第25話 襲撃
駅に到着し、とりあえず適当な路線を選んでホームに降りた。
昼過ぎのホームに人は少なく、周りを見渡して、しのが追いかけて来ていないか確認をする。
俺たちはベンチに座り、一息つく。
電光掲示板で確認すると、十五分後に急行の電車が来る。
それに乗って、どこかへ逃げよう。
奇遇にも明日は日曜日で、高校は休みだ。
しのも明日にはあきらめてアパートを離れるだろう。
明日の夜ごろにこっちに戻れば、大丈夫なはずだ。
「~♪」
風に紛れて、何かが聞こえる。
よく耳を澄ますと、隣にいるユユの鼻声だとわかった。
カラオケ店で歌った曲のサビ部分。
そこのフレーズをユユは何回も繰り返す。
ユユは背筋を伸ばし、対岸のホームをボーっと見つめながら鼻歌を歌っていた。
機嫌が良いから鼻歌を歌っているという感じではない。
どちらかというと、頭の中で曲が流れているから、無意識の中で歌っているような感じだ。
そんなユユの姿を眺めながら、つい考える。
今、自分のしていることが本当に正しいのか、わからない。
そもそも、ユユにどうして欲しいのかすら、決めることができていない。
ユユはバンドに入るべきなのか。
それとも、俺との生活を続けていくべきなのか。
――そして、ユユのからの告白。
ユユは俺のことを好きだと言ってくれた。
俺も、ユユのことは好きだ。
でも……。
俺はただ、目の前にある問題を先延ばしにしているだけだ。
それに対して自分なりの答えを出そうとせず、ただ時間が解決してくれるのを待っている。
美沙希は答えを出した。
ユユという天才が現れ、自分の小ささを突き付けられてもなお、何とか答えを出した。
なら、俺はどうするべきだ?
「ちょっと、トイレに行ってくる」
俺はベンチから立ち上がり、そう独り言のように呟いた。
「すぐに戻るから」
「……はい、待ってます」
ベンチから離れ、駅のホームにあるトイレへと目指す。
今日一日で色々なことが起きた。
頭がまだ整理しきれていない。
顔でも洗って、気分を変えないと。
ホームのやや端の方に併設されたトイレに近づき、男子側に入る。
と、その瞬間。
「うぉ――⁉」
急にTシャツの首根っこを掴まれ、誰かに後ろから引っ張られた。
バランスを崩し、引っ張られるがまま後ずさる。
誰だ?
首を後ろにねじることができず、見えない。
そんな風に混乱した思考の中、俺は特に抵抗することもできず、多目的トイレの中に無理やり入れられた。
力任せに引っ張られ、俺は崩れるように便座の上に座り込む。
勢いよく座ったため、壁に後頭部をぶつけ、痛みが走る。
「ッ――」
俺は後頭部を手で押さえたまま、しばらく悶絶する。
目の前にちょっとした火花が見えた。
「痛った……誰だよ」
俺は後頭部を押さえたまま、前を向く。
「うるせぇ。黙れ」
そこには、しのが立っていた。
「……お前、なんでここに⁉」
俺は数秒遅れて彼女を把握し、驚きながらそう訊く。
しのはなんでもないかのように、「GPS、お前につけたからな」と、言い放った。
「ズボンのポケットの中、見てみろ」
俺は言われるがままジーンズのポケットに手を入れ、中を探る。
すると、右ポケットの中に消しゴムサイズの黒いプラスチックの箱が出てきた。
これが、GPS。
「いつ入れたんだよ」
「公園でに決まってんだろ。ユユの腕を掴もうとしたときに、スルッとお前のポケットの中に入れてやったんだよ」
なんの悪びれもなく、しのは雑に説明した。
俺にGPSを付けていたから、アパートの場所が分かったんだ。
きっと、帰り道のところを待ち伏せていたんだろう。
そして、駅で俺をここに捕まえることができたのも、同じ理由か。
「なんの用だ」
俺は身構え、そう訊く。
しのは危うい性格の持ち主だ。
そんな奴と個室で二人きりなんて……最悪、殺されるかもしれない。
「――ハッ」
しのが馬鹿にするように、短く笑う。
「そう警戒すんなよ。うちはお前とちょっと話がしたいだけだ」
「ユユとではなくて?」
「ユユはもういい。あいつはきっと、もうわかってる」
それは、ほとんど確信に満ちた言い方だった。
「あの茶髪の女も、もういいだろ。――それよりも、お前だな。お前は何にもわかってなさそうだったから。本当はカラオケであの茶髪と別れた後に会おうと思ったんだけどよ、ユユの住んでいるところをついでに把握しようと思って、先回りしたんだ」
そこまで話し、しのは一呼吸置く。
耳元にあるピアスを指でいじり、次に何を話そうか悩んでいるようだった。
「……何が言いたいんだよ。もう用がないなら、行くぞ」
俺はチャンスだと思い、便座から立ち上がろうとする。
「おい!」
しのはすぐさま反応する。
全体重をかけ、両手で俺の肩を押してくる。
「うわっ!」
俺は再び便座に座り込む。
しのはバランスを崩し、上半身を俺に預けてきて俺の膝の上に跨って座った。
しのと密着するような形になり、首元からフワッと薔薇の香りがした。
耳元のピアスが俺の肌に当たり、少し痛い。
「おい、てめぇ」
「ふがっ」
しのは俺の口元を手で覆い、もの凄い形相で睨んでくる。
「勝手に逃げようとすんな。うちがまだしゃべってんだろ。次逃げようとしたら、叫んでやるから。『レイプされそうだ』ってな」
俺は声を出さず、数回頷く。
きっと、嘘じゃない。
こいつは次に俺が逃げそうになったら、本当にそう叫んで俺を貶めるつもりだ。
「――お前には釘を刺しておこうと思ってな。ユユとの大事な勝負を潰されたくねぇし」
しのは話を戻し、言葉を続ける。
「お前が何をしようとも、もう止められねぇんだよ。きっとユユは心の中で、歌を望んでいる。それをお前が引き留める権利はねぇ」
「け、権利って」
俺はしのの手から逃れるようになんとか顔を動かし、話す。
「急に知らない奴が現れて、バンドに誘われて連れて行かれそうになったら、止めるに決まっているだろ」
「決まってねぇ。決まっているわけねぇだろ。お前一人で勝手に決めんな」
しのは俺の言葉を叩き切るように言った。
「うちらはDNAレベルで音楽を求めてんだよ。それをてめぇが妨害してくんな」
「音楽求めるって……それで失敗したらどうすんだ。責任取れるのか?」
「じゃあ、お前はやらずに後悔したときの責任取れんのかよ」
「ユユがやらずに後悔するって、どうしてお前が勝手に決めるんだ」
俺たちはじっと睨み合い、一歩も譲らない。
いくら、しのが何をしでかすかわからないとは言え、ここで黙っているわけにはいかない。
「――てめぇはそうやってユユを縛り付ける。あの狭ぇアパートに閉じ込めて、家事をやらせて、いいようにこき使ってんだろ」
「そんなわけない!」
俺は思わず声が大きくなる。
「俺はユユのためを思ってる! ユユを縛り付けたりなんかしてない! やりたいことはご褒美としてやらしてる! あんたがなにも知らずに――」
「おい」
その一言で、俺の話は途切れる。
しのは俺を睨み、「んだよ、ご褒美って」と、怒りに満ちた声で訊いてきた。
「……ユユはつらい過去を過ごした。だから、ご褒美としてなんでもやりたいことをやらせているんだよ」
「……なんだよそれ。気色わりぃ」
「え?」
しのは唸るように言い、俺を軽蔑に満ちた目で見てくる。
「ご褒美って、お前正気かよ」
「……何か変か?」
「なんでお前がユユにご褒美を与える側にいるんだよ。なんで自分が上にいると思ってんだよ」
「いや、そんなつもりは」
「てめぇはどうせ! ユユがご褒美を受け取る姿を見て、自分が上にいると思いたいだけだろ! ユユがご褒美をねだっている姿を見て、興奮してんだろ!」
「そ、そんな事ない!」
そう反論しても、しのは俺の声を聞こうとはしなかった。
「かわいそうだ。ユユがてめぇみたいな奴と一緒にいて、可哀そうだ!」
吐き捨てるように、しのは言った。
違う。
そんな気持ちでユユにご褒美をあげていたわけじゃない。
俺はただ素直に、ユユが幸せになればと思って……。
――手のひらに、柔らかい感触。
見ると、しのは俺の手を取り、自分の胸に当てていた。
「うぁ!」
俺はおかしな声を上げ、すぐさま手を引こうとする。
しかし、しのは俺の手を離さなかった。
俺はなるべく指先を反らし、胸を触れないようにする。
けれど、どうしたって手のひらが離れない。
パーカーの布越しに感じる、柔らかくて包まれるような感覚。
ダメだ。
こんなこと、するべきじゃない。
「じゃあ、うちがユユの代わりになってやるよ」
しのはそう言い、胸に俺の手を当てたまま、ゆっくりと顔を近づけてくる。
耳元に口を近づけ、
「うちがお前にご褒美を与える。……だから、ユユをくれ」
と、囁くように言った。
「な、何を……」
俺は思わず顔全体が熱くなり、汗が噴き出してくる。
目を瞑り、心の中で何度も繰り返す。
考えるな、考えるな、考えるな。
「お前にとって良い取引だろ? どうだ?」
ダメだ、ダメだ、ダメだ。
「……どうして、そこまでする?」
「うちには音楽しかないから」
即答だった。
「うちは音楽以外、何もできない。料理も洗濯も勉強も運動も、人に優しくすることもできない。でも、音楽だけは私を匿ってくれる」
しのは俺の肩に頭を預けてきて、ほとんど抱き着かれるような恰好になる。
「音楽がうちをこの世界にとどめてくれた。音楽だけが、いつもうちのそばにいてくれた。うちを自由にしてくれた」
しのからとげとげしい雰囲気が消え、声の輪郭が柔らかくなった。
「だから、うちは音楽のためならなんだってできる。死ねと言われれば死ぬし、殺せと言われたら殺す」
その言葉に一瞬の躊躇もなかった。
「音楽でさらに向こう側にいける可能性があるのなら、うちはボーカルをやめたっていい」
「……だから、ユユを誘ったのか」
「ああ。あいつがいれば、うちのバンドはさらに一段階上に行くことができる」
ふと、噴水の前で歌うしのの姿を思い出す。
何かを掴み取ろうとするように、もがきながら歌うその姿。
「ユユもきっと同じだ」
俺に抱き着きながら、しのは話を続けた。
「あいつも音楽に呪われ始めているはず。きっと、頭の中にずっと何かしらが流れている。それを止めようとしても止まらず、気が付いたら歌を歌ったり、曲を作ったりしているんだ」
頭の中で再生される。
このトイレに来る前に聴いた、ユユの鼻歌。
飽きることなく、何度も歌うユユ。
あれが、才能の一部。
「意識的にも無意識的にも、そういう衝動に寄生されるのが才能ある奴っていうんだよ」
しのが俺の腕を離し、体に手を回してくる。
ギュっと、力強く抱きしめてくる。
「だからさ……」
しのはぽつり、小さな声で話す。
「ユユを連れていかせろ。……お願いだから」
最後は消え入りそうな、懇願の声。
「……狂ってないと、消えたくなるんだよ」
その言葉はきっと、無意識に漏れ出たものなのだろう。
一瞬だけ、しのがユユと変わらない小さな女の子に見えた。
……でも。
「――ごめん」
俺はそう言い、しのの肩を押して体から剥がす。
すぐさま立ち上がり、急いで扉へ急ぐ。
扉を開け、ホームに出る。
小走りでユユの元へ向かう。
後ろは決して振り向かなかった。
しのが叫ぶ声も、聞こえなかった。
しのと話しても、やっぱり答えは出なかった。
むしろ、怖くなった。
あれ以上しのと一緒にいたら、ユユの元に戻れないような気がした。
この先、どうすればいいのかわからない。
それでも、今はユユと一緒にいるのが正しいと思った。
ユユのいるベンチに到着すると同時に、ホームには急行の電車が滑り込んできた。
「ユユ!」
俺はユユの手を取り、扉が開いた電車に飛び乗る。
「虎太郎さん?」
俺の挙動不審から、ユユが不思議そうな目で見てくる。
電車の扉が閉まり、ゆっくりと動き出す。
窓の外を見ると、ホームにこちらをじっと見つめるしのがいた。
しのは電車が進むたび小さくなり、やがて見えなくなった。




