2. 猫耳事件です(挿絵有)
それは昨日と変わらない朝のことだった。
チェラシュカは寝間着からいつものワンピースに着替え、顔を洗いに一階まで降りた。
リビングに居たラキュスがこちらを向いたところで、その目が限界まで見開かれる。
「チェリ……? 頭のそれは、なんだ……?」
「頭のそれ?」
困惑に満ちた彼の声に、自分の頭を触ってみた。すると――。
ふわ。
「ひゃっ」
柔らかくふわふわとした感触が手に触れ、同時に手が触れた頭頂部ではないどこかが擽ったく感じる。
「なに……?」
もう一度そっと触れてみると、先ほどと変わらずふわふわの何かが自身の頭上にあるようだ。今日はまだ鏡を見ていないため気付かなかった。
「ラキュス、これは何?」
「……動物の耳が生えている」
「耳?」
「ああ、恐らく猫か何かの」
「猫……」
以前チェラシュカは確かに、小さな猫ちゃんを撫でてみたいとは思ったが、自分の頭に猫耳を生やしたかったわけではない。
そこへストラメルがやってきた。
「おはよっす。チェラシュカさ……ん?」
こちらが挨拶を返すも彼はそれに反応せず、チェラシュカの頭上を凝視しながらつかつかと目の前まで歩いてきた。
彼が自然に手を伸ばしてくるのをただ眺めていたところ、頭に生えているらしい猫の耳がきゅっと掴まれたようだ。
「っひゃ! 急に触らないで!」
「おい!!」
「はっ! すまねえっす!! 身体が勝手に動いちまってたっす!」
動物好きの性が疼いたらしい彼は、ぱっと手を離して頭を下げた。
いいわ、とチェラシュカが言うと彼はさっと頭を上げ、頭上を再度凝視し始める。
「これ、本物なんすか?」
「本物の定義がわからないけれど、触られた感覚はわかるわ」
「そうなんすね。猫になったっぽくて可愛いっすね!」
ニカッと笑ったストラメルにそう告げられたが、褒められているのだろうか。
「チェリはこんなものなくても可愛い」
「それはそれ、これはこれっすよ」
そんなラキュスたちのやり取りを見ていると、急にお腹の奥あたりのどこかが鷲掴みにされた感触がして、きゃう! と小さく跳ねてしまった。
「へえ。この尻尾、神経が繋がっているんですね」
「ティンナトール! その手を離せ!」
ラキュスが叫ぶと掴まれた謎の部分が解放され、自分の意思に反してゆらゆらと揺れているような感覚に気付いた。
「尻尾まであるの……?」
「ええ、耳と同じ桜色の尻尾が生えていますよ。どこから生えているのか気になりますね。見せてもらっても?」
振り返ってみれば、研究者心を擽られたらしい彼がスカートの下で揺れる尻尾を目で追っていた。
「は? 駄目に決まっているだろう」
「やれやれ、ラキュスは過保護ですね」
がっしゃーん。
突如聞こえた何かの割れる音の方を見てみれば、レオニクスがぽかんと口を開けて立っていた。足元にはグラスの破片が飛び散っている。
「何やってんすか」
ストラメルが彼の方へ向かい、割れたグラスを魔法で元に戻しテーブルの上に置いた。
「あ、ご、ごめん。ありがとな」
「別にいいっすよ」
「それで、その……、チェリちゃんのそれは……?」
恐る恐る尋ねてきた彼に「朝起きたらこうなっていたみたい」と答える。
「チェリ、原因はわからないのか?」
「昨日って特に何もしてないっすよね」
「出店は回ったけどよ……」
レオニクスの言う通り、昨日は皆でボレアード内で軽食の食べ歩きしかしていない。
しばらくチェラシュカの頭や猫の耳を撫でていたティンナトールが、「ああ」と呟いた。
「恐らく獣人と仲良くなるためのジョークグッズですね。以前試している人を見たことがあります」
「じょーくぐっず?」
チェラシュカが問い返すと、彼は猫の耳をやわやわとつまみながら口を開く。
「はい。ヒトなどが獣人と同じように耳や尻尾を一時的に生やして、見た目を似せて親密度を高めようとするんだとか」
「ふうん……。ティンナトール、いい加減その手を止めてくれるかしら。擽ったいわ」
「おや、残念です。触り心地が良かったのに」
「気持ちはわかるけど触りすぎよ」
彼はわざとらしく残念そうな顔をして、名残惜しむようにゆっくりと手を離した。
油断した隙にまた触られたくはないので、チェラシュカは一歩身を引く。
「確かグミだったと思いますが、食べた覚えはありますか?」
そんな問いかけに、チェラシュカは昨日の記憶を辿る。
「……そういえばレオニクスと居たときに、出店の人がおまけにってカラフルなグミをくれたわ」
「チェリ……よくわからないものを食べるんじゃない。レオニクスも止めろ」
「きっといいことが起こるよと言っていたけれど、おまじない程度のものかなと思って寝る前に食べてしまったの。ごめんなさい」
「ご、ごめん」
「まあまあ。大して害があるものじゃないならいいじゃないっすか」
「いつ治るんだ」
「効果はせいぜい一日くらいだったかと」
「そうか、明日には元に戻るんだな」
ラキュスには心配をかけて申し訳ないが、それより先程から痛いほど向けられるレオニクスからの視線が気になる。
チェラシュカは彼の目の前に立ち、その顔を見上げた。
「レオニクスはこういうのを使った人と接したことはあるかしら」
「え? いや、ねえかなー……」
「なら、私との親密度が高まると思う?」
「へ!? あー、えーとその、なんていうか、」
彼の視線はチェラシュカの顔と頭上の耳を行ったり来たりしており、全く質問内容に集中できていないようだ。
「レオニクスからチェラシュカへの好感度は、上限を突破していますからね」
その声に振り向くと、ティンナトールがニヤリと笑っていた。
「レオニクスさん、めちゃくちゃ動揺してるっすね……」
「ふん。いつものことだろう」
もう一度レオニクスを見てみる。何かを言おうと口を動かしているようだが、全く言葉になっていない。彼の頭上の耳もいつもと違って横向きに伏せられているし、一体どうしたものか。
そういえば、獅子は大きな猫のようなものだと聞いた。もしかすると、彼からは猫耳を生やしたチェラシュカが猫仲間(?)のように見えているのかもしれない。
以前道端で見かけた猫たちの様子を思い出す。
噛み付いたり転がったり、じゃれあっている姿が非常に微笑ましかった。
折角なのでここは一つ、同族同士っぽく戯れてみるのも良いのではなかろうか。
今だけ猫の仲間入りをした妖精は、彼の前で右手をひらひらと振る。
彼はサッと口を閉じた。
「レオニクス。あんまりきちんと答えられないようなら、食べちゃうぞ! ……がぶ!」
チェラシュカはそう言いながら、指を歯に見立ててぱくっと彼の頬に噛み付くように動かす。
その瞬間、レオニクスは目を大きく見開くと、氷漬けになったかのように固まった。
しばらくして、うわああーー!! と叫んだかと思えば、頭を抱えてしゃがみこんでしまった。俯いたままの彼が大きく声を上げる。
「反則! 反則だからそれ!!」
「反則?」
「チェリ、レオニクス相手にそんな戯れ方はいけない」
「あはは。チェラシュカはいつも予想外の動きをしますね」
「今のはどっちかっていうと犬っぽかったっすね!」
猫が甘噛みするようなイメージでやってみたのだが、ストラメル曰く犬っぽかったらしい。
「猫っぽい動きって、どういうものかしら」
「うーん、性格によって結構違うっすけど、鳴き真似のほうが簡単じゃないっすかね? 試しににゃーって」
「にゃー?」
「おい、チェリに変なことを教えるな」
「めっちゃいい感じっす! ちょっと耳触ってもいいっすか?」
ラキュスはこの姿があまり気に入らないようだが、ストラメルは動物に慣れているからかいつもよりテンションが高いように思う。
騎獣の扱いが丁寧な彼なら、と触れる許可を出すことにした。
「そう? ……少しだけよ」
「あざっす! あー、このふわふわは騎獣たちにはないんすよね……。こういうちっさいふわふわも、いつか飼ってみたいっす」
「おや、ストラメルはチェラシュカを飼いたいんですか」
「ンなわけないっすよ!?」
「おい。二人ともチェリから離れろ」
小さなふわふわは自分もいつか飼ってみたいな……なんて考えていたときだった。
「……ふにゃ」
騎獣訓練士だからこそ(?)の優しい手つきに心地よくなってしまい、チェラシュカの口から気の抜けるような声が漏れた。
何故か止まる会話。
三人の視線が集まったことを不思議に思いつつ、チェラシュカは撫でられるがままになる。
「ストラメルは……、」
うっとりと目を細めてふわふわした気持ちのまま声を出せば、ストラメルから「……は! な、なんすか!?」と焦った様子の返事が返ってきた。
「動物を撫でるのが上手いのね……ラクォラの気持ちがわかった気がするわ」
「チェラシュカ、私が撫でるのはどうでしたか?」
「ええと……、擽ったくて……身の危険を感じたわ」
「身の危険を感じる撫で方ってなんだ? あとストラメルはいい加減やめろ」
「わ、わかってるんすけど、手が止められなくて!! チェラシュカさん恐ろしいっす!」
「やめちゃうの……?」
その瞬間、撫でる手に手を伸ばしていたラキュスも、手を掴まれたストラメルも、ピタリと動かなくなった。
不意に尻尾を優しく引っ張られた感触に振り向くと、チェラシュカを見上げる大きな猫ならぬ獅子と目が合った。
立ち上がった彼が「チェリちゃん、逃げよう」と言う。
逃げる……? と思っていると、彼はチェラシュカをひょいっと縦に抱え、ラキュスたちを置いて外へと走りだした。
「あ、おい!」
「はー……ある意味助かったっす……」
「連れ去られてしまいましたね」
一拍置いてラキュスが追いかけてくるのが見えたが、レオニクスの脚力には敵わなかったようだ。
チェラシュカは俵担ぎ一歩手前のような状態で抱えられており、彼が走るとお腹に彼の肩がめりこんで苦しい。服にかけている守りの魔法も、こういう場合には効果が無い。
「れ、レオニクス、どこへ行くの?」
すると彼は足を止め、そっとチェラシュカを地面の上に下ろした。
いつの間にか近くの公園まで来ていたようだ。花壇には色とりどりの花が咲き乱れており、落ち着いてからまた訪れたいなと思う。
「あー……、ごめんチェリちゃん、勢いで出てきちまった」
「勢い」
「あれ以上、あいつらの前に今のチェリちゃんを置いておきたくなくて……」
そんなに今の状態はまずいのだろうか。自分では見えないので、どうなっているのかわからない。
「なにがまずいの? レオニクスは大丈夫?」
「オレは……ラクォラの気持ちがすげえよくわかった……」
「???」
何故ここでラクォラの名前が出てくるのだろう。あの子はトカゲと馬のような動物なので、猫科とは大いにかけ離れているはずだ。
それより、今気にすべきところは他にある。
「よくわからないけれど、私は外にいても大丈夫なの?」
「……多分。あのままあそこに居るよりかは」
「そう。なら……ねえ、まだ何も食べてないわよね?」
「ああ、食べてねえな」
「なら、何か食べて帰りましょう? こういうときにこれを使うのよね」
チェラシュカは携帯型金庫から小さなメモ用紙とペンを取り出した。『レオニクスとご飯を食べてきます。心配しないでね。チェラシュカ』と書くと、二つ折りにして手の上に載せる。
ラキュスに届きますように、とイメージして反対の手の人差し指でとんとんと叩いた。するりと魔力が流れた感覚があり、メモが小鳥の形になる。
そのままパタパタと羽ばたいて、もと来た方へと飛んでいくのを見送った。
「あれは?」
「この前買った伝書鳩メモよ。ラキュスにご飯を食べてくるって伝えたの」
「へえー! すっげえ便利だな」
もの珍しそうに小鳥のメモを見送るレオニクスの目が、キラキラと輝き始める。
獣人も使えるらしいので数枚渡したところ、彼は美味しいお肉を食べたときと同じくらいの良い笑顔を見せてくれた。
「ね、何が食べたい?」
いそいそとメモを仕舞う彼に声をかけると、顔を上げた彼はこちらを見て眉を寄せる。
「あー……、その前に、その耳と尻尾は隠した方がいいかもしんねえ」
「そうなの?」
「その……妖精の特徴と獣人の特徴を持ってるってなると、変な目で見られるかもしんねえなと……」
非常に言いにくそうな様子に、チェラシュカは得心した。
これまでに出会った人々は概ね好意的であったが、妖精二人の羽に好奇の目を向ける人や、他種族へ排他的な対応をする人も、少なからず存在していた。
どうせ一時的な出会いなのだから誰にどう思われたって構わないのだが、心配してくれている彼の気持ちを無下にするつもりもない。
と言っても隠せるようなものは持っていないし、それならやっぱり帰るべきだろうか。
「レオニクスの服みたいに、フードが付いていたら隠せたかもしれないけれど……」
彼のパーカーを見ながらそう呟くと、彼はぽんと手を打ち「その手があったか」と言った。
「街に出る間だけオレのパーカーを羽織ってりゃいいな! 多分尻尾まで隠れるぜ」
名案だ、と言わんばかりのレオニクスの明るい表情に、チェラシュカは目をぱちくりとさせる。
「……え、でも」
「はっ! ……チェリちゃんはオレが着てた服とか嫌だよな。ラキュスには綺麗にしてもらってんだけど、汗臭えかもしんねえし……」
感情の急降下っぷりがすごい。
まだこちらが何も言っていないのに、どよんと顔を曇らせた彼は、腕をすんすんと嗅ぎながら落ち込んでいる。
「そんなことを思ったことはないわ。そうじゃなくて、レオニクスはパーカーを脱いだら寒くないかなって」
「それは全然大丈夫! あ、てかむしろチェリちゃんが寒いんじゃねえか!?」
「私は寒くないわ」
今はまだ比較的涼しい時間帯だとは思うが、彼がそう言うのならそうなのだろう。自分はある程度魔法で温度調整ができるので問題ない。
ならば、とチェラシュカは両手をレオニクスに向けて伸ばした。
「なら、遠慮なく借りるわ。本当にいいのよね?」
「……おう! もちろんだぜ」
レオニクスがササッとパーカーを脱いだ。
Tシャツの半袖から剥き出しになった筋肉質な二の腕に、やっぱり獣人ってすごいわ……とチェラシュカは密かに感嘆の息を漏らす。
ずいっと彼に渡されたそれは、思ったよりずしりときた。
ケープを羽織らない状態で外へ連れ出されたため、パーカーで背中が覆われてなんとなく落ち着く気がする。
しかし、袖を捲り上げて手を出してみたものの、長さはともかくとして幅が余りまくっている。腕を下ろすと、ストンと袖が落ちて手が隠れてしまった。
これだと手が使えないな、と思いつつふと顔を上げると、目を見開いてぽかんと口を開けたレオニクスが目に入った。こんな表情を見るのは今日で二度目だ。
チェラシュカは腕を持ち上げて、余った袖をゆらゆらと見せてみる。
「こんなにダボダボで大丈夫かしら」
「ちっちゃ……、かわ……」
彼はこちらを凝視して口元を押さえたまま、まともな返事が返ってこない。鍛えられた獣人と細い妖精のサイズの違いに驚いているらしい。
妖精としては平均より大きいのだけれどと思いつつ、埒が明かないので足を進めることにする。
フードを被りレオニクスの腕を引く。
普通にするとフードが目元をがっつり覆ってしまうため、微調整をしながら声をかけた。
「とりあえず、行きましょ?」
「お、おう」
どこかそわそわしたレオニクスを連れて、チェラシュカは朝ご飯探しの旅に出るのだった。




