第11話 パウンドケーキ
やはり、ユユはまだどこか遠慮している。
今朝のユユの態度や、昨夜の夕飯のときを思い出す。
昨夜の夕飯、ユユに食べたいものは? と、訊いてみると、「おにぎりで大丈夫です」と言われ、本当に夕食がコンビニのおにぎりのみとなった。
遠慮しなくていいと言っても、ユユは頑なに譲らなかった。
「さて……」
俺はビニール袋をキッチン台の上に置き、中から材料を取り出していく。
板チョコに卵、上白糖、バター、ホットケーキミックス、そしてココアパウダー。
スマホにパウンドケーキのレシピを表示させ、手を入念に洗って準備をする。
ユユが登校していった後、大学もバイトも休みの俺は朝食もそこそこに、スーパーで買い出しをしてきた。
昨夜の夕食は、あまりいいものをご馳走できなかった。
それなら、せめて今日は良い物を食べてもらいたい。
そこで、パウンドケーキを焼いてやろうと思った次第だ。
ケーキなんて買えばいいだろうと思ったが、それはそれで値段も張り、ユユが遠慮してしまう。
それなら、比較的安く作れる手作りにする。
量も多く作れるしな。
「えっと、まずは板チョコを砕くのか」
まな板の上に板チョコを置き、包丁で砕いていく。
砕けはするものの、時々切れ端が床やシンクの方へ飛んでいってしまう。
気を付けているはずなのに指先にチョコが付着して、すぐにベトベトになる。
パウンドケーキなんて、作ったことは無い。
それに、俺は大分不器用だ。
……大丈夫だよな?
ちゃんと完成するよな?
そんな一抹の不安がよぎりながらも、俺は構わず手を動かし続ける。
大丈夫だ。
初心者用のレシピを見ているし、それに、意外と簡単にできるかもしれない――
「次に粉っぽい奴らと卵、そしてバターをボウルに入れて混ぜて、混ざったら砕いた板チョコを入れて、また混ぜる……ふん、簡単だな」
そんなことを息巻く、俺。
プラスチックのボウルにまずは卵を割り入れる。
「あっ」
卵をボウルの端で軽く叩き、手でパカッと割ろうとしたが、勢い余ってそのまま割れてしまった。
割れた黄身と、殻の破片がボウルの中に落ちる。
「……大丈夫だ。こんなアクシデント、日常茶飯事だ」
俺はそう呟き、冷静を装って菜箸で殻を取り除く。
卵をかき混ぜ、そこに上白糖とバターを入れ、菜箸でかき混ぜる。
ヘラや泡立て器なんてものは無い。
菜箸で十分だ。……十分だよな?
十分間くらいなんとか格闘して、何とかかき混ざった。
汗が滲み出た体のまま、次の工程を確認する。
次はかき混ぜたこれに、ホットケーキミックスやココアパウダーを入れ、またかき混ぜる。
「――よし!」
額の汗を拭い、腕まくりをし、ホットケーキミックスとココアパウダーを入れ、全力でかき混ぜる。
手早くかき混ぜすぎたせいで、キッチンのあらゆるところに飛び散ったような気がしたが、今は気にしない。
あとでしっかり掃除するから!
一生懸命かき混ぜていき、なんとか粉っぽさが無くなる。
よし、これでオーケーだ。
そこでふと、レシピの注釈に書いてあるワンポイントアドバイスが目に入る。
『ボウルが無いご家庭ではフリーザーバッグに入れ、潰すように揉み混ぜるといいでしょう』
「は、早く言ってくれよ!」
菜箸でかき混ぜるより、何倍も楽じゃないか!
もうキッチンも手も液まみれなんだよ、こっちは!
「……いや、落ち着け」
過ぎたことはしょうがない。
レシピをよく見ていなかった俺が悪いんだ。
大丈夫だ。
後は型に入れて焼くだけだ。
簡単だ。
ちゃんとトースターで使えるアルミ製の型も用意してある。
俺はボウルから型にかき混ぜた液を流し込んでいき(その際に、少し溢した)、予熱しておいたトースターに入れる。
よし、これで三十分後には焼き上がっているはずだ。
「ほらみろ。パウンドケーキくらい、俺一人でできるんだよ」
俺は自分自身に言い聞かせるように呟く。
あとはユユが帰ってきたら、切り分けて食べさせてやろう。
ユユは美味しいと言ってくれるだろうか――
◇◆
「た、ただいま帰りました……」
「お邪魔しまーす!」
ぎこちないユユの挨拶と共に、やけに明るい声が玄関から聞こえてきた。
友達を連れて帰ってきたのだろうか。
廊下からパタパタと二人分の足音が近づき、扉が開かれる。
「あ、おかえり……」
俺はソファーにうなだれて座ったまま、顔を上げてユユの方を見た。
ユユの隣には、大学の正門で会った茶髪の巻き髪がいた。
「こ、虎太郎さん、ごめんなさい……、美沙希ちゃんがどうしても家に着いて行きたいって聞かなくて……」
「あー! 元カレだー‼」
美沙希は俺を指差し、そう叫んだ。
「虎太郎さんが……元カレ?」
困惑した表情でユユが俺の方を見てくる。
「ち、違う! 一時的に彼氏のフリをしただけだ!」
「えー⁉ あの時の二人の思い出、私は忘れていないよ?」
「話がややこしくなるから! お前はマジで黙ってろ!」
まさか、ユユの新しくできた友達がこいつだなんて……。
「えへへ、ユユが親戚の兄ちゃんと二人暮らしをしているって聞いてさ。だったら、私の親友がどんな奴と暮らしてんのか確かめようと思って!」
「そうかよ」
「あの……お二人は知り合いなのでしょうか?」
ユユが遠慮気味にそう訊いてくる。
「この人が私の元カレで、ピンチの時に助けてくれたんだ!」
「俺はこいつの彼氏の振りをして、いいように利用されただけだ」
「私の彼氏役だなんて、お兄さん、役得だね!」
「今から出演料を請求してもいいんだぞ?」
俺と美沙希はお互いに睨み合う。
美沙希は「にひひ」と聞こえてきそうな邪悪な笑みを浮かべたままだ。
――ふと、そこで我に返る。
ユユを置いてけぼりにしてしまった。
このまま詳しい説明をせずにいると、ユユがとんでもない勘違いをしてしまうかもしれない。
恐る恐るユユの方を向く。
「……えっと、虎太郎さんが元カレで、でも、元カレでもなくて……虎太郎さんも美沙希ちゃんも、嘘をつくような人でもなくて……」
俺たちの言い分をそのまま聞いて混乱しているのか、ユユはおろおろとわかりやすく混乱していた。
しばらく考えた後、結局良い結論が出なかったのか、「ユユ、よくわかりません……とりあえず、二人は仲良しということですね」と、弱々しく言った。
「ああ、そうだ。その辺、あやふやでいい」
これって、セーフってことだよな?
とりあえず、ユユの勘違いを心配しなくてよさそうだ。
「――ところでさ、なんか変な匂いしない?」
美沙希が言い、俺は肝が冷えた。
「え? ……確かに、何か匂いますね」
「な、何を言っているんだよ……、き、気のせいだろ……」
俺は震えた声で、そう弁明する。
「こっちですか?」
ユユはスンスンと鼻を利かせながら、まっすぐキッチンの方へ向かっていく。
「ユ、ユユ! そっちはダメ――」
すぐさま立ち上がり、ユユを呼び止めた。
しかし、遅かった。




