第23話 元カノ
「おにーさん」
ふと、背後からそんな声が聞こえる。
振り返ると、そこに美沙希が立っていた。
「大丈夫? なんか、辛そうな表情だけど」
「ああ……平気だ」
俺はなんでもないかのように返事をし、ジュースの残りをグイッと飲み干す。
美沙希はプラスチックのコップを二つ手に取り、「私もなんか喉乾いちゃって。ユユの分も持っていこうと思うんだけど、何がおすすめ?」と、訊いてきた。
「適当にコーラでも飲んでろ」
「それじゃあ、つまんないよ。せっかくのドリンクバーなんだしさ」
「知らん、コーラにコーヒーでも混ぜてろ」
「私が求めているおもしろさって、そういうことじゃないんだよね」
美沙希もユユの歌に思うところあるのか。
いつもの雑談がより一層空虚めいていた。
美沙希は機械の前で悩んだ挙句、一つのコップにはメロンソーダを入れていた。
「……さっきのユユの歌、凄かったね」
「ああ……」
これ以上、この話題を続けたくないので、なるべくそっけない返事をする。
しかし、美沙希は俺の方を向き、話を続けた。
「私さ、実はわかっていたんだよね。ユユには、特別な才能があるって」
「カラオケで動画を撮ったときか?」
「それもそうなんだけど、最初にわかったのはもっと前。……お兄さん、学校でユユはどう見られているのか、知ってる?」
「……え?」
思いもよらない質問に答えることができなかった。
学校でのユユ。
さっぱり知らない。
ユユから学校のことなんて、全く聞いたこともない。
美沙希が友達でいるから、何とかやっているんだろうと思っていた。
「ユユ、学校中のみんなからこう言われているんだよ。――天才少女、って」
「それは、どうして?」
「ユユは二学年から入ってきた転校生。当然、前にいた高校と学力も授業の進み具合も違うはず。それなのにこの前の中間テスト、ユユは一位を取ったんだよ。全教科、学年全体で」
二年生の中でユユが一番、テストの点数が良かった。
「――ちょっと待て。おかしい。これはユユが、歌が上手いっていう話だろ?」
「違うよ」
美沙希はメロンソーダが入ったコップの中に氷を入れながら、そっけなく答えた。
「言ったでしょ。ユユは、天才少女だと呼ばれているって。テストの点数、歌の上手さ、――それに加えて運動、画力も学年、いや校内で一位なの」
「……そんな事、あるわけがない」
「ほんとだよ。今度学校に電話で訊いてみたらいい。学力で随一の奴がいる、バドミントンで部活の奴らを負かした人がいる、厳しい美術の先生がべた褒めをしていた作品をユユいう子が描いた。そんな話がゴロゴロ出てくる」
俺は美沙希の言葉をすぐに否定することができなかった。
心当たりは、ある。
まず第一に先ほど聴いた、ユユのあの歌声。
担任からの言葉と、体育館でのスリーポイントシュート。
そして、ユユの過去。
小学校高学年から祖父母のお世話をしていた、一人で。
そんな事、普通の子供ができるわけがない。
途中でどうにもできなくなっているはずだ。
でも、ユユは二人が死ぬまでお世話を続けた。
続けることが、ユユにはできた。
そんな事、できるはずがない。
小さな子供が老人の世話など。
できるとすれば、ユユの中に何かしら人より秀でている才能があるということだ。
「馬鹿みたいだよね、こんな話。漫画のキャラじゃないんだから。……でも、本当なの。ユユの中には、いくつもの才能が眠っている」
ユユの中で才能が形成されていったのか、それとも元々持ち合わせていたのか、定かではない。
それでも確実に言えることはある。
厳しい性格の祖父母だ。
お世話をすると言っても、難癖や厳しい指導を日々浴び続けていたに違いない。
助けを求めても、誰も助けてくれない。
外界をシャットアウトし、一切干渉されない場所にユユはいた。
きっと、毎日が様々な事柄の訓練だったはずだ。
だからこそ、不幸にもユユの才能は研ぎ澄まされていった。
掃除、料理、洗濯、全てが完璧に近づいていた。
そしてそれに引っ張られるように、様々な才能も底上げされていった。
そしてそれらの才能が今、開花しようとしている。
「……美沙希はどうして、そのことを俺に教えてくれなかったんだ」
確かに、ずっと暮らしていてユユの才能に気が付かない俺は馬鹿だ。
それでも、美沙希から一言もそのことについて言及されなかった。
まるで、わざわざ黙っていたみたいだ。
「楽しい空間を、壊されたくなかったから」
ふと、美沙希が手にしていたコップの水面が目に映る。
氷は既に解け、メロンソーダの中に混ざってしまっていた。
「ユユの才能がこれ以上多くの人に見つかったら、きっとユユは私たちの元に居られなくなる。多くの人達がユユに何かさせようと、引っ張り出そうとするはず」
そしてそれが今、現実になりつつある。
ユユは、しのに見つかってしまった。
世界がユユの才能を求めつつある。
「でもさ、私本当にユユと一緒にいるときが楽しくて。……ユユといるときだけ、笑顔になれたの」
ふと、美沙希は柔らかく笑った。
それは、俺も同じだった。
ご褒美を抜きにしても、ユユといるときだけ、確かな幸せを感じることができた。
俺は追加で何か飲もうと、機械にコップをセットする。
コーラのボタンを押そうとした瞬間、ポンと背中を軽く押された。
見ると、美沙希がおでこを俺の背中につけ、頭を預けてきていた。
「おい、美沙希」
「お兄さんは、何かスポーツやってた?」
美沙希は俺の言葉を無視し、話し始める。
「私、中学のときにバスケをしてたの。途中で怪我をして、中三の春に辞めちゃったけど」
その時、美沙希と初めて会ったときのことを思い出した。
美沙希は中学時代の先輩から、バスケに戻らないかと誘われていた。
「バスケがつまんなくなったのは確かだし、部活のために色々我慢していたものを高校になってやれているのは楽しいよ。でもね……」
一瞬、声が小さくなった。
まるで、この先のことを言いたくないかのように。
「……でも先月の体育でバスケをしたとき、私、ドリブルでユユに抜かれたの。ふざけたり手を抜いたわけじゃない。本気だったのに、ユユは私の数年間のバスケ経験を一瞬にして飛び越えていったの」
才能は、ひどく残酷なもの。
それは俺も身に染みてわかっていた。
あれは、俺たちの努力を一瞬にして無にしてしまうものだ。
「それでユユのことが嫌いになったわけじゃないよ。大好きなのは前と同じ。……それでもね、ユユを目の前にするとつい考えちゃうの。部活で泣きながら努力していた、あの数年間を」
声は、少しだけ震えていた。
「俺も同じだ」
「え?」
「俺には何も無い。だから、才能を持つ奴らに木端微塵にされる気持ち、俺にもわかる」
「……それ、慰めになってないよ」
「お前みたいな奴を慰めたりするもんか」
「ここは元カレらしく、頭を撫でてくれてもいいんじゃない?」
「調子に乗るな。元カノなんて、背中を貸すだけで十分だ」
「じゃあ、今カノには?」
そこで、美沙希は顔を上げた。
目が少しだけ赤くなっていたが、先ほどまでの迷いはもう、その目からは感じなくなっていた。
「私、決めた」
「……何を?」
「ユユ、バンドに入るべきだと思う」
「お前、本気で言っているのか?」
「このまま才能を枯渇させるのはもったいない。ユユに才能があるのなら、それを持って世界に羽ばたく義務があると思う」
「でも、ユユはそんな事望んじゃ――」
「私の元から飛び去って、よかったと思うかもしれない。ユユはこれからきっと、多くの人たちから拍手を貰う人生だよ。私たち以外から、沢山のご褒美を貰うことになる。それはそれで、幸せなんじゃない? ……それにそうじゃないと、何も持ってない私たちが報われない」
笑顔を崩さず、美沙希は言った。
それがきっと、彼女なりの強さなのだろう。
「じゃあお兄さんは? どうするつもりなの?」
「俺は――」
何も答えることができなかった。
ユユにはどこにも行ってほしくない。
本当にそれが正しいのだろうか?
あれだけの才能を持つユユには、ふさわしい居場所が別にあるんじゃないのか。
ユユが俺の元にいて、幸せになることができるのだろうか。
いくら考えても、答えは出てこなかった。
ユユもきっと同じなのだろう。
当然言われ、何も答えることができない。
だから、俺に決めてもらおうとした。
結局、俺はしばらく経っても答えなかった。
美沙希はユユのコップに、コーラとコーヒーの両方を入れた。




