7. ラキュスの祈り
妖精狩りを撃退したラキュスたちは、近くの町の詰所まで縛り上げた妖精狩りを引き渡しに行っていた。
そこの職員たちからよくやった、お手柄だ、と労いの言葉をかけられたものの、その割にはまるで葬儀中のような雰囲気に包まれている。
「俺がもっとしっかり見ていれば、チェリは……」
「オレが早くやっつけなかったから……」
「いやいや! 二人とも頑張ってたっす! しっかり敵をやっつけたじゃないっすか」
「でもチェリが居なくなった」
「チェリちゃんを守れなかった」
妖精狩りの最後の一人を伸した後、ストラメルからチェラシュカが居なくなったこと、そしてティンナトールが彼女を追いかけていったことを聞いたラキュスは、思わず唇を噛んだ。
妖精狙いなら自分でも良かったはずなのに、何故彼女を……と思わずにはいられない。
彼女から一時でも目を離してしまったことを、悔やんでも悔やみきれない気持ちでいっぱいになる。
レオニクスも同じ気持ちらしく、いつもの溌剌とした雰囲気は枯れきって、しおしおと溶けてしまいそうな弱々しい声を出していた。
「それはほら、その、……ティンナトールさんが! 連れ帰ってくれますって!」
「ティンナトールを信用しろと?」
「ぐっ」
「あいつ、強いし頼りになるけど、チェリちゃんのこと任せるのはちょっと……つーかすげえ不安なんだよな……」
「それは……全く否定できないっすけど……」
ラキュスに続きレオニクスも否定的な意見を被せてきたが、どちらにもストラメルは何も言い返せないようだった。恐らく彼自身も、ティンナトールに対して疑念を抱いているのだろう。
「そもそも、何故ストラメルにだけ伝えて一人で追いかけていった? 追うといっても何を手掛かりに? あの場にはめぼしい痕跡は何も無かったはずだ」
ラキュスは苛立たしい気持ちをぶつけるように疑問を矢継ぎ早に投げかけるも、何の意味も無いことだというのは分かっていた。ストラメルが答えを持っているわけではない。
ティンナトールのことはまだよく知らない点が多いが、底知れない力を持つ彼のことだ、ラキュスたちにはできないようなこと――例えば魔法で追跡するようなこともできるのだろう。そして、ラキュスたちは彼女を追いかけるのには邪魔だと判断されたのだ。
そう思うと、腹立たしさと悔しさと無力感で心の中がぐちゃぐちゃになる。握り締めた手の平に、痛いほど爪が食い込む。
「犬の獣人が匂いで辿るとかならわかっけど、普通のヒトだろ?」
「……これ、言っていいか迷ってたっすけど、」
レオニクスの尤もな疑問にストラメルが何かを言いかけたとき、前触れなく三人の目の前の景色がぐにゃりと歪んだ。かと思えば、何かを抱えたティンナトールがそこに立っている。
「ティンナトール! どこに行って……」
そこでラキュスの視界は暗転した。
◇◇◇
少しぼんやりしてしまっていたらしい。はっと目を開けたラキュスの視界に最初に映ったのは、ティンナトールの腕の中でぐったりとした様子のチェラシュカだった。
「チェリ!!」
ラキュスが慌てて駆け寄ると、彼に差し出されたチェラシュカを宝物を抱えるようにそっと受け取った。大判のストールで体を覆われた彼女は、今にも消えてしまいそうな青白い顔をしている。
いつ彼が戻ってきていたのかはわからないが、ラキュスは頭の中に浮かんだ疑問を勢いのまま口にした。
「チェリは何でこんな状態なんだ!? ティンナトールは今までどこに行っていた!」
ラキュスが声を荒らげると、近くに居たレオニクスとストラメルがそのただならぬ様子に気付いたようだ。
「ラキュスどうした……チェリちゃん!?」
「え!? いつの間に……」
急いでこちらへ駆け寄ってくる二人。
ティンナトールはそんな二人に目をくれることもなく、感情の見えない顔でラキュスを真っ直ぐ見据えた。
普段の穏やかで飄々とした彼とはまるきり違う様子に、知らず知らずのうちにラキュスは身を固くしてしまう。
「チェラシュカは妖精狩りに羽を二枚捥がれて魔力欠乏症に陥りました。それ以外に怪我はありません。私が最低限魔力を回復させましたので、あとはあなたに任せます。同じ妖精同士なら魔力の回復も容易でしょう? ラキュス」
「あ、ああ」
本当は聞きたいことも言いたいこともたくさんあったはずなのに、彼の異様な雰囲気に押されて頷くことしかできなかった。
チェラシュカの容態を聞いて肝が冷えたものの、腕の中で静かに寝息を立てる彼女を見て、生きていてくれて本当に良かったと胸を撫で下ろす。
「あの、魔力欠乏……ってなんすか?」
「チェリちゃんは大丈夫なのか? 羽がどうなったって……?」
「目覚めるのは体力が回復してからになると思いますが、死ぬことはないでしょう」
「死ぬ……!? そんな危険な状態だったのか!?」
レオニクスの大声に対し、「うるさいな……」と呟いたのはティンナトールか。
二人には聞こえていなかったのか、心配そうな顔をチェラシュカに向けていた。
「……魔力欠乏症は、魔力が体内から極端に減ってしまったときに起こる症状のことだ。羽の捥がれた部分から流れ出たんだろう」
「捥がれた!?」
「ちょ、情報量多すぎるんすけど、マジっすか?」
「……」
「……ええ。彼女の背中を見てください」
ラキュスが腕に力を入れ、彼女の背がレオニクスたちに見えるように抱え込むと、二人は言葉を失った。
ラキュスからは見えないものの、悲痛な表情を見せる彼らから察するに、とても酷い状態なのだろう。
かつて友達の一人が、事故で羽を損傷したときのことを思い出す。
森の中で遊んでいるときに羽の一枚に枝が突き刺さり、あまりの痛みで冷静な判断ができなかったのだろう、無理に引き抜こうとしてずたずたになり、結果的に半分以上が失われてしまっていた。
大人たちに助け出されてからも痛い痛いと泣き叫んでいた彼を見たとき、絶対に羽を大事にしようと強く思った。
そんな友人の羽も二年ほどで元に戻り、今ではそんな事故があったのも忘れるくらいには元気になっている。
だから、チェラシュカの羽もいつか元通りになるはずだとわかっていても、彼女が受けたであろう痛みを思うと、彼女を抱える腕に力が籠る。
「ひでえな……。これ、妖精狩りが?」
「そのようです」
「許せねえっす……」
「そ、そうだ、早く病院に行ったほうがいいんじゃねえか?」
「病院で彼女を回復させる手立てはありませんよ」
「手立てがない?」
鋭い目つきのストラメルに対し、ティンナトールは淡々と答えた。
「ええ。魔力欠乏症の治療方法は魔力を移すことのみです。彼女に魔力をスムーズに提供できる人は、病院には居ないでしょう。だからラキュスに頼んでいるのです」
「そうなのか?」
レオニクスは彼の言葉を信用しきれないらしく、ギラギラと赤い瞳がラキュスに向けられる。
「……今まで見た魔力欠乏症になった妖精には、養育する大人たちが魔力を与えていたから、病院には行っていなかった」
「よくわかんねっすけど、病院に行かないなら行かないで、早いとこどっかで休ませてあげたほうがいいんじゃないっすか」
「……だな。昨日まで泊まってた宿に行こうぜ」
ラキュスたちは移動中一言も喋らず、ただ先を急いだ。時折腕の中の彼女を見ては、固く閉じられた瞼が開かれることを希う。
ストラメルがバン! と開けた扉の向こうに居た宿屋の主人は、朝出ていってから一日も経たずに戻ってきた一行を不思議そうに見ていた。
だがもう一度泊まらせてほしいと伝えると、ラキュスたちの鬼気迫る様子に何かを感じ取ったのか、清掃を済ませた同じ部屋を貸してくれた。
全員で部屋へ向かい、ラキュスは一番手前のベッドに慎重にチェラシュカを横たわらせる。そのままベッド脇に跪くと、深呼吸をして彼女の柔らかな手を両手で握った。
実のところ、ラキュスがチェラシュカに魔力を流すのはこれが初めてである。以前同級生に魔力を流したときのことを思い出しながら、慎重に進めようとしていたところ、ティンナトールが声をかけてきた。
「ではラキュス、よろしくお願いしますね。私は少々野暮用がありますので」
ラキュスが振り向くと、淡々とした声の割には眉を顰めている彼が見えた。その視線は、チェラシュカの方へと向けられている。
「ティンナトール」
「……なんですか」
「正直、どうやって見つけたのかとか、何があったのかとか、聞きたいことは山積みだ。でも、今ここでチェリが生きているのは、ティンナトールが助け出してくれたからだ。俺にはきっとできなかった……だから、ありがとう」
「……ラキュスのそういう殊勝なところ、私は気に入っていますよ」
最後にふっと口の端を上げた彼は、そのまま踵を返すと扉の外へ向かった。
「……はあ!? こんなときにどこ行くんだよ!」
怒鳴り声を上げたレオニクスが、ティンナトールを追って部屋の外へ出る。閉まった扉の向こうから、言い合う声が聞こえてきた。
「……ティンナトールさんは意味分かんないっすけど、そんなことよりチェラシュカさんっすよ。オレに何かできることはないっすか?」
ラキュスの隣にしゃがみこんだストラメルから、そう声をかけられる。その言葉を聞いたラキュスは、気持ちを切り替えて目の前のチェラシュカに改めて集中した。
――俺は俺にできることをやるだけだ。
「ありがとう。チェリが起きたときのために、食べやすそうな軽食と飲み物を用意しておいてくれないか。……あと、俺の食事も頼む」
「わかったっす」
一つ頷いたストラメルは、立ち上がって部屋から出ていった。外で言い争う声に一人加わったような気がしなくもないが、そこは意識の外へ放り投げる。
栄養の塊もあるが、目覚めた彼女はきっと美味しいものを食べたいはずだ。だから――。
持ち上げた彼女の手を自身の額につけると、目を瞑って祈るような姿勢をとる。いつもより低い体温となった彼女の手が、再び温まるようにと願いを込めた。
ラキュスは彼女へと魔力を流し始めた。するすると腕を伝ってゆく自身の魔力が、彼女の手から全身へと巡っていくのが感じられる。流す魔力の量を徐々に増やしてゆき、早々に魔力回路の限界量に達した。
かつて同級生に流したよりもずっと多くの魔力を流しているものの、特に抵抗もなく受け入れられたことにほっと一息ついた——その瞬間。
ぐらり、と視界が揺れる。
どうやら、一気に魔力を送ったせいで自分の魔力が減りすぎたらしい。ラキュスの魔力量はチェラシュカより多いものの、今日は戦闘で半分以上消費してしまっていた。その残りの魔力の半分ほどを彼女に流し込んだが、彼女の魔力量は十分に回復したというにはほど遠い。
一度流すのを止めて、目を閉じ深く息を吸う。彼女の意識が戻るまで、魔力を回復させなければいけない。自分にできるのはそれだけだから——。
そう思って手を強く握ったところで、扉の開く音が聞こえた。
「なんか色々持ってきたっす。……ってラキュスさん!? 顔が死人みたいっすよ!?」
背後からストラメルが駆け寄ってきた。ベッドの上に食べ物の入ったバスケットを置いた彼は、ラキュスの肩を掴むと無理やり自身の方を向かせた。
「……死んでない」
「いやでもなんか雪みたいに真っ白っす! 声も掠れてるっすよ!? どう見ても無理しすぎっす!」
「……無理してない」
「声にも顔にも覇気がないっすー! とりあえず一旦ストップっすよ」
幼子に言い聞かせる大人のような顔をした彼は、バスケットの中からサンドイッチを取り出した。
「ほら、これでも食べるっす」
「……ありがとう」
ストラメルから受け取ったサンドイッチを口に運ぶ。ハムと卵が挟まったそれは、あまり味を感じられず無理やり飲み込んだ。もう一つサンドイッチを貰うと、口に詰め込む。一緒に持ってきてくれたミルクで喉の奥へ押し流すと、ラキュスは再び彼女の方を向いた。
「ちょ、ラキュスさん! まだ全然回復してないっすよね!?」
「俺のことはいい、チェリが最優先だ」
「気持ちはわかるっすけど、それでラキュスさんが倒れたら本末転倒っすよ!」
「だけど、チェリが……」
穏やかな寝息を立てるチェラシュカの顔を見つめる。先程よりは血色が良いが、ラキュスの心は全く落ち着きそうにない。
「チェラシュカさん、今は普通に寝てるだけに見えるっすけど、魔力欠乏症ってそんなにやばいんすね……?」
「……いや、ティンナトールが連れ帰ってきた時点で魔力欠乏症からはギリギリ脱していた」
「じゃあ……!」
「だけど……チェリがもし目覚めなかったらどうしたらいい? 今まで見た他の奴と同じように絶対に起きてくれると、俺は言い切れない。失うのが、怖い……」
二度とその目が開かなかったら。二度とその声が聞けなかったら。もし、もう二度と彼女の笑顔を見られないのだとしたら。
考えただけで、喉の奥が締め付けられるように痛くなる。心臓をやすりがけされている気分だ。このまま心が擦り切れて、ラキュスを形作る何もかもが無くなってしまうような……。
「ラキュスさん……」
「だから、俺は俺にできることを全部やらなきゃいけないんだ」
「……気持ちはわかったっす。ただ、チェラシュカさんが起きたときにラキュスさんがぶっ倒れてたらどう思うかは、考えたほうがいいと思うっすよ」
いつになく神妙な口調でそう言われ、ラキュスは少し冷静さを取り戻した。
自分の命に代えてでも守る――そう思い続けてきたが、結局傷付けてしまった。彼女を助けたいのはもちろんだが、自分が今必死なのには、守れなかったことへの罪滅ぼしの気持ちも少なからずある。
ストラメルの言うように、万が一自分に何かあれば優しい彼女は絶対に悲しむだろう。そう断言できるほどに、彼女にとって自分の存在が大きいはずという自信はあった。
ペルシュカのときほどではないかも、という思いが一瞬頭を掠めたのは見なかったことにする。
ラキュスは自身の手をバスケットの中の布巾で綺麗に拭うと、再びチェラシュカの手をそっと握った。
すると、ストラメルから呆れたように名前を呼ばれる。
「大丈夫だ、さっきは加減せずに全力で流しすぎただけだ」
「嘘だったらチクるっすよ」
「……問題ない」
「チェラシュカさーん! ラキュスさんのために早く起きてあげてほしいっす!」
「問題ないと言っただろう!?」
はあ、と大きな溜息をついたストラメルが、ラキュスの隣に腰を下ろして胡座をかく。
「俺も付き合うっす。って言っても何もできないっすけどね」
「いや……ありがとう」
それからしばらくの間、ストラメルが食事を補給するのに席を立ったり、ラキュスが食事をとるとき以外、部屋の中は静まり返っていた。時折ぽつり、ぽつりと話すものの、会話と呼べるほどの長さはなく、その間隔も次第に長くなってゆく。
夜も更けてきた頃。
――そういえば静かになったな。
ラキュスがふと隣を見ると、ストラメルが船を漕いでいる。朝から色々なことがあったため、疲れが出るのは当然だった。
それでも、と重くなってきた瞼をなんとか持ち上げる。最初と比べると少なくなったものの、なけなしの魔力を彼女に送り続ける。
ラキュスにとって忘れ難い長い長い夜は、こうして静かに過ぎていくのだった。




