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第26話 逃避行

 車窓の景色が暗くなってから、何時間経ったのだろう。

 隣ではユユが暇そうに車両内に吊り下げられた広告を眺めていた。


 しのがいた駅から乗った電車の終電まで行き、そこから乗り換えて、またその電車の終電まで行った。

 そしてそこから車両数の少ない電車に乗り換え、また終点まで目指している。


 時刻は、もう既に十一時半。

 今、自分がどこにいるのかも、どこへ向かっているのかもわからなかった。


 ここまでユユを連れまわして、何になるのだろうか。

 つい、そんなことを考えてしまう。


 そして終点に到着し、俺たちは電車から降りる。

 夜の湿った風が頬を撫でる。潮の香りがした。


「虎太郎さん、あれ」


 ホームに立つユユが指を差す。

 向くと、ホームの外には砂浜が広がっており、海面には月光が映し出されていた。


「綺麗……」


 ぽつり、ユユは呟いた。


 俺たちはどこかの海岸に到着した。

 ちょっとした観光地なのだろうか。

 海とは反対側に目をやると、ホテルや住宅がいくつか立ち並んでいた。


 無人の改札を抜け、駅から出る。


「ホテル、空いているといいんだけどな……」


 俺はそう呟き、ホテルの方へ行こうとする。

 できれば二部屋あるといいんだが、無かったら俺は床で寝るか。

 ちょうどこの周りにコンビニもファミレスもあるみたいだし、宿だけ取れば食事とかは何とかなるだろ。


「あ、あの……」


 と、ユユが恐る恐るといった様子で俺のTシャツの裾をつまんできた。


「なんだよ、ユユ」


「……ダメだったら、ダメと言ってもらっていいのですが……こんなこと、本当はしてはいけないとわかっているのですが……」


 な、何が言いたいんだ?


「ユユも女の子ですから……興味くらいはあります」


 ユユは顔を少しだけ赤くし、恥ずかしそうにそんなことを言い出す。


 ふと、とあることに気が付き、再びホテルの方に目を向ける。

 ホテルから少し離れたところに、小さな宮殿のような外観の建物を見つけることができた。

 そしてその看板には、『ご宿泊』と『ご休憩』の文字。こ、このホテルって……。


「ユ、ユユ?」


「覚悟はできています。だから、もし虎太郎さんもよろしかったら……」


「え、え⁉ ちょ、ユユ⁉」


 耳まで、真っ赤になるユユ。

 覚悟を決めたのか、上目遣いで俺を見てくる。

 こ、これって、つまり……。


「……今日のご褒美、お願いします」


   ◇◆


「お待たせしましたー。ほかほか絶品海老グラタンとー、昔ながらの醤油ラーメンとー、山盛りフライドポテトですー」


 妙に疲れた様子の店員が、卓上にそれぞれ三つの料理を手早く置いていく。

 ユユの前に海老グラタン、そして俺の前には醬油ラーメン、そして間を陣取るようにフライドポテトが置かれた。


「ご注文は以上でよろしいですかー? ではごゆっくりー」


 俺たちの返事を待たずして、店員が逃げるように席から離れていく。

 ある意味、手慣れているのか。


 シートから顔を出し、店内を見回す。

 俺たち以外に客はいなかった。


 ここは大手チェーンの二十四時間営業のファミレス。

 そう……とどのつまり、俺のただの早とちりだ。


 めちゃくちゃ恥ずかしい。

 勝手にドギマギしていたのか、俺……。


「……」


 ふと、ユユの方を見ると、じっと何かを物欲しそうにこちらを見つめていた。


「な、なんだ?」


 俺は思わずドキリとし、狼狽えて訊く。

 俺が変な勘違いをしていたことがバレたのか?


「虎太郎さん……食べましょう」


「え? あ、ああ、そうだな」


 俺たちは料理の前で手を合わせ、「いただきます」と声を揃えて言う。


 レンゲで醤油ラーメンのスープを飲む。

 うん、美味しい。

 箸で麺を持ち上げ、啜る。

 うん、予想通りの味で美味しい。

 ユユもホワイトソースが絡まったマカロニを美味しそうに頬張る。


「……美味しいです」


「それはよかった」


「いつも食べているグラタンと同じ味です」


「それは……そうだろうな」


 同じファミレスのチェーンに来ているわけだし。


「なんだか、不思議な感じです。遠く離れた場所にいるはずなのに、見知った味の料理がある。メニューも内装も同じ。……どこか、ホッとします」


 その気持ちはわからないでもない。

 自分のことなんか誰も知らない街に来て、それでも見知った店や料理がある。

 確かに、ここは落ち着いてリラックスできる場所だ。


「でも、本当にホテル取らなくてよかったのか? 電車移動で疲れただろ?」


「……実はファミレスで夜を明かすというものを、以前からやってみたかったんです」


「なんで?」


 ファミレスに泊まるだなんて、どうしようもなくなったときに行う最終手段のはずなのに。


「『エイらぶ!』でファミレスで夜を過ごす回がありまして……それが、とっても楽しそうで……一度、こういうことをやってみたかったんです」


「そうか。じゃあ、どうだ? やってみたかった感想は」


「そうですね……」


 ユユは紙ナプキンで口の周りを拭き、数秒考えた末、「楽しいです。……虎太郎さんと一緒ですから」と言い、恥ずかしそうに顔をうつむかせた。


 箸が止まり、俺はレンゲを置く。


「ユユ」


「本当は、すぐに言うつもりでした。『ユユの告白を忘れてください』と」


 ユユは俺の言葉に被せるように、話し出す。


「虎太郎さんはきっと、迷惑に思っている。ユユなんかに告白されて、嫌がっているはず。だって、ユユは価値無しで、外の世界を全く知らなくて、ご褒美を貰うだけですから。……でも、ユユ、欲が出てきたんです」


 ユユから、欲。

 あそこまで禁欲的で自己犠牲に溢れていたユユから、欲が出てきた。


「虎太郎さんと一緒にいたい。もっと、色々なところに出かけたい。もっと沢山のものを、一緒に食べたい。……もっと、触れていたい」


 ユユの頬はさらに真っ赤になり、もはや耳の先まで赤く染まっていた。


「結論が出るのが、怖かったです。ですから、あと一日、告白をなかったことにするのを待とうと思いました。あと一日、明日ちゃんと話す、明後日必ず、今週末までに……」


「それで、ここまで来た」


「はい。こんな事、初めてです」


 ユユはフォークを置き、行儀良く両手を膝の上に置く。


「虎太郎さん」


 じっと、大きな瞳で俺を見つめてくる。


「告白の返事、お聞かせください」


「――俺は……」


 ずっと、悩んでいた。

 俺はユユと一緒にいていいのか。

 ユユからの告白を受ける価値があるのか。

 俺は、どうしたいのか。


「……ごめん」


 呟くように、それだけを答えた。


「そう、ですか……」


 ユユは瞬時に理解し、消え入りそうな声で返事をした。


「俺は、ユユがバンドに入るべきだと思う」


「どうしてですか?」


「……ユユをあそこから助け出して、ご褒美をあげて、俺はそれで幸せになるものだと思っていた。でも、どうやら違うみたいだ」


 しのに会ってから、ユユから告白を受けてから、ずっと結論が出ていなかった。

 どうすべきなのか、わからなかった。

 でも、今は違う。


 俺は美沙希と話し、しのと話した。

 冷静になって考えれば、すぐにわかることだった。

 俺とユユの間には、大きな違いがある。

 残酷なまでの、才能の有無。


「ユユは俺といたら、きっとこれ以上の幸福を掴み取ることができない。ユユはもっと上に行けるんだ。誰も達したことのない上へ行くんだ。……そして、そこで幸せになるべきなんだ」


 もう、俺のやるべきことはとっくに終わっていたんだ。

 あの家からユユを連れ出す。

 それでもう、俺はユユにしてやれることは無くなったんだ。


「だからユユ、俺のことなんか忘れて、しのの元に――」


「嫌です」


 ユユの声が店内にこだまする。

 はっきりと、拒絶を含んだ言い方だった。


「ユユ、それは嫌です」


 ユユは目に涙を浮かべ、耐えるように歯を食いしばっていた。


「嫌って……ユユが決めてほしいって言ったんだろ」


「虎太郎さんなら、ユユを引き留めてくれると思ったからです」


 それを言われ、俺は何も言えなくなった。


 ユユは膝の上で両こぶしをギュっと握る。


「どうしてですか?」


 迷子のような表情でユユが俺を見てくる。

 目に溜まった涙が揺れ、今には卓上にこぼれ落ちそうになっていた。


「どうして、ユユが虎太郎さんから離れないといけないんですか? ……こんなに、こんなに好きなのに」


 そう。

 どうして、こんなことになってしまったのか。

 俺もユユのことが好きだ。

 できることなら、ずっと一緒にいたい。

 でも、それは叶わない。

 ユユが幸せになるために、俺はこの恋心をあきらめないといけない。

 そして、それはユユも同じだ。

 俺たちは二人であきらめることで、やっと次に進むことができるんだ。


「おかしいです。これで終わるだなんて、絶対におかしいです」


「……もう、無理なんだよ」


 確かに、ユユは変わった。

 自分のしたいことを言えるようになったし、笑顔も増えた。


 以前の中身に何も入っていないような空虚さが無くなり、年頃の女の子になった。

 だからこそ、ユユはより深く傷ついた。

 もし、その感情を持たなかったら。

 俺と出会わなければ。

 ユユは泣くことは無かった。

 俺が、ユユを苦しめたんだ。


「虎太郎さん。何か言ってください。お願いします。……ユユを助けてください」


「――ッ」


 心臓が痛かった。

 吐き気がし、今すぐ倒れそうだった。

 俺はユユをこんなに悲しませている。

 ユユが俺に助けを求めている……。


「ユユ」


 俺は小さく深呼吸をしたのち、ユユの名を呼ぶ。

 ユユは涙を指で拭い、「……はい」と、赤く充血した目で返事をした。


「今まで、ありがとう」


 これでよかったんだ。


 ユユは俺と一緒にいるべきじゃない。

 あのアパートに縛り付けるべきじゃない。


 ユユはもっと広い世界に羽ばたくことができる。

 だから、これが最善なんだ。


 ユユは、答えなかった。

 収まったかと思った涙が溢れ、何も言うことができそうになかった。


 でも、もうユユもわかっているはずだ。


 これで、俺たちは終わり。

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