52. ラキュスと新たな罠(挿絵有)
先頭を歩くティンナトールに続き、ラキュスはレオニクスと並んで歩いていた。
というのも、危険度が低いと判断した罠の存在を明確に示さない問題児に先導されているため、チェラシュカより前を歩いて警戒しようと思ったからである。
魔法で照らされた通路の奥ギリギリにまで目を凝らし、耳を澄ませて微かな物音も聞き逃さないように神経を張り詰める。
不意にティンナトールが歩きながら振り返って何かを言いかけたとき、チェラシュカの微かな声とそれを搔き消すほどの野太いストラメルの大声が迷宮内に響きわたった。
咄嗟にラキュスが振り向くと、目に入ったのは地面に空いた大きな穴が閉じていくところだった。
「っチェリ!?」
急いでそちらに近付いて地面に膝を付くが、すっかり閉じてしまったそこには穴など最初からなかったように見える。
「チェリ! チェリ!!!」
ドンドンと地面を叩くが何の反応も無い。力の限り叩きつけた拳がじんじんと痛む。
駆け寄ってきたレオニクスが「え? チェリちゃん!? ストラメル!?」と叫び、地面とラキュスを交互に見て慌てふためいていた。
そこへ後ろからゆったりとした足音が近づく。
「……落ちてしまいましたか」
振り返った先のティンナトールは、枯れた花が花弁を落としきったのを眺めるような、仕方のないものを見るような表情をしていた。
「おい、ティンナトール! わかっていたんじゃないのか!?」
「お前わざとか!? マジでふざけんな……!!!」
「はあ。言い掛かりが酷いですね」
「明らかに言うのが遅かったじゃねえか!! マジで危ねえのは先に言えつったよな!?」
「クソッ! 地面を壊すか……?」
「この下に命に関わるような危険はありません。それより、下手に壊すと地盤が崩れる恐れがあるのでやめた方がいいですよ。それこそ命に関わるかと」
平然と返されてつい舌打ちをしてしまう。どうして彼が眉一つ動かさずいられるのかわからず、じろりと睨みつけた。
「どうすれば開くんだ」
「へえ……。ああ、ここの仕掛けもしばらくは不活性化されているので開きません」
端的に答えた彼は興味深そうな視線をこちらへ向けている。
「マジでいい加減にしろよな!? じゃあどうやったら助けられんだよ!」
「この下と繋がっている道がありますので、そこへ向かいましょう」
――こんなことなら、チェリとずっと手を繋いでいれば良かった。
ラキュスの苛立ちは募るばかりであるが、下手に自分が動いて彼女を助けられる保証はない。非常に癪ではあるものの、今はティンナトールについていくしかない。
手を握り締めて息をふーっと吐くと、レオニクスに視線を向ける。
強く唇を嚙んでいた彼は、目が合うと大きく息を吐いた。
しばらく黙ってこちらを見ていたティンナトールだったが、行きますよと告げて進行方向を向いた。そして、背を向けたままわざとらしい声を出す。
「お二人は、私が思っていたより些細なことで怪我をしそうなので教えてあげますが」
「は?」
「お前な……」
「ここから足元に気を付けてください」
物凄い煽り文句を言われた、ということを理解し言い返そうとラキュスが一歩踏み出したとき。
ずぼ。
ここまでとは全く違う地面の感触に違和感を覚え、サッと足元を見る。
「……は?」
右足首までが地面に埋まっている。というか、泥の沼に嵌っている。訳が分からないまま右足を引き抜こうとしたがふらついてしまい、逆に左足も泥の沼に突っ込んでしまった。
「な、なんだこれ!?」
「足元に気を付けてと言ったでしょう」
慌てた声にばっと顔を上げると、レオニクスもラキュス同様に両足が泥の沼に嵌っていた。
では、直前過ぎて意味の無い警告をした案内人はというと。
一人颯爽と沼を避けて先に進んでいるのかと思いきや――ずぼずぼと足を動かしてどろどろになりながら歩いていた。
「なんで避けないんだ……」
「浮遊するより、洗浄する方が魔力の消費が少ないので。それより、じっとしていると沈みますよ」
「マジで? ……うわ!!」
レオニクスの大声ではっとしたラキュスは、自身の足元に視線を向ける。知らぬ間に膝あたりまで沼に浸かってしまっていた。
片足を引き上げようとするが、すっかり泥に捕まってしまい満足に動くことができない。
――急いでいるときにふざけた罠を……。
ラキュスはあまり細かい制御をせず、苛立ちをぶちまけるように辺り一帯に水魔法を放った。
ばしゃん!
全身がずぶ濡れになったが、先程より泥の濃度が薄まったため大分動きやすくなった。なんとか足を引き抜くと魔法で浮遊する。
「っおいラキュス! びしょ濡れじゃねえか!」
「……すまない」
レオニクスの元へとふわふわ飛んでいくと、彼の手を掴んでぐっと引っ張り上げる。そのまま泥の沼の向こう側まで飛んで行った。
二人の足元を水魔法で洗浄し、風魔法でざっと乾かす。
「ははは。ラキュスは随分盛大にやりましたね」
楽しげな声に振り向くと、先程まで泥沼に足を突っ込んでいたとは思えない綺麗さのティンナトールが居た。
「ティンナトールは言葉が足りなすぎる」
「そうですか。ではこれからは、幼子に話すようにしてさしあげましょうか」
「マジでいちいちそういう言い方しかできねえのか?」
眉間に皺を寄せたレオニクスが、腹立たしげに吐き捨てた。
ラキュスとしても、どういう育ち方をすればこれほど人の神経を逆撫でする言い方ばかりできるのか、いっそ不思議なくらいである。
「二人ともまだまだ子供ですね。そんな様子ではいつか呆れられてしまうのでは?」
「っはあ!?」
「チェリはそんなことしない」
ふっと鼻で笑ったティンナトールは「誰もチェラシュカのことだとは言っていませんが」なんて言ってのけた。
ラキュスが思わず黙り込んでしまうと、彼はくつくつと笑い声を漏らしている。
「本当にあなたたちはわかりやすいですね」
「な、何がだよ!」
彼はレオニクスを一瞥したが、ただ微笑むだけでそれには何も答えなかった。
「まあいいでしょう。それより、ここからしばらくは危ないことも汚れるようなこともありません」
「……本当か?」
ラキュスの突き刺すような眼差しを受け止めた彼は、「ええ」と頷いた。
「さ、早く行きましょう」
「誰のせいだと……」
ティンナトールが軽い足取りで薄暗い通路へと進んでいく。
ぶつくさと文句を言っていたレオニクスも、ラキュスがそれに続くのを見て歩き始めた。
足元は魔法で照らされてはいるものの、通路の奥は闇に包まれている。何を話すこともなく、ただ三組の足音だけが反響していた。
しばらく静かに歩いていたそのとき、先頭を歩いていたティンナトールが両手で自身の耳を覆った。
不可解に思ったのも束の間、すぐにその理由がわかった。
きゅいいぃーーーん。
突如どこからか鳴り響く非常に大きな甲高い音に、ラキュスは咄嗟に耳を塞いだ。
金属をこすり合わせたような、皿をフォークでひっかいたような、とにかく鳥肌が立つような耳障りな音が大音量で鳴り続けている。
手の隙間を縫って耳に入り込んでくるそれに顔が歪む。
あたりを見回すと、レオニクスが耳を塞いでしゃがみこんでいた。
彼の側に駆け寄って自身の耳は塞いだまま大声で話しかける。
「おい! 大丈夫か!」
「う……うるせえ……」
「さっさとここを抜けるぞ!」
「気持ちわりい……」
「レオニクス! 歩け!」
何を言っても動かない彼の前にしゃがみこむ。目を合わせようと顔を覗き込むが、どこかぼんやりとしていて視線が合わない。
本当は小さな音も拾えるようにしておきたかったが、少し彼の様子がおかしい。周囲の音が小さくなるように、自分とレオニクスの周囲に防音結界を展開する。
「ラキュス……」
「レオニクス、今は辛いだろうがとにかく早く先に進んだ方が、」
「なあ、今、喋ってるか?」
「……は?」
「おや、獣人にはこの音は厳しかったようですね」
結界内に入ってきたティンナトールは、レオニクスの方へと真っ直ぐ足を進める。少し腰を曲げて、興味深そうにレオニクスを観察しているようだった。
「どういうことだ?」
「彼、今耳が聞こえていないんじゃないですか」
そう言われて再度レオニクスを見てみると、彼は耳を塞いだままじっとこっちを見るだけで、何も言わずただ心細そうな顔をしていた。
「もしかして、聞こえていな、」
「ごめん! ぐわーんって音がうるさすぎて頭が痛え……オレの声、聞こえてっか?」
想定外の大声に思わず眉を顰めた。
元々彼の声は大きいが、目の前に居るにもかかわらず声を張り上げてくるということは、彼自身の声も遠く聞こえているのだろう。
「……ティンナトール、このうるさい罠はどこまで続いてる」
「後二十歩もないですよ。それより、次の仕掛けの方がもっと彼にはきついかと思っていましたが、予想が外れましたねぇ」
「だから先に言えと……!」
「ちょっとうるさいくらいでは死にませんよ」
レオニクスの状態がわかった上であっけらかんと言われ、つい目元に力が入る。ラキュスは苛立ちを隠すことなくティンナトールを睨みつけた。
「ティンナトールの基準はあてにならない」
「では、あなたたちに合わせるならひよこレベルにしないといけませんね」
相も変わらず揶揄うような口調で言い放たれてしまい、握る拳に爪が食い込んだ。今のラキュスの目つきの悪さは、ストラメルと並ぶほどだろう。
聞こえてはいなくてもピリピリとした空気を感じ取ったらしいレオニクスが「なあ〜……」と気の抜けるような声で割って入ってきた。
「マジで聞こえてねえのか? オレだけ?」
自身の手で耳を塞いだまま、所在なさげに指で耳の縁をなぞっていたレオニクスは、ラキュスと目が合うとややほっとした表情に変わった。
ラキュスはそっと彼の片手を掴み、真正面から視線を合わせてゆっくりと大きな声を出す。
「レオニクス、急いで、抜けるぞ」
彼はラキュスの口元に視線を動かしたあと、大きく頷いた。ラキュスは立ち上がって彼の腕を引き、防音の範囲を動かしながら先へと進む。レオニクスは黙って大人しくついてきている。
ラキュスは進行方向を向きながら、隣を歩くティンナトールに念のため問いかけた。
「……ティンナトール、レオニクスの耳を治してやれないか」
「うーん、獣人の治癒はしたことないんですよね。ヒトと体内の構造も違いますし、得意ではないんです」
「……本当か」
あれだけ自分の怪我を治癒しておきながら、得意ではないとはどういうことか。ラキュスは疑いの眼差しを送るが、軽く受け流されてしまった。
「ええ。それに、鼓膜が破れたというわけでもないようですし、難聴も一時的なものかと」
「……何故そう言い切れる」
「鼓膜が破れると激痛が走るので」
「そ……、」
事も無げに言うティンナトールに、腹が立つ以上に背筋がぞわりとした。ここ数日のやりとりでもおかしな奴だとは思っていたが、まだ底が見えていなかった。
――どうしたって分かり合えない。
だから、そうやって人の痛みを軽んじるなと言おうとして、やめた。
「……ならいい。チェリに頼む」
妖精の場合、治癒魔法は女性体の方が得意な傾向にある。
ラキュスたちもその例に漏れず、というよりもラキュスはチェラシュカ以外をまともに治癒できた試しがない。
レオニクスには申し訳ないが、もうしばらくこの状態のまま先を急ぐことにする。
ティンナトールからの視線には気付いていたが、絶対に見返さないと固く決めてすたすたと歩く。
「ああ、そろそろひよこちゃんたちは鼻をつまんだ方がいいですよ」
「ひよこだと……?」
思わず横目でじろりと睨んでしまったが、彼がそう言うのなら何らかの罠があるのだろう。
ラキュスはレオニクスに向けて鼻をつまめと言い、自身の鼻をとんとんと指差してから鼻をつまんだ。
彼はラキュスを見ながら小首を傾げていたが、大人しく鼻をつまんだ。
その直後だった。
「……うっ!?」
鼻をつまんでいてもわかる強烈な悪臭に、思わずレオニクスの腕を離してその手で自身の口元を覆った。
腐った生ゴミのような、吐瀉物のような、堆肥のような、とにかくラキュスが知る限りのあらゆる吐き気を催す臭いに全身が包まれている。
生理的な涙が滲み、身体を折ってえずきかけるが、必死にぐっと飲み込んだ。
息を止めながらなんとか振り返ると、レオニクスが地面に膝をついて口を押えていた。彼も必死に吐き気を堪えようとしたようだが、手の端からぼたぼたと消化途中の朝食だったものが零れ落ちている。
口元を押さえたまま地面をじっと見つめる彼は、この世の全てを失ってしまったかのような悲痛な顔をしていた。
平常時であれば、ストラメルが笑い転げそうな大袈裟な表情である。だが、今のラキュスにとっては、掬い上げた水が手の隙間から流れていくのを見るような気持ちにさせるものだった。
「鼻や耳が利きすぎるというのも、困りものですね」
声のする方を見上げると、何のダメージも受けていなさそうなティンナトールが、やれやれと言いたげな表情でレオニクスを見ていた。
研究のしすぎで嗅覚を失ったのではないかと疑ってしまう。
だが、彼がレオニクスに向けて指をすいっと上から下に振ると、レオニクスの手元や服の汚れが綺麗さっぱり消え去った。その手際の良さだけは感心せざるを得ない。
彼は顔を上げると、今度は指を横に動かした。
「ラキュス、音を遮断する魔法はもう解いてもいいですよ」
わかった、そう返そうとしてラキュスは気付く。先程までの悪臭が一切しなくなっていることに。
「ティンナトール……」
「どうです? これならひよこちゃんでも息ができるでしょう」
「……何故最初からしない」
「おやおや。折角私が骨を折って臭いの原因だけを遮ってさしあげたのに、随分な言われようですね」
"骨を折って"というのは、瞬きの間に悪臭を遮断する結界を張ったことだけを見ると、大袈裟な言いように思える。
しかし、ラキュスが先程まで行っていた音の遮断は、結界の厚みや強度を調整すればなんとかなるものだが、臭いの遮断はそう簡単にはいかない。
通常の結界は空気を通過させるので、だからこそ内部で呼吸ができるわけだが、悪臭の成分はその空気中に含まれている。それが結界内部に一切入らないようにするというだけでも、かなり高度な技術なのである。
「それは助かった。ありがとう。だが、それとこれとは別だろう」
「……ふふ。ラキュスのそういう素直なところはいいところだと思いますよ」
「茶化すな」
感謝と共に咎める言葉を放ったが、彼は全く取り合おうとしない。
苦々しい思いを抱いていると、レオニクスが急にがばっと顔を上げて立ち上がった。
「おお!? 臭くねえ! 二人の声もさっきより聞きとれるぜ!」
「……良かったですね」
「ティンナトール、さっきはごめん! オレのあれ、片付けさしちまって……」
「はあ。いえ、別に」
「レオニクス、もう大丈夫なのか」
「おう! さっきまでは耳も鼻もいかれちまってたみたいだが、今は大分ましだ」
「……ならいい」
複雑な気分ではあるものの、この厄介な案内人のおかげでまともに呼吸ができているのは事実である。大きく深呼吸をすると、早く行くぞと声をかける。
「あ、突き当たりは左ですよ」
歩き始めたラキュスに後ろから声がかかる。
視界の奥の突き当たりは、左右二手に道が分かれていた。
突き当たりのど真ん中に着いてから左右の通路の先に目を凝らしたが、どちらも暗闇に包まれている。
そこに二人が追い付いてきた。ティンナトールの魔法で照らされた左側の通路のすぐ先に、下へと続く階段が見えた。
「チェラシュカとストラメルはこの先に居るはずです」
彼の声は静かな迷宮内でやけに大きく響いた。
やっと彼女を助けに行ける――ラキュスは唾を飲み込むと、暗闇へと続く階段を一歩ずつ降りていくのだった。




