第22話 歌声
カウンターで受付を済ませ、俺たち三人は細長い廊下を歩いていく。
立ち並んだいくつもの扉からは、様々な歌声や笑い声が漏れて聞こえた。
「ここか」
俺はカウンターで言われた番号が書かれた扉を見つけ、開けて中に入る。
L字型のソファーがある、少し狭い個室。
大きな液晶テレビには、見たことも無いアイドルが踊るMVが流れていた。
ユユと美沙希も中に入り、扉が閉まる。
廊下の喧騒は一気に聞こえなくなる。
美沙希はソファーに座り、真っ先に卓上にあるビニール袋を破って消毒済みのマイクを取り出し、「はい、ユユ」と、マイクを手渡した。
「おい、来て早々だろ。ちょっとは落ち着け」
「終わるなら、さっさと終わらせた方がいいでしょ」
「でも」
「動画じゃなく、実際に聴いた方がよくわかる。だからここに来たんでしょ、お兄さん」
「……そうだけどよ」
「ふ、二人とも」
ずっと黙っていたユユは口を開いた。
俺たちは真ん中に座るユユに目を向ける。
「ユユは平気ですから……」
そう言い、ユユは検索機を手に取って曲を選んでいく。
しのが去った後、俺たちは警察がやって来る前にその場から去った。
駅に戻ってショッピングを続ける気にはならなかった。
しかし、そのまま解散して家へ戻る空気でもなかった。
だから、カラオケ店に行って確かめようと思った。
しのが言っていた、ユユの歌手としての才能。
それは本当なのか、実際に聴いて確かめる。
ユユは検索機を卓上に置くと、画面に映っていたアイドルのMVは消え、画面には曲名とアーティスト名が表示される。
ユユが歌う曲は、若者に大人気の女性シンガーソングライターの代表曲だ。
YouTubeにアップされたMVの再生回数は三億回を超えており、去年の紅白歌合戦でも歌われた。
「何も曲を知らなかったから、私がユユに人気の曲を教えたの」
補足するように、美沙希が言った。
遅れてギターの音色が聞こえ、伴奏が始まる。
ユユはマイクを両手で丁寧に持ち、歌詞が表示される画面をじっと見つめていた。
数十秒の伴奏が終わり、歌い出しが迫ってくる。
ユユは小さく息を吸い、歌い始めた。
「……まじか」
自然と、口からそんな感想が出ていた。
目の前で起きている光景が信じられなかった。
『上手』という言葉では許容できない。
それほど凄まじく、素晴らしい歌声だった。
優しく、包れるような癒されるような……それでいて、しっかりとした芯がある歌声。
がむしゃらに歌って周りの人たちの胸倉を掴んで引き込む、しのとは違うタイプ。
ユユはどちらかというと、歌声がその人の琴線に優しく触れ、吸い寄せられるように自然と人が寄って来るような感じだ。
テンポも呼吸の仕方も、素人目から見てもとてもよくできていると思う。
シンプルな歌声のはずなのに。
歌詞以上の情報がとめどなく頭の中に流れ込んでくる。
悲しみ、喜び、怒り、尊敬、愛情、葛藤、もどかしさ、そして恋心。
心臓が痛いくらいに、激しく脈打つ。
思わず、目頭が熱くなる。
止めることができない。
ずっと聞いていたい。
死ぬまで、ずっと……。
ユユがマイクを口から離し、曲は終わった。
あっという間だった。
俺は隣を向き、ユユに拍手をする。
遅れて、美沙希も拍手をする。
ユユは卓上にマイクを置き。
「そんな……二人とも、止めてください……」
と、顔を真っ赤にして恥ずかしそうにしていた。
「凄く、よかった」
俺は拍手を止め、そう言った。
その言葉以外、なんて言えばいいのかわからなかった。
「ありがとう……ございます……」
俺の言葉に対し、ユユは小さく頭を下げる。
「――それでユユ、どうするの?」
美沙希は茶髪を耳にかけ、ユユの顔をじっと見てそう訊いた。
その一言を聞いた瞬間、忘れかけていた本来の目的を思い出した。
確かに、ユユには歌手としての才能があると思う。
だからといって、バンドに入れさせることとは話が違う。
……いや、本当にそうなのか?
「ユユは、わかりません」
申し訳なさそうに、ユユは小さく言った。
「歌を褒められて、ユユは嬉しいです。でも、いきなりバンドに入って日本中を回ると言われても……」
ユユは顔を上げ、俺の方を向いてきた。
大きな瞳と目が合う。
「どうしたらいいですか? ユユには決められません。……虎太郎さん、決めてください」
――あ、ダメだ。
その瞬間、俺はユユから目を逸らしていた。
おかしい。
さっきまで、あんなにユユの歌声を凄いと思っていたのに。
「……俺、ちょっと飲み物取ってくる」
そう言い、背中に視線を感じながらも、俺は個室から出た。
重たい足取りで廊下を歩き、ドリンクバーの機械が置いてある場所までなんとか移動する。
プラスチックのコップを手に取り、機械にセットしてオレンジジュースのボタンを押す。
コップにジュースが勢いよく入っていき、俺はそれを手に取って口に含む。
味がしない。
頭では違うことを考えているから。
ユユの歌声は確かに凄まじいものだった。
聴いている間は夢心地で、感動してしまった。
きっと、ユユには才能があるのだろう。
……だからこそ、素直にユユのことを直視することができなかった。
ユユのことを羨ましいと思ってしまった。
俺の中にある、選ばれた才能を持つ者に対する汚いコンプレックスを刺激された。
俺には何も無いのに。
どうして、ユユの手にはあるんだ。
つい、そう思ってしまう。
この先、どうユユと付き合って行けばいい?
どう、一緒に暮らしていけばいい?
きっと、ユユにご褒美を与えているときに感じてしまう。
目の前にいる子には、俺が持って生まれることができなかったものを持っているんだ、と。
そんな子にわざわざ自分の力を使って、ご褒美を与えないといけないんだ、と。
こんなことを考えるべきではないことくらい、わかってる。
ユユはあの壮絶な過去を経て、今を生きている。
だからこそ、ご褒美を受け取る義務がある。
しかし、どうしたって考えてしまう。
俺とユユの決して埋まらない差を。




