61. ティンナトールという男 後編
迷宮攻略に協力すると告げてからは、トントン拍子に事が運んだ。
まさか枷を嵌められることになるとは思わなかったが、一時的な信頼を得るためなら安いものだ。
迷宮内で、一度彼らが寝ている間に転移を試みたが上手くいかなかった。どうすれば壊れのか、いつか試してみたい。
今は騎獣に着ける体になっているようだが、昔は違う用途で出回っていたはずだ。人の欲の際限の無さに呆れつつも、今だけだと甘んじて受け入れることにする。
彼女たちは終始非常に良い働きを見せてくれた。
迷宮内の仕掛けに関する協力についてもそうだが、それ以上にその存在自体が非常に観察し甲斐のあるものだと再認識した。
一向に満たされることのなかった好奇心を久々に擽る新たな玩具だ。
今は彼らをボレアードへ案内しているところだが、これからどうしようかと考えるとつい唇が弧を描く。
聞けば、ストラメルは勝手に彼らについてゆき、なし崩し的に共に旅をしているのだとか。ならば、自分が同じようにそこに加わるのはそう難しくないだろう。
思えばここ最近は、本当に何に対しても食指が動かなかった。生まれてこの方興味の赴くままに行動した結果、大抵のことは知り尽くしてしまっていたし、あの出来事のせいで更に心が渇き続けている。
もうその渇望状態にも慣れてはいたものの、とティンナトールはその数百年前の出来事を振り返る。
***
地面に膝を付くティンナトールを見下ろす厳しい双眸。それを彩る微かに紅がかった淡い空色は、ティンナトールがこの世界で初めて好ましく思った色でもあった。
「そなたの心臓は余が預かる。そなたの留まらぬ好奇心が招いた結果だ」
そう告げたあの方の目は、今でもよく覚えている。ヒトの社会に紛れるようになってからよく見るようになった、悪戯をした子に親が向けるような目だ。
「本当に手をかけさせてくれるな」
あの方が手慰みのように手元でコロコロと転がしていたのは、ティンナトールの体内から取り出した、心臓。
ヒトや獣人のそれとは違い、手のひら大の赤黒い結晶は、拍動にあわせて鈍い光を放つ。
「……そなた、自分の内臓を取り出して観察するのも面白そうだ、などと考えていないだろうな」
「また心をお読みになったのですか?」
「そなたの考えは読まずともわかるようになってきた。全く……」
大仰に溜息をついたあの方の手元から、ふっと心臓が消えた。
「あっ」
「まあよい。そなたの心臓を余が隠した以上、どれほど退屈になろうとも死ぬことさえできぬ」
「そんな」
「あれは余しか知らぬ場所に封じ込めておく。こうでもせぬと他の者に示しがつかぬからな。暫くそうして反省するがよい」
***
斯くして、ティンナトールは体内から心臓を奪われたまま長い年月を生きることとなった。
臓器が一つ欠けたところで生来の好奇心の強さが弱まりはしなかったが、何故だか何をしてもそれが満たされないようになってしまった。
物理的な心臓と精神的な心に繋がりがあるとはっきり知れたのは、怪我の功名と言えようか。
あまりにも暇なので食事のついでに他種族との対話を試み、こちらの言動によって相手にどのような感情が生起されるかを事細かに調べた。
たまたま他の個体より魔力量が多く生まれたこともあって、魔法の研究にも勤しんだ。現代魔法から古代魔法まで、ありとあらゆる魔法の細かな理論を脳味噌に詰め込んだ。その結果、魔法を使えば大概のことはできるようになった。
しかし、できることが増えれば増えるほど好奇心を擽る対象が減り、渇きは強くなるばかりだった。
そんなティンナトールの目下の興味の対象は、目の前にいる桜の木の妖精――チェラシュカである。
「あのことについて聞きたいの?」
「ええ、話が途中になってしまいましたから」
迷宮を抜けてから二日が経過した。
この日は野宿となったため、皆で焚き火を囲んでいる。
揺らめく火にぼんやりと顔を照らされた彼女は、思案顔で目をゆったりと彷徨わせている。一言話すだけでラキュスたちの視線を集める彼女は、どうにも思い通りにならない存在だ。
迷宮内では催眠魔法も弾かれてしまったし、その検証もいずれしなければ。
「あのことってなんだ」
「……シュシュのことよ」
「誰っすか?」
「もしかして、チェリちゃんと家族みたいに暮らしてたっつう子か?」
ティンナトールが彼らの迷宮攻略に協力する上で、気を付けていたことが一つだけある。
それは、彼らに怪我を負わせないことだ。
「ああ、なんか言ってたっすね。可愛い子だって」
「……ええ、そうなの」
治癒魔法の使用を避けたかった、というのが理由の一つとして挙げられる。
ティンナトールがラキュスに告げた『治癒魔法が得意ではない』という言葉は、決して嘘ではない。
彼らの前でしてみせた自分の身体に対する治癒は、治癒魔法とは呼べないものだ。何故なら、大量の魔力を叩き込んで強制的に身体を再生させるという、魔力密度の高い身体だからこそ有効な手段だからである。
ヒトや獣人に同じことをしたとて何も治らないし、魔力密度の高い妖精相手であっても、親密度が低ければ魔力を叩き込むこと自体に抵抗が生じる。
「ティンナトールがなんで聞きたがんだよ」
「そっすね。他人の家族の話とか全然興味なさそうっす」
「まさか。皆さんの話もいずれ聞かせてください」
彼らが怪我を負った分だけ、こちらの責任を問われるのは目に見えていた。だからこそ、割に合わない治癒魔法を使う事態を引き起こさないようにするのが最適解だと判断した。
一時的な花粉症を引き起こす仕掛けさえ回避できていれば、治癒魔法を使うことは無かったはずだ。
想定外だったのは、レオニクスの耳についてくらいか。
「信じがたいな。ティンナトールが魔法以外に興味を持つものなんてあるのか」
「ありますよ。ですから手始めに、」
ティンナトールが彼らに対し、自分の言動で翻弄される様子は楽しみつつ、絶対に負傷させないという強固な一線を引いていた理由はもう一つ。
「チェラシュカが悲しかったという話を聞こうかと」
口を開いたティンナトールに返ってきたのは、数拍分の間。
「……はあ?」
「……頭おかしいんすか?」
レオニクスやストラメルと違って黙ったままのラキュスが、一際険しい目でこちらを睨んでいる。
「チェリちゃん、こいつのために言いにくいこと言わなくていいからな?」
「そっすよ! マジでデリカシーってのが無さすぎると思うっす」
「それはお前も大概だろ」
「レオニクスさん……。俺一応味方なんすけど」
チェラシュカは言葉だけでなく、表された態度や行動、そしてそれらによる結果で公平に他人を評価している。
そんな真っ直ぐな彼女の信頼を勝ち取るのに最も効果的なこと――全員が五体満足で迷宮を抜けられたという事実は、ティンナトールに対する評価へ少なからず影響しているだろう。
それ故に、特に秘していない事柄に対して開示を求められれば、抵抗なく受け入れるはずだ。
こんな風に。
「いいえ、みんなにもいつか聞いてもらえたらって思っていたの」
場に静寂が訪れる。
それを破ったのは、レオニクスの「それ、ほんとか?」という声だ。
「……ええ、本当よ」
「チェリ」
ラキュスが彼女の膝の上の拳に手を重ねる。
彼女がその上に重ねたもう一方の手に、少し力が入っているのがわかった。
「え、もしかしてその悲しい話って、家族みたいな子と関係あるっすか……?」
ストラメルの問い掛けに彼女は小さく頷くと、深呼吸をしてその艶やかな唇を開く。
「私が生まれてからずっと一緒に過ごしてきた、可愛くて大好きなあの子はね……」
曇る金の瞳。
視線を落として訥々と話す彼女は、じわりと深い悲しみに包まれていく。彼女の目元や鼻が、僅かに赤みを帯びる。
「もう、この世には、居ないの」
パチパチ、と火の爆ぜる音だけが響く。
視界に映るのは、彼女と同じように痛みを堪えるような顔をしたラキュス。
じわじわと目を見開き、言葉も出ない様子のレオニクスとストラメル。
彼らの視線がこちらに無いことを確認してから、ティンナトールはふっと頬を緩めた。
もう一度見たかったものが、そして味わいたかったものが、今、目の前にある。
ティンナトールは一人歓喜に打ち震えながら、呼吸と共にその悲しみを吸い込んだ。
――期待以上。
それ以外の感想が出てこない。ただそんな思いに満たされる。
珍しく他に何も考えられなくなりかけたところに、すっと別の味わいが増えて意識が引き戻される。
「それって……」
「……死んだってことっすか!?」
「おい」
どうやら彼らの悲しみが混じってしまったらしい。食料としては問題ないが、折角なら純度の高い感情を味わいたかったため残念だ。
結晶化させた方が特定の対象を摂取しやすいが、今この場でするわけにはいかない。
「……私が小さいときにね、あの子と二人で街の近くの草原で遊んでいたの」
彼女は当時のことを語り始める。花冠を作ったり、気ままに空を眺めたり、本の話をしたり、そして。
「……綺麗だ、ってちょうちょを追いかけていったあの子は……、私の目の前で、崖から落ちて、それで……、」
「チェリ、無理しなくていい」
途切れ途切れに話す彼女を止めたのはラキュスだ。彼が居る限り、彼女がその話を最後まですることは無さそうだ。
その隣で、レオニクスが口を固く結んで目を潤ませている。彼女に同情して深い悲しみを抱くのは結構なことだが、何故泣くのがレオニクスなのかとやや不満が募る。
ストラメルは唖然とした顔だったが、徐々に眉間の皺が深くなっていった。悲しみと驚きと戸惑いが綯い交ぜになっており、混乱しているのがよくわかる。
「そうでしたか……。それは辛いことを思い出させてしまいましたね。私で良ければ、いつでも話を聞きますので」
ティンナトールは眉を垂らしてそう告げる。心底案じているのだという顔に見えるように。
……なんて、彼らがこちらの言動を額面通り受け取らないことはもうわかりきっている。
「……お前、適当に言ってんだろ」
「わざとらしすぎるっす」
案の定咎める声を上げたレオニクスたちに対し、彼女は視線を落としたまま曖昧に微笑んだ。
彼女を包んでいた悲しみがゆっくりと引き、代わりに安堵が見え隠れする。
安堵される要素など無かったはずだが……と不可解に思って彼女を注視していると、彼女は「いいの」と言ってこちらを向いた。
「こうしてあなたが聞いてくれなければ、話すきっかけも無かったもの。だからね、ありがとう、ティンナトール」
「…………いいえ。こちらこそ、聞けて良かったです」
ティンナトールの形式ばった返事に、彼女は微笑んだまま頷いた。
それからラキュスたちが彼女に話しかけ、その金の瞳が逸らされる。
彼女の横顔を見ながら、ティンナトールの意識は思考の海へと沈む。
――お礼を、言われた。
ここまでの行動は全て自分のためにやったことだ。彼女の悲しみの根源に触れたかったから、彼女がそうするのを躊躇わないように仕向けた。
ついでに周囲に揺さぶりをかけながら、ただ只管あのときと同じ感情の発露を待った。宛ら餌がかかるのを待つ蜘蛛のように。
彼女に悲しかったという話をさせたところで、悲しみには沈むもののきっと表面的には気丈に振る舞うだろうと想定していた。
その予想は決して間違ってはいなかった。現に彼女は困ったような笑みを浮かべ、慰めの言葉をかける仲間たちに「心配しないで。もう昔のことだから」と話している。
昔、とは言うが、あれほど鮮明な悲しみを瞬時に抱けるのだ。未だにその心の傷が全く癒えていないことは明白である。
――これが罪悪感なわけがない。そんなもの、私が抱くはずがない。他人とは負の感情を得るための餌で、暇を潰すための玩具で、都合の良い駒で、それ以上でもそれ以下でもない。
とすると、この落ち着かない感覚は何なのか。悲しみが引いてしまったことに対する残念さとも、想定外の反応が返ってきたことに対する喜びとも違う。
わからない。何もわからない。
わからないときにすることは決まっている。
わかるまで、徹底的に調べ抜こう。
この世に生を受けてからの千年余り。
興味を唆られるものはまだ尽きないでいてくれるらしい。




