第19話 帰り道
電車を降り、俺たちは駅舎を出た。
日が傾き始め、影が伸びていく。
俺はユユを背中に乗せたまま、アパートへ向かった。
「こ、虎太郎さん……本当に下ろしてくれないのですか……?」
「ああ、またユユが逃げるかもしれないだろ」
「ユユ、逃げたりしませんから……!」
「いいや、信用できない。観念しろ」
そこまで言われてやっと、ユユは黙った。
またいつ、保健室のような逃亡を図られるかわからない。
ユユには悪かったが、今日くらいは我慢してほしかった。
一体、ユユは俺の何に不満があって逃げようとしたのか。
どうしてここ最近、俺のことを避けているのか。
「ユユ、教えてくれないか?」
「……虎太郎さん?」
「どうして、俺から逃げようとした? やっぱり俺、頼りなかったか? 添い寝、嫌だったか?」
――そうだ。
俺はいつも、悔いが残る。
「もっと俺がユユの気持ちをわかってあげられたら。もっと、広い部屋に住まわせることができたら。いや、そもそも……」
頭の中でいくつものタラレバが生まれていく。
もっと、もっと。
俺がもっと、良い人間だったら。
そうすれば、もっとユユを――
「虎太郎さん」
声がする。
俺の名前を呼ぶ、声。
「保健室のことは……ごめんなさい」
「いや、謝らなくていいんだ。ただ、俺はわからないんだ」
「……最近のユユ、少し変なんです。虎太郎さんを意識すると、胸が張り裂けそうな感じがして……」
「俺のこと?」
「はい。メロくて、やばくて、キュンで、死ぬっていう感じです」
美沙希の奴、ユユに変な言葉を教えやがったな。
しかも、使い方も間違っているような気がするし。
「ごめんなさい。一緒に暮らしているのに、こんなことを言い出して……」
「……ユユは謝らなくていい」
俺はなるべく平静を装い、言葉を続けた。
「ユユは以前と環境が変わって、心も変化しているんだ。きっとこれから、俺だけじゃなく、美沙希にも」
「違うんです」
俺の言葉を断ち切るように、ユユは言った。
「ユユは今、幸せです」
迷いのない、はっきりとした言い方だった。
「虎太郎さんはユユを向こうから連れ出してくれました。何も知らないユユに、色々な物をくれました。住む場所に、食事に、服に……ユユにとって、夢のような日々でした」
「……そうか」
「頭を撫でてくれました。褒めてくれました。手を握ってくれました。一緒に楽しく、食事をしてくれました。……マフラーをくれました。虎太郎さんは、ユユに沢山のご褒美をくれました」
「そうだな……」
「今はユユの周りに優しい人が沢山います。美沙希ちゃんに、クラスの人たちに、先生に……以前とは、まるで違います。――それでもユユにとって、一番は虎太郎さんなんです」
「……ああ」
「虎太郎さんがくれるご褒美が、ユユを幸せにしたんです。ユユに笑顔を取り戻してくれたんです。それは虎太郎さんしかできなかったことなんです」
「……」
「虎太郎さんと食事をするのが、毎日の楽しみになりました。日々が愛おしくなり、眠る前に明日が待ち遠しくなりました」
「……」
「ユユは虎太郎さんと出会えてよかったです。虎太郎さんからご褒美を貰えてよかったです。ユユは、そう思います」
「……そう、か」
震えた声で、返事をする。
涙が目に溜まり、目の前の景色がぼやけて見えた。
生きていてよかったと、思った。
生きていいんだと、思った。
自分の人生に、自信が持てなかった。
自分自身に、何も無いと思っていた。
でも、ユユは違うと言ってくれた。
背中越しに、ユユの激しい心臓の鼓動を感じることができた。
ユユは勇気を振り絞って、俺に言ってくれた。
小さいことかもしれない。
でも俺は、大好きな相手にとっての何かができるのかもしれない。
それが、本当に嬉しかった。
ユユにご褒美をあげるだけじゃない。
きっと、俺がユユに救われていたんだ。
それは間違いない。
「それに――あの添い寝からです。虎太郎さんのことを考えると、ユユの心、キューって苦しくなります。こんなこと、感じたことがありませんでした」
「……だから、俺から距離を取ったのか?」
「はい。これ以上、ユユの感情で虎太郎さんに迷惑を掛けたくありませんでしたから」
俺はユユを背負いながら、歩き続ける。
不意に呼吸が乱れる。
足を踏ん張り、次の一歩を踏み出す。
どうして、ユユはこんな話をする?
違う。心の中では、もうわかっている。
「ユユ、シュートを決めました」
「……ああ」
「だから――今日のご褒美、お願いします」
ほんの一瞬、間が空いた。
「虎太郎さんを、ください」
背中越しに、早くなっていくユユの鼓動を感じる。
「ユユ、虎太郎さんのことが好きです」




