観客たち。
「――始めます。よろしくお願いします」
ユユはそう言い、皆の前で頭を下げる。
数人が拍手をした後、ユユはスマホを操作し、とある曲が流れ始める。
このイントロ……すぐにわかった。
前にカラオケ店でユユが歌っていた曲だ。
ちょっと音色が違うから、これはカラオケ音源なのか。
スマホをパーカーのポケットに入れ、ユユは胸の前で手を組む。
自然と息が荒くなっているのか、両肩が大きく上下していた。
イントロが進んでいき、そろそろ歌い出しだ。ユユは大きく息を吸い、歌い出す――
ことは、できなかった。
歌い出しの箇所が過ぎても、ユユは固まったままだった。
異変に気が付き、観客がざわざわし始める。
ユユは顔を真っ白にして、立ち尽している。
かすかに、手や唇が震えていた。




