第21話 ガラス片
「……よし、行くか」
俺はユユと美沙希に向かって、そう訊く。
「そうだね。ユユ、行こ」
「はい」
美沙希はユユの手を取り、俺たちは駅の方へと歩き出す。
その瞬間だった。
「――おい!」
後ろから、乱暴に声を掛けられる。
振り返ると、しのがファンたちの間を縫って、駆け足で近づいてきた。
歩みを止め、俺たち三人の顔をまじまじと見てくる。
やがてユユに目線が止まり、「お前か!」と、急にユユの手を取り、力強く握った。
「ずっと! 探してたんだよ!」
ユユは身動きせず、衝撃で言葉を失い、ただ口を動かした。
「ちょっと! 急になんなのよ⁉」
美沙希がそう言い、間に入ろうとしたその時、しのはニヤリと口角を上げ、「お前! うちのバンドに入れ! 一緒に音楽やるぞ!」と、ユユだけを見て、叫んだ。
しのが着けているピアスが揺れ、太陽の光を反射する。
その光が刃のように目に突き刺さり、俺は思わず顔をしかめた。
「えっと……」
困惑した様子のユユがちらりと見てきて、目が合う。
助けを求める視線だ。
俺は二人の間に入り、「ユユ、こっちだ」と、ユユを俺の後ろへと逃がす。
「……チッ。んだよ、おい」
しのが舌打ちをし、俺のことを見上げてくる。怯む様子のない、鋭い目つき。
体格差で言えば明らかに俺の方が上のはずなのだが、それでも体の中で警告音が鳴り響いている。
こいつは、やばいと。
「てめぇ、うちの邪魔すんなよ。殺すぞ」
「こ、殺すって……。急に人の手掴んだ上に殺すって、なんのつもりだ」
俺はしのの迫力に負けないように背筋を伸ばし、精一杯しのを見下ろして言い返した。
「だーかーら! そのユユっていう奴をうちに寄越せつってんだろ!」
しのは明らかにイライラした様子で叫び、俺の背中に隠れているユユを指差す。
ユユは背中に隠れる。
不安げな表情で、俺の服をギュッと握った。
なんだなんだと、ファンたちが俺たちを中心に集まり出す。
しかし、しのは構わないといった様子で、「おい! ユユ! 聞いてんのか⁉」と、話を続けた。
「そんなところから抜け出して、うちのバンドに入れ! そんで全国回って、日本中にお前の実力を見せつけてやるんだよ!」
「あんたは何を……」
つい、そう言葉が漏れ出る。
どうしてこいつはそこまでユユにこだわる?
というか、どうしてユユだけを狙う?
ユユがこいつのバンドに入る?
ユユの実力?
俺たちとしのはここで初めて会っただけだ。
それなのにどうしてしのはユユを欲しがる?
わけがわからない。
「おら! ユユ! 行くぞ!」
しのはそう叫びながら、俺の後ろに隠れているユユに向かって手を伸ばす。
しかしその手はユユに届かず、数センチ手前で止まった。
見ると、美沙希がしのの手を掴んでいた。
美沙希は逃がさないように両手でしのの腕をかっちりと掴み、喧嘩腰で言い放つ。
「急に話しかけてきたと思ったら……なんなの⁉ あんた!」
「……ああ? んだよ、てめぇには関係ねぇだろ」
「ユユは私の親友! むしろ、部外者なのはあんたの方! こっちは大好きな親友とのデートを邪魔されてムカついてんの! そうだよね⁉ お兄さん!」
急に俺に話が降られ、若干驚きつつ、「あ、ああ! そうだな!」と、何とか言い返す。
「あの……三人とも喧嘩は……」
ユユが遠慮がちにそう言うも、すぐにしのの声にかき消されてしまった。
「ピーチクパーチクうるせぇなぁ! うちはユユと話してんだ! 邪魔してくんなよ!」
「だから、それが迷惑だって言っているでしょ⁉ ユユは、うちらとデート中なの!」
「何がデート中だ馬鹿! 三人でデートって二股になってんじゃねぇか!」
「そうよ! それの何が悪いの⁉」
「おい! 話をややこしくすんなよ!」
「元カレ! あんたはどっちの味方なの⁉」
「今そういうこと言うなって!」
「やっぱりお前ら、そういう関係じゃねぇか!」
「いやだから違うって!」
「とにかく! 得体の知れないあんたに、うちのユユを渡すわけにはいかないから!」
と、言い、美沙希はベーっとしのに向かって舌を出す。
ガキかお前。
「……お前らは、本当に何もわかってない」
絞り出すような、しのの声。
唇を噛み、しのは腕を大きく動かして美沙希の手を振り払う。
「――しのさん、そろそろ……」
しのを見かねたファンの一人が近寄ってきて、仲裁に入って来る。
しかし、しのはファンを睨み、「うるせぇ!」と、ファンに向かって叫んだ。
「そうやってお前らはユユを殺していくんだ」
しのが再びこちらを向くと、目に小さな涙が溜まっていた。
「自分のフィールドの中にユユを閉じ込めて! 何もしてやらずに殺すんだ! ユユの才能を潰そうとしてんだ! それを、お前たちはわかっていない!」
俺たちに向かって吠えてくる彼女の中には、一体何が渦巻いているんだ。
どうしてそこまで、俺たちのことを悪く言ってくる。
「そんな事、ない」
俺はつい、反論が口から出ていた。
「俺たち三人は幸せになろうと生きている。それを見ず知らずのお前に否定される筋合いは無い」
我慢ができなかった。
俺はユユを幸せにしようとしている。
美沙希もユユと仲良くしてくれる。
それは否定できないことのはずだ。
「――ハッ」
小さく、しのは笑った。
まるで、馬鹿にするかのように。
しのはふらりと動き出し、ファンの一人が持っていた酒瓶を指差す。
「それ、頂戴」
「な、何に使う気ですか?」
「いいから、早くしろ」
ファンは渋々、酒瓶をしのに手渡す。
しのは手に持った酒瓶を大きく掲げ、そして地面へ振り落とした。
ガチャン! と、瓶の割れる音が響き渡る。
その音に気が付いた人たちが、しのの様子をじっと遠巻きに見る。
しのは地面に散らばった瓶の破片を手に取る。
周囲がざわつき、しのから人がサーッといなくなる。
強く握っているのか、ガラス片を掴んでいる手からは血が流れていた。
しのはガラス片の先端を自らの首筋に当て、
「ユユがうちのバンドに入らねぇのなら、死んでやる」
と、冷たい声で言い放った。
「……おい。あんた、止めろって」
俺はユユの前に手を出して守りながら、説得するように言う。
こいつ、頭おかしいだろ。
バンドに入らなかったら死んでやるって、そんな脅し……。
ガラスの破片を自らに向けているしのは、落ち着いた様子でどこか冷めた表情をしていた。
「じゃあなんでユユは今、ここにいる? こんなところで遊んでいられる?」
「……どういうことだ?」
「お前たちがちゃんとやっているなら、世界がユユをこんなところに居させないはずだ。……お前らはユユの歌声、聴いたことあんのか?」
「ユユの歌声……」
そう訊かれると、俺は聴いたことはない。
でも、しのはなんで急にそんな事を――
「もしかして、カラオケの動画?」
突然、美沙希はしのにそう訊いた。
すると、しのはゆっくりと頷き、「お前、気が付いているだろ」と、美沙希に言った。
「お、おい美沙希、何だよカラオケの動画って」
「お兄さん、前に私とユユが放課後にカラオケに行ったことあったの、覚えてる?」
「……ああ」
それは覚えている。
確か、五月中だった気がする。
俺がバイト先から帰っている途中、ユユから『美沙希ちゃんとカラオケに行っていいですか』というメッセージが来ていた。
「私、その時、ユユが歌っているところをスマホで撮って自分の垢に上げたの」
それは初耳だった。
「どうして動画を上げた?」
「ただの思い出としてだよ。あとになって、ああ、あそこに遊びに行ったなって見返せるように。、顔にモザイクつけたし、ユユに上げていいか許可取ったし」
「そうなのか? ユユ」
後ろを向くと、ユユは小さく頷いた。
「私、全然フォロワーいないから。実際、動画の反応も全く無かった。でも……」
そこで、なぜか美沙希は口をつぐんだ。
「なんだよ」
「でも……」
「ユユの歌声は、唯一無二だ」
美沙希の代わりに、しのが言う。
「たまたまユユが歌っている曲名で検索をしていたら、あの動画を見つけた。――衝撃を受けたぜ。数十年に一度の天才を見つけちまったんだからな」
ユユが、天才? 歌の?
「ユユは歌の天才だ。聴く人を全員もれなく虜にする実力がある。活動を始めたら、きっと一気にトップまで上り詰める」
自身の考えを一切疑わない様子で、しのは話した。
「そこまでの才能、ぜひうちにバンドに欲しいと思ってな。それでそいつのアカウントから過ごしているところを特定して、探しにやって来たんだよ。――まさか、探し始めて一週間で出会えるなんてな! 神がうちらを引き合わせたに違いねぇ!」
物事が順調に進んでいて愉快なのか、ユユと通して希望ある自身の行く末を見ているのか、しのは笑顔だった。
しのから目線を外し、俺は後ろにいるユユを見る。ユユはうつむき、戸惑っていた。
「ユユ! そんなところにいる必要はねぇ! 行くぞ!」
しのはガラス片の自らに突き付けたまま、ユユに向かって手を伸ばす。
この手を取らずに逃げ出したらきっと、しのは本当に自らの首を切るだろう。
そのくらい、しのは狂っているし、ユユを心から求めている。
もはや彼女の中に、ユユをあきらめるという選択肢は無い。……なら、どうすればいい?
「しのさん!」
張り詰めた空気を切り裂くように、ファン一人が大声でしのを呼んだ。
「パトカー見えました! 誰かが通報したんです! 早く行きましょう!」
「――チッ、ふざけんなよ!」
しのは大きな声で吐き捨てる。
しのは無許可で路上ライブをし、騒ぎを起こした。
今、人気が出て来ているインディーズロックバンドのボーカルとしては、捕まるわけにはいかないのだろう。
「ほら! しのさん! 早くしないと!」
別のファンもギターケースを代わりに抱えて、しのを急かす。
しのは悔しそうな表情のまま、「ユユ! 踏ん切りつかねぇのなら、勝負だ!」と、ガラスの先端をユユに向ける。
「三日後、またこの公園で路上ライブをやる! その時、ユユも歌え! うちらの歌をそれぞれ聞いた奴らの投票で決めるぞ!」
しのは俺たちに構わず、一方的に話を進めていく。
「より客の拍手を貰えた方が勝ちだ! ユユが勝ったら、うちのバンドに入れ!」
「……そんなの、手抜きをすればいい」
それにそもそも、勝負に参加しなければいい。
簡単な話だ。
「そういくかよ、馬鹿」
しのは俺を睨み、低い声で言った。
「うちはユユの実力をわかっている。――だから当日逃げたり、手を抜いたら、うちがその場で死んでやる」
ポタリとガラスの先端から血が滴り落ちる。
地面に小さな赤い斑点ができた。
「ユユ! うちが自殺しても構わねぇのか⁉」
ピクリと、ユユは体を震わせた。
……狂ってる。
おかしい。
なんで。
たかが歌のために、どうしてそこまでできる?
「しのさん‼」
ギターケースを抱えたファンが、もう一度叫んだ。
「ああ! もう行くから黙ってろ!」
しのはガラス片から手を離し、先に行っているファンの元へ歩き出す。
一瞬、歩みを止め、振り返った。
「……あきらめるんじゃねぇぞ、ユユ」
最後にそう言い残し、ユユは走り去っていった。
さきほどまでの乱暴さは無い。
それは、優しさに満ちた言い方だった。




