65. ストラメルは酔い潰れたかった
一方その頃。乾杯後すぐにストラメルは妖精のお酒を一口飲んでいた。
香りから想像される通りの甘い味がして、好みではないなとグラスをテーブルに置き、おつまみをむしゃむしゃと食べる。
ティンナトールが用意した軽食はどれも小洒落ていて、そのくせ味もしっかりと美味い。
実家での暮らしを思い出してみるものの、焼いたバケットとクリームチーズなんて自宅で食べるものだとは思っていなかった。
もぐもぐと口を動かしながら、ストラメルは部屋の中をぐるりと見渡す。
目の前のテーブルやソファだけでなく、リビングに置いてある調度品にも家主のこだわりが感じられ、あらゆる方面へのセンスの良さが窺い知れる。
そう考えつつ、そのセンスの持ち主であるティンナトールに視線を向ける。
彼は初めて飲むという妖精のお酒がお気に召したのか、じっくりと味わっているようだった。意外と甘口もいけるタイプらしい。
そんなとき、視界の左側にいたラキュスが一気にグラスを呷っているのが目に入った。
クールの権化のような見た目にそぐわない豪快さに、ついぽかんと眺めてしまう。
ティンナトールが新しいグラスに水を注ぎ、彼の前に置いた。
「ラキュス、お水ですよ」
「ん、ありがとう」
ストラメルは、今何もないところから瓶が現れなかったか? と思った。が、あの怪しい研究者には深く突っ込まないことを決めていたので、ひたすら食べることに専念した。
――このチョコはいい感じに苦くて美味い……。
黙々と食べ続けるストラメルの耳に、手前の二人の会話が聞こえてくる。
「まさか一気に飲むとは思いませんでしたよ」
「…………素面でいたくないと思って」
「というと?」
「……俺もチェリもアルボナは好きだし、チェリが好きなものはたくさん味わってほしいと思っている。けど、アルボナは……ちょっと酔い方が厄介というか、……あまり見せたくない」
「なるほど。チェラシュカの気持ちを尊重したい気持ちと、彼女を独占したい気持ちが拮抗していると」
「ああ……」
――えええええ? ラキュスさんマジっすか!?
ストラメルは思わず手に持ったチョコレートを落としそうになった。普段あまり喋らないラキュスが饒舌に、しかも素直に返事をしているからだ。
その内容も、いつもの彼なら絶対に言わないような言葉である。
彼女の気持ちを優先しつつも、自分がそれを見たくないからと酒に逃げ、あまつさえその心境をティンナトールに吐き出してしまうなど、いつもの彼からは想像ができなかった。
ティンナトールの表情をよく見ろと言いたかったが、ラキュスは手元のグラスを見つめてぽやぽやとしている。至極楽しげな家主の様子は目に入っていなさそうだ。
「ラキュスは妖精のお酒で酔うとどうなるんです?」
「……友達には、いつもよりお喋りだったと言われた」
「確かに饒舌な気がしますね。他には?」
「チェリには…………素直で可愛かったって」
「なるほど」
確かに饒舌だし、普段と打って変わって素直なところが可愛いというのも頷ける。
こんなに素直なら、数日前チェラシュカと何があったのかも聞いてみたいところだ。彼らは何もないと言い張るが、今までより自信に満ち溢れているように思えるラキュスを見れば、二人の間に何かあったのは間違いない。
インタビュアーと化したティンナトールは、話題をそこに持っていくだろうか。そう思ったところで、彼がラキュスのグラスに妖精のお酒を注ぐのが目に映る。
「そう言われて嬉しかったですか?」
「ううん……褒めてもらえるのはいいが、可愛いって言われてもな……」
「では、何と言われたいですか?」
「あー、あの、その辺にしといたほうがいいと思うっす」
興味本位で話を聞きたくもあったが、厄介な研究者相手というのはやはりネックだ。ストラメルがストップをかけると、彼は不思議そうな顔をする。
「でも、面白いでしょう? こんなに素直なラキュスはなかなか見られないですよ」
「めちゃくちゃ面白がってんじゃないすか……年下で遊ばないでほしいっす。それに、明日正気のラキュスさんに怒られるっすよ」
「仕方ありませんね、そこまで言うなら」
その後彼は、軽食を追加しますね、と言ってキッチンへ向かった。ストラメルはその背中を見ながら、思ったよりあっさりと引き下がってくれたことに胸を撫で下ろす。
「ふー……あんま首を突っ込みたくはなかったっすけど、後々面倒なことになりそうだったっすからねー。貸し一つっすよ、ラキュスさん」
そんなストラメルの言葉を聞いているのか聞いていないのか、酔いどれ妖精はちびちびとグラスの中身を減らしている。
しばらくすると、ティンナトールが軽食を持って戻ってきた。先ほどとはまた異なるラインナップに、レストランでもやっていたのかとストラメルは疑問に思う。
ティンナトールが何やらレオニクスに声をかけていたようだったが、ストラメルはミートパイを味わうほうが大事だったので、テーブルの向こうのやりとりは一旦意識の外に置くことにした。
サクサクとミートパイを齧っていると、ラキュスがグラスをテーブルに置いたのが見えた。
どうやら、先程注ぎ足された妖精のお酒も全て飲み干したらしい。
ぼんやりとしている様子のラキュスだったが、しばらくすると急に目を見開いた。
「チェリ〜〜〜!」
彼はそう叫ぶと、奥に座っていたチェラシュカに突撃していた。
――うわあ……。妖精のお酒、やばすぎるっす。
何故かレオニクスの手を両手で包みこんでいたチェラシュカだったが、その手を離してラキュスの方を振り向いた。すると、ラキュスが彼女の右腕にひしっとしがみつく。
「お、おい、ラキュス」
レオニクスが焦ったように声をかけていたが、しがみつかれた当の本人は特に気にしていないようだった。しがみついたまま何も言わないラキュスを、彼女はしばらく見つめていた。
「らきゅす」
少し呂律の回っていない声で名前を呼ばれた彼は、顔を上げて彼女と目を合わせていた。普段よりぽやぽやした様子の彼は、なんだか懇願するような雰囲気を漂わせている。
「……チェリ」
「うん」
「どこにも行かないで」
「うん」
「居なくならないで」
「うん」
「そばに居て」
「うん」
完全に二人の世界に入ってしまったチェラシュカとラキュスを横目に、ストラメルとティンナトールはおつまみを食べたり妖精のお酒を飲んだりしていた。
「急にああなるなんて妖精のお酒怖いっすね……しかも言ってること重いし」
「そうですね。思った以上に効果が強いみたいですし、覚えておきましょう」
「それ覚えてどうするんっすか……」
「ふふ。それにしても完全に出来上がっていますね。ラキュスも面白かったですが、レオニクスの様子を見る限り、チェラシュカも面白いことをしたのではないでしょうか」
「ええ……チェラシュカさんにはマジでやめてあげてほしいっす」
「うーん、うちには他にもっと強いお酒があるんですが、ストラメルはどのくらい飲めば酔いますか?」
「…………チェラシュカさんには手加減してあげてください」
ストラメルは、ラキュスの次にチェラシュカで遊ぼうとしていたティンナトールを止めてあげたかった。
だが、自分が身代わりになるかという遠回しの脅し、もとい提案をされてしまい、我が身可愛さでつい断ってしまった。
ティンナトールがどう行動するつもりかはわからないが、恐らくチェラシュカよりも自分の方が酔って醜態を見せる可能性が高い。
「チェラシュカさん、すまねっす……」
ストラメルがひっそりと彼女に謝罪をしている間に、ティンナトールはレオニクスの横に移動していた。
ラキュスはあれからずっと譫言のように「そばに居て」と繰り返していたようだ。彼はチェラシュカの肩に凭れかかってうつらうつらとしていたが、しばらくすると寝息が聞こえてきた。
「チェラシュカ、ラキュスは眠ってしまったようですからソファに寝かせてあげてはどうですか? あなたも肩が重いでしょう」
「うん」
そう答えたチェラシュカは、ラキュスにしがみつかれていた腕をぺいっとほどき、立ち上がってラキュスの胴体を掴み横たわらせた。
彼女の動きは酔っているからか割と粗雑だったが、ラキュスが起きる気配はない。
その様子を見届けたティンナトールが、チェラシュカに声をかけた。
「チェラシュカ」
「うん」
「おいで」
「うん」
「えっ!?」
ティンナトールが自分の膝をポンポンと叩いて、チェラシュカを呼んでいた。
その隣で、唖然とした顔のレオニクスの口からクラッカーが零れそうになっていた。
平然とした様子のチェラシュカが彼の前を通り過ぎ、ティンナトールが叩いた膝の上になんの躊躇いもなく腰掛ける。
「ええっ!?!?」
レオニクスが再度大声を上げたが「ラキュスが起きてしまうでしょう、静かにしてください」と窘められていた。
レオニクスに大声を出させる要因を作り出したあんたが言うんかとストラメルは呆れつつ、自分もクラッカーを口にする。
「おい、ティンナトール、」
もう一度唸るような低い声を出すレオニクス。
だが、チェラシュカがそちらを向いて立てた人差し指を口元に近づけ「しぃ」と言うと、彼は黙り込んでしまった。
この様子だと、レオニクスはしばらく再起不能だろうなとストラメルは思う。
彼らと共にいる時間はそれほど長くはないが、ラキュスと同じくらいかそれ以上にあの獅子がチェラシュカに激弱であることは理解している。
傍から見ている分には面白いし、揶揄いたくなるのもわかるが、あの胡散臭い紫頭野郎のように興味本位で引っ掻き回しに行く気持ちはわからない。
彼については、厄介な性質を人当たりのよい笑顔で隠しており、普段なら近付きたくないタイプだ。
しかし、チェラシュカにもまた別の厄介さが隠れている、とストラメルの本能が警鐘を鳴らしていた。
「ラキュスが起きてしまいますからね。チェラシュカは優しくていい子ですね」
「うん」
彼はチェラシュカの細い腰に手を回そうとしたようだが、彼女に手を掴まれ押し留められていた。
「おや……そんなふわふわした状態でも触れられることには敏感なのですね」
「うん」
「ですが、支えていないと倒れてしまいそうですよ?」
そう言って再度手を回そうとしたティンナトールの手を、彼女は頑として腰に回させまいとしているようだった。ぐぐぐ……という音が聞こえそうな押し合いである。
「酔っているのに思ったより力が強いですね……ガードも固いままですし。ふうん、興味深いな……」
「てぃる」
「……あなたがそう呼ぶなんて珍しい。やれやれ、仕方ないですね」
二人の地味な攻防は、ティンナトールが諦める形で終わりを迎えた。
彼が手を下に下ろすと、驚いたことにチェラシュカは彼の上半身に凭れかかり、これでよしとばかりに一つ頷いていた。
一方の彼は、目を大きく開いて固まっている。やがて溜息を一つつき、諦めたようにこう口にした。
「触れられたくないのに自分からは触れてくるなんて、我儘な方ですね……」
――流石チェラシュカさん、あの人を諦めさせるとは……。
自分の直感が間違っていなかったな、とストラメルは彼女の強さを再認識する。
レオニクスは色んな意味であまりにも可哀想だから、後で労ってやろうと思う。
しばらくじっとしていたティンナトールだったが、やられっぱなしでは気が済まないらしい。再び彼女にちょっかいをかけることにしたようだった。
「チェラシュカはラキュスと仲がいいですよね」
「うん」
「長い付き合いの幼馴染だそうですし」
「うん」
「ラキュスのどんなところが好きですか」
「うん」
「……」
本人が寝ているからってなんてことを聞くんだとストラメルは思ったが、彼女にはサラリと流されてしまっていた。
あの口達者な男にしては珍しく攻め口を掴み損ねているのか、少し考え込んでいる様子。
「私たちが喧嘩していたら、嬉しいですか?」
「……?」
「楽しいですか?」
「……ううん」
「では、悲しいですか?」
「うん」
「なるほど……」
ティンナトールは切り口を変えて色々試してみることにしたようだ。よくも飽きずにそんなことができるなと思いながら、ストラメルはピクルスをつまむ。
「チェラシュカの一番好きな甘味はなんですか?」
「うん」
「マドレーヌ? チョコレート? キャンディ?」
「うん」
「……ふむ」
チェラシュカから何も面白い答えを引き出せないでいるティンナトールは、色々と考えを巡らせているようだった。
チェラシュカはそんな彼を気にした様子もなく、彼の手を取って指を握ったり手のひらを押さえたり、手の大きさを確かめたりしていた。
「……チェラシュカ、何をしているのです?」
「うん」
「わかっているのですか? あまり無防備にそういうことをしていると……」
不意にチェラシュカがティンナトールの上半身から体を起こし、口を開いた。
「てぃる、あきた」
「……え」
彼女はティンナトールの膝の上からポテッと降りると、とててとテーブルの反対側まで回ってきてストラメルの横に無理やり座った。
自分に火の粉がかからなければいいと静観していたストラメルは、彼女が自分の横に来ることを全く想定していなかった。
目を見開いたまま固まっている悪趣味インタビュアーを視界に捉えつつ、どうなるかと内心ヒヤヒヤする。
「あの、なんでこっちに来たんすか、チェラシュカさん」
「うん」
「はー、やっぱ答えられないっすよね」
先程のやり取りを見れば、このぽやぽや妖精から返事を得られないことはわかっていたが、気になったので一応聞いてみた。
案の定まともな答えは返ってこなかったが。
――レオニクスさんもティンナトールさんも、積極的に絡むからあんなことになるんすよ……。
ストラメルは同じ轍を踏むまいと決め、黙々と食べ続ける。
――俺はこの人に対して行き過ぎた友情も恋情も好奇心も持ってない……ちょっと凄いと思ってるだけで……。
だから大丈夫、そう考えつつグラスを煽る。
こんな訳のわからない状況には、いっそ酔ってしまったほうが楽かもしれない。
彼女は隣に座ってしばらくの間、ストラメルと同じようにお菓子を食べていた。しかしある程度胃を満たして満足したのか、彼女は次にストラメルを凝視しはじめた。
流石にストラメルも真横からの熱烈な視線には気付いていたものの、彼女を見たらおしまいだと敢えて気付かない振りをしていた。
「める」
「……チェラシュカさん、メルって呼び方はやめてほしいんすけど」
ストラメルは思わず溜息をつく。嵐の目のような酔っぱらいに絡まれると、絶対碌なことにならない。
「うふふ。かわいい」
「は?」
ストラメルは思わずチェラシュカの方を向こうとして、ギリギリで踏み留まった。この至近距離で今の彼女を見てしまったら、なんだかまずい気がすると本能が告げていた。
「める。かわいい。かわいいめる」
「何、え、」
彼女が話す度に、ふわりと甘い香りが漂う。
――なんで酒臭いどころかこんないい匂いが……!? てか、それ以上に……。
ストラメルは今、一人がけのソファに無理やり二人で座らされている。
自身の右足には彼女の足が半分めり込んでいると言っていい。そこから伝わる彼女の華奢さ、柔らかさ、温かさは、意識しまいと思うほど気になって仕方がなくなった。
「〜〜〜っ、あの!」
勢いのまま立ち上がったストラメルは、上目遣いでこちらを見るチェラシュカをうっかり目にしてしまった。
花開くようなほわほわした笑顔の彼女と視線が絡む。
ストラメルは少し裏返った声で「し、失礼するっす!」と言い、急ぎ足で部屋を出た。
「しばらく中には戻れない……」
特に行く当てもないもないまま飛び出したストラメルは、リビングを出てすぐの場所に座り込み頭を抱えるのだった。




