60. ティンナトールという男 前編
初めは気紛れだった。
困っている人を助ける、真っ当な人の真似事をしてみた。
喚いている奴が鬱陶しかった。
時間を持て余していた。
ただそれだけ。
暇潰しにでもなれば重畳。飽きたら去ればいいし、適当に告げた一週間という期限ギリギリまで遊んで、どうしてもと言うのなら助けてやってもいい――そんな感覚だった。
最初に彼らを見たときに抱いた感想は「変な集団」だった。
まず気になったのは長身の男、ストラメル。ただのヒトのはずだが、何故か厄介な呪いをかけられている。そのことに本人を含め誰も気が付いていないようだった。そのくせ直感だけは鋭いのか、"シルウァ"という名字が適当なものだと勘付いており、それもまた興味深かった。
次に獣人の男、レオニクスは非常に分かりやすかった。酷い侮蔑の言葉に傷心していたかと思えば、女に手を取られただけでコロッと歓喜に変わるのだ。あれで惚れているとわからないなら、そいつの目は腐っているだろう。
そして妖精の男、ラキュスも同じ女に惹かれてはいるようだったが、どうにも今まで幾度となく見てきた思慕とは何かが異なる。一言では言い表せないが、何か覚悟を決めているような様子で興味深かった。
そんな彼らの紅一点、チェラシュカ。妖精の女はあまり関わりがなかったが、どうせ今まで自分の周りにいた女と同じように、媚びるのが得意かもしくは物凄く気が強いかそんなところだろうと考えた。
彼女へ向けられる下卑た男の視線をラキュスが身体で遮っていた。そんな様子に、ただ男に庇われ守られているだけの、よく居る女だと思った。
だから、自分と話すときだけ彼女の感情が凪いでいることに少し苛立ちを覚えたのは、気のせいだと流した。
耳障りに喚いていた男を追い払った後、ラキュスから改めて迷宮を攻略しようとしていると聞かされた。
丁度少し前に定期調査を済ませたところだったため行く理由は無かったが、しばらく彼らを観察するのもいいだろう、と迷宮について知っていると仄めかした。
そんな中聞こえてきたのは『どうやってボコボコにしたい?』という台詞だ。
ラキュスと会話をしつつ残りの彼らの会話にも意識を割いていたが、まさかあの清楚な顔立ちからそんな言葉が飛び出してくるとは思わなかった。激しく似合わない。
◇◇◇
彼らと夕食を共にした次の日。
チェラシュカはラキュスと共にやってきて、いかに自分たちが困っているかを告げ、その後只管褒めていった。
彼女の感情が感嘆を示していたからには、並べ立てられた言葉は本音なのだろう。だが、どれも陳腐で退屈だ。
ただ、『他の誰かが同じことをしたからってあなたが凄いことにも変わりはないのよ』という彼女の言葉はどこか印象に残った。
とりあえずこの日はこんなものかと思って依頼を断ると、二人は沈んだ様子を見せて帰っていった。
しかしながら、チェラシュカは断られるのが想定内だったのか感情に揺らぎが無いのに対し、ラキュスは心の内に苛立ちを滲ませており、そちらの方が面白く思えた。
更にその次の日。彼女はレオニクスと共にやってきて、急に怒った振りをし始めた。語調は苛立ちを滲ませているが、感情は相変わらず凪いでいる。
器用なことだ、と思いつつたまに煽るようなことを言う彼女をあしらうと、もう知らないと去っていった。
レオニクスは本気で焦っているようだが、あの怒りが彼に向けられたらどうするのだろうか。
彼女の怒りは演技だから問題ないと告げても、彼は信じることなく苛立ったままその場を後にした。
彼女に対して強めに当たると、周囲の男たちの感情が面白いくらいに揺れる。これは丁度良い暇潰しになりそうだ。
彼らと出会ってから四日目。彼女はストラメルと共にやってきた。
向かいに座るも黙ったままの彼女を訝しむ。すると、彼女は昨日のことを謝りに来たと言う。
ほんの少しの緊張以外、昨日と同じく凪いでいた彼女の感情が、突如として深い悲しみに染まった。
何を考えているのだろうと注視していると、不意に彼女は顔を上げた。
視界に映った彼女は、今にも泣きそうな顔をしていた。
それを見た瞬間、世界が色を変えた。
彼女の瞳が涙をたたえているのを見て、"欲しい"と思った。
頬に零れた一雫を見て、"惜しい"と思った。
八つ当たりしたことへの罪悪感から泣いているのではないことはわかっていた。
ただ、一瞬だけ見せた本物の悲しみの、その根源に強く興味を惹かれた。
ああ、なんて美味しそうな悲しみなのだろうか――と。そう、感じてしまったから。
味見すら忘れるほどの衝撃に包まれ、うっかりとその背を見送る。
彼女が去った後ストラメルは何やら怒っていたが、どうでも良かったので彼女が他に泣いたのを見たことがあるか確認する。
戸惑いながらも彼は見たことがないと答えた。彼女の周りは素直な奴ばかりで好都合だ。
今日見せた涙が自分だけのものでないことは口惜しいが、これからを独占するために動くとしよう。
手段を選ぶ必要はない。彼女と同じように正面から伝えればいい。彼女のあり方を見る限り、真っ直ぐに向き合えば真っ直ぐに返してくれるだろう。
求められているのは自分の方だから、これまで通り優位に進められるはずだ。
◇◇◇
ストラメルも去ってしばらくした後、彼女の部屋へ行きノックをした。が、返事が無い。ドアノブを捻るが、鍵がかかっている。
面倒に思いつつも、後でどうにでもなるか、と空間魔法で部屋の中に移動した。
薄暗い部屋の中、彼女はベッドから足を下ろした状態で眠りについていた。
少し寒いのか、彼女が身体をふるりと震わせる。その身体に布団をかけると、部屋にあった椅子をベッド脇に置いて腰掛けた。
少し釣り目がちな彼女の目は、固く閉じられている。これまでは表情と口調で強気な印象を受けていたが、眠っていると幾分か幼く見える。穏やかな夢を見ているのか、特にこれといった感情の揺らぎも見えなかった。
――つまらない。
そうは思うものの、そこを動く気にはならなかった。ただ、彼女が起きるまで待っているのも、悪い時間ではなかった。
しばらくして彼女の瞼が震えたかと思うと、ゆっくりと目が開いた。外からの薄明かりで照らされた彼女の金の瞳が見え、待ちわびていたときが訪れた――と、つい口の端が上がる。
声をかけると起き上がったので、部屋に入った理由を適当に誤魔化しながら、起き抜けで覚醒しきっていない彼女の隣に座った。
彼女の名前を呼び、彼女が一番望んでいるはずのことを告げる。
「あなたのお願い、聞いてさしあげても良いですよ」
「! ……本当に?」
驚きと期待に満ちた声を上げた彼女がこちらを向いたが、近すぎる距離のせいかきょとんとした表情を浮かべた。
丸く見開かれた彼女の瞳を眺めながら、願いを聞く条件を告げる。
「これから先、私以外の前で泣かないでください」
口に出してから、違和感を覚える。
より正確に表せるよう思考を巡らせ、しばらく考えて理解した。
――自分の手によって流れる彼女の涙を見たい。
彼女に空けられた距離を詰め、その耳元に口を寄せて囁いた。
「これからたまに、私に泣かされてください」
「……え?」
「あなたが私に涙を見せることを条件に、あなたのお願いを聞いてあげますよ。チェラシュカ」
彼女は黙り込んでしまったが、どうやら戸惑っているらしい。かと思うと急に彼女の恐怖がぶわりと膨らみ、気付くと目の前にいたはずの彼女は彼女が作った写し身に変わっていた。
――恐怖? 何故? 彼女たちの願いを叶えると言っているのだから、喜ぶのではないのか。
出会ってから数日、彼女の種々の感情は概ね観測していた。
仲間たちと共に居るときに見せる喜び、仲間へ暴言を浴びせた奴に対して抱いた怒り、嘘泣きをしたときに何かを思い出して表出した悲しみ、ラキュスが拗らせている理由がわからなかったときの嫉妬……。
彼女が何を怖がるのかも興味があったが、なかなかその機会が訪れなかったというのに、それが今なのか。
――私が、怖いのか。
そう考えると何故かイライラとして「逃げるのですか」と声をかけていた。
「当然でしょう!? あ、あんな訳のわからないことを言われて、すんなり了承できるわけがないわ!」
彼女の感情は恐怖と戸惑いに満ちており、こちらが出した条件を呑む気がないようだった。
ここにきてこれほど面白くない展開になるなど想定外だ。
「そうですか。でもあなたがあの条件を呑めば、迷宮を攻略できるのですよ?」
そう告げても了承しない彼女に苛立ちを覚える。どうすれば彼女は思い通りに動くのだろうか。
そこでふと、目の前の彼女の写し身が目に入った。
数日前にも見たのと同じそれはかなり精巧に彼女の姿を模しており、その顔にある無垢な二つの満月にこちらの顔が映っている。魔法に長けていなければ偽物だとは気付かないだろう出来であった。
徐に自分の右手を彼女と同じ顔のなめらかな頬へ滑らせる。幻覚魔法であるそれが解けてしまわないよう、肌に触れる部分の防護魔法は解除しておく。
その顔にかかるサラリとした髪を耳にかけたあと、小さな後頭部を支えるように髪に指を差し入れた。
扉の前でこちらを凝視する彼女を見つめ返しながら、ゆっくりと写し身に自身の顔を近付ける。
どうせ止められるのだから、いっそいけるところまでいってやろう――そう思い、自身の鼻が写し身の鼻に触れたときだった。
目の前が桜の花びらで埋まり、はらはらと流れていった。
扉の前の彼女は顔を真っ赤に染め、恐怖と怒りを綯い交ぜにしてこちらを睨みつけている。
「おや、消してしまったのですか。最後まですればあなたが泣くのではと思ったのですが」
そうは言ったものの、本当に最後まで――彼女の目の前で彼女の身体を暴き尽くしたとしたら、彼女がその時見せるのは涙ではなく、もっと取り返しのつかない何かではないかという思いが頭を過る。
――何を考えているのか。
取り返しがつかなくなったって、彼女が自分に一生近付かなくなったって、もう一度涙が見られさえすれば……その悲しみを食べられさえすれば、それでよかったはずだ。
嫌だと思うなんて、おかしい。
「とりあえず、そこを動かないで。それ以上私に近付かないで」
拒絶の言葉に更に苛立ちが募る。彼女の華奢な腕で制止しようとしたところで、本気で敵うと思っているのだろうか。
彼女はこの条件をラキュスたちが認めないと言うが、彼らは最終的には彼女の一存に従うだろう。
なのに何故、もう求めていない素振りを見せる?
「あれだけこの数日間それはもう熱烈にアプローチしてくださっていたのに、随分とあっさり諦めるのですね」
「あっさりじゃないわ。挑戦した結果、全員が納得できるゴールに辿り着ける道ではないとわかった。ならそれ以上その道を進む理由はないもの。他の道を探すわ」
そう言った彼女は、本当にもうこちらへの関心を断ったように見える。あれだけ手を変え品を変え、なんとかして依頼を受けさせようとしていたのに、もう終わりだなんて認められるものか。
――逃がすものか。
何も本音だけを話して過ごさなければならないわけではない。気が変わったと言って別の条件を提示し、共に過ごせばいくらでもその機会は訪れるだろう。
そう考えて声をかけようとしたが、ノックの音に阻まれる。
夕飯へと呼びに来たラキュスへ向けて、彼女は扉越しに返事をしていた。邪魔をされたかと思ったが、むしろ好都合かもしれない。
こちらへ背を向ける彼女の背後へ立つと、彼女の肩越しに扉に手をついた。彼女は驚いたようで大きく肩が跳ねており、少し気分が良い。
「ティンナトール!? う、動かないでって言ったわ」
背を向けたままそう抗議する彼女に「私がそれを素直に聞くとでも?」と言うと、彼女は小さく唸った。
そのまま覆いかぶさるようにゆっくり屈み、彼女の耳元に口を寄せる。
「チェラシュカ」
硬直した彼女の感情は困惑と緊張に満ちており、自分が再び優位に立てたことを実感してつい笑みが零れた。
この後、彼女たちの夕食のときに「依頼を受けることにした」と告げるだけでいい。ラキュスたちは諸手を上げて賛成するだろうし、そんな彼らを見ればチェラシュカだって拒めなくなるだろう。
だからそう、そのときまで。
「いい子にしていてくださいね」
そう囁いて、彼女の肩を軽く押して扉の前から歩かせると、こっそりと内鍵を開けてから部屋の外へ出た。
◇◇◇
ヒトの振りにももう慣れたものだ。迷宮を抜ける一週間どころか、何百年だって正体を見抜かれない自信がある。
ただ――もしティンナトールが魔人であると知ったら、彼女はどんな反応をするだろうか。
飽きたら最後に明かしてから去るのもいいかもしれない。
いずれ来るであろうその日を想像して、ティンナトールは一人ほくそ笑むのだった。




