67. レオニクスと寝起きの悪い男
※本作品はBLではありませんが、本エピソード中に男性同士のちょっとした接触事故がありますので、苦手な方はご注意ください。
コンコンコン。
レオニクスは目の前の扉をノックする。
「起きてっか?」
数秒待ったが返事は無い。
この無駄に広い屋敷の主は、扉の向こうで惰眠を貪っているらしい。
昨日各自の泊まる部屋を案内された際に、滞在中は好きに過ごしていいと言われた。
だが、家主を放っておいて自由に振る舞えるほどの図太さを、レオニクスたちは持ち合わせていない。
そのため、たまたま早く起きていたラキュスとレオニクスがじゃんけんをした結果、レオニクスが謎多き研究者を起こす役目を手に入れてしまったわけである。
念のためもう一度ノックをしたものの、物音一つ聞こえない。
レオニクスは家主の言葉をここぞとばかりに都合良く解釈し、沈黙する扉に手をかけた。
「ティンナトールー、入んぞー」
自宅だからか鍵がかかっていなかった扉は、思った以上に容易く開いた。
少しずつ扉を押せば、廊下の明かりが部屋の中へ伸びる。そんな僅かな明かりでも、夜目の効く獅子には十分だった。
扉を開けてまず目に入ったのは、複雑な模様が描かれた少し厚みのある絨毯だ。
家財道具にあまり詳しくないレオニクスでも、シンプルな色合いで織られた繊細な模様と大きさから、そこそこ値の張るものであることが察せられる。
左手の壁際には、腰くらいの高さの飾り気のないチェストがある。
その上には、名前の知らないピンク色の花が、柔らかな曲線を描く一輪挿しに収まっていた。
反対側の壁には、前腕程度の大きさの丸い金属の輪が掛けてあった。
その中心から二本の棒が伸びていることから、恐らく時計なのだと思われる。
しかし、数字が無いため本当にあれで時間がわかるのかは疑問だ。
それからレオニクスは正面を向き、部屋の真ん中奥にドンと置かれたベッドを見る。
一人で寝るには大きすぎるように思えるそれの上には、こんもりとした布団の山が乗っかっている。
レオニクスが部屋に入っても微動だにしないその塊を見て、大きく溜息をつくと視線をもう一度チェスト側の壁へ向けた。
高そうな絨毯を傷付けないよう慎重に足を進めると、暗い色のカーテンに手をかける。
ピッと引っ張ると、カーテンの真ん中から眩い白い線が広がった。
目が眩むような明るさにもすぐに慣れ、外の景色が目に入る。
まだ太陽は低い位置にあるが、窓の近くの大きな木の上で数羽の小鳥が甲高く囀っては朝を告げていた。
——これで起きたか?
そう思って振り返るが、ティンナトールは窓に背を向けて眠っているのか、効果が見られない。
仕方なくベッド脇に近付くと、レオニクスは再び声をかけた。
「なあ、起きろって。朝だぞ」
そこそこの大きさの声を出したが、反応が無い。
渋々片手を伸ばしてその身体を揺すってみると、彼は小さな呻き声と共に仰向けになった。
やや顰められた眉と閉じたままの瞼が見え、普段は髪で隠れている右耳が露わになる。
そこにつけられたイヤーカフが、陽の光を反射してキラリと輝いた。
アクセサリーなんて意外だな、と思いながら今度は大きめに揺する。
起きているときの彼は"食えない奴"という雰囲気が先行しているが、静かに眠っていれば顔だけは綺麗な奴という印象だ。
「お前が起きねえとオレら出かけらんねえんだってー。なあー」
鍵閉め要員として対応してほしい旨を訴えながらゆさゆさと動かしていると、ティンナトールの目が薄く開かれた。
最初はぼんやりとした様子だったが、不意にその緑色の目がこちらを捉える。
かと思えば、寝そべったままレオニクスの方へ向かって手を伸ばしてきた。
その手にパーカーの首元を掴まれたレオニクスは、ぐいっと彼の方へ引き寄せられる。
「うわっ!?」
予想外の動きに、レオニクスは彼の上に倒れ込まないよう咄嗟に両手を突き出した。
しかし、レオニクスの心の安寧を守るには、それだけでは足りなかったのである。
ぱくり。
ティンナトールが口をぱかりと開き、レオニクスの口元に嚙みついた。
「……!?」
レオニクスは自身の口元を這う生暖かさに全身の毛が逆立ち、反射的に口を閉じてベッドへ突っ張る腕の力を強くする。
「んん!? ~~~~っ!!」
ベッドに膝を乗り上げ、両手で彼の肩を掴んで押すものの、動揺しすぎて上手く力が入っていないのか、それとも想定以上に彼の引く力が強いのか。
彼の口はレオニクスにかじりついたまま離れる気配がない。
薄く開かれた彼の目があまりにも近い。
レオニクスは頭の中が真っ白になりながらも、口を閉じたまま喉の奥から抗議の声を上げ、必死に押し返した。
すると、最後にレオニクスの唇をぺろりとなぞって満足したのか、手を離したティンナトールはパタンと倒れ、再び目を閉じた。
あまりの衝撃にしばらく固まっていたレオニクスだったが、今しがた起こったことを理解したところで――。
「…………はああああああ!!!!!??」
思わずその場からズザザッと壁際まで下がった。
先程まで自分に噛みついて――というか吸い付いていたティンナトールは、咆哮とも呼べる程の大声が聞こえていないのか、何事も無かったように寝息を立てている。
夢だったのかと疑うほどだが、手の甲で擦った口元が不自然に湿っており、これが現実だということを思い知らされる。
——ありえねえ、ありえねえありえねえありえねえっ……!!! なんなんだこいつ!!!
意味がわからな過ぎてきちんと問い詰めたい気持ちと、二度と同じことをされたくないという気持ちが入り混じったまま、ひたすらごしごしと口元をこする。
万が一口を開けていたらどうなっていたことか。そう考えるとかなり恐ろしい。
「気持ちわりぃ……」
そう小さく呟いた時だった。
己の耳がカタンという物音を捉え、音のした扉の方を見る。
開け放たれたままだった扉の外にいたのは――。
「あ…………その、ごめんなさい、見るつもりじゃなかったの。びっくりして、動けなくて……。ラキュスからレオニクスがティンナトールを起こしに行ったって聞いて……、でも、二人がそんな関係だったとは知らなくて……。えっと、私からは誰にも言わないから、安心してね」
かつてないほど困惑した様子で部屋の外に立っていたのは、寝間着姿でゆるくウェーブした髪を下ろしたチェラシュカだった。
彼女の揺れる視線は、レオニクスと布団にくるまれたティンナトールを交互に行き来している。
彼女は何をどう認識したのか、眉を下げてへにゃりと笑い、それじゃあごゆっくり、と言い残してタタタッと去っていった。
「……え?」
――チェリちゃんに、見られた? あれを? よりにもよって、あの悪夢のような瞬間を? チェリちゃんに? しかもなんか、すっげえ嫌な勘違いをされてる気ぃすんだけど……?
「っマジかよ……最悪だ…………」
思いもよらぬ事態にレオニクスは膝からがくんと崩れ落ち、手を床についてしまった。その勢いのまま、高級そうな絨毯にガリガリと爪を立てる。
最早唇を奪われたことより、彼女に見られたことの方がショックでならない。
今のレオニクスには、部屋に入ったときのような気配りなどできるはずも無かった。
不意に、視界の端で布団の塊が動く。
「んん……レオニクス?」
ゆっくりと上体を起こしたティンナトールは、不思議そうな顔で口に手を当てて欠伸をしている。
レオニクスはなんとか立ち上がると、彼を思い切り睨みつける。
「おまっ…………ざっけんなよ!?」
「おはようございます。あなたは何故ここにいるのでしょう」
「おはよう、じゃねえって! マジで! お前がさっさと起きねえせいで、オレは……!」
「ああ……夜這いにきたんですか」
「よ……!? んなわけねえだろ!?」
「あはは。もう朝でしたね」
「そういうことじゃねえっ!!」
寝起きにもかかわらず揶揄ってくるティンナトールを見ていると、改めて腹の底から怒りが湧いてくる。
「マジ笑い事じゃねえって!! さっきオレに何したか覚えてねえのかよ!?」
苛立ちをそのままぶつけるように彼を問い質した。答え次第ではぶん殴ってやろうと思う。
「さっき……」
ぼんやりと空中を眺めていた彼だったが、しばらくして「ああ。思い出しました」と口にした。
「なんでお前そんな平然としてんだよ! 気持ちわりぃんだよ! つーかなんであんなことした!?」
「目を開けた先にいたので、なんとなく」
淡々とした返しにレオニクスの勢いが削がれそうになるが、ぐっと拳を握り締めて気を奮い立たせる。
「は、はあ!? なんとなくで、あ、あんな……」
「まるで生娘のような反応をするのですね。もしかして初めてでしたか? それは悪いことをしました」
「きっ……お前なあ! あんなんノーカンだ、ノーカン!」
悪いことをしたとは全く思っていないだろうことは、彼の口角の上がり具合でまるわかりだ。
この様子だと、相手が誰であろうと……例えチェラシュカであろうと同じことをしてしまいかねない。そう思うと心底ゾッとする。
寝起きの彼には絶対に近付けないようにしなければ。
「っそれより! お前のせいで、とんでもねえ勘違いをされちまったかもしんねえんだぞ!?」
「勘違い?」
彼女がすると可愛らしい小首を傾げる仕草も、彼がすれば苛立ちを煽られるだけだ。
レオニクスはむかむかとしながら、今の最悪な現状について説明する。
「ちぇ、チェリちゃんに見られちまったんだって!!」
「……ほう」
「しかも! そんな関係だったなんて知らなかった、誰にも言わない、なんて言われちまったんだぞ!?」
「……ふっ」
彼の深緑の瞳が愉快そうに煌めく。
レオニクスの深刻な様子とは対照的に、彼は鼻で笑うだけだった。
その肩を思い切り揺さぶってやりたい、が。
——近付きたくねえーーっ!!
噛み締めたレオニクスの奥歯がギリギリと鳴る。
「笑ってる場合じゃねえって! どうしてくれんだよ……こんなひでえ勘違いされっとか、マジで最悪だ……」
幼い頃は、獣化した状態で家族から毛づくろいをされるのは日常茶飯事だった。
だから、顔を舐められたこと自体は気持ち悪いが、正直どうでもいい。
それよりもレオニクスにとっては、彼女に困った勘違いをされたことの方がよっぽど深刻な問題だった。
レオニクスが頭を抱えて背を丸めていると、元凶がくつくつと笑いながらこんなことを言ってのける。
「普通に否定すれば良いのではないですか」
「そ……それはそうなんだけどさあ……あんなのを見られちまったと思うと、気まずくて話しかけずれえだろ?」
「あなたが情けなかったりヘタレだったりするのは今更では」
「はあ!?」
あんまりな言いようにますます腹が立って睨む目に力が入るものの、彼はなんら気にした様子はない。
「てか、ティンナトールも嫌じゃねえのかよ。変な勘違いされるとか」
「はあ、別に。面白いので構いません」
「……オレは面白くねえ」
「あなたがどうしてもと言うのなら、私が代わりに彼女へ話してさしあげてもいいですが」
その言葉を聞いて、レオニクスは一瞬彼に任せようかと思ったが――、それはとんでもない気の迷いだと頭を振る。
逆に更なる誤解を招きかねない。
そんなレオニクスを見てどう思ったのか、彼は更にこう続けた。
「ところで、一般的にどの種族の女性体も、パートナーを持つ男性体と接するときの方が油断しやすくなるのですが、ご存知でしたか?」
「……油断?」
「はい。特定のパートナーがいるということは、自分が関わる相手として比較的安全であるはずだと本能的に感じているのでしょう。物理的に距離が近くなったり、頼ったり、隙を見せたり、その他色々」
「…………距離が近くなる?」
「その方がレオニクスも好都合でしょう?」
「…………」
弱った心にそれっぽいことをそれっぽく聞かされ、レオニクスは思わず生唾を飲み込んだ。
つい、無防備に近付いてきたり頼ってきたり、色んな話をニコニコと話してくれる彼女を想像してしまう。
そこで彼がふっと笑い声を上げた。
「……なんだよ」
「嘘ですよ」
「…………嘘?」
「はい、全てが本当というわけではありません」
「は……え、全部嘘?」
「様々な調査から傾向としてこうだと言われていることは含んでいますよ。但し、どれが事実なのかは伏せておきます。それに、それが彼女に当てはまるかについては断言しかねますね」
「はあぁ!?」
——こいつ……適当なこと言いやがって……!
レオニクスの顔が歪む中、ティンナトールが小さな呟きを落とす。
「まあ、彼女は相手が誰であろうと一線を引いている節がありますが」
「……なんて?」
「いえ。……本当にわかりやすいですねレオニクスは」
楽しそうに笑みを浮かべる彼に、再び鋭い目を向ける。
「はあ? っつーかそもそも勘違いされてること自体が一番のデメリットだろうが! しかもお前となんて……」
「ああ、ちゃんとその結論に至れたのですね」
一拍遅れて彼が告げた言葉の意味を理解し、目をくわっと見開いた。
「お、ま、え、なあ~~~!?」
「まあまあ。とりあえず下に降りては? これ以上ここに留まっていると、更に勘違いを加速させてしまいますよ」
「……くそっ! 元はと言えば全部お前のせいだろ!? なんでお前みたいな奴と一緒に行動なんて……」
悪態をつくレオニクスに構うことなく、彼はベッドから降りて掛布団を丁寧に元に戻した。そのまま廊下を手で指し示す。
「さて、着替えるので出てください。……着替えが見たいのなら居ても構いませんが」
「ンなわけあるかっ!」
「ああ、あと」
部屋を出ようとしたところで声をかけられ、仕方なく足を止める。
「『気持ち良かったからまた触ってほしい』、だなんて大胆なお願いを受け入れてもらえるくらいなのですから、既に十二分に油断されていると思いますよ」
「~~~~っ!? もうお前喋んな!」
予想外の角度からの言葉に、声にならない声を上げる。
勢いで怒鳴りつけたレオニクスは飄々とした様子の彼を強く睨むと、どすどすと足音を立てて廊下へ出た。
パタンと扉の閉まる音を背に、そのままの勢いで階段を降りていく。
リビングに着くと、ソファに座っていたチェラシュカとラキュスとストラメルがこちらを向いた。
三人は昨日の夕食の残りをつまんでいたようだ。
「めちゃくちゃうるさかったっすけど、大丈夫っすか?」
「……おう」
「見に行こうかと思ったんだが、チェリに止められてな」
「…………」
ラキュスの言葉に顔を引き攣らせながらチェラシュカを見ると、彼女は曖昧な微笑みを浮かべていた。
彼女は髪を結い上げて服も着替えており、すっかりいつも通りの恰好だ。
あんなタイミングでなければ、先程の寝起き姿だってもっと見たかったのに、と再び苛立ちが湧く。
レオニクスと目が合った彼女は、他の二人に見えない位置で片腕を曲げ、拳を作って小さく上下させている。
誤魔化しておいたから大丈夫、と言いたげな様子に、レオニクスは小さく溜息をつくしかないのだった。
この後、事実を知った彼女が「レオニクスが傷付けられた!」とティンナトールに対し報復を決行するのだが、それはまた別のお話。




