66. 禁酒になりました(挿絵有)
チェラシュカが目を覚ますと、カオスという言葉がピッタリの惨状が目の前に広がっていた。
どうやらいつの間にか眠ってしまっていたらしい。
ラキュスは頭を抱えて時折呻いており、ティンナトールは俯いて何かブツブツ呟いている。
ストラメルはその隣で明後日の方向を向き、ひたすらジャーキーを咀嚼している。
レオニクスは姿が見えなかったが席を外しているのか――と思ったら何故か部屋の隅で胡座をかき、目を瞑っていた。瞑想でもしているのだろうか。
テーブルの上には食べかけの軽食がそのまま残っていたが、アルボナの瓶は片付けられているようだった。もう少し飲みたかったのだが、残念だ。
時計を見たところ、自分たちが飲みはじめたときから数時間ほど経過していることがわかった。
とりあえずラキュスは頭が痛いのだろうと思い、さくらんぼを数粒生成して彼の隣に腰掛ける。
「ラキュス、大丈夫?」
掠れた声で返事をした彼の口の中に、さくらんぼを一粒ぽいと放り込む。
残りのさくらんぼは空いた小皿に入れて、改めて皆の様子を確認した。
ティンナトールは先ほどの状態から回復したのか、何故か訝しげな目をこちらへ向けていた。
チェラシュカは首を傾げつつ、小皿を彼の方へ差し出す。
「食べる?」
「……ありがとうございます。いただきましょう」
「ストラメルは?」
こちらを向いたストラメルは、眉間に皺を寄せて睨みつけるような表情をしていた。
「……いただくっす」
ストラメルも頭が痛いのかしら、と思いながらレオニクスの方に視線を向ける。まだ瞑想をしているようなので、立ち上がって彼の方へ向かい、目の前にしゃがみこんだ。
「大丈夫?」
声をかけると彼はパッと目を開き、こちらを見たあと視線を揺らしていた。
「っ、あ、チェリちゃん……」
「レオニクスも食べる?」
さくらんぼを一粒つまんで彼の顔の前に出すと、コクリと頷いたのでその口に押し付けた。
「開けて」
レオニクスは少し戸惑った様子を見せていたが、おずおずと口を開いた。チェラシュカは彼の口の中にさくらんぼをぽいと入れる。
数回噛んですぐに飲み込んでしまったらしいレオニクスは、何故だかその赤い瞳を探るようにこちらへ向けてくる。
「……あのさ、チェリちゃん」
「なあに?」
「…………もう一回、レオンって呼んでくんね?」
何を言うのかと思えば、愛称で呼ばれたかったらしい。チェラシュカはぱちぱちと瞬きをして、しばらく考え込む。
酔っている間のことも基本的には覚えているため、先程の記憶を辿る。
色々と思い返した結果、どうやら酔った自分が彼をそう呼んだことが、彼の琴線に触れたようだと理解した。
緊張した面持ちの彼に、チェラシュカは軽く微笑みかける。
「呼ばないわ」
「…………えっ」
割とショックを受けた様子のレオニクスを見ながら言葉を続ける。
「私、シュシュ以外は愛称で呼ばないって決めてるの」
「……でも、さっきは、」
「少なくとも、素面では」
「…………そんなあ」
アルボナ以外では酔いそうにないチェラシュカが、レオニクスを愛称で呼ぶことはもう無いだろう。そういう特別を、もう作りたくないのだ。
そんな意思表示を汲み取ったようで、彼は胡座をかいたまま項垂れた。
獅子耳はぺたんと前に倒れており、彼自身のしょんぼりした気持ちをこれでもかとチェラシュカに訴えかけているようだった。
へにゃりと垂れた耳に、つい目が釘付けになる。
「ねえ……獣人って耳を触ると痛いのかしら?」
チェラシュカの言葉を拾うためか、彼の耳がピンと立つ。それから少し遅れて、レオニクスは口を開いた。
「…………へ? うーん、強く触んなきゃ大丈夫じゃねえか」
「レオニクスも大丈夫?」
「うんまあ大丈夫……んん?」
目の前の獅子はようやくチェラシュカの意図を悟ったらしい。顔を上げたレオニクスと、両手を持ち上げてにじり寄るチェラシュカの目があった。
「痛くしなければ……いいかしら?」
瞳孔が開いてまん丸になった彼は、こくこくと頷いた。
耳に触れる了承を得られたので、そっと両手を伸ばしてその垂れた耳に触れる。
手が触れた瞬間その耳がピクッと動いたが、その後はじっとしている。
少しひんやりとしていて、自身の耳より厚みがあり、ふわふわとした柔らかな毛が心地よい。輪郭をなぞったり、親指で押してみたり、残りの四指で耳の裏側をさわさわとしてみたりと、チェラシュカは思いつく限りの動物の耳の触り方を試したと言っても過言ではない。
時折その耳が微かに動いたり、「あっ……」という声が聞こえたりしたが、チェラシュカは止まらなかった。すっかりふわふわもふもふの虜になってしまって、止まれなかったというのが正しいかもしれない。
しばらくもふもふの耳を堪能していると、急にガシッと腕を掴まれた。
はっとしてレオニクスの顔を見ると、頬は紅潮して目には涙を浮かべており息も絶え絶えになっていた。
「も…………そろそろ……」
「あ……痛かったかしら。ごめんなさい」
チェラシュカが耳からそっと手を離すと、レオニクスは両手で顔を覆ってしまった。
「本当は嫌だった? 申し訳ないわ、獣人の身体のことをよくわかっていなくて……」
「……ち、違くて」
「もう触らないようにするわね。今後は目の前に魅惑のふわふわがあっても鉄の心を持って、」
「き、気持ちよくて……」
そう言った彼は両手を少しずらし、指の隙間から右目を覗かせた。
「たまに触ってほしい…………これも、駄目か……?」
チェラシュカは彼の様子を見て愕然とした。
――こんなに可愛い生き物がまだ存在したなんて!
チェラシュカが思う可愛い生き物ランキング堂々の第一位はペルシュカ、第二位はラキュスの二人が固定で、三位以下はその時の気分によって変化していたのだが、今この瞬間レオニクスが第三位に躍り出た。
チェラシュカがそんな可愛いレオニクスのお願いを断るわけがなかった。しかも元はといえばこちらがお願いしたことなのだから、まさにWin-Winというやつだろう。
頭の中では紙吹雪が舞い、目の前の生き物の可愛さをこれでもかと称えていたが、そんなことを微塵も感じさせない微笑みをレオニクスに向けた。
「願ってもないことだわ。レオニクスさえ良ければ、また触らせてね」
そう伝えると、彼は安心したのか両手を下ろして後ろの壁に凭れかかった。
そんな様子を横目に、チェラシュカは先程アルボナを飲んだときのことを思い出す。
溜息をついて、両手で自分の頬を覆った。
「まさか、ファーストネームを全て口にするのすら面倒になるなんて……」
アルボナを飲むといつも何もかもが面倒になっていたが、怠惰さが進化してしまっている。
気を付けなければ……と完全に独り言のつもりで呟いたのだが、返事が返ってきた。
「そういうことでしたか。どおりで私のことを愛称で呼んだり、思った反応が返ってこなかったりしたわけです。私はてっきり、あなたは酔うと手当たり次第に誘惑するようになるのかと」
声がした方を見上げると、ティンナトールが立っていた。彼は水の入ったグラスをレオニクスに渡すと、こちらにニコリと笑いかけた。
「あら……、ティンナトールは私に誘惑されたのかしら?」
「さあ、どうでしょう?」
チェラシュカは立ち上がり、煙に巻いた答えを返す彼を真っ直ぐに見据える。
彼とは自身の手のひらの長さほどの身長差があるため、少し見上げる形となる。
「ふふ。飽きたと言ったことは謝らないわ。私だって、あなたが私たちで遊ぼうとしていたことには気付いているんだから」
「バレていましたか」
「何か聞きたいことがあるなら、正面から聞けばいいわ。正直に答えるかどうかはわからないけれどね」
そう言って彼の顎を指でツンとつくと、ティンナトールは虚を衝かれたような表情を見せた。
「でも、久々にアルボナが飲めて嬉しかったわ。ありがとう、ティンナトール」
そう伝えると、彼はこちらを見る目を眇めさせた。
「……チェラシュカの頼みなら、いつでもご用意しますよ」
彼のエメラルドの双眸がキラリと輝いたことには気付かないふりをして、チェラシュカは笑みを返した。
そのまま視線を下へ向けると、相変わらず座り込んだままのレオニクスに手を伸ばして声をかける。
「レオニクス、ほら、あっちへ戻りましょう?」
こちらを見るレオニクスは少しぽやぽやとした表情でチェラシュカの手をとった。
彼の手を引くと大人しくついてきたので、ラキュスの隣に二人で座ることにする。
彼は先程より顔色が良くなっており、大丈夫そうだなと安堵した。
次にストラメルの方を見ると、更に凶悪な目つきとなった彼と目が合った。
ストラメルは偶にティンナトールから「メルちゃん」と呼ばれて嫌がっているものだから、チェラシュカが「メル」と何度も呼んだことが気に食わなかったのか。
――年下だって思うと、故郷の幼い妖精たちを思い出してつい可愛く思えてしまうのよね……。
ラキュスは可愛いと伝えてもあまり嬉しそうではないが、ストラメルも同じタイプなのかもしれない。
「ストラメル……」
真意を確認せねばと声を掛けると、はっとしたように視線を逸らされる。
「違うっす、なんかこう……眉間に力を入れていないと変な顔になりそうで」
「変な顔?」
「見てはいけないものを見てしまったような、でもまた見たいような……」
どうやらチェラシュカの考えていた理由で凶悪な目をしていたわけではないらしい。
「? よくわからないけれど、見たいものがあるならまた見られればいいわね」
そう伝えると、乾いた声で「そうっすね……」と返ってきた。
チェラシュカは一つ頷くと、何もわからないような顔をしているラキュスにも声をかける。
「ラキュス、今回はどこまで覚えているの?」
「……乾杯したところまで」
「まあ。もしかして一気に飲んだの? 久々なのにちゃんと味わえなかったのね」
どうやらラキュスにしては珍しい飲み方をしたようだ。なるほどと頷きながら飲んでいたときのことを思い返す。
「だから突撃してきたのね」
「……突撃?」
「急に私の名前を叫んで、私の腕にしがみついたのよ」
それを聞いたラキュスは顔を引き攣らせた。
「寂しくなっちゃったのね。でもいつも通り可愛かったから大丈夫よ」
「それのどこが大丈夫なんだ……」
「確かに酔ったラキュスは可愛らしかったですね」
「でしょう? ティンナトールもわかっているわね。でも」
そこで言葉を区切ると、チェラシュカはラキュスの腕に自身の両腕を絡め、向かいに座っているティンナトールを見た。
「ラキュスは私のだから、あんまりいじめちゃダメよ」
それを聞いたティンナトールは、無邪気な子供のように大きく口を開けて笑った。
「……あっはは! それは妬けてしまいますね」
「オレも私のって言われてみてえ……」
「なんなんすかこの人たち……」
こうしてティンナトールのお家訪問一日目が終了した。
結果として、ティンナトール以外の三人からチェラシュカにしばらくの間アルボナ禁止令が出てしまったが、久々にそこそこ味わえたので良しとしよう。




