6. ティンナトールと魔力欠乏症
※本エピソードには暴力・ショッキングなシーンが含まれます。苦手な方はご注意ください。
目の前の妖精狩りを撃退したティンナトールは、ふうとため息をついた。
本来の力を開放すれば一発で蹴散らせたが、そうすると自分の正体が露呈してしまう恐れがある。
魔力をセーブした状態で真っ当に戦うのは新鮮な体験だった。気を失っている敵は、魔法で出した蔓で縛っておく。
そこでふと周囲の様子を見遣る。ラキュスたちはまだそれぞれ妖精狩りと対峙していたが、こちらが優勢のようだから問題ないだろう。
――チェラシュカはどこだ?
嫌な予感がして周囲の気配を探るが、この場で観測できる感情は、敵以外にはラキュス、レオニクス、ストラメルのもののみで、彼女のものと思わしき感情が見つからない。
戦闘中は敵に集中していたこともあり、全員の位置把握が疎かになっていたが、それが仇になるとは。
ティンナトールは舌打ちをしてからまだ戦闘中のストラメルに近付き、小声で状況を端的に伝える。
「ストラメル、チェラシュカが居ないようですので捜してきます。皆さんはここで戦っていてください」
「え? チェラシュカさんが?」
「後はよろしくお願いしますね」
「よろしくって、ええ!?」
ラキュスやレオニクスと違って、ストラメルならチェラシュカが不在でも全力を出せるだろう。そう判断したティンナトールは、彼にだけ彼女の不在を伝えた。
混乱しながらも敵の攻撃を受け流して反撃するストラメルを尻目に、ティンナトールは木陰へ向かう。地面に片膝と片手をつき、魔法の痕跡を辿る。
――意識を攪乱させるための魔法が敷かれている。
普段なら彼女の存在を一番気にかけているラキュスが彼女の不在に気が付いていないのは、恐らくそのためだろう。
更に意識を集中させ、空間魔法が使われた痕跡を見つける。魔人以外には空間魔法を辿るような芸当はできないからと、侮っていたに違いない。
「例え隠されていても探し出しますけどね」
ティンナトールはそう呟くと、空間魔法で繋がった転移先へと飛んだ。
◇◇◇
転移先はどこかの建物の中のようだった。目の前の廊下は無機質な白い天井と壁と床でできており、左右の壁には等間隔に鉄製の扉が並ぶ。ややじめじめとした空気と窓のない壁からして、恐らく地下なのだろう。
適当に一番近くの部屋の扉を開いてみると、物置なのか木箱や縄が散乱していた。
その扉を開け放したまま次の扉を開けると、中には数名の妖精が捕らえられていた。
隅に集まって震える彼らには細長い管が刺さっており、大きく透明な箱と繋げられている。
管の先から箱の中へ、液体がぽたぽたと落ちていた。
「あなたたちはいつからここに?」
「ひっ」
「答えて」
「やだ、刺さないで、ぶたないで……」
虚ろな目で怯え切っている妖精たちに対し、話にならないと溜息をつく。
更に身を縮こまらせる彼らを見て、ティンナトールは催眠魔法をかけることにした。
彼らの前にしゃがみこむと、一人ひとりと目を合わせる。難なく全員催眠状態になったことを確認し、再び問い掛けた。
「いつからここにいるのか答えてください」
「はい……一か月ほど前です」
「その管は何」
「魔力を抽出しています」
「あなたたちを捕らえたのは誰。何人居る」
「怖い魔人です。毎日ここには二人が日替わりで来ます。たまに違う人も来ました」
「他にも捕まっている妖精は居るか」
「多分……最初に一緒に居た子はここには居ないから」
「わかりました」
ティンナトールは彼らにかけた魔法を解くと、妖精たちをかつて寄ったことのあるヒュペリアの町へ空間魔法で転移させる。
彼らがどうなるかはわからないが、ここに居るよりかはましだろう。
そこへ、廊下から二人組の話し声が聞こえてきた。こちらへ少しずつ近付いてきているようだ。
「いやーそれにしてもなかなかしぶとかったですねー」
「ああ、あんなに食いでがない奴は初めてだ」
「まー、何日かすればもっといい感じになるんじゃないですかねー」
「いや、羽を捥いでもあの反応っつうことは、普通の痛みだけじゃ美味くはならねえだろう」
「じゃあやっぱ売ります? ピンクの髪に金の目なんて、他に見かけないですもんねー」
廊下側の壁際に立ち、静かに様子を窺っていたティンナトールだったが、最後の言葉を聞いた瞬間廊下に飛び出した。
こちらに向かって歩いてきていたのは、魔人の男性体二人だった。
濁った沼のような汚い黄緑の髪の奴と、路傍の石のような冴えない灰色の髪の奴が、唐突に現れたティンナトールを見て瞠目している。
ティンナトールは衝動的に潰してやりたい思いに駆られながらも、努めて冷静を装う。
「その妖精はどこに?」
「はあ!? な、なんだお前。どっから来た?」
「うわ怖。え、もしかして新しく妖精狩りに入ったメンバーですか?」
彼らはこちらを警戒する素振りは見せるものの、ここに入れるのは妖精狩りの魔人のみだと油断しきっているらしい。
その呑気な様子に、ティンナトールは更に苛立ちを募らせる。
「早く答えてください」
「なんだか知らねえがお前には関係ねえだろ?」
「あ、もしかして、目をつけてた妖精を俺らが先に甚振っちゃったとかです?」
――埒が明かないな。
ティンナトールは右耳のイヤーカフ——魔力を抑制する魔導具を外す。体外に漏れ出す魔力をそのままにしてみれば、目の前の彼らの喉を鳴らす音が聞こえた。
「この魔力量は……。まさかお前、その緑の目……」
「ひええっ! すんません! なんか知らないですけど、君みたいな強い奴が目をつけてた獲物だとは思ってなかったんですよー!」
「どこですか」
「大丈夫です! ちゃんと生きてますんで!」
なかなか答えない彼らに鋭い視線を向け、苛立ちを言葉に乗せる。
「早く」
「ああああっちの! 突き当りを右に曲がった手前の部屋で!」
「馬鹿お前、こいつ多分掟破りだぞ!? 情報を材料に交渉しねえと逃げる隙が……」
「ああ、私のことを知っているのですね。まあどうでもいいですが、あなたたちは用済みです」
「がっ」
「ぴゃ」
どさりという鈍い音がいくつか聞こえ、目の前に大きな血溜まりができた。脳天から真っ二つになった彼らの身体は平らに圧し潰されており、彼らの魔力量ではどうあがいても再生は不可能な状態だ。
そんな惨状に目をくれることもなく、ティンナトールは先を急いだ。ほんの少しの距離を走るのも惜しみ、突き当りに転移すると手前の部屋の扉を開く。
部屋の真ん中には手足を縛られた妖精――チェラシュカが倒れていた。
ティンナトールは一瞬目を見開いた後、心の底から湧き上がる破壊衝動を抑えつける。
――ここを破壊するより、彼女の回復が先だ。
先程の魔人たちの会話を思い出しながら、彼女の背中に目を遣る。
無残に切り取られたケープの隙間から見えたのは、左右二枚ずつとなった羽。根元から失われた羽の付け根から、魔力がじわじわと垂れ流しになっていた。
羽以外に彼女の身体に外傷は見られないが、近くには小さな血溜まりがある。
ティンナトールは魔力を制限するためのイヤーカフをつけなおし、部屋の鍵を閉めると彼女に駆け寄った。
倒れた彼女の右側で両膝をつき、全身を隈なく確認する。
「チェラシュカ、しっかりしてください」
彼女の身体に慎重に治癒魔法をかけ、羽の根元を塞いで魔力の流出を止める。浅い呼吸を繰り返す彼女の手足の縄を、魔法で断ち切る。よほどきつく縛られていたのか、手首と足首には痛々しい縄の跡が残っていた。
彼女の手首に指を当てて脈を測るも、かなり弱弱しい。普段は温かな彼女の体温を思い出し、柄にもなく焦りが募る。
彼女の顔は青白く、今にも命の灯が消えようとしているのが見て取れた。
――何が『ちゃんと生きている』だ、クソガキが。
この状況から、彼女が魔力欠乏症に陥っていることは明白だ。彼女を救うには、ティンナトールの魔力を分け与えるしかない。
そこで生じる問題は一つ。
ティンナトールはチェラシュカの手を取り軽く握ると、自身の魔力を流し込もうと力を込める。
すると――。
ばちばちっ。
手の平へ強かに走る痛みに思わず手を放しそうになるが、逆にぐっと握り込んだ。
想定していた以上の抵抗を受けたことにやや眉を顰めつつ、このまま押し切るかどうか逡巡する。
もう一度、今度は魔力の量をかなり絞って彼女に流し込んだ。小さな抵抗を受けつつも、非常に緩やかに彼女の魔力が回復していくのが感じられる。
自身の手に小さな火傷のような跡ができていくのには気付いていたが、構わず魔力を流し込んでいく。
じれったさを感じる中でも唯一の救いと言えるのは、心理的距離による抵抗のほとんどが魔力を流す側に生じることだろうか。
時折量の調節を誤ってばちばちっ! と強い抵抗が生じ、その度に舌打ちをする。
「……はあ。これほどあなたが私に心を開いていないとは思っていませんでしたね。折角人が助けようとしているのに、少々腹が立ってきました」
苛立ち紛れにそう呟いてみるも、返事が返ってくることはない。魔力の回復がこの速度では、目を覚ますのはいつになることか。
さっさと助け出して彼女に恩を売り、何事もなかったかのようにラキュスたちの元に戻るはずだったのに、このままでは恩を売るどころか妖精一人まともに助け出せないというレッテルを貼られかねない。
仕方がないので、物理的に魔力を摂取させることにした。
――どうせほぼ魔力でできた身体だ、魔力をぶち込めば指なんてすぐ生えてくる。
ティンナトールは自分の左小指をスパッと切り落とし、左手をチェラシュカの口元に近付けて己の血を垂らす。切断面は魔法で麻痺させたので、痛みは感じない。
先程のように針の穴を通すくらいのか細い魔力を流すよりかは、自身の豊富な魔力に満ちた血を摂取させる方が圧倒的に効率が良いはずだったが、嚥下する量が少ないからかなかなか回復に繋がっていない。
「チェラシュカ、飲んでください」
そう声をかけて右手で口を閉じさせてみるものの、口の端から血が溢れるだけだった。
頬を伝う血を親指で拭うと、その指で彼女の唇に触れる。
「……後で怒らないでくださいね」
以前の自分であれば相手がどう思うかなど気にしなかったのだが、と思いながらゆっくりと彼女の上体に覆いかぶさった。
自身の左手から滴る血を口の中に含むと、生暖かさが舌に纏わり付く。決して美味しいとは言えないそれに、ティンナトールは眉を顰めた。
そのまま彼女の頬に右手を添え、彼女の長い睫毛を眺めながら、自身の唇を彼女の柔らかなそれに押し当てる。薄く開かれた唇を、自身の舌でこじ開けた。
もし今彼女が目を開けたとしたら、どんな反応を見せるだろうか。普通なら怒りや戸惑いを示すだろうが、意外と平然としている可能性もある。
なんだっていいから反応してほしい。そう思うものの、彼女は微動だにしなかった。
ティンナトールは口腔内の血液を自身の舌で押し出すと、彼女の舌の上をなぞるように喉の奥に押し込む。
喉が小さく動いたのを確認してから残った血液も全て奥に押し流すと、一度口を離して再度自身の血液を口に含んだ。
そこで目に入った彼女の唇は血で赤く染まっており、まさか死の淵に立っているとは思えない背徳的な艶麗さを漂わせていた。
もう一度同じことを繰り返したところで、彼女の瞼がふるりと震える。
目を覚ますかと上体を起こして彼女の顔を見つめるも、彼女が持つ陽だまりのような金色は隠されたままだった。つい、彼女の頬に触れる右手に力が入る。
「チェラシュカ、目を覚ましてください。私は一生泣くつもりはないのです。涙を見せるべきはあなたなのに、……どうして私に、こんな思いをさせるのですか」
彼女の魔力は一割ほど回復したものの、羽の欠落により魔力の循環が滞っているようだ。
本来ならば、妖精の羽の付け根近くにある魔力回路が、摂取した魔力を身体に馴染むように処理しているはずだが、その機能が追い付いていないのだろう。
そして、魔力回路は治癒魔法でも治療することができず……つまり、ティンナトールにできるのはただ魔力を移すことだけだった。
再度血を口に含もうとしたところで、血が止まっていることに気付く。躊躇なくその隣の薬指も切り落とすと、先ほどと同じように口移しで血を流し込んだ。
一滴も残らないよう丹念に血液を喉の奥に押しやる最中、突如として舌先に鋭い刺激が走る。どうやらうっかり魔力を流してしまったらしい。
構うものか、とそのまま魔力を流す。持てるものは全て使ってやろう――そう思い、血液の摂取と魔力を流すことを並行して行うことにする。
無理矢理魔力を流し続けるものの、痛みで舌先から裂けてしまいそうだ。
――これで回復しなければ、本当にどうしてやりましょうね……。
そんな思いが胸を占める一方で、自分の一部が彼女の命を繋いでいるという事実が、ここに無い自身の心臓の鼓動すら早めるようだった。
そんな己の心から目を逸らしつつ、もう何度目かはわからない口移しを行い、薬指からの血も尽きようとしたときだった。
「てぃ……なと……る?」
自身の名を紡ぐ、弱々しい声。薄く開かれた瞼の隙間から、覗く金色。
「! チェラシュカ、目が覚めたのですね!」
彼女に添える手に、指に、つい力が入った。どれほどこの瞬間を望んでいたことか。
「口……まっか……」
そう言われて、互いの口が血に濡れたままであることに気付く。
即座に魔法で自身とチェラシュカの口周りを洗浄すると、右手を背中に隠して空間魔法で水の入った軽量瓶を取り出した。
そのまま魔法で飲み口を開ける。ついでに切り落とした左手の指も生やしておいた。
「気のせいですよ。それより喉が渇いているでしょう?」
小さく頷いた彼女の上体を左手で起こし、右手で瓶の飲み口を彼女の口元に近付けて傾ける。こくこくと水を飲む姿に、やっと彼女が生きているという実感が湧く。
それでも、ここまでして回復した魔力量は元の二割ほどか、とティンナトールは密かに溜息をついた。
水を飲んだ彼女は、こちらに視線を向けると口の端を微かに上げた。どうやら笑顔を浮かべようとしているらしい。
「たすけ……ありがと……」
「無理しないでください、先程まであなたは死にかけていたのですから」
「てぃんな……る……ごめ……」
少し目を伏せた彼女が、震える手でティンナトールの右手に触れた。そのヒヤリとした感触に、どうにも落ち着かない心地になる。
彼女の細い指先は、ティンナトールの傷だらけの指先をそろりと撫でる。かと思えば、不意に彼女の身体から力が抜け、支える腕への重みが増した。
「チェラシュカ? チェラシュカ!?」
まさかまだ死の瀬戸際に居るのか、とティンナトールは冷や汗をかいたが、すうすうと穏やかな息が聞こえてきたことに安堵する。
「心臓が止まるかと思いましたよ……今はここにないのに……」
本当はこの場で自身の手で十分に回復させておきたかったが、彼女の体力面も考えると、そろそろ切り上げた方がいいだろう。
もしもここで彼女に魔力を移したのがラキュスなら。あるいはレオニクスやストラメルなら、彼女はもっと回復できていたのだろうか、という考えが頭を過る。
考えても詮無いことではあるが、万が一にもそんな場面を目にしてしまったとしたら――。
ティンナトールはそこで思考を止め、彼女の肩を抱く手に力を込めると、膝の下に右手を入れてゆっくりと彼女を持ち上げた。
彼女の頭を自身の胸元に凭れかけさせると、ふわりと漂う彼女の甘い香りに交じって血の匂いが鼻を掠めた。
思わず眉間に皺が寄る。
ティンナトールは彼女の全身を念入りに魔法で洗浄し、閉じた口元に親指を突っ込んで口を開くと、口腔内も再度洗浄しておいた。
血の匂いが消えたことを確認すると、ティンナトールは彼女を抱えたまま、空間魔法でラキュスたちの居る場所へと戻るのだった。




